読んだり観たり聴いたりしたもの -72ページ目

3DS/宇宙船ダムレイ号/レベルファイブ

DL専売となったギルドシリーズ第2弾の1つ。

かまいたちの夜や弟切草などのシナリオライターを擁し、全くの不明状態から説明無しに始まるADVという触れ込みで、プロモで非常に興味をそそられたのでDLしてみた。

最初のOS起動ミッションなど、おお、と思う要素もありはしたが、結局その最初が一番面白いシーンで、その後はオールドファッションな脱出ADVだったのは拍子抜け。謎解きゲームとしてみてみても、3時間で完クリの難易度とボリュームは、800円という価格からは微妙な判断か。シナリオも、看板に比してそれほど見るところは無かった印象。雰囲気も結構頑張っていたが、ライトの表現はまあまあ良かったものの、特筆する程ではない平凡な感じ。

一切説明無し、という惹句から、ミストのような謎解きを期待したが、ほとんどの謎はワンアクション完結のお使い操作で、トライアンドエラーを繰り返させるような濃厚なものを勝手に期待してたのでがっくり。
3DSならではと言った演出もなく、雰囲気もフロムソフトウェアのネビュラには遠く及ばない。

もちろん、800円のDLゲーにどこまで求めるのか、ということはある。

ただ、レベルファイブがギルドシリーズでやろうとしたことは、規定の商業路線では生み出し得ない、小粒でも尖ったクリエイターオリエンテッドな作品の創造ではなかったか。

その意味では、本当にこれを造りたかったのか?という疑問が残る作品ではあった。平凡で、無難にまとめすぎているからだ。もっとボリュームを削ってでも雰囲気に拘るとか、100人に一人も解けないようなゲキムズの謎を入れるとか、半数以上が脱落する予想の斜め上を行くようなシナリオ展開とか、例えば1年経ち2年経っても人々の口の端に上るような、そんなインパクトが欲しかったな。
ま、eShopの★の低さは伊達ではない、と言う事でしょう。

ギルド01のパケを持っていると、追加シナリオが見られるらしい。機会があれば。

さて、それでは任天童子をやりますか。

幸せな未来は「ゲーム」が創る/J・マクゴニガル/妹尾堅一郎他

時間がないので簡易メモ。

今年読んだ本の中では、ダントツで面白かった。
いわゆるゲーミフィケーションの本。

人は何故ゲームをするのか?
ゲームとは、わざわざする必要のない作業に、自らの意志で取り組む事だ。

そもそも疲れるだけなのに何故無駄に動き回って体力を消耗しようとするのか?なぜ手を使わずわざわざ器用に動かせない足でボールを扱おうとするのか?なぜ特定の小さな場所以外は得点が入らないなどと制限するのか?なぜ、これらの無意味な制限を厳格に適用しようと決意した22人もの人間が集まって一斉に時間を浪費するのか?

このように明らかに「サッカー」というゲームには、何の意味もない。

何の意味もない無駄な作業である事こそがゲームの本質だ、と著者は説く。より困難な挑戦、成果を明確に感じられる行動、没頭するような作業。こうしたものを求め、取り組み、快とする回路が人間の脳に備わるためだろう。だから全く無駄なゲームに夢中になる事程面白いものはないのだ。

それに引き替え、現実のこの色褪せた事はどうだ。簡単すぎてあくびが出そうなルーティン、評価も報酬もなく未来永劫続く無益な労働、煩雑で複雑なルール無用のデタラメなプロセス。素晴らしきゲームの世界とは比べものにならない。

ゲームには人間の興味を引き、それに取り組ませる力がある。そのエッセンスを応用して、現実社会での実際的な課題を達成する助けにしよう、というゲーミフィケーションは最近の流行だ。リハビリや学習、ビジネストレーニングなどにゲーム感覚を取り入れよう、というような記事はしばしば目にする。

しかし、この本の特色としては、もっとドラスティックな方向性の提示にある。
著者は生粋のゲーマーだ。テレビゲームを相当にやり込んでいる。訳が酷い(というか訳者はゲーマーでないから)ので、そうした細かいニュアンスが伝わりにくいのが難点だが、本当にゲームを愛している人間だ。

だから、著者の主張は、ゲームのように面白くない現実世界はそもそも間違っているのだ、というものだ。ゲームがなぜ面白いかを研究し、現実から「失われてしまっている」ゲーム的な面白さを付加する事で、現実を「修復」しようとする。
現実世界の辛い作業も、ゲーム的なフレーバーを効かせれば取り組みやすくなる、という生ぬるいものではない。誰もが目の色を変えて競うように取り組む。文字通りのゲームにするのだ。

私の筆力と紙幅と時間の関係から、まったくこの微妙なニュアンスが表現できないが、本当に、目からうろを落とすようなインパクトがあった。

人間は、人間自身の活動を、そして人間社会の未来を、自分自身で望むように設計できるんだな、という眩い程の希望を得た。私は元々人間礼讃という様な考えは持ってないし、人類という種の恒久的な存続を願ってもいない。地質学的スケールで見るなら、人間はそれに続く知的存在の母体としてその役割を終えるものだと思う。早い話、生物学的進化スピードの枷に基礎スペックの発展が阻害される「生身の」人間では、(地質学的スケールで)極近い将来に勃興するであろう人工的でより高次の後継物に太刀打ちできるはずがないからだ。そうした後継物は易々と星の海へ拡散してゆくだろう。素晴らしい事である。唯一の懸念は、そうした後継物が完成する前に、人類が自滅してしまう事だ。その原因となりうる事象は枚挙に暇がないだろう。しかし、問題とは、それに取り組む意志を持った時点ですでに問題ではなくなるものだ。ゲームという概念をキーとした人間の制御・人間社会の制御が発達する事で、人類という種の寿命が大幅に延びる手応えをありありと感じた。

もちろん一足飛びに100%バラ色の未来とはならないだろう。技術的に未熟な面も多いし、この技術における暗黒面、マイナス面も十分に研究する必要がある。例えば、反社会的勢力が自爆テロリストを生み出す仕組みにもゲーム的な技術が応用されていると私は思う。技術というものは何でも悪用できるものだし、極論を言うなら悪用されないような技術などは大した価値がないと言えるだろう。

著者のゲームに関する分析のまとめは腑に落ちるところ大であったが、まだ弱いと思う。
まずは、徹底的にゲームについての研究を進めるべきだろう。それは裏を返せば、もちろん認知科学の課題でもあるだろう。

ゲームは何故面白いのか。それを突き詰める事で、現実をゲームに出来る。
何の事はない、それは古来より人生の達人と呼ばれる人々が、「極意」として生得的・後天的に行っているテクニックなのではないだろうか。


J・マクゴニガル/妹尾堅一郎他
幸せな未来は「ゲーム」が創る

先週読んだ漫画 13/3/24-3/30

●竜の学校は山の上/九井諒子

何かで見かけて気になっていた本。ようやく図書館で借りられたので読んでみた。素晴らしい作品である。ひねりのきいたファンタジーの佳作9編。「魔王」を倒した後の世界を描く事で魔王の本質に迫る数編や、表題の、絶滅しそうな竜とその竜の専門学部である竜学部で学ぶ国立大生の苦闘を描く作品など、どれも目を引くものがある。竜学部の話はどこか動物のお医者さんの雰囲気も。一番好きなのは、ミノタウロスである馬人(表紙のみち子さんを見よ)と人間である猿人が共に暮らす現代社会でのスケッチ「現代神話」。なんか、テイストが誰かに似ているな~と思うのだが、スッと出てこない。とりみきはちょっと違うし…。是非別の作品も読みたい。


●女子高生 3巻/大島永遠

相変わらずのお下品女子高ギャグ。突っ走る絵里子と弄られ綾乃にくらべ、今巻は由真がおとなしかったな。妹も。綾乃の彼は強いね。内容はそこそこ。次巻は機会があれば、かな。


●ポケットモンスター SPECIAL 3巻/日下秀憲/真斗

レッド編完結。主人公達もポケモンも、すごくキャラが生き生きとして、本当に楽しく読める。プロットや伏線もなかなかどうして、しっかり作ってあるね。次巻からの新展開も期待大だな。


●桜蘭高校ホスト部 4巻/葉鳥ビスコ

面白くない事は無いのだが、なんか乗れずにイマイチ。ハルヒの父はあまり好きになれないな。環を含め、ホスト部員もワンパターン化してきて、おまけに主人公のハルヒも元々低テンションと言う事で、飽きが来ると早いのかも。今巻の最大の目玉は、小椋アカネの描くハルヒ&環のFAXイラストだろう。


●絶対可憐チルドレン 11-12巻/椎名高志

アニメも終わったので、久しぶりに続きを読んだ。ずっとアニメ調のタッチに慣れていたので、コミックの柔らかさが何だがほっとする印象。皆本とキャシーの話は切ないね。ブラックファントム編、展開が気になるところ。心配でじっとしていられない兵部がよい。おまけ四コマで不二子さんと兵部のなれそめが。さて、続き買ってくるか。

パイオニア HTP-S353 購入した

多忙にかまけて、すっかり書くのを忘れてしまっていた。
正月に買ったホームシアターである。

昨年末に、東芝の42ZP3を購入したエントリ でも書いたように、TVに合わせ、オーディオ環境も少しだけ奮発してみようと、ホームシアターの設置を検討する事にしたのだった。

選定に関しては、ポイントは2つ。

まず、普及機入門機で十分、と言う事。
ご存じのように我が家のメインユースはゲームである。ゲームというのは非常に「入れ込む」タイプの娯楽である。バトルに集中しすぎてBGMなど何も耳に入ってない事などザラである。サントラを聴いて初めて、あの激闘を極めたボスバトルの曲を「曲」として意識し、こんな名曲だったのか!、などという事も珍しくない。だから、金を掛けすぎても勿体ないのだ。
また、我が家は普通の3LDKマンションである。設置場所は普通のリビングで、テーブルなど家具も多数置いてある。空間の対称性や壁の材質などに配慮した専用のリスニングルームで視聴するのでもなければ、高級機の持つハイポテンシャル性能が作り出す微妙な音質など、簡単に消し飛んでしまうだろう。非科学的な「スピーカーケーブルの材質」にまで拘って高級機を揃えたオーディオマニアの部屋がごちゃごちゃ、なんてのをwebでもよく見かけるが、ハイブランドのジャケットを羽織って下はジャージ、という感じで、まったく苦笑するしかない。普通の生活空間に設置している限り、高級オーディオの音が良い、なんていう感想はほとんどが単なる思いこみだろう。つまり我が家では高級機なぞは購入する意味がないのだ。ただし、それならオーディオなんて何でも良い、という事ではない。テレビのスピーカーと入門機のホームシアターでは、音は全然違うからだ。回転寿司の味と、回転しない鮨屋の味の違いは誰でも分かるけど、回転しない鮨屋と回転しない「高級」鮨屋の旨さの差は、食通でないと分からない、というのと同じ事だ。

次に、出来るだけ多くのHDMI入力を持つ事。
後で詳しく書くが、基本的には、映像機器→ホームシアター→TVという形での接続になる。最悪HDMIセレクタを使用しても良いが、出来れば余計な機器を使いたくはない。ホームシアターに複数のHDMI入力端子があれば、ホームシアターの切替機能で事足りる。少なくともWiiU、PS3、360の現行3機種分の端子は欲しい所。

こうして各種レビューなどを参考に選定したのが、パイオニア HTP-S353。購入時点で、ネット最安2万7千円と非常にお値打ちな5.1ch入門機である。

早速感想を、という所であるが、実は、上で書いた以外にも、高級機の意味がない理由がもう一つあるのだ。
それは、私は耳が悪い、と言う事だ。両耳とも真珠種性中耳炎を患い、複数回の鼓室形成術等の手術により、聴力が常人の約半分程度に低下している。これ以上悪くなれば補聴器が必要ですね、と言われるレベルだ。そして、常に両耳とも耳鳴りがしている。私は物事にすぐ慣れ、細かい事をあまり気にしない性格なので、意識しない時も多いが、実は耳鳴りが凄いのだった。例えば、夏。部屋の中にいて、「今、外で蝉が鳴いているかな?」と訊かれたら私には判断が付かない。今この耳に届いているのが、蝉の声なのか、それとも蝉の声によく似た自分の耳鳴りの音なのかを区別できないからだ。いつでもどこにいても、つねに少し離れた場所で蝉が鳴いている世界、それが私の耳だと思ってもらえれば間違いない。だから、私は夏が好きだ。本物の蝉が鳴いている間は、私は自分の耳鳴りを聞かずにいられるから。
なので、これまでも偉そうに音がどうの音楽がどうのと書き殴っていてはいても、実際は、てんで見当違いのヨタ評価だったという事もあるだろうと思う。もちろん、そんなにハズしてはいないだろうという自負もあるし、こんな素人評に厳密さを求める人もいないだろうから、今後も気にせず続けるのではあるが。

と言う事で、感想だ。

まず、テレビの音とは比較するまでもない。いくら42ZP3はウーハーがついているとか、薄型テレビでは多少はマシという部類であったとしても、一瞬聞いただけで誰でもホームシアターを選ぶだろう。逆に、これだけの差があるのだから、毎日聴くテレビの音を外部スピーカーで増強するメリットは非常に大きいと思う。
しかし、よほどの外れでもない限り、入門機ならどれでもこれぐらいの差は出て当然だろう。この機種ならではの感想を書こう。
まず、低音。迫力は十分すぎる。しっかり響くがうるさくはない。音量を絞ってもちゃんと鳴る。デフォルトの低音バランスでは、ドンドンとバスが効き過ぎるので最低に絞っているが、それでも十分すぎると思う。もしデフォルトのまま、ちょっと音量を上げて聴こうものなら、集合住宅なら隣人がすっ飛んでくるだろう。音圧は十分で、しかもうるさくはない、印象だ。
アンプ兼ウーハーの本体はかなりでかくて重いが、縦置きも出来るので設置場所はそれほど困らないと思う。
他のスピーカーは小さめのサイズの割には音はよいと思う。
特に高音での音の分解性や広がりが良い。が、高音の音量レベルが低いのでちょっと上げてやると良いと思う。
中音域は曇ったガラスのようにちょっとだけくすんだ印象。そこだけがちょっと残念。
全体として聴くと、割合くっきりとしてうるさくない音を出すと思う。価格を思えば十分満足行くレベルだ。

それよりも操作性その他の方が非常に満足行くものだった。
ホームシアター導入前のテレビ周囲の接続は前エントリ を見て頂くとして、ホームシアター導入後にどう接続するかは、実は結構悩んだところであった。そもそも、あまりAV関係の技術やガジェットに興味がある方ではないので、技術動向や基礎的な用語から調べないと分からないような状態だったからだ。
よく聞くドルビーというものが、サラウンドに関する技術であると言う事は知っていたが、ずっとサラウンド環境ではなかったので意識した事はなく、いざホームシアター導入となった際に、さてこれは具体的には一体どういう技術なのだ?と初めて疑問に思ったぐらいである。

よって、今回の購入に際して私が学んだ事を、同じド素人向けに平たく解説してみよう。

まず、ステレオというものが、右と左の2つのスピーカーから少しだけ異なる音を出す事で、音が出てくる場所をずらして感じさせる技術、というのはOKだろう。ギターは右から、キーボードは左から、とあたかも目の前の空間のそれぞれの場所で実際に音源が鳴っているかのような広がりのある音場を感じる事が出来る訳だ。これを推し進めて、もっとたくさんのスピーカーをあちこちにおいてやればもっと音に包まれるような立体的な音場が感じられるのでは?というものがホームシアターの方向性だ。よくある○○chという数字は、使用するスピーカーの数と思えば間違いない。例えば、5.1chなら5個のスピーカーと、0.1に該当する1つのウーハーの計6個のスピーカーを使う。0.1と1個扱いではないのは、人間の聴覚では低音は極めて指向性が低いため、ウーハーは場所はともかくとにかく鳴っていればいい、という別扱いになっているという意味だ。この辺の事はよく知られているだろう。ホームシアターでは、3.1~7.1ぐらいが多い。

次に、音質について。CD以後のオーディオは、基本的に全てデジタルデータと考えればよい。音とは物理的には空気の粗密波である。この圧力をマイクで電気信号に変え、デジタルサンプリングしたものが音のデータである。ところで、PCのペイントソフトで波のような波形を描いたとしよう。滑らかに見えた線も、拡大するとタイル画のようにギザギザで、ドットである画素で構成されている事が分かるだろう。この画素が細かければより細かい部分まで再現した波が滑らかに表現できる事は明らかである。つまり、録音時に、どれだけ短い時間単位で記録するか、どれだけ小さな圧力変化の単位で記録するか、が音データの画素に相当し、それぞれサンプリングレート、量子化ビットと呼ぶ。例えばCDの音質は、44.1kHz/16bitとなっており、つまり、音を65536段階の圧力値として1秒間に44100回記録する、と言う事だ。
この記録は、素のままでは大きすぎるので圧縮して符号化する。デジタルデータとして符号化する方式には様々あるが、大きく分けると、完全に元に戻せる程度に軽く圧縮する方式か(可逆圧縮)、多少は音が歪んでも大きく圧縮する方式(非可逆圧縮)か、に分かれる。
リニアPCMというフォーマットは、可逆圧縮のデータ形式でもっともメジャーなものだ。略してPCMとだけ書かれる事もある。CDもPCMフォーマットだ。サンプリングレートと量子化ビットには他にもランクがあり、CDは44.1kHz/16bit 2ch、PS3は48kHz/16bit 7.1chなどとなる。
非可逆圧縮データフォーマットとしては、mp3などが有名だ。MDも非可逆圧縮である。主としてサラウンド目的で、他チャンネルのデータを記録するために圧縮して空いたスペースを利用しようとするのが、一連のドルビーフォーマットである。つまり、ドルビーで再生した音声はサラウンドになる代わりに、音質が劣化しているという事だ。劣化と言っても常人の耳では区別が付かないし、そもそも一般家庭の音響環境ではさらに分からないだろう。上で書いたようにMDやmp3も圧縮して劣化した音質だが、CDと比べてMDのちょっとギスギスになった音の区別が付く人はどれだけいるだろいう、という話である。

次にサラウンド規格について。上記のように、サラウンドとは、2ch以上のスピーカーを用いた立体音響の事だ。もっとも高音質なのは、それぞれのスピーカー毎にリニアPCMで記録した音を、そのまま出力する方法だ。だが、それでは記録するデータ量もデータ転送量も膨大になる。よって、それを圧縮する技術が多数存在する。こうした規格の内めぼしいところをピックアップすると、DVDで主に使用されるドルビーデジタル、Wiiや前世代ゲーム機で対応が多いドルビープロロジック2、地デジの音声データであるAAC、PS3やブルーレイなどで使用されるDTS、ドルビーTrueHDなどなど、さらにそれぞれの細かな種類を合わせると百花繚乱の感がある。主要な製品は主な規格には全て対応していると思うが、購入しようとするホームシアターがどの規格に対応しているかは把握しておいた方が良いだろう。逆に言えば、再生機器もないのに高度な高級規格に対応した製品を買っても全く意味がない。
注意点としては、こうした規格はすべてデジタルである、と言う事だ。つまり、再生機器からデジタルのデータを受け取らなければ何の意味もないのである。廉価なホームシアタースピーカーセットとして、入力端子が赤白のステレオケーブル(もちろんアナログだ)だけだったりするものがあるが、こうしたものは、例え5.1chと謳っていても、ただ単にスピーカーが6個あるだけのなんちゃってサラウンドである。

次に入出力端子について。音響データはサンプリングレート×量子化ビットというデータ量を持つ。つまり、CDを再生する際には、44.1kHz×16bit×2ch=約1.3Mbpsのデータ転送が発生していると言う事である。多chかつハイクオリティのリニアPCMデータを再生しようとすれば、データ転送量もそれだけ増えるという事は明らかだ。ホームシアターが備えるデジタル入力端子には色々あるが、入門機では、光デジタルとHDMIだろう。ここで注意する点は、光デジタル端子の対応する転送量は上記のCDが上限だ、ということだ。つまり、光デジタル端子を介してサラウンドを聴く場合には、必然的にドルビーなどの非可逆圧縮規格にならざるを得ない、と言う事である。例えば、WiiUはリニアPCM5.1chサラウンド対応であるが、

WiiU → HDMI → TV → 光デジタル端子 → ホームシアター

という接続をしてしまうと、リニアPCMでのサラウンド音質は享受できない、と言う事である。
よって、正しい接続は、

WiiU → HDMI → ホームシアター → HDMI → TV

となる。ホームシアターは通常、HDMI入力の映像信号はそのままHDMI出力にスルーするので、それをTVのHDMI入力に接続すればよいのだ。なおこうして機器を経る事による映像信号の遅延については、基本、本当に再送しているだけだから限りなく0に近いはずだが、機器によっては発生しないとも限らない。心配なら事例を確認した方が良いだろう。ちなみに我が家では遅延は感じられなかった。また、逆に、ホームシアターによっては、TVでの映像遅延に合わせた音声のディレイ設定もある。
さて、ここで、上記条件に書いたホームシアターが備えたHDMI端子数が効いてくる。高音質を期待する再生機器は、まずホームシアターにHDMIで接続するので、自分が使用するゲーム機やBDレコーダーなどの台数分の入力端子を備えている事が望ましい訳だ。もちろん、最悪HDMIセレクタ等を使用する事も可能であるが、HDMIコントロールの動作不良・信号遅延・操作が煩わしい、などのデメリットが考えられるので、文字通り最終手段にすべきだろう。
再生機器からの音声出力は分かった。じゃあ、普通のテレビの音もホームシアターで聞きたい時はどうするの?と思った時は注意だ。まず、TVにARC対応HDMI入力端子がある場合、ホームシアターからのHDMI入力をここに刺すだけでよい。ARCとは、ホームシアターからのHDMI入力がない時に、空いているケーブルを裏技的に利用して逆向きにテレビからの音声信号をホームシアターに送る技術である。ARC対応HDMI端子が無い場合には、TVの光デジタル出力端子から、ホームシアターの光デジタル入力端子(あれば)へ別途接続する必要がある。
ここでの注意点は、ARCは光デジタル端子相当の転送量にしか対応していない、と言う事だ。つまり、いくら

WiiU → HDMI → TV → HDMI(ARC) → ホームシアター

と接続したところで、ホームシアターからリニアPCM5.1chが再生される事はない。
また、上記で書いた通り、地デジのサラウンドはAACなどが使われているので、光デジタル端子ではない、ステレオケーブルでホームシアターに接続してしまうと非常に勿体ないだろう。
あと、本機でも装備しているBluetooth経由での接続。これは対応の音楽プレイヤー等を持っていないので、何とも評価できないが、まあ便利なのではないか。ただし、トランスミッタ等を使用してのゲームユースについては、遅延が洒落にならないレベルであるから、期待してはいけない。

さて、最後に、上記もちょっとだけ書いた、HDMIの機器コントロール機能について。個人的には、ライトユーザーにはこれが一番重要だと思う。簡単に言うと、HDMIで繋がった機器は、データ信号だけでなく、標準規格によるコントロール信号を相互にやり取りする事ができる、という事だ。
まず、何が便利かというと、HDMIで接続すると、機器は相互に通信してお互いを認識する。現在の設定や使用可能なフォーマットなども自動で認識する。つまりWiiUを起動すればホームシアターは勝手にリニアPCMモードになるし、Wiiのディスクを入れれば自動的にドルビーモードに切り替わる訳だ。送信側と再生側で設定を合わせたりする手間が要らない。
そして、基本的な操作の伝送にも対応している点が素晴らしい。つまり、テレビ側とホームシアター側がきちんと規格を盛り込んで設計され、相性問題もなければ、相互に相互を制御できる、という点だ。
具体的に我が家の42ZP3とHTP-S353での連携を書いてみよう。ちなみに、TV側は「音声は常に外部AVシステムでのみ」という設定にして、TVからは一切音は出していない。

・テレビの電源を入れると、ホームシアターも自動的に電源が入る。
・テレビの電源を切ると、ホームシアターも自動的に電源が切れる。
・テレビのリモコンで音量調節すると、ホームシアターの音量調節に反映される。
・テレビのリモコンで消音ボタンを押すと、ホームシアターが消音モードになる。
・テレビのリモコンでメニューから機器設定・ホームシアターを選び、ホームシアターの入力機器切替を操作できる。

つまり、特に変わった事をしようと思わない限り、ホームシアターのリモコンは一切使わないし(うちでは仕舞ってある)、テレビにホームシアターが繋がっている事を意識する必要すらない、ということだ。そのように、各機器の連係動作を私が設定したのである。
例えば、WiiUで遊ぶ場合。1)WiiUの電源を入れる。2)テレビリモコンでテレビの電源を入れる。3)テレビリモコンでホームシアターの入力機器をWiiUに変更する。4)テレビリモコンで適宜音量を調節する。という感じ。
ホームシアターは良いけど、沢山のリモコンとか設定とかめんどくさい、と思っていた人は、きっと感動するだろう。

ただし、注意点もある。
・同一メーカーで揃えない限り、通常、こうした動作連携についての保障はない。機器の相性によっては動作しない事もある。ネットなどで動作事例を確認した方が良い。
・連携できる具体的な機能については、各機器の機能や相性によって変わりうる。これも要確認だ。
・機器間にセレクタやアンプなど、間に他の機器を噛ますと連携しない場合も考えられる。出来るだけシンプルな接続が良いだろう。

と言う事で、正月以来、素晴らしい環境でゲームをプレイしている。やはり音が良いと単純に嬉しい。サラウンドで聴きたいという欲求は個人的にはそんなにないが、それでもADVで前後左右から声がしたり、3Dアクション系での臨場感とか、あればあったで楽しいものだ。そして、上でも書いたが、操作的には、全く何も手間いらず。本当に快適である。

将来的な問題としては、やはりホームシアターの接続機器台数オーバーだろう。本年末発売のPS4、本年発表が噂されるXbox720、と機種はいずれ増えてゆく。旧機種を退役させられれば問題無いが、多分そうはいかないだろう。すでにPS4には上位互換がない事が発表されている。当然、ホームシアターも入門機はHDMI端子数はそれほどは多くない。高級機には7端子等も散見するが、やはり現実的なのは、HDMIセレクタで相性の良いものを探すしかないのだろうと思う。その際にはまた報告しよう。



パイオニア
HTP-S353

資産防衛プロジェクト顛末

先のエントリ で、住居費削減プロジェクトについて書いた。

アベノミクスにより懸念される今後のインフレ、そして決定している消費増税。それに先駆け、現在底値となっていると思われる中古マンションを購入して、老後貯金として蓄えている資金を注ぎ込んで将来的な住居費に転換する事により、資産の目減りを防ぎ、資金を有効活用しようとするものであった。

結果から言うと、家主の意向で購入は無理だったが、家賃の減額を勝ち得、住居費の削減というミッションは達成した。
しかし、資産防衛という観点からは何の成果も上がっていない訳で、次はそれに取り組む事になる。

などと、資産とか大げさに書いてみたが、もちろん、富豪でもないド庶民が本気で目減りを心配するような額の財産を持っているはずもない。ぶっちゃけ、あらゆる手持ち資産全てを1本にまとめて定期預金にしたとしてもペイオフの心配すら必要ない程だ。
しかし、もちろん、それでも大事な財産である事には変わりなく、インフレで半分になりましたよ、と言われて笑っていられる金額ではない事も確かだ。もし全てを失ったら、現在の毎月の貯金額で全てを貯め直そうとすれば、およそ7年が掛かる計算になる。

と言う事で、インフレ対策の第一段階を実施した。まず簡単に動きやすい所から。

現状では、手持ちの資産は全て円預金だった。ちょっと前まではユーロ定期を持っていたが、ユーロ危機直前に売ってしまっていた。けっして先見の明があった訳ではなく、たんに事業資金の足しにする必要に迫られただけだった。その後、あのとき売っておいて良かったとかなり安堵したことを覚えている。ユーロ定期は5年程持っていただけだったが、上げ潮だった事もあり、結局1.5倍ぐらいになった。

閑話休題。まずはリスク分散を、ということで、楽天証券に口座を開いて株を買った。楽天を選んだのは、既に持っている楽天銀行の口座からの資金移動が楽だったのと、手数料に日常で使用頻度の高い楽天ポイントがつく点。デイトレするわけではなく基本長期所有なので、手数料額やその割引云々はとくに検討しなかった。銘柄は任天堂とバンナム。皮膚感覚で業績判断が出来るおもちゃゲーム業界で割安の所を選んだ。バンナムは優待でもらえるおもちゃ券に釣られた。

高校生の頃、父に頼んで一緒に株を買ってもらっていた事を除けば、自分で株を買うのは初めてだ。ネット時代は便利なものだ。買おうと思い立って、早ければ次の日にはもう株が買えてしまう。一歩も出歩く事もなく。

私は基本的に、短期の株取引はギャンブルだと思っている。トレーダーの友人も何人かいるが、だから私は彼らはギャンブラーだと認識している。私も株を買った日は相場の上下を見ながらなかなかに興奮を楽しませてもらった。ほんの僅かの株価の増減で、手元資産の価値が数分単位で刻々と数万円減ったり増えたりするのは結構ドキドキするものだ。デイトレーダーという生業を想像する。さっき、あの額で買い、今、この金額で売れば、わずか数時間で差し引き3万円の儲けじゃないか、という状況を前にした時、人はどうするか、と言う事だ。毎日コツコツ仕事するより、一日中PCに張り付いて上手い事売り買いしようと思う人が出てくるのも分かる。実際、タイミングさえ合えば簡単に儲かるだろうし、そうすると何だか「ずっと儲かりそう」な気がしてくるだろう。それに掛けるというのも人生だろうが、私はギャンブルに人生を賭けるつもりはない。人生こそ最大のギャンブルだという意見には同意する。だから、それ以上細かいギャンブルなどをするつもりはないのだ。

と言う事で、買った株は忘れた事にして放置。3月という時期が良かった。すぐに配当がつくからだ。配当をもらうには基準日に一瞬所持しているだけで良いから、買って売ってで、僅か数日で1%前後の高利を叩き出す事も可能というのは凄いね。私の場合、売ってしまうと株を買った意味がないので売らないが。

あと、これも忘れていたが、実は、昔父と一緒に買ったブラジル国債のファンドがあった。胡散臭いなと思いながらも最悪無くなったら諦めればいいかと放置していたものだ。というのも、年利十数%とかなりのリターンがあるためだ。毎月お小遣いのようにして、チビチビともう半分ぐらいは返ってきただろうか。これも、詐欺ならともかく、そうでなければ外国債はリスクヘッジになるだろう。ということで、そのまま放置しておく事にした。

と言う事で、現在の資産内訳としては、円定期24%、国内株46%、外国債ファンド30%、という結果になった。事業用の資金や半年分の生活費など、通常使用する口座の残高は除いた余裕資金の内訳である。

こうしてひとまず、なんちゃって資産防衛プロジェクトの第一段階は終了だ。本当は金プラチナも考えたが、今回は見送った。また追々検討したい。
私は収入のすくないカツカツ自営業者であるが、だからこそ逆に言えば、現状のような、妻と二人で口に糊する程度の清貧生活なら、世がどう移ろうと自分の腕一本でどうとでもできるという自負と安心感もある(資本の体が無事ならば)。だからそれほど真剣に研究したという事ではないし、単に、任天堂の株主になりたかったというミーハー動機が半分だったりするが、まあ、面白かったのでヨシとしよう。

先週読んだ漫画 13/3/17-3/23

●女子高生 2巻/大島永遠

すわシリアス展開?と思えどさにあらず。キャラ達も2年に進級して、変わってゆく。彼氏が出来た綾乃はすっかりいじられキャラに。もともと秀才ボケキャラ絵里子の凋落は著しい。自分はスタイリッシュな女子高生になる、あんな堕ちた女どもにはならないとの決意が見る影もない染まりよう。単純なようで割合複雑な性格を描写している由真が最注目か。今後の展開に期待。


●ポケットモンスター SPECIAL 2巻/日下秀憲/真斗

初代編もいよいよ佳境か。レッドの活躍から目が離せない。やや丸みのあるキャラが良い感じ。ブルーとか好きだな。完結の3巻も楽しみだ。やっぱ、ポケモンもプレイせねばな…。


●パタリロ! 8巻/魔夜峰央

ラシャーヌとかプラズマとか再登場して、作画もギャグもすっかり安定の感あり。バンコランの手込め癖もそうだが、よくよく考えると今の感覚だと結構ブラックな表現も多いな。そういった観点からのパタリロ批評ってあるのだろうか。


●ハチミツとクローバー 9巻/羽海野チカ

ドラマは見ていたクセにすっかり忘れていた展開。流転。内発にしろ外因にしろ変わって行かざるを得ないもの。それが人生。ドラマではつまびらかにされなかった森田先輩のバックグラウンドがとても良い。カオルのキャラは、多分作者の投影が色濃いとのだと思う。才を持つ者と持たざる者の間に横たわる非情な程の隔絶。厳然たるその谷の深さをのぞき込む事もこの漫画の大きなテーマだ。次巻最終。

今週もそれほどははかどらなかったな…。

モバゲー・GREEでソーシャルゲームを公開するために知っておきたいこと/アイテム

モバゲー・グリー・ソーシャルのどれにも全く興味がないが、図書館で見かけたので読んでみた。

この本を手にする人は、ドジョウ探しの無茶振りで急遽担当にされた人とかが多かったんだろうな~。

内容としては、広く浅く全般的な話題と、当事者的な裏話がパラパラとあって、業界の雰囲気を掴むのには適していると思う。
後半はOpenSocialの解説とソースだが、中途半端な内容なので、思い切って類書に譲り、前半のような実務的な事例解説を増やす方が良かっただろう。

全般的に感じるのは、面白いゲームを作るんだ、というベクトルではなく、担当として責任を問われない程度の成果を上げるためにハズせないポイントは?というようなスタンス。

一言で言えば、マネタイズ。最近多い、この言葉嫌いだな。

嫌儲ではないし、金や儲けの事を言うのは下品、という批判じゃない。商売なんだから儲けて当然。
むしろ、一生懸命作った面白いゲームなんだから毎月300円払え、と堂々と言えばいい。
それを、基本無料ですよなんてスリ寄って、セコい課金で小銭を掠め取るような、コスい考え方が性に合わないという事だ。

そしてさらには、事業と営利、目的と手段、それを取り違えているとしか思えない点。
これは倫理的な批判ではなくて、そのような体質が業界に染みついた弊害として、良質なコンテンツが生まれにくくなる事を心配しているのだ。同じく目的と手段を取り違えたテレビ業界をみればこの道の末路は明らかだろう。

アイテム
モバゲー・GREEでソーシャルゲームを公開するために知っておきたいこと

Xbox360/シュタインズ・ゲート/5pb.

トゥルーエンド観て、実績ロックを全て解除して完クリした。
おまけにPC版で追加になったCGを追加した「演出強化パック」もDLし、追加の実績も解除済みである。
プレイ時間は約86時間と、かなり掛かった印象。

多分一人で淡々とプレイしたら、セリフを全部聴いたとしても、半分以下~1/3の時間で終わったろう。
しかし、妻のペースでゆっくりと読み進めることで、寝落ちの危険と隣り合わせになりながらも、台詞の余韻を味わったり、場面が変わるたびに、妻と今後の展開を妄想し合ったり、設定を推理し合ったりしながら、じっくり作品を味わって楽しめたのは時間短縮とは引き替えにできない非常にすばらしい体験だったと思う。
実際、作品自体の持つポテンシャルと合わせ、忘れられない作品として記憶に残るだろう。

ということで、そんな作品について印象をぽつぽつ語ろうと思うが、基本的に、完全にネタバレしているので、少しでもこれからプレイしようと思っている人、その可能性がある人は、読まない方がよい。また、これから本作のアニメ版などを観ようと思っている人も同様である。ただし、近日公開の映画は本作のトゥルーエンド後の話なので、読んでも影響はないだろう。

作品の概要に付いては、前エントリ でも少しだけ書いた。

2010年の秋葉原が舞台の、タイムトラベルをモチーフにしたサウンドノベルである。
作品の特徴としては、ネット世代ケータイ文化を前面に押し出したゲームシステムと、厨二病的なSF風味のシナリオ、気合いの入った音楽とボイス、という所だろうか。

簡単にあらすじを。

狂気のマッドサイエンティスト(ママ)鳳凰院凶真(ほうおういんきょうま)を自称する大学1年生、岡部倫太郎(通称:オカリン)は秋葉原の古い雑居ビルに借りた一室で「未来ガジェット研究所」を主催していた。様々な発明品で世界の支配構造を破壊し、世界に混沌をもたらす!という自身の妄想設定に首までどっぷ りとつかり、その厨二設定を完遂するがためであるが、平たく言えば単なるオタサークルである。研究員は他に二人。幼なじみの女子高生椎名まゆり(まゆしぃ☆)、そして同じ大学に通い高校からの悪友である橋田至(ダル)である。それぞれラボメン(ラボのメンバー)ナンバーは002と003。むろん001はオカリンである。
オタではあるものの結構な技術を持つ凄腕ハッカー、ダルと共に、くだらない一発ギャグ系ガジェットを量産していたが、ふとした偶然から、タイムマシンを作ってしまったことでオカリンは数奇な運命に巻き込まれることになる。彼らが発明したのは、36バイトの文字をメールで過去に送れるマシン、電話レンジ (仮)だった。

夏休み、とある発明家がタイムマシン発明の記者会見を開いた。まゆりと見学に来ていたオカリンはその会場のフロアの片隅で、血溜まりに倒れて動かない少女を発見する。それは開催前に一言二言会話を交わした天才少女、牧瀬紅莉栖(くりす)だった。驚いてダルにメールを打つオカリン。その瞬間、言いようのない違和感を感じ、秋葉原の大通りから人が一斉に一瞬で消えてしまうという現象を目撃する。後に判る事だが、そのメールは過去へ送信され、その結果過去が改変されたことによる現象であった。
その後日、オカリンとダルは大学の単位の関係で、ある講演を聴講する。すると、壇上に現れたのは、死んだはずの紅莉栖だった。
紅莉栖に詰めより、おまえは死んだはずだと訝るオカリン。その言動に興味を持ち、ラボに押しかけ、紅莉栖はラボメンナンバー004、通称クリスティーナor助手として半ば強制的に電話レンジ(仮)の開発に引き込まれる。根っからの実験大好きっ娘、紅莉栖を ラボに惹き付けたのはもちろん、過去に送れるメール(通称Dメール)という現象であった。三人は電話レンジ(仮)の解析と改良に取り組む。その課程で浮か び上がってきたのは、国際巨大研究機関、SERN(CERNでは無い)の暗躍だった。一般的にはSERNは加速器を用いた素粒子物理学の研究機関として知られていたが、実は、 加速衝突実験でミニブラックホールを生成し、それを用いてタイムトラベルを行う実験を極秘裏に進めていたのだ。その過程では人体実験など、人道に反する行為も行っていたことを、SERNへのハッキングによりラボメン達は掴む。SERNを出し抜き、その悪事を暴こうと、電話レンジ(仮)の解析とDメール実験を繰り返し、やがては紅莉栖のアメリカでの脳科学研究の結果を融合し、人の記憶だけを過去に転送するという「タイムリープマシン」へと電話レンジ(仮)を改造してしまう。

時を同じくして、極秘のはずのSERNのタイムトラベル研究を暴露する者が他にもいた。ネットの巨大掲示板@チャンネルのスレに書き込みを続ける、自称 2036年からやってきたタイムトラベラー、ジョン・タイターである。2036年にはSERNはタイムマシンを完成させ、その過去と未来を意のままに変え る力を使って、わずか2年で世界を制圧した、と彼は言う。2036年の世界は、SERNによる完全な管理体制が構築された、自由も未来への希望もない、 ディストピアとなっているのだ。彼はレジスタンスの一員で、独自に開発したタイムマシンに乗って、この時代へとやってきたという。未来を変えるために。そ の鍵となるのが、SERNで機密情報を記録管理しているレトロPC、IBN5100である。1975年発売のこの幻のレトロPCを入手することで、歴史を 変える可能性が開けるという。オカリンはタイターとコンタクトを取りつつ徐々に世界の闇へ足を踏み入れる。

この作品世界では、世界とその時間の流れは世界線という概念で表される。世界線は過去から未来をつなぐ1本の時間の流れなのである。この線の上で起こりうる出来事はあらかじめ決まっている。例えば過去に戻って、何か歴史を改変する行動を取ったとしよう。すると、世界は、直ぐ横にある別の世界線へ分岐するのだ。しかし、現在に生きる人たちは、この変化を関知できない。過去改変の瞬間、それまでの世界・歴史は、「なかったこと」にされ、新しく移った世界線での状況に合 うよう「再構成」される。と、このような「時間の仕組み」をもつ世界でのお話なのである。
新しい世界で人間の記憶が再構成されるのであれば、誰も世界が「移り変わった」事実を認識し気づく事はできないはずである。しかし、オカリンには、それを知覚できる「リーディング・シュタイナー」と自ら厨二的に命名した能力があった。つまり、オカリンだけが、世界でただ一人「変わってしまった過去」を覚えている人間なのである。

オカリンはDメールのデータを取るために気軽に実験を繰り返し、自身や仲間にDメールを送らせて、いろいろと過去を改変してしまう。その結果は大小様々で、時には全く予想の付かないような変化が世界に現れていた。カオス理論では、カオスの系においては初期条件のほんの些細な違いが後の大きな差異に繋がる、という性質があり、この初期条件への敏感さは通称「バタフライ効果」と呼ばれている。つまりオカリンの送ったたった1つの過去へのメールが、それを読んだ人間に影響を与え、その人間が周りに影響を与え、そうした小さな違いが雪だるま式に膨れあがってガラリと現在を替えてしまうのだ。その結果、オタの聖地だったアキバが固い電気街に変貌してしまっていたり、男だったルカ子が女になっていたり、手に入れたはずのIBN5100が消失していたりした。そして、やがて恐るべき事実が明らかになる。

実は、この世界の世界線のしくみは、さらに上位にアトラクタフィールドという構造を持っている。似たような複数の世界線がより合わさって、一定範囲内では収束する流れを作り出しているのだ。そこでは、ほんの少しの違いは世界線の違いということで移り変わって存在できるが、伸びても縮むゴムひものように、「過程は様々であっても結果は収束する」という性質があるのだ。つまり過去改変を行うDメールによって世界が様々に相貌を替えても、明日起こるはずの重大な出来事は、結局発生する、と言う事である。例え、その原因となるものを過去改変で排除したとしても、別の原因で同じような結果を「世界が作り出す」のである。
そして、もう一つの世界のルールが因果律である。時の流れには過去、現在、未来と向きがある。そしてその流れに従って、まず物事の原因があり、そしてその結果が現れる。この絶対的な流れをくずす事は出来ない。もし何かの結果があるのなら、必ず過去には原因が存在し、それを取り消す事は出来ないのだ。
例えば、ある世界線上で今日、Aという人物が生きている事を確認したとしよう。するとタイムリープマシンで昨日に戻ってたとしても、どうやってもこのAを 昨日殺す事は出来ないのだ。なぜなら、今日の時点でAが生きているという事実は「結果」としてすでに「観測」されているからである。

そして逆もまたしかり。

タームリープマシンが完成した8月13日の夜、ずっとオカリンを張っていたSERNの実行部隊ラウンダーはラボを襲撃し、タイムリープマシンと主要メンバーを拘束しようとする。その過程でまゆりは射殺。オカリンはまだ実験もしていないタイムリープマシンを起動し、この断じて認められない現実を変えようと、意識を 「過去」へ送る。マシンは、天才紅莉栖の設計通り上手く動作して、オカリンの記憶は過去へと跳ぶ。
過去へ記憶を跳ばしたオカリンは、襲撃の数時間前のラボにいて、突然「未来を思い出」した自分を発見する。タイムリープが成功したのだ。まゆりの死を避けようとオカリンは早速行動を開始する。しかし、その過程で嫌という程味わったのは、「世界は収束する」という現実だった。襲撃によるまゆりの死を避けようと、何度もタイムリープを繰り返して、あらゆる手を尽くしてみても、「まゆりの死」という「観測された事実」に世界は収束してしまう。たとえラウンダーの魔手から逃げても、元の襲撃と同時刻には偶然の交通事故で死んでしまうまゆり。事故も避けようとしても、やはり同じ時間に心臓マヒで死んでしまうまゆり。世界がまゆりの死を確定してしまっているのである。

どうあがいても無駄。そう諦め掛けたオカリンに世界の秘密を教えてくれた人がいた。SERNのディストピア世界を変えるために、過去へ、つまりこの現代へやってきたレジスタンス少女、阿万音鈴羽である。ラボの階下の工房でバイトをしていた鈴羽は、実は@チャンネルでのジョン・タイターであり、上で書いたような世界の構造を教えてく れ、そしてオカリンに道を示したのだった。
今の世界線が乗っているアトラクタフィールドをαとしよう。少々の過去改変を行っても因果は変わらない。過去改変があろうが無かろうが、まゆりの死という 「観測された事実」は変わる事はない。しかし、過去改変が積み重なりそれがある閾値を超えると、別のアトラクタフィールドβの世界線群へジャンプする事が出来るのだ。β世界線の未来は、まだ誰も観測していない。したがって、まゆりが死ぬ事はない(多分、である。観測していないのだから死ぬ可能性もある訳だ)。そして、SERNによるディストピアという確定した未来も「消え去る」。このβ世界線への跳躍こそが唯一まゆりを助ける道であり、同時に鈴羽が願った未来のディストピアの改変でもあった。

世界変動率(ダイバージェンス)1%超への道。もちろんそれは容易な事ではなかった。しかしオカリンにはタイムリープマシンがある。8月13日のリミットが近づけばタイムリープで過去に戻る事を繰り返し、少しずつ謎を解き明かしてゆく。タイムリープで過去に戻れば、当然、先ほどまで過ごした時間は「無かった事」になる。 周りの人間の記憶も「元に戻る」。
未来がどうなるのか、知っているのはオカリンだけである。孤独な戦いに心が折れそうになる。
そんなオカ リンを救ってくれたのは、自身がタイムトラベラーである鈴羽と、そしてオカリンの右腕である助手、紅莉栖であった。天才の持つ抜群の理解力で、オカリンの状況を素早く汲み取り、理系特有の合理的な判断で、的確なアドバイスを返してくる紅莉栖。平時であれば非人間的だと誹られるような行為であっても、非常事態を理解した紅莉栖がスパッと断定し提言してくれる事で、どれほどオカリンが救われた事だろう。
紅莉栖にとっては毎回初めての打ち明け話であっても、オカリンにとっては何度も何度も紅莉栖に相談し、そして何度も何度も助けられてきたのである。
物語全体でも僅か二週間、クリティカルな部分は僅か数日の物語である。その数日間に、「たった一度の交流を何度も繰り返す」という、非常に変則的なコミュニケーションの中で、二人の間には強い絆が生まれてゆく。オカリンにとって紅莉栖は、この長い長い数日間の戦いにおいて支えとなってくれた得難い仲間であ るが、それ以上に、そのオカリンのひたむきな努力を、毎回直ぐに理解してくれる聡さは、時の流れから外れてしまった漂流者にとっての灯台の明かりであったろう。

β世界線への跳躍の鍵を握るのは、IBN5100であった。このレトロPCに隠された機能を使い、SERNの秘密DBへアクセスし、SERNがそもそもオカリン達に興味を持った原因である「最初のDメール」の情報を削除する事が必要なのだった。まゆりを助けたい一心でオカリンは、 そのパズルの最終ピースを求めつづける。
一度は手に入れたはずのIBN5100を取り戻すため、遊び半分で送って過去を改変してきたDメールを一つずつ「訂正」してゆくオカリン。過去を変えれば、それは「無かった事」になり、それによってIBN5100を手に入れていた「本来の過去」へ繋がるはずである。
だが、本当に無かった事にしても良いのか?その「過去」はやすやすと消してしまって良いものなのか?その過去で紡がれた人の想い、それを取捨選択して弄ぶ権利が自分にはあるのかと自問を繰り返すオカリン。例えば、ラボメンのフェイリスが送ったDメールは、10年前の父親の事故死を回避し、彼女は父親と幸せな10年を過ごしてきている。幾らフェイリスのその記憶は無くなるとは言え、その幸せを奪えるのか?言い換えれば、彼女の父親を殺せるのか?例えば、ずっと女の子になりたいと願っていたルカ子は、Dメールによって、この世界線では始めから女の子として生まれて暮らしてきている。そのルカ子に、今更男に戻れと言えるのか?例えば、鈴羽は幼い頃に死別した父(実はダルである)に一目逢いたいと願ってこの時代へやってきた。念願叶ったその邂逅の記憶の一切を、無かった事として踏みにじれるのか?
しかし、すべてはまゆりを助けるためと、オカリンはその消えてしまう仲間の想いと記憶の満ちた「過去」を消し去り、代わりに生涯背負って生きていく事を自らに課す。

そうしてボロボロになりながら無限とも思える長い数日間を繰り返し、数々の消えていった仲間の想いを背負い、ようやくIBN5100を手に入れたオカリン。いざβ世界線への跳躍作戦の最終段階を実行しようとして、オカリンははたと重要な点に気づく。

そもそも、SERNの秘密DBから消そうとしているメールの内容、それは、紅莉栖が殺されていた、という内容だったはずである。
まゆりの死がどうしても避けられないα世界線。そして、その現実から逃れるために跳躍するβ世界線。それはつまりこの物語の最初の時点での世界線であり、その世界線上では、紅莉栖は殺されているのだ。

α世界線に居続ければ、まゆりは死ぬ。
β世界線に移れば、紅莉栖は殺される。

どちらを選ぶのか。それを決める事が出来るのは、世界でただ一人、リーディング・シュタイナーという神に等しい能力を持つオカリンだけである。
選べるはずがない。どちらも大切な仲間である。
また、まゆりの死がどうやっても避けられなかったのと同様、β世界線に移ったあとで紅莉栖の死を阻止すべく画策しても一切無駄だと言う事ははっきりしていた。紅莉栖の死はオカリン自身によってすでに「観測」されている事実だからだ。
オカリンには選ぶ事しかできなかった。選ぶ事も出来なかった。そして…。

と、非常にかいつまんでストーリーと設定を説明してみた。しかし、かいつまんだ割にはえらく長いな…。


とても好きな作品である。よって、まず、その欠点から先に述べる。

まず、最大の欠点にしてどうしても許容できないのが、テキストの誤字脱字の類。
サウンドノベルである。テキストをひたすら読むのがメインのゲームである。その作品のキモたる文章に、「これ校正やってないだろ」と突っ込まざるを得ない程のエラーがちりばめられているというのはいかがなものか。そもそも誤字があると気になってゲームに集中できない。現実に引き戻されてしまう。
まず一番多いのが、IT技術書並かっ!と突っ込みたくなる程の変換ミスやタイプミス。「朝ぐらい肌の男」「ルカ子こ」など、しょっちゅう目についてイラッとする。地の文に多く台詞には比較的少ないのは多分声優が校正フィルターとなったためであろう。
次に多いのが、内容的な間違い。ライターが設定をきちんと理解していないためだと思われる。タイムリープマシンで48時間以上前に跳ぶ時の説明がおかしかったり、コミマに行ったのがまゆりではなく、ルカ子とダルになっていたりする。他にも日付が21日→20日に間違っていたりなど。
最後に、日本語としておかしいもの。エシュロンがDメールを捉えていたという鈴羽の説明に関するオカリンの台詞にある二重否定の用法が間違っている(逆になっている)。「左に右折」とか、人物や物体の空間描写の表現が変。章題の「蝶翼のダイバージェンス」についても、蝶ならば翼ではなく、羽もしくは翅だろう、etc。

日本語表現はテキストゲームの根幹だろう。ここをおろそかにすることは許容できない。ただし、妻によれば、私の方が気にしすぎとの事なので、あるいはそうなのかも知れない。いずれにせよ、プロの校正にざっと目を通してもらえば95%は修正されたはずである。その辺の大学生バイトであっても8割は見つけ出すはずだ。

なお、上記は360の初期版での現象であって、プラコレや他機種版、DLC適用で修正されているかも知れない。というか修正されていて欲しいものだ。

次に、ゲームとしては微妙な点。作品としての表現全体に対し、プレイヤーが関与できる余地が少ないと思われる。一応、フォーントリガーというシステムで、主人公オカリンの持つ携帯電話をプレイヤーが操作する事により、ストーリーが進んだり分岐したりする訳だが、操作できるポイントがすくなく、大半はひたすらテキストのページ送りをするばかりだ。折角のケータイシステムである。任意に電話を掛けたりメールしたり出来ると良かった。まあ、それで破綻無く作るのは難しいだろうけど。

次の点は上記とも被るが、フォーントリガーシステム+タイムトラベルという事で期待するような、時間軸を移動した際に、ケータイの着信受信記録が、グルグル変わる、という表現がほとんど無かったのが残念だった。オカリンにはリーディング・シュタイナーという世界線を移動しても記憶が継続するという特殊能力がある。しかしその代償として、新たな世界線での過去の記憶はない、という弊害が発生する。だから、その新たな世界線での過去を、ケータイメールの送受信の記録から推測するような展開を期待していたのだが、そういう事はほとんど無かったのだ。そもそも、終盤になると、こうした過去改変によるメールの送受信履歴の整合性管理さえおざなりになっているような感じで、大変ガッカリした。

最後に、ルート分岐がおおざっぱすぎる点。結局、最後の最後の選択肢だけ選べば、まゆりエンドまでは何の工夫もなく順順と到達する。紅莉栖エンドとトゥルーエンドだけは、紅莉栖のフラグを立てる必要があるが、ちょっとそのギャップが大きいのでは。最近はこういう作りが流行なのだろうか。あと、萌エンドが無いというのも対称性として美しくないし、結構な時間を掛けて「あるはずの萌エンド」へのフラグを探してしまった私のようなプレイヤーにはそのガッカリ感は結構キビイシいものがある。

と言う事で、愚痴をこぼし終わったところで、色々印象を書いてみよう。

まず、やはりなんと言ってもプレイヤーの琴線に触れる演出が素晴らしく良かった。それは、もちろんシナリオや声優の演技力、音楽や演出の力でもあるのだが、それ以上に、ゲームとしての構造による表現があると思う。オカリンはうっかり開発してしまったタイムマシンで、安易に過去を替えた結果、凄惨な未来がそこに待ち受ける結果となってしまった事を知る。遠く2036年での世界レベルでの不幸はさておいても、今日、只今に決断する必要がある自分自身の問題として、仲間二人の命を、一方を救い、一方を見殺しにする判断を迫られる。そして、多少の因果の揺らぎがあっても結末は収束する、というこのゲームでの設定を出し抜こうとオカリンは世界に挑む。何度と無くタイムリープマシンで過去に戻りながら、幼なじみであるまゆりの命が助かる道を探る。しかしそのほとんどは徒労に終わり、あざ笑うかのように世界はまゆりを殺す。うちひしがれ、また過去に戻りやり直すオカリン。
何の事はない、タイムマシンで何度も過去に戻って正解ルートを探す、と言う行為は、失敗するたびセーブデータをロードしつつ何度も挑戦するゲームプレイ、と全く同じ構造ではないか。オカリンの存在そしてその行動そのものが、ゲームプレイというものの象徴であるのだ。だから、より共感するのではないか。特に、トゥルーエンドルートを探して、ノートに分岐パターンをメモリながら再プレイを繰り返し、次にその組合せの変化をチェックしつつ再プレイし、だめだ、これでもだめだ、この部分はフラグなのか?、この小分岐はフラグに関係するのか?など、苦労しながら「あるはずの未来」を探るプレイヤーの姿は、オカリンそのものだろう。彼と一つだけ違うのは、クリア済エンドリストの空欄の存在から「トゥルーエンドは確実に存在する」事をプレイヤーは知っている、という点だけだ。それでさえ、ゲーム途中で倦んでしまう気持ちを持て余した訳で、では一体オカリンの、その若干十九歳の青年の双肩に掛かる重責と、必死で払いのけようとする絶望感は如何ばかりだろうかと思いを巡らすのだ。

演出の中で最も素晴らしいのは、やはり声優陣の熱演だろうと思う。特に上手いな、と感じたのは、やはりなんと言ってもまゆしぃだろう。もちろん主人公オカリンの熱演は素晴らしい。しかし、オカリンの空回りも上滑りも、その思いの深さも、すべて受け止めるまゆりの表現の幅があってこそである。次に印象深いのは、やはりルカ子だろうか。特にルカ子エンドでの、あの驚く程の意志の強さ。あれを演出するために、散々弱々しさを印象づけてきたんだな、と感心した。
印象づけと言えば、トゥルーエンドでの紅莉栖の最後の台詞を決定的に活かすために、本編でしつこい程繰り返されてきたオカリンとの軽口の応酬も、最初はちょっとくどいと閉口したものの、こうして振り返ると思い出という遠景からのパースによって程よいバランスに感じられるのは流石の計算なのであろう。

「科学」を前面に打ち出したシナリオや設定の構成も巧妙で素晴らしいと思う。もちろん、タイムマシンという存在を許容するための設定とその解説には、無理がある部分もおかしな部分もたくさんある。が、大風呂敷を広げて欠点を含めて包み込み許容させるだけの勢いがシナリオにある。だから、「脳の状態をスキャンして記録し、加速器で生成したブラックホールにそのデータ送りこんで36バイト以下に圧縮して過去に転送する」などといった、最初に聞いた時には口あんぐりとしか出来ないような超ヨタ設定も、ファンタジー世界に龍が住む事を訝る読者がいないように、この世界ではこれで良いのだろう、と不思議と割合抵抗心が消えてゆくのだ。
もちろんそれは設定やシナリオの見せ方が巧みな為で、現実の科学知識の断片を並べて畳み掛けるのはもちろん、例えば冒頭のアキバのラジオ会館ビルに突然突き刺さった人工衛星等のように、誰でも「明らかに科学的におかしいよね」と目を向けざるを得ないようなミスリードのトラップを仕掛けておいて、その後ゆっくりと、登場人物の口から「科学的におかしいし人工衛星ではあり得ない」ともったいぶって否定する、という様な流れを繰り返す事で、突飛な設定への耐性とキャラの解説への信頼感を増すような構成になっている。

キャラクターの性格付けも独特で素晴らしい点の一つだ。
「観測」というタームはこのゲームのキーポイントの一つであるが、厨二病という、世界を自分の内面世界に強くバイアスして解釈する、という性格の描き方が素晴らしい。
「この俺を誰だと思っている。世界に混沌をもたらす狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真だ!」
という、オカリンの決めぜりふ。非常に痛々しい厨二台詞の極致だろう。
ゲームプレイを始めて、直ぐに何度も登場するこうしたオカリンの「仮面」に、ややもすると辟易し、ついていけないと思うプレイヤーも多いかもしれない。実際、中にはゲームプレイを投げてしまう人もいるようだ。
だが、単に痛かっただけのこの台詞に込められた「意味」が段々と分かってくる。オカリンは、幼なじみのまゆりを助けるために、マッドサイエンティストになったのである。祖母の死という衝撃を受け止められず、心が地上から離れてしまったまゆり。そんなまゆりを引き留めるため、まゆりを人質にする、という「設定」を作り出したのだ。その設定により救われたまゆり。そしてオカリン。いくら大切な幼なじみとはいえ、ひと一人の心を救う事は容易な事ではない。まして幼い少年だったオカリンにはなおさらである。折れそうになる彼の心を鼓舞してくれたのが、厨二病的な設定なのである。以来、オカリンはずっと、鳳凰院凶真としてまゆりを救い続けてきた。天に昇ってしまいそうなまゆりの心を掴み続けてきたのである。口先ばかりの厨二病患者に見えて、どれだけの想いを秘めて日々そうした言葉を口にした事だろう。基本的に、オカリンは愚直すぎると思うよ。
そして今も、現実に訪れる「まゆりの死」を避けるためにひたすらに努力を続けた。しかし、自身の「設定」が通用しない「世界に殺されるまゆり」という絶望的状況を目の当たりにし、オカリンの厨二設定はすっかりなりを潜める。そして畳み掛けるように紅莉栖の喪失と続く。そうするしかなかったんだと思いながらも、彼の心はどうにもならない現実に振り回されて、軋みを上げていた。
自らの指で、自らの選択で、仲間を、愛する女を見捨て、殺した。すべてはまゆりを助けるのだ、という自分の選択の結果なのだ。こうしてβ世界線に到達したオカリンは、α世界線での過去の記憶を持たず、ゆえに普通の日常に浸ってぽかんとするラボメンに向かい、高らかに勝利宣言を謳い上げる。そのオカリンの心の叫びは、苦難の果てにようやく手にした成果と、それを得るために犠牲にしてきた大切な人達への、償いようのない想いの放出として、その極度に厨二病的な表現とは裏腹に、聴く者の心を揺さぶらずにはいられない悲痛な哀しみに溢れていた。何も知らないはずなのに、全てを悟ったかのように、労るようにオカリンに語りかけるまゆり。「もうその口調続けなくてもいいんだよ?まゆしぃはもう大丈夫だから。オカリンは、オカリンのために泣いてもいいんだよ?」
この、オカリンが解放されるシーンが、やはり最もジンとくる。こうして書いていてるだけで思い出してほろっとする程だ。
その後、β世界線で事件は起きる。ディストピアが消え去ったはずの未来から、鈴羽が、またやってきたのだ。β世界線の未来では、第三次世界大戦が勃発し57億人が犠牲になると言う。だからこの未来を変えるために力を貸して欲しい、と訴える鈴羽。ふざけるなとオカリンは一蹴する。どれ程の想いでこのβ世界線へ跳んだと思っているのだ。紅莉栖を一人残して、多くの人の想いを踏みにじって。それを、またこの世界を変えろだと?57億人が死のうがそんな事俺には関係ない!
このオカリンの台詞が印象深い。オカリンは、未来など見ていない。常に、自分の直ぐ周りの世界だけを大切にしている普通の人間だ。鈴羽は仲間だったから、β世界線に移ってSERNのディストピア未来を変える、という彼女の想いにも結果的に応えた訳だが、遠い未来の人類の幸福、といったつかみ所のない幻想に対して自分自身の希望として働いた事はオカリンには一度もない。そのスケール感の狭さが、実にリアルでよい。
しかし、そんな未来を変えるためのキーポイントが、7月28日の紅莉栖の死の回避であると鈴羽に告げられ、一縷の望みを託したオカリンは鈴羽の乗ってきたタイムマシンで過去へ跳ぶ。しかし待ち受けていたのは、死者に鞭打つような悲惨な現実であった。紅莉栖を殺す犯人を止めようとしてもみ合っている内に、オカリンは紅莉栖を刺し殺してしまうのだ。紅莉栖を、愛する女を殺したのは、自分だった。全てが始まった7月28日のあの日から、最初からそれはもう決定していた事だったのだ。鈴羽に抱えられて元の時間へ戻ってくるオカリン。もはや立ち上がる気力すらない。やはり何をやっても無駄なのだ。あまつさえ自分が殺してしまうとは。絶望に落ち込み掛けるオカリンをまゆりが張り飛ばして勇気づける。そして一つのメールが着信。メールを見ろと鈴羽に急かされてのろのろとケータイを開いたオカリンは目を疑う。2025年からのDメール。差出人は15年後の自分。そして、鈴羽によれば、彼からムービーメールが届いているはずだという。それは物語の冒頭で受信した、謎のノイズムービーであった。紅莉栖をその手で殺めた今この時であれば、この世界線のこの時こそ、その動画は内容が表示されるはずだという。果たして動画に現れたのは33歳になったオカリンであった。紅莉栖を救えなかった後悔をバネに、執念で15年間研究を続け、ついにタイムマシンを開発したと彼は言う。そして、紅莉栖を助ける事はできる、と彼は続ける。過去は無かった事に出来ない。そして無かった事にしてはいけないのだ。どんな経験も、今のお前を形作ってきた大事な要素なのだ。例え酷い体験であっても悲しい思いであっても。今のお前の悲劇さえも必要な事だったのだ。紅莉栖をその手で殺す事で、タイムマシンを開発する執念を得られたのだ。α世界線で勝ち得たお前の経験を無にしてはならない。血だまりに倒れている紅莉栖を目撃した事で、ダルにDメールを送り、その結果お前はα世界線へ跳躍した。この流れを断ち切ってはいけない。そして、それと同時に、お前は紅莉栖を助ける事が出来る。最初のお前が見たものは何だ?血だまりに倒れている紅莉栖の姿のみだ。お前は紅莉栖の死を確認していない。観測されたのは、その姿だけだ。

最初のお前を騙せ。世界を騙せ。健闘を祈る。

絶望の底に差し込まれた光。それが一瞬間で全てを照らすかのように広がってゆく様な感覚。オカリンによみがえる希望。
そこでわき上がるように口をつくのが、例の決めぜりふ。同じ厨二テイストの痛々しい台詞でありながら、しみじみと共感し、心地よくその響きを感じる事が出来る。ああ、良かったな、オカリンと、ほろっとせずにはいられない。そしてそれ以上に共感するのが、33歳の方のオカリンだ。33歳のオカリンは相変わらず厨二病全開だった。まゆりを救うために磨き上げた設定。それを今度は自分自身を鼓舞するために使い、紅莉栖を助けるために15年の歳月をタイムマシン開発に捧げた、その心中を察すると、涙腺がもう一つ緩む。ここでどちらのオカリンにより共感するかで、年齢層が別れそうだ。

こうしたちりばめられた名シーンの印象もさりながら、上がったり下がったりの展開のスピード感と、終盤それが一気に収束してゆく高揚感がこのゲームのシナリオの人気の要因であろう。タイムパラドックスモノなので当たり前と言えば当たり前だが、様々な伏線の回収が雪崩を打ってすすむ物語終盤は目を離せない。ただ、その分、中だるみというか、序盤から中盤にかけてが、やや丁寧すぎる感じで無駄に長い印象もあった。

このゲームを支えているもう一つの柱が、ネット文化に代表されるアキバのオタ文化を色濃く映した各種表現だろう。ヒロインからのメールに草が生えているのは何だか新鮮だ。ターゲット層に身近な表現をちりばめる事で、プレイヤーは登場キャラに非常に親近感を持つ事が出来る。
私は、2ちゃんねるに代表されるネット文化は同質化の文化であって、同質化する事によって極度に高度化したコミュニケーションだと思っている。そうした場では個性は埋没し、より高次の「流れ」とも「空気」「雰囲気」とも言うような、場自体が持つ表現のうねりが全てを支配する。極度に洗練された表現は、その細部に向かう。それは凄まじい量の背景知識と含有した意味を滴らせるような定型文やAA、会話の応酬パターンなどに端的に表れる。そのような文化というのは、実は、歌舞伎や能楽、演歌など、もともと日本人の特質にマッチした伝統的なものである。ネット文化はITによる加速効果で一気に花開いたのだろう。こうした「場」の文化では、常に変遷しながらも同時に予定調和的な、ある意味、カオス的な発展が求められる。しかし、場を乱さない「個」だけの存在では、そもそも場が沈降してゆく。そこで登場するのがトリックスターであるが、2ちゃんねる等の場合、それはコテハンに該当するだろう。少数のコテハンが場を切り開き、大多数のオブザーバーが場を醸造するという構造なのだろうと思う。オブザーバーはコテハンを生暖かく見守り、あるいは庇護し、時に批判し排除しと、コテハン活躍の舞台を支えている。大局を決するのはオブザーバーの醸造する空気であるとしても、そもそもその選択肢を提示しうるのは、パレートの法則ではないが、ほんの一握りの才ある人だけなのである。実際、コテハンとして活動し続ける事が如何に難しいか、如何に才能を必要とするかはやってみればすぐに分かる。才なき者は黙殺されてすぐに「場」からリジェクトされる。天賦の才が無いばかりに、コテハンとして許容される「オーラ」を得ようと、ネットの外部である現実社会で犯罪その他の事件を起こして関心を引こうと書込を続ける者が散見されるのは、こうした構造の結果であろう。
オカリンも、紅莉栖も、タイターも、@ちゃんねるではコテハンだ。ゲーム表現上、当然だ、ということももちろんあるが、彼らには皆それだけの才もオーラもあるからだ、という見方も出来るだろう。
「天才少女」「世界を救うヒーロー」「タイムトラベラー」という雲の上の存在を、プレイヤーに近しく親近感を持たせつつ、なおかつあくまでトリックスターとして際立たせる、という意味では、三人がコテハンであった、というのはこのゲームにおいて実に象徴的であったと思う。

そういえば、キャラ名をキリスト教にちなんで付けているのか、と妻と話した事があった。
実は、プレイ期間中に、牧師さん宅にお邪魔した事があって、蔵書を見ていると「ルカ」の文字が。ひょっとしてルカ子の名は、使徒の名から取ったのかな、などと考えていると、息子さんの名前がまさしくるか君で驚いた、と言う事があった。しかしまあ、柳林神社はどう考えても神道だろうけど。
それなら、マタイがまゆりかな。マシュー(マタイの英語読み)、まゆしぃ、ちょっと苦しいか。
まゆりの命と、そしてディストピアによって迫害される全世界の人々を助けるために、たった一人命をなげうってα世界線に留まった紅莉栖は、もちろん、クライストからの命名だろう。
しかしここまでで後が続かなかったのであった。

音楽も大変良かった。特に素晴らしいのはなんと言ってもオープニングテーマである「スカイクラッドの観測者」。本作ディレクターはミュージシャンでもあるので、作品の魂を、そのままダイレクトに楽曲に出来たのであろう。どうしてもズレや違和感の残るタイアップ曲と比べ、その一体感と深度は凄まじく、非常に完成度の高い楽曲だと思う。何より耳につくので、プレイ中は仕事中もしばらく脳内で鳴りっぱなしだった。
通常曲もなかなか良い。特にやや哀愁を帯びたテーマはシーンをかなり引き立てたと思う。

グラフィックスもなかなか良かった。特にキャラ絵は、独特のテイストで、見慣れてくると、ラクガキのようなグリグリ瞳に宿る表情が、じわじわと沁みてくる。ただし、そうした表現は上手いものの、基本的なデッサンとかは下手なようで、複数のシーンイラストを見比べると、キャラが同一人物とは思えない程の変化を見せる。それが味というならまあそうなのかも知れないが。

システムも既読スキップ(未読停止機能付き)やクイックセーブなど、大変遊びやすい作りである。

と言う事で、まだいろいろ書きたい事はあるのだが、いい加減長すぎて読む妻も大変なので、ここらで切り上げる事にしよう。

タイムマシン、そして「世界線」という構造を持つ本作では、やろうと思えばサイドストーリーが幾らでも作れる訳で、実際、膨大な量のメディア展開の中には、オリジナルストーリーも多いようだ。漫画や小説にはあまり興味ないが、アニメとラジオドラマは機会があれば視聴してみたい。また、同様にそうした別の世界線でのほんわかストーリーらしいファンディスク「比翼恋理のだーりん」は、実はもう入手済みで、プレイが楽しみだ。本編ストーリー上の後日談に当たるという第二のファンディスク(?)のPC版も機会があればプレイしてみたいが、こちらはかなりのマニア向けで結構敷居が高い。マニアと言ってもレトロPCマニアである。PC版で思い出したが、本作の制作陣は、やはり、かなりレトロPCゲームマニアが多いのでは。プレイ中に選択できる携帯着メロとして用意されていた楽曲のイースその他へのオマージュ度は凄い。上手く作ってあるなあと感心した。

そして、4月発売予定の新作についてはやはり若干興味ある。これは、本作と同じ世界線、同じストーリーをベースとしていながら、オカリンの主観だった本作とは異なり、いろんなキャラの主観によるストーリーとして視点を変えて語られるようだ。またそうした構造上それぞれ完結した様々なテイストの10本のシナリオとして構成され、しかもシナリオ作家は競作という。狙いが当たれば結構面白いものが出てきそうな気配はある。ま、取り敢えず評価待ちだろう。

4月公開の本作の劇場版映画は見に行く事にした。既に前売りも購入済み。やはり、トゥルーエンドの「直後」の話、というのが気を持たせるではないか。しかし劇場へ映画を見に行くのなんて、スカイクロラ以来である。何年ぶりだろう。
期待半分不安半分という所だが、いずれにせよ楽しみなのは間違いない。

WiiU/ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族/スクウェア・エニックス

やんなきゃやんなきゃ、とは思いつつ、なかなか腰が重くて手が出なかったベータテスト版だが、いい加減テスト期間も終わってしまうぞ、と言う事でようやく始めた。
eShopでのDLはすぐ終わるが、その後の更新、つまり本チャンプログラムのDLが約2時間半。まあ、こんなもんだろう。

ネトゲはあまり趣味じゃないし、全く何も期待していなかったが、思いの外面白くて意外だった。

とくに、序章はチュートリアル的な意味合いで、オフで簡単なお使いイベントをこなすのだが、なかなか丁寧に作ってある印象。ドラクエ8の感触を思い出して、あー懐かしいな、と思った。HDな鳥山明、という点では、特に村が壊滅するシーンなどで、ブルードラゴンも彷彿とさせた。

操作もスムーズで、バトルもサクサク小気味良い。インストール&WiiUのメモリ性能の賜物か、ローディングが速いね。速すぎて暗転Tips読む暇無い。

ただ、バトル自体は、伝統のコマンド選択バトルで、あえてそうデザインしてある8ビット風SEやジングルと相まって、古いなーと思わずにはいられない。まあ、それがドラクエの良さでもあるのだろうけど。

転生ではオーガの戦士を選択。おまけ程度かと思っていたけど、けっこうストーリーも気を持たせるね。というか、これ、どこまでプレイできるんだろう。頑張ってダーっと進めたらβのうちにストーリー終わらせられるのかな。それならちょっと頑張ってやってみようかと思うが。

転生後はオンラインプレイとなるが、オンラインであってオンラインでないような面白い感覚。
なんか、奈良や京都の観光地を歩いているような印象だな。
オーガの里は地方都市の筈なのに、自分の外にプレイヤーさん達がうじゃうじゃ居て、NPCの地元民も居るんだど、明らかに「観光客」の方が何倍も多いよ、というような世界。さらに街の外に出ると、みんなであちこちでモンスターを狩っていて、これは何だか、潮干狩りの浜に出た時のような印象だった。
こうしてプレイヤーが同じ空間に多数遊んでるんだけど、別に干渉したくないと思えば、ガン無視でも全く問題無いし、関わりたい人は、その人の好きなレベルでコミュニケートすれば良さそうだ。例えば、見知らぬ人とパーティを組む、というのはかなり敷居が高いが、バトルしている人を通りがかりに「おうえん」したり、体力が減っている初心者にさらっとホイミを掛けたり、ぐらいなら、する方も受ける方もあまり心理的抵抗は無い。
この辺のさじ加減が上手く作ってあるな~と感心した。

取り敢えず、3時間程遊んだだけだが、βテスト終了までにストーリーをどこまで追えるかやってみたいと思う。今のところ製品版を買うつもりはない。

スクウェア・エニックス
ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族

先週読んだ漫画 13/3/10-3/16

最近結構漫画読みサボっていたので、ちょっと気合い入れ直そうかと。…思ったがあまりはかどらなかったな。来週に期待。

●まる三角しかく 1巻/小畑友紀

積み漫画消化。初読みの作者。内容的にはかなり良いと思う。ちゃんとキャラが生きている。単純でおおざっぱに見えて繊細な心遣いの少年松浦。彼に惚れているが引っ越しで離れてしまう中一女子、石原ちとせがヒロイン。引っ越してしまう直前に同姓の石原美加がクラスに転校してきた。口数少なく他人に追従しない美加はクラスで浮いてゆくが、そんな彼女に何も出来ないちとせを見かねた松浦は、ちとせのために美加に声を掛けるようになる。そして、結果的に、松浦は美加を好きになってしまう。そして離別。その後、入学した高校で三人は再会し…、というようなお話だ。明るく人に好かれる事だけが良いわけではない、という雰囲気が素晴らしい。ライバルとの友情、みたいな所がテーマかな。ぜひ2巻も読みたい。


●海月姫 11巻/東村アキコ

ようやく発売即読んだ。新キャラ登場すわ悪役か!と思いきや、彼は別に何も悪い事はしてないね。今巻は、彼の、デザイナー月海を買います!という提案で引きだった訳だが、それってよく考えるといい話では?別に異国にさらわれてそれっきりというような話ではないし、月海が就職できて、天水館買収の資金が工面できて、蔵子のプライドがズタボロになる事を除けば、むしろそれでもうハッピーエンドなのでは。まあ漫画的には許容できない路線だろうから、なんやかんやゴネるだろうけど。フィッシュのキャラはもろ著者の韓オタ趣味全開だろ。悪くはないと思う。さて次巻どう繋ぐ事やら楽しみだ。


●女子高生 1巻/大島永遠

積み漫画消化。ファミ通で見かける作者なので拾ってみた。内容は、女子高出身という著者の体験を活かした、女子高あるあるギャグ。エロ、というよりむしろ「下ネタ」と表現したい系統のギャグが満載で、女子高出身者もそうでない人も、老若男女それぞれの立場で楽しめるだろう。個人的には可も不可もなくと言ったところ。ちょっとだけキャラはよいので2巻に期待したい。