放談は 砲弾よりも 恐ろしく  | がいちのぶろぐ

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ゴールデンウィークの初日。昨夜の天気予報通りに、午後2時頃から雷の音が聞こえ始めるとともに、雨が降り始めた。その雨も1時間もたたずに降り止んだ。

 

今日から、旅行に出かけられた方も多いだろう。明日からは、それほどの悪天候にはならないようで、まずは良いゴールデンウィークになるだろう。

 

ところでこの間、大臣や政務三役の辞任が相次いでいる、失言あり、放談あり、女性問題ありと、原因は様々ではあるが、いずれにしても公人としての資質に大いに疑問を感じることは間違いない。

 

政治家、特に国会議員は、「特権」を持っているのではなく、選挙民の付託を受けて仕事をしているのだ、という自覚が何より必要だろうと思う。

 

最近は、政治家が何かの集まりで講演などをする場合に、参加者が退屈することがないようにという配慮なのか、「面白い」話をして「受けよう」とする傾向があるように思える。特に、いわゆる「自虐ネタ」を披露して笑いを取ろうとするのだ。

 

「人が笑ってくれる」ことと、「人に笑われる」こととは、雲泥の相違がある。「自虐ネタ」というのは、自分が聴衆より劣っていることを強調し、「見下してもらう」ことで「笑われ者」になるという「話芸」である。

 

「ヒロシです。合コンの席で女性から『いつ来たの』と聞かれました。最初からおったとです」という、あの一世を風靡した(?)“自虐ネタ大王”のピン芸人ヒロシさんを、私は大好きなのだが。

 

この「自虐ネタ」という話芸は、「人に笑われる」ことを“演じる”という計算された笑いの取り方である。そうであるがゆえに、素人がウケを狙って、自虐ネタで「受けよう」とすると、一つ間違えば「大ヤケド」をしてしまう。

 

本人は、「どうですか。私って、皆さんが思っているほどの、デキた人間ではないでしょう」と、失敗談や思い違いなどを“自虐的”に話すのだが、それを聴かされている側は、「私は、そんな人に投票してしまったのか」という思いになって、「ドン引き」に退いてしまうことだってあり得る。

 

つまり「自虐ネタ」というのは、聴いている側が、安心して「笑いものにしてあげられる」関係性が成立していないと、笑うに笑えなくなってしまうのである。

 

それなのに、取り立てて話術の勉強などしているわけでもない“素人”の政治家が、その場の聴衆との関係性も顧みずに「自虐ネタ」を用いたりすると、むしろ悲惨な結末が待っている。

 

いったん聴衆が退き始めたことがわかると、「これはいけない」と焦りだして、より一層ひどい失敗談や、暴露話的な内容に持って行こうとする。そうなると、思わぬ失言になったり、放埓な話になったりしてしまい、揚句はそれが表沙汰になって「問題発言だ」と追及を受ける羽目になる。

 

要は、素人が分をわきまえずに「人を笑わそう」と放談をするから、失言騒ぎなどになるのである。もっとも、今回の某大臣の場合は、笑わそうという意図ではなく、自分の課題と心底から向き合っていなかったという、「人としてダメ」な方だったことが原因していると思われるけれど。

 

こんな方は、国会議員云々という以前に、70歳という齢を重ねていながら、人間として「鼻高」に生きてきた方なんだろうな、と思ってしまう。「下々のこと」などは意識せずに生きてきた70年だったのだろうと思ってしまう。

 

話を戻して、「人を笑わせる」という「高尚」な話術は、おいそれと短時日の内に身につくものではない。だからこそ、落語の名人・上手が、亡くなられた後も、長い間高く評価されているのだろう。

 

先日も三遊亭圓歌師匠が、惜しくも幽冥境を分けられた。圓歌師匠を有名にした、あの「山のあな、あな、あなた、もう寝ましょうよ」という噺は、明るく、それでいてワッと笑える話芸だった。

 

 

藤山寛美さんという稀代の大スターは、「ボケ芸」の極致を極められた方だった。「ボケ役」を演じながら、それを「見下す」側にいる私たちに、「あなたは、本当に笑える立場なのですか」という“刃”を突きつけているという、極限の「自虐ネタ」をフルに使いこなされていた。

 

 

 そこに「笑い」を超越した“涙”が生まれるきっかけがあったと思う。今思い返しても、鳥肌が立つ「芸」だったと思う。こんな役者さんは、もう現れないのだろうか。

 

そこで、政治家の方々は、失言や放談で失敗を繰り返す前に、まずは己の身を持することを考えていただきたいと思う。自分がなすべきこと、自分が置かれている立場、自分はなぜこの場に立っているのかということへの自戒を、是非忘れないでいただきたいと思う

 

講演で聴衆が退屈するのは、あなたの話が「面白くない」からではなく、あなたの話が「無内容」だから。聴衆が居眠りをするのは、あなたの話に「熱」が入っていないから。

 

あなたが講演する場では、聴衆は、何も「人に笑われる」ような話を聞きに来ているのではない。そこを取り違えないでほしい。

 

そろそろ、国民はあきれ果てていることを理解してほしい。あなた方に対して、もはや何の期待もしていない、ということを感じ取ってほしい。それは、本当の意味で国の危機である。

 

某国のミサイルが飛んでくるよりも、某大臣の発言の方が、国民には“恐ろしい”ことなのだとわかってほしい。あなた方が失言や放談、愚行などをしている時ではない。そのことに思いが至らないのなら、即刻、バッジを外していただきたいと思う。