読んだり観たり聴いたりしたもの -35ページ目

100均フリーダム/内海慶一

妻が職場で拾った本。

いわゆる100円ショップに並ぶ数多の商品のうち、特に、インテリア雑貨系の品に注目し、著者が蒐集した品々の、その類い希なる造形の妙をじっくりと鑑賞する本である。

意表を突くモチーフ、驚愕のデザイン、目を疑う加工技術、などなど、これらが商品として誕生し得た奇蹟、のようなモノを読者は深く感じ入る事となろう。
そのあまりのフリーダムさに当てられて昂ぶった感情が、我知らず奇声となって漏れる事しばしばである。屋外や電車など人目がある場所での鑑賞は控えた方が無難であると助言しておきたい。


内海慶一
100均フリーダム

GC/ギフトピア/任天堂

先日クリアしたのでメモ。
累計35時間少々。大変楽しめたゲームだった。独特の雰囲気が癖になる。

このゲームは、RPG、自称的には「オルタナティブRPG」と銘打ってあるが、プレイヤーとしての印象は、成長要素のある3Dアドベンチャーと思った方が良い感じであった。成長要素があるのは、多分、このゲームのテーマが、「大人になるということはどういう事なのか」という事だからだろう。
結局、作品テーマとしては、大人とは人のために行動できる事である、というメッセージだろうか。しかし、大切なのは自分で考える事であり、経済的に潤う事も、取引をして効率の良い生き方を模索する事も、共に、それぞれの生き方として、(一応)肯定はされる。
ということで、ゲームルート的には、ハッピーエンドと、2つのイマイチ?エンドがある。クリア後はセーブされず、直前セーブデータが生きているので、不本意な結末を迎えたなら、やり直して回避すればOKだろう。ただ、極シビアなタイミングだと思うが、フラグ立てた後にセーブしたりしていると詰む可能性がある。また、多分お使いイベントは全てリニアに発生すると思うので、エンディング分岐を除いては一本道で、分岐や抜けはないと思う。

住民十数人にシュリンクされた離島村落でののんびりライフの描かれ方が良かった。特に、マドラスの話や、バーヤの問題などで、皆で集まって協力して解決を目指したり、イベントの打ち上げでバーに集まったりと、ゆるい仲間意識を感じる点が良かった。写真を見せて人物評を聞き回る事で、ある人物が、島でどう受け止められているのかを、多角的に知れたりするのも面白かった。

今ふと、そういや最後精霊ちゃんはどうなったんだろうかと疑問に思った。挿絵で語られるエンディングに何か描いてあったかな…。もう一回観てみても良いかも。

どのキャラも個性が強く描かれて印象に残るが、やっぱり気になるのはメットかな。博打で離縁されたりどうしようもない風に見えて、仕事はきっちり男だぜ。島中の建造物は全て彼が一人で建てたらしい。ある意味天才かも知れないと思った。

ぞうさんロデオやヤンキー滑りなど、ミニゲームにQTEがあるけど、とくにヤンキーの反応時間が短くて難しい。これをクリアしたのは自慢かな。

島のFMラジオでかかる曲、という設定で、えらく多数の楽曲を収録している。いくつか気に入った曲もあるので、サントラ無いのかなと探してみたが、ないみたいだ。そのかわり、任天堂の公式サイトから全曲聴ける事が分かってビックリ。気前良いな。

このテイスト、結構良かったので、機があれば、放置になっているキャプテン★レインボーをもう一回プレイしてみたい。


任天堂
ギフトピア

3DS/ピンチ50連発!!/モバイル&ゲームスタジオ

プレイ開始のエントリがこちら。6/4との事なので、なんと、丸っと2ヶ月かかってようやく昨日クリアした。
とはいっても、チビチビ遊んで、難所で挫折したらしばらく遠ざかって、また思い出したようにプレイして、という繰り返しなので、累計プレイ時間自体は少ない。

このゲームでは、全ステージクリアして初めて、ネットランキングに登録できる鬼仕様である。
現在時点でのトータルランキングでは。

クリアまでの累計タイム  04:29:11   → 2664位
クリアまでのリトライ回数(死亡数)  869   → 1041位

ちなみにここ30日でのランキングは、

クリアまでの累計タイム  04:29:11   → 360位
クリアまでのリトライ回数(死亡数)  869   → 265位

さらにちなみに、トッププレイヤーの記録は、

タイム 1位 00:14:54 ~ 100位 00:25:56
リトライ 1位 0回 ~ 100位 53回

となっている。
まあ、アクションがそれほど得意でも無い40代男性の記録としては、まずまず、至って標準的なところなのだろう。

ただし、このゲームは、プレイヤーの指先に非常に経験値が付くタイプのアクションゲームなので、繰り返しプレイする事で確実にランクは上がる。
実際問題として2周目はプレイするつもりはないが、もしプレイすれば、タイムは半減、リトライ回数は2/3になるのは確実だと思う。
3回目ならさらに減るだろう。わずか十数分でクリアするような上位陣は、一日何度もクリアする感じで練習しつつ記録を残しているのだろうと思う。

チャレンジ、冒険、といったハラハラする体験を提供するメディアとして、極上の製品だと思われる。
一見簡素な絵柄の安っぽいゲームに見えるが、その裏に潜む作り込みと完成度は凄い。
それも、ルートや敵配置を探りつつ進む、クリアできるかどうかといった初見プレイ時のレベルデザインと、全貌が明らかになった後の、タイムトライアルの工夫に耐えうるデザインとが、実に見事に融合していて素晴らしい手触りを生み出している。
こうした感触は、絶対に、映像や動画などでは表現できないし、ましてや文章では何物も伝わらないであろう。
近年ゲーム実況が流行である。実況動画のコンテンツとしての楽しさを否定するものではないが、あくまでそれは「実況ゲームの鑑賞」という、ゲームプレイとは別次元のエンターテインメントで言うべきであろうと、このゲームのクリアを通じて強く感じた。いわば、野球をする楽しさと、プロ野球中継を観る楽しさ、の違いである。やっぱり、ゲームはプレイしてナンボである。

何度も死んでリトライし、敵配置や罠などのギミック、ゴールへのルートなどを少しずつ学習していく、いわゆる「死にゲー」と呼ばれるゲームであろう。
だからちょっとプレイすると、すぐに死んで少しも進めず、非常に難しいと感じる事もあるだろう。
しかし、一旦、ジャンプタイミングや、安全地帯、最短正解ルートなどを確立してしまうと、自分でも拍子抜けするほど、スッとクリアできるようになる。
初見でクリアできたステージも多少はあるものの、大概の面では何十回と死んだ。襲い来る敵の群れやびっしりと配置された即死の罠。最初に観た時は震え上がり、これはクリアできないのでは?と思ったそれら「ピンチ」の数々も、実際どうにかこうにかクリアした後の感想では、不思議と納得感があるのだ。「どうやったか知らないが、奇蹟的に突破できた。もう二度とは出来んぞ」と思うようなことはなかった。そうではなく、こう動こう、という考え通りに操作しようとして、実際キチンと操作できたからクリアできた、という、よしよしちゃんと出来たな、という満足感が得られるプレイ感の方が多かった印象である。

冒険、発見の喜びもこのゲームの魅力である。
例えば、操作方法。十字キーで移動し、Aジャンプ、Bダッシュ。説明としてはこれだけである。しかし、アンドキュメンテッドな操作がいろいろあって、それらを駆使しないとクリアはおぼつかない。例えば、ダッシュ中に下キーでスライディングしたり、崖の端で下キーでぶら下がったり。出色なのが、トロッコで、最初に登場した時、飛び乗ったは良いがうんともすんとも動かない。やむなく降りて、後ろからぶつかるとじわり進みだし、そうして勢いを付けてから飛び乗ると、ようやくにスタートするのだ。走り出した後も、下キーでしゃがむとか、進行方向と反対のキーでブレーキとか、ジャンプとか、とにかく自分でいろいろやってみて発見して、それを活用することで活路が開ける感覚が素晴らしかった。

1回でも通してクリアしないとランキングに載らないという鬼仕様と書いたが、そうではなく、キチンと取り組めばクリアできますよ、そうできるようにじっくり調整してありますよ、という自信の表れであると思う。

チビチビと2ヶ月も掛けてプレイしたので忘れているステージも多く、クリア後に解禁になるリプレイ機能や、エンディングでのリプレイで、長かった挑戦の軌跡を眺めるのは大変面白かった。このリプレイ機能は、タイムアタックにも必須の機能だろう。

どうしてもアクションが苦手、という人には無理には勧めない。甘い美酒だけを飲みたいんだ、という人にも勧めない。
が、苦難に耐え歯を食いしばって登った山頂で、喉を潤すただの水。こうした水のうまさを求めている人には、ぜひ味わってもらいたいと思う。

最後に特記しておくと、音楽が素晴らしい。エンディングのピンチのテーマはサントラが欲しいと思った。

モバイル&ゲームスタジオ
ピンチ50連発!!

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団/瀬名秀明

評判が良かったので読んでみた。
実は著者の「小説」は、これまで読んだ事がなかったので、本書が初である。基本、まま、楽しく読めたのであるが、時々、えっ、と驚くぐらい稚拙な表現とか論理的に破綻している文章が出てきて、なんだこれ、著者はどうかしてしまったのだろうか、と訝しんだ。著者を理系人気作家として認識していただけに意外だった。

原作マンガは当然コロコロで読んでいたし、単行本も繰り返し読んだし、映画も見た。内容については忘れている部分もあるだろうけど、覚えているシーン、まぶたの裏にコマが蘇るシーンも多い。なので、そういう経験を持つ中年男性が読んだ場合の評価しか出来ない。本作を読んでいて楽しかったのは事実であるが、それが、こうした記憶の中の原作のもつ力故ではなく、本作の文章の力のみがなしえた効用であるかどうかの判断は事実上不可能である。

構成としては、原作の1コマ1コマを忠実に再現しながら描く方式で、正直最初はイライラした。全く同じものを描くだけなら、ノベライズなど意味が無いと思うからだ。ただ、中盤以降、オリジナルな解釈や展開(と言っても筋は微動だにしない)、オリジナルなシーンや登場人物が描かれ、本書の存在価値が現れたと思う。
特に、星野スミレを登場させ、かつて彼女もそうであった冒険少年へのエールを語らせるのは、原作にリアルタイムに触れて成長した世代、つまり著者と同世代へ対しての、原作に対する返歌として、本書をはっきりと位置づけている事の表れであろう。逆に、この部分、現在の少年が読んだならば、あまり意味が通らない謎のシーンとなってしまうであろう。そのリスクを押してでも入れた、と言う事である。

設定や展開が無理矢理で矛盾だらけなのは、原作もその通りなのだが、マンガでなら赦される表現が小説ではアラとなって目立つという事はあるだろう。折角SF作家の雄がノベライズするならもう少しいろいろと考えても良かったのではないか。少なくとも、個人的にはわざわざSF作家が書いたというアドバンテージを感じなかったのは残念だった。

雀百までとはいうが、よもや、終盤感涙するとは予想だにしなかった。さて、原作の力か、本作の力か。

本作の執筆はリメイク映画のPR企画の一環だったようであるが、もし、シリーズ化するようであれば、他も読んでみたいとは思う。

瀬名秀明
小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団

胃内視鏡検査受けてきた

先日表題検査を受けたのでその顛末を記す。

40歳になってから、大阪市が実施している定期癌検診を受けている。胃癌、肺癌、大腸癌、の3検査である。
どれも特に問題なかったが、今年5月の検査で、胃癌検診に物言いが付いた。
要精密検査ではなかったが、「胃ポリープ」という所見で、「要近医受診」という事だった。精密検査の必要はありませんが、もしも自覚症状などがある場合には受診しましょう。検査は必ず毎年受けましょう。とのコメントであった。
正直どきっとしたが、逆に言えばラッキーである。

私の癌観は、癌はかかるもの(特に長生きすれば)、というものだ。日本人の癌罹患率は約50%。ならば、癌にはなるもの、と考えて備えるのが賢明だろう。確かに癌の予防は大切だが、極めて神経質な予防に血道を上げて癌にかからない事を目指すのは労多くして実りの少ない戦略だろう。どれほど気をつけたところで、癌にかかる人はいるし、逆にどれほど不摂生でも癌にかからない人もいる。適切な癌予防生活を送りながら、それでもいずれ発生する癌を、早期発見して除去するのがもっとも効率的な戦略だと思われる。特に100歳120歳といった長寿を目指す人なら、数回は癌の手術を想定しておく方が常識的だろう。長生きすればするほど癌になる可能性は上がる。むしろ上記の罹患率を下げている、「死ぬまでに癌にならなかった」という人は、癌が発現するほど長生きできなかったのだ、という見方も出来るであろう。長寿を目指すなら癌は避けて通れないと思って間違いない。癌になるかならないかでは無く、いつ適切に癌の手術ができるか、がそうした長寿目標での攻略ポイントだろう。

なので、定期癌検診でアラートが出たというのは、非常にラッキーなのである。そのために検診をしているのだ。

検査結果の通知には、自覚症状がなければ精密検査の必要は無いと書かれていた。多分、状態がそれほど緊急性のない程度だったのだろう。
しかし、自覚症状が出てから受診するのなら、そもそも定期癌検診を受ける意味が無い。僅かでも異常があったら念のため検査する、という方向がスクリーニングとしての定期市民癌検診の目的であろう。
なので、自覚症状は何もないが、とりあえず精密検査に駆け込んできた。

受診したのは、西田辺に今年5月に開院したばかりの、消化器の初期検査専門クリニック「にしやま消化器内科」である。webで内視鏡に力を入れている病院を探して、適当に評価を検討して決めた。あまり宣伝めいた事は書きたくないのだが、かなり良いところではないかと思った。開院すぐなのでピカピカの内装や最新の機器設備は当然であるが、スタッフの質、医師の質共に非常に満足行くレベルであった点は特記しておきたい。

胃の内視鏡検査は、10年以上前に受けた事がある。軽く喉を麻酔し、ベッドに横になって内視鏡のチューブを飲み込み嘔吐反射と戦い続ける、というお世辞にも快適とは言いづらい検査である。妻も数年前に内視鏡検査をして、涙目で辛さを訴えていた。しかし医療技術は日進月歩である。今回非常に快適に検査を受ける事が出来たので、まずはそのことを述べたい。

こちらのクリニックでは、麻酔下での検査が基本となる。検査が始まると、まず胃の洗浄液をおちょこ一杯飲む。次に、楽な姿勢になって検査台に横たわり、腕に針を刺し、マウスピースをくわえ、指にバイタルモニター端子を付ける。さあ始めますと設置した針から麻酔薬を注入開始するとものの2,3秒で意識を失う。気がつくとすでに検査は完了し検査室横の回復待ちルームでベッドに寝かされていた。コールボタンを持たされ、意識がはっきりするまでうとうとしながら待つ。しばらくすると意識もはっきりしてきたので、起き上がって看護師を呼ぶ。時計を見ると、検査開始から約30分程が経過していた。昼寝をした後ぐらいのぼんやり感はあるものの、不快感も特になく、割合快適だ。以前の内視鏡検査では、丸一日喉の違和感が残ったが、今回は全くそれはない。技術進歩でチューブが細くなって違和感が減じたのだろう。荷物を持って診察室前の待合に移動し、順番を待って診察。先ほど撮影したばかりの画像を見ながら医師に解説頂いた。

結果からいうと、胃底腺ポリープで間違いないだろうという事であった。念のため一部の組織を採取して生検に出したので翌週以降結果を聞きに来いとの事で、翌週確認するとレベル1(良性)の胃底腺ポリープで間違いなかった。また、今回せっかく検査をするのだから、ついでにピロリ菌の感染検査と、陽性だった場合の除菌も希望していたのだが、こちらは陰性であった。ピロリ菌検査はその場ですぐ結果が出た。

さて、この胃底腺ポリープをどう評価するか。3mm程度のポリープが胃のあちこち数カ所に出来ていた。医師が言うには、この胃底腺ポリープというのは、ピロリ菌がいない凄く綺麗な胃に出来る事が多く、良性で、癌化する事は極稀だという。むしろ、綺麗な胃の勲章と考えれば良いという。このポリープがあるタイプの胃では癌の発生率はとても低いというのだ。

実際、内視鏡で撮影した胃も食道も、その表面はつややかでなめらかで血管がチリチリと並んで非常に綺麗だった。焼いて食べたらさぞ美味しそうな肉だと思った。まあ、実際、これだけ毎日のびのびと(貧乏ではあるが)遊び暮らしている訳で、ストレスの少ない、胃には極めて優しい環境だろうなとは自分でも思う。もちろん、飲酒喫煙せず、バランスの取れた食事と適度な運動など全般的な健康に留意した生活を地道に続けている効果も無視できないだろう。

ポリープがある事でのリスクは、極稀に出血する場合があり、さらにそのせいで貧血になる可能性が極々稀にあるとの事だった。それ以外は何らデメリットはないので、切除や治療の必要は無いとの事。

正直、ほっと一安心した。胃癌リスクがかなり低いという評価を得たのは僥倖だった。これは長寿計画には幸先が良い。無論、絶対に癌化しないわけではないし、このポリープとは関係の無いスキルス胃癌などのリスクはあるため、今後も定期的な胃癌検診は必要である。
ただし、そこで一点問題がある。
つまり、ポリープがあるため、検査をすれば毎回引っかかってしまう、ということだ。
これは悩ましい問題である。

どうせ要検査と結果が分かっているバリウム検査を受ける意味はあるのか?
それなら最初から内視鏡検査を受けた方が早いのでは?

ちなみに、今回の胃内視鏡検査+ピロリ菌検査では、初診で2日、3割負担で合計約1万円弱であった。なお、大阪市の胃癌検診は500円である。

低リスクポリープの経過観察に毎年1万円というのは、費用対効果として疑問符が付く。むろん、命の対価など金には換えられんという考え方も一方ではあるが、そこまで言うなら半年ごとに人間ドックを受けろよ、という事になってしまう。
先生のお薦めは、2年に一回、内視鏡検査で経過観察する、というものだった。これなら年平均5千円。まあ、そんなところが現実的かな。先生が言うには、医療も検査技術も進歩したので、本当は自治体の癌検診も内視鏡に切り替えるべきだしそういう機運もあるらしい。問題は、コストです、と。

たしかになあ、と思っていたところ、今日の朝刊に、まさにこの話題が。
大阪市は、現在40歳以上で毎年実施している胃癌バリウム検診を、「50歳以上」「2年に一回」「バリウムor内視鏡」に変更するという。
なんとグッドタイミング。これで、一件落着である。保健センターでの受診ではなく、医療機関受診を選んで、にしやまで受ければ良いだけの話である。補助が出るので費用は安く済むだろう。多分、負担額は5~6千円程度だろう。つまり年負担なら2~3000円程度となるハズ。

ということで、今後の方針としては、50歳になるまでは、2年に一回自己負担で内視鏡受診。また、安いしついでなので、バリウムも毎年飲む事にした。もし何か急変があれば検査結果の文言の違いなどで分かるだろうとの目論見である。その後は市の負担で内視鏡受診でOKである。

ということで一件落着であった。

「やりがいのある仕事」という幻想/森博嗣

森さんの若人応援啓蒙新書シリーズ。
内容的には森さんのこれまでの著作の内容から、あちこち寄せ集めたものがほとんどで新規な内容は無い。就活に挫折したり就職直後に悩んだりしている人向けに「仕事と人生」という観点で再構成した点がミソだろう。1日1時間、8日間のリライトでだいたい300万円ぐらいの仕事だろうか。

本書の内容は、突き詰めてまとめると「楽しみを見つけよ。人生は楽しみのための時間であり、楽しみのための費用や自分の生存に必要な費用を稼ぐためにやむなく行う準備作業の一つが「仕事」、と呼ばれるに過ぎない。仕事をして賃金がもらえるのは、辛くてつまらない他の人がやりたがらない作業だからである。」というような内容である。

こうした内容については、極常識的な事柄を森視点で語ってあるだけであり、よほどこれまで何も考えずに生きていたという人でも無ければ、意表を突かれた、という事もないだろう。もっと素晴らしいアドバイスを期待していたのに、とガッカリする向きもあるかも知れない。
常識人なら、多分、本書を読んでこう言うだろう。
「なるほど本書に書かれている意見は、一見奇抜に見えて、その実、確かに現実的なものである。しかし…」
この「しかし」がくせものだ。
本書でも書かれているが、情報化社会には大きな弊害があって、それは知識偏重という事だ。膨大な知識の操作を重んじるあまり、知恵がないがしろにされる傾向にある。知識というのは、単なるデータや信号に過ぎない。生きる上で本当に大事なのは知恵の方だ。
どれだけ読書をしてもネットサーフィンをしても、身につくのは知識ばかりで、知恵は容易には身につかないだろう。
金言は知恵である。書籍から知恵を得ようとするなら、さらっと字面を眺めただけでは「知識」を得るばかりでダメなのである。
知識を知恵に転換するには、例えば読書後に、じっくりとその内容を考えると有効だろう。私がブログを書く目的の一つでもある。
だから、森ファン的な視点から読んでいる私のような読者ではなくて、本書に何らかの救いを本気で求めているような人は、「いってる事は分かるけど…」の「けど」を自重し、即効性のある処方の欲求を抑制し、ひたすら本書の内容を吟味するか、もしくは何度も何度も本書を読んだら良いと思う。
昔から読書百遍といわれる所以である。

閑話だが、個人的には100回読むというのは、比喩ではなく、実際的で有効な方法論だと思っている。
私は塾や家庭教師などの受験産業というものは不必要だと考えている。勉強に必要なのは、コツやテクニックではなく、愚直な鍛錬だ。例えば、教科書の内容が分からないという子がいたなら、副読本やドリルをやるより、教科書を真剣に100回読んだら良いと思う。ほとんどの子は、1,2回、せいぜい10回読んで分からない、と投げ出しているのであり、100回も読んだら多分分かる。もしも100回で分からなければ200回でも300回でも、分かるまで繰り返し読めば良い。WATERという言葉を知ったヘレン・ケラーのように、落雷に打たれたかのように「分かる」瞬間が、読み続けていれば必ず来る。そうやって自分で読んで自分で理解した事が知恵であり、知恵はなかなか忘れない。だから、子供への学習指導といったら、分かるまで何回でも繰り返し読みなさい、だけで十分だし、実はそれ以外にない、と考える。遠回りに見えて、結局はこの方が早くて確実なのである。受験産業がしているように、コツやテクニックといった知識を詰め込んで分かった気にさせる事は簡単だが、そんな「知識」は、テストが終わったら綺麗さっぱり無くなるだろう。少なくとも、成人後死ぬまで使える知恵にはならないだろうと思われる。

閑話休題。
本書はあくまで若者向けのプラグマティックな内容であるので範囲外だが、森さんの考える貨幣論などがあれば開陳してもらえるとファンとしては面白かったかな。まあ、そんなものには興味ないのでどうも思わないです、といわれそうだが。


森博嗣
「やりがいのある仕事」という幻想

蒐集記録 2015/07/25

本日もアプリチェックのついでに蒐集

●PS2 決戦2 ベスト版 \180 並下
※決戦シリーズは一度はプレイしておくべきとは思う。

●DS スライドアドベンチャー マグキッド \180 並品

蒐集記録 2015/07/24

●PSP ディシディア ファイナルファンタジー \180 並品
※確かに異色作だとは思うが,こんなに安いとは。と思ったが、2008年と結構古い作品だった。もうそんなに経つんだなあ。発売直後に桜井さんが褒めてた気がするのでいつかプレイしたいとは思っていた。例によってUMDパスポート作戦決行だ。

「死ぬのが怖い」とはどういうことか/前野隆司

以前読んだ、著者の受動意識仮説の本がまずまず面白かったので他の本も借りてみた。ずっと積んであったのだが、返却しなきゃと読んでみたらこちらも結構面白かった。

「死ぬのが怖い」という感情のシステムを解説する事を通じて、著者の持論である受動意識仮説を詳解するような本かと想像していたら全く違う。
なんと、そのままずばり、「死ぬのが怖い」と思って困っている人向けに、死ぬ事は怖くない、と安心を与えようとする本であった。ほとんどカウンセリングである。ビックリした。

よって、この本が有効な読者というのは非常に限られてくる。

まず、「あと100年経ったら自分はもう死んでいないのだ」という事実を常に意識している人。特にその事実に恐怖を覚えている人。この本が想定している、そうした問題意識を持っている人が、そもそも少ないだろう。多忙な現代人は、近視眼的に今日明日の些事にかまけて大局的な展望を見据える事が少ないのであろう。現代において死の恐怖といえば、検診の結果を聞いたら癌で余命半年って言われたヨ、というようなケースが多いのかも知れないが、この本は、そうした緊急な対処にはあまり向いていないかも知れない。なぜなら、じっくりと本書の理屈を検証するような心の余裕が、そうした人にはもはや無いであろうから。

そう、この本は、中学生でも楽々読めるように平易に書かれてはいるものの、科学理論に基づいた技術書である。
宗教のように、天国やあの世や輪廻転生やその他もろもろのオカルティックなハッタリをまぶす事で死の恐怖を隠蔽するのではなく、最新の認知科学、心理学、脳科学等の知見を動員して、むしろ、「死ぬのが怖い」という感情を持つ認知のシステムを炙り出し、科学的に解体処理していく点がポイントの書籍なのである。
よって、命題に仮説を立て、検証し、実験し、結論を得るという理系的な書籍が苦手な人は、これだけ平易でも読むのが苦痛だろうし、多分読んでも理解も共感も出来ないだろう。

結論から書こう。本書では死の恐怖は乗り越えられるものとして、いくつかのルートを提示している。
・心というものは幻想に過ぎず、「死の恐怖」=「生のクオリアの喪失の恐怖」におけるクオリアも幻想に過ぎない。所詮幻想なら失ってもどうと言う事はないはず。
・所詮いつかは死んでしまうのだとしても、生まれる前に戻るだけ。つまり長かろうと短かろうと生まれて生きているという奇蹟を享受せよ。
・宇宙的な時空スケールや、世界的な人口スケールに比べれば、一人の一生など小さなものに過ぎず、それが死んだからと言って何だというのか。
・宇宙における人生の客観的時間の微少さもさることながら、主観的時間で観測しても人生など幻想に過ぎない。主観時間においては、今しかない。過去は記憶に過ぎず、未来は予想に過ぎない。つまり、死ぬまでもなく、もともと主観的には時間など無いに等しいのであって、喪失におびえる必要など無い。
・自己と世界などという境界を持った対立は単なる思い込みだ。自己は世界の一部であり、その一部である自己の「観劇装置」が失われる事をさして、「死」というに過ぎない。死とは単に一装置が役目を終える事に過ぎず、世界は続いてゆく。
・幸福になる道を科学的に追求すると、それは達人の無我の境地となる。死の恐怖を乗り越えた達人の境地はすなわち幸福である。このループに入れば死の恐怖というものは霧散する。
・死を恐れない境地、それは生を満喫する境地。

これをよんで、なんだ当たり前の事しか書いてないな、と思う人は、この本を読んで理解を深める事が出来るだろう。は?と思った人は多分向いてない。著者には悪いが、本書における著者の解説技量では、そうした人には届かないと思われる。

前著でもそうだったが、この著者は、科学者特有のポカが目立つ。つまり、データ収集や計算など、理論の処理は得意なのだが、前提の吟味やルートの選定など、大局的な部分でミスや抜けが目立つのだ。平たくいえば猪突猛進。
本書で言えば、そもそも、なぜ「死ぬのが怖い」のかをはっきりさせるところが原点のはずである。もちろん本書でも子細に論考されているが、著者特有の思い込みで、著者のフィールドに無意識的に強引に持ち込んでいるため、他の観点を持って読んだ人は粗い議論だと思うだろう。
つまり、本書では、「死の恐怖」=「生のクオリアの喪失の恐怖」と前提を立てて議論を開始するのだが、明らかに死の恐怖とはそれだけではない。
本書では「死もしくは瀕死のクオリアの享受の恐怖」を非常に軽視している。平たくいえば、死が怖いのは、死ぬ時に苦しかったり痛かったりするのが怖いから、という事だ。当然、ここでいう痛みや苦しみは自分以外の他者などへの痛み苦しみに接続するよう演繹できるものだ。
とくに、本書が最も向いていないオカルティックな文系みたいな人々は、多分、こっちの理由による恐怖の方が大きいだろう。だから、この観点がすっぽり抜け落ちている本書は、件の人達には失笑を買っても理解を得る事はないだろう。
また、厳密に言うなら、「生のクオリアの喪失の恐怖」と、「これから得るはずの生のクオリアの喪失の恐怖」の違いにも言及すべきである。私などは、こちらの恐怖の方がより強く感じる。

著者とは、実に考え方が似ていると思う。細部では異なるものの、心など無いと考える認識とか、死を見つめ克己する意思とか。
本書に、何歳まで生きたいですか、というアンケートの結果が紹介してあって、自分も著者と同じ考えだったので笑った。このアンケート結果では80~89歳という答えが最も割合が多かったとして、著者は死ぬほど驚いている。なぜなら、何歳まで生きたいですかと聞かれたら、無限、と答えるに決まっているじゃん、と思うからだ。少しでも長生きしたい。1分1秒でも長生きして、生を享受しよう、と考えるのが普通だと思っていた。このアンケートに無理に答えるなら、一番下の選択肢「150歳以上」を選ぶしかないはずだ。が、これを選んだ人はたった6.5%しかいなかったという。さすがに私は驚きはしなかったが、私も無限に生きたい派だし、6.5%は少なすぎると思ったのは事実。まあ、他人の趣味指向なので何歳で死のうと本人の勝手なのだが、正直に言うと、生物としてそんなバイタリティのない事でどうするんだろうとちょっと心配になった。

ともかく、著者の本は、論は粗いが鼻息粗い論考は大変面白いので、また他の著作も読んでみたいと思う。

前野隆司
「死ぬのが怖い」とはどういうことか

暗闇・キッス・それだけで/森博嗣

図書館に森さんの新刊が入っていたので読んでみた。
ミステリの新作だった。といか、どうも既刊の「ゾラ・一撃・さようなら」と同じ主人公らしく、新シリーズという事なのか。ちなみにゾラは借りた事はあるものの読んでいないという。確か、妻が読みかけて、イマイチ、との評だったので読むのを止めたような…。今回続編に当たる本作を読んで、まずまず気に入ったので、もう一度ゾラも借り直し手配した。

主人公は探偵兼ライター(?)の頸城悦夫。多分、30代後半にさしかかろうかという年齢だろう。かつて同棲していた、今でも慕う元恋人の優衣から仕事の依頼を受け、来日中のIT富豪の半生記を執筆するためインタビューへ向かった所、富豪の別荘で殺人事件が起きて…。と言うようなお話。

はっきり言って、ミステリとしては全く箸にも棒にもかからない程度。インパクトがない上に、条件定義も曖昧で、トリックも雑。平たくいえば、興味を惹かず面白くない上にスッキリしない。銃声とはミスリードで消せるものではないのですよ、森さん。

この本はミステリではなく、あくまでミステリ風小説として読もう。その方がじっくり楽しめる。
ミステリ的なシチュエーションに至った時、人はどうするのか、という描写。
とある青年がいたのである。彼は昔、戦場に匹敵するような過酷な環境で、人の生き死にをつぶさに見て、最愛の人を失い、その時から彼の心は動きを止めた。宙ぶらりんに心を縛られ満たされない想いを引きずって、無味乾燥な渡世術と現実的な妥協を身につけて何となく生き続ける日々。
そんな折に、ギリギリ無関係を決め込める至近距離で発生した殺人事件というイベントに煽られて、自己の生きる意味と来し方行く末を何とはなしに見つめてしまう、この想いのパノラマを鑑賞する小説なのである。特に、同年代、30~40代だとより一層感情移入できるのでは。

夢うつつのリビングデッドのように生きていながら若者の現実感のなさを批判したり、かといえば、目の前で発生した人の死も、所詮は他人事と冷めて処理できるような歪な(正常な?)リアリティを持っていたり。

とにかく、主人公に共感できるかどうかだけがポイントの小説だ。出来るのなら、最後まで雰囲気を味わえると思う。意外などんでん返しに読後感もなかなかオツである。


森博嗣
暗闇・キッス・それだけで