元警察官の雑記ブログ【転職ブログ】

元警察官の雑記ブログ【転職ブログ】

2025年の9月末で退職予定の警察官です。
警察官の転職って不安しかない現状・・・を書いていきます。

今日は実家に帰省した。

親に仕事を辞めることを明かしてから、初めての帰省。

 

帰省のメインの目的は先週まで行っていた新婚旅行のことを伝えるためだったため、妻もいたこともあって転職についての話はあまりしなかった。

 

妻は以前海外に行くことを決意し、英語を勉強していた過去がある。

コロナで不運にも叶えられなかった夢。

新婚旅行で海外にいくことで、何か妻の中で意識が変わるのではないかと少し期待していた。

しかし、妻は良い意味で「今は結婚してその夢は冷めたことを実感した」と言っていた。

 

現実はそんなもんなのかな・・・。

実際に自分も退職を決めたときは

『どうせなら面白い人生をやり遂げたい』

『人と違うことをやって、変わった人生でありたい』

と思った部分もあって退職を決めた。

 しかし、現実思っていた姿とは全く違う。

 毎日の焦り、お金が尽きてしまうのではないかという漠然とした不安。

 次の就職は本当に決まるのだろうかという不安。

 そういった不安に毎日悩まされて続けている気がする。

 

転職を決めた時と今の自分。思っていたのと全然違う。

 

妻からは「大丈夫だから。この貯金額ならお金はすぐに尽きないから大丈夫。」と何回も言ってくれているが、全然頭の中ではすっきりしない感じ。

 

この不安はいつまで続くのだろうか・・・。

 

話がそれてきてしまったが、結局実家を立つときに、妻に対して母が

「もう少し転職の話をしたかった」

というようなことを仄めかしていたようだった。

俺も話をすべきか迷ったけど、母に話すと不安を煽るだけだとおもって改めて話はしなかった。

 

もう少し転職の見通し、やることの見通しが立ったら報告しよう。

久々に記事を書こうと思います。

 

今年(2025年)の9月30日に警察官を退職する予定です。

現在は有休消化中であり、転職活動をしている最中。

 

大学を卒業後、約10年間勤めてきた警察官。

警察学校を卒業した後、個人的には真剣に向き合ってきた警察官という仕事。

現在は有休消化中ですが、あと3日でついに無職になります。

 

有休消化を経て気付かされるのは、すっかり警察組織に染まっていたということ。

それは良い意味でもあり、悪い意味でも。

 

良い意味で言えば、公務員らしく、警察官らしく生きてきたこと。

悪い意味で言えば、組織しかしらない狭い社会の中で生きてきたこと。

 

ざっくり言えばそんな感じですが、この有休消化中だけでも、やはり警察組織との一般社会とのギャップを感じることは多々ありました。

しかしそれは、警察官として生きていくには感じる必要のない人も多いと思う。

 

警察官を勤めてきたけど、心のどこかで警察官になりきれなかった自分がいた。

『このままこの仕事を続けていたら、きっと後悔する』

そう思い続けていつぐらいだろう。

久しぶりにこのブログを見直したけど、2021年の時点では既にその思いを感じているようだった。

思い返してみても、採用されて現場に出てからはずっとその思いを感じていたと思う。

 

しかしながら、いざ辞めてみると、『スキルも何もない自分』がここにあって。

ただ公務員を続けて年功序列で給料が上がってきただけの自分でしかないことに気づく。

正直、将来に対する不安しかない。

やるしかないことは頭で分かっているけど、自分が今後どの道を進んで、どの職業を選択すれば納得できるのかが全く見通しがつかない。

 

現状はそんな感じです。

転職の状況や心境などをつづっていけたらと思う。

 

過去にも書いたけど、三日坊主にならないように気を付けよう。

(※9/27に一時保存した記事を9/28に追加記載)

今日の彼女は調子がよさそうだった

 

昨日は疲れていたみたいで、寝る前に「明日は何もしない」と決めていた。

昨日はちなみに閉館前の高島屋にいったけど、後半は疲れてしまっていた。

 

今日は洗濯と久々にコンソメスープを作ってくれていた

話によると掃除機もかけてくれたらしい

帰宅すると机の上で多肉植物の寄せ植えをつくっていて、飯を食べ終わった後も熱中して作っていた。

最近よく話をするけど、彼女はやはり現在の職場への復帰はあまり考えていないっぽい。

俺としても、また再発して悪くなってズルズルしてしまうよりも、きっぱりと切り替えた方がいいのかなとも思う。

あとは帯広への移住の話などもした。

隠岐への一時的な引っ越しの話とか・・・

不安を考えたらきりがないけど、彼女の元職場の人のように「人生、なんとかなるよ」精神でいくしかないのかな

 

人生やりたいことはたくさんあるけれど、それをやるには時間があまりにも少ないなとは思う。

せっかく生きるのなら、自分の興味あること、やりたいことをやるのもいいよなあ、、、

今日は朝から仕事。

無事に終わってよかったー。

 

今日は午後に切り上げて彼女の病院へ一緒に。

精神のクリニックへは初めてだったけど、先生は優しい口調。

 

はじめに彼女がカウンセリングを受ける。

その後、少し3人で話した後、1対1で話を聞いてもらった。

 

当然だけど先生は彼女のことをすごく把握していて、最近の彼女のことや、彼女の心境が変わってきたことについて細かく知っていた。

正直そこまで話しているとは把握していなかったし、そこまで親身になって話を聞いてくれるものだとは思っていなかったのでいい意味で予想を裏切ってきた。

 

ざっくりまとめると、

・ 彼女自身、自分でできないことはできないとノーを言えることが多くなってきた

・ これまでは、家族から頼られて生きて環境のせいもあって、誰かに頼るということができなかった。

・ パートナーに頼ることができるようになってきている

・ けどパートナーは彼女に気を遣わせまいとしていることがあり、頼ってもらいたいと思っている

と、大方の内容はこんな感じだった。

 この内容は彼女と喧嘩したときに言ってくれたので大体わかっていたし、俺もわかってきた・・・と思う。

 

 先生からは、これらの点を踏まえて、

・ 俺も彼女に頼っていいと思う

・ 彼女も頼られて、自分でできることは引き受けるし、できないことは引き受けないと判断ができるようになってきている

・ その基準を学ぶためにも頼っていった方がいい

とアドバイスを貰った。

 ついでに俺の心境

・ 以前の彼女の姿(動けるときの姿)を分かっていてもつい求めてしまうことがある

・ 彼女の姿にストレスを感じてしまうことがある

と話すと、そういった家族も多いということを話していた。

 具体的な解消法を言ってくれたわけではなかったけど、先生としては聞くことでストレス解消や共感を得て相手に消化させようとしていたのだろう。

 確かに話すことですっきりもしたし、先生のことを頼もしいとも思えたし、話している途中にかすかな感動(分かってくれる人がいるんだという感じ)すらした。

 

 俺も同じ境遇の人と話したらもっとスッキリするんだろうか。

 kindleで読んだうつ病の体験談の話を読んで、だいぶ消化できている感はあるけど、またストレスが溜まってきたらなかなか整理するのは難しい。

 

 話して俺も消化できた部分もあるけど、彼女も嬉しそうだった。

 理由はわからないけど、第三者を介して話すことで、俺に少しでも気持ちが伝わっているだろう状況がうれしかったんだろう。

 また次も言って話をしてこよう。

 一昨日、彼女と喧嘩をした。

 彼女を支えるのが辛く思えてきたのか、彼女が体調が悪いことは十分知っているのに、先が見えない状態に嫌気が刺してかストレスを感じていた。

 動物病院に行ってフィラリアの薬を2錠購入した後、役場に障碍者手帳の受け取りに行ってきた。

 手続きは簡単で、身分証明書を提示し必要書類に記載した後、給付金の説明を受けて受領書を記載して終わった。

 1年間で9,000円だったかな。何を基準に9千円と決まっているんだろう。有難いんだけどさ。

 

 家に帰って、彼女に対して①入院してみたらどうか②母親に病気のことを告げてみたらどうかを提案してみた。

 理由は俺が辛くて誰かに状況を共有したいということもあったし、先が見えない状態に不安やストレスを感じていたからと、手帳を受け取りに行って、彼女が良くなるビジョンが得られなかったから、何か変わるきっかけになればと思ったからだ。

 彼女は怒り口調で「あの母親に言っても余計に私が辛くなる。」等と言われ、逆効果であること説明された。

 前にもこの話はされたことがあったが、いずれは婚姻関係になる身だし、母親の過干渉も俺がストッパーになっていい具合に進めれるかなと思ったから話してみたけど、「そんな甘くない、母親の性格は私がよく知っているし、無理だとわかっている」といった感じだった。

 そんなの相談してみないとわからないじゃんって伝えるも、彼女の妹の件で予想は付くと反論され、そんなことを言われると俺も何も言い返せなくなった。

 彼女からは「そんなに私といるのが辛いんだったら、結婚も考えなおしたら。私はもう前の私ではない。鬱になる前の私はもういないし、それを求められても困る」という話をされた。

 ・・・それを言われて、俺もハッと気づかされた。

 

 俺はどこかで彼女がまた以前の彼女のように戻ると思っていた。

 うつも彼女の場合は軽度で、すぐに回復するだろうと思っていた。

 1回目の休職の時は、1ヶ月~2ヶ月ほど経って体調がよくなってきた感じがあったし、体調も良くなってくるとご飯も作ってくれたりした。

 今回の休職も、同じように回復するとどこかで思っていた。

 いつもの彼女に戻るんだ。いつか、うつ病前の彼女に戻るんだと思って支えてきたつもりでいた。

 けど、彼女としては違う、うつ病を発症する前の彼女はもういないと言った。

 前の状態に近づくことはできても、もう前の彼女に戻ることはできないと言った。

 

 確かに、俺はどこかで、以前の彼女の状態を求めていた。

 以前のように動けるような、活発な状態に戻れる彼女を想像し、求める自分がいた。

 だからこそ動けない状態の彼女を見てはストレスを感じていたのかもしれない。

 自分では支えようと思って献身的に過ごしてきたが、どこかで彼女に対して以前の彼女に戻ることを期待をしていた。

 

 彼女に言われてやっと気づけた。

 俺も変わらなくては、一生彼女は良くならない。

 当直だから夕方から出かけたが、kindleでうつ病の本を購入した。

 まずは彼女の病気を知ることから始めよう。あとはうつ病患者の思っていること、してほしいことを読んで、どうすればいいのか考えよう。

 支える立場の人の文献も読んで、どう思っていてどう動いたのが良かったのか、いろいろ学んでいきたい。

 そんなことに気づかされた喧嘩でした。

 

 当直が終わって、明けの日。

 最初はけんか明けでぎこちなかったけど、徐々に仲直りできた。

 彼女が体調が悪そうで、昼過ぎまでずっと寝ていた。

 午後はワンエンドに行って、ドッグランを利用した。

 彼女もかき氷をたべて喜んでくれていた。

 帰宅後、薬局と、ドンキに行って保湿ができるシャンプーを探すも見当たらず…。はるのシャンプーは明日に持ち越し。

 帰宅後彼女は疲れていて、肩を揉むこと、頭をマッサージすること、髪を乾かすことをお願いされた。

 その後、耳掃除をしてくれた。

 洗い物はできなさそうな感じだったから私が担当。

 ドッグランで疲れてしまったかな、疲れさせないようにはしたいけど、楽しんでほしいとも思う。

 これから日記をまめに書いて、彼女が何ができて何ができなかったか、記録化していこうと思う。