「やりがいのある仕事」という幻想/森博嗣
森さんの若人応援啓蒙新書シリーズ。
内容的には森さんのこれまでの著作の内容から、あちこち寄せ集めたものがほとんどで新規な内容は無い。就活に挫折したり就職直後に悩んだりしている人向けに「仕事と人生」という観点で再構成した点がミソだろう。1日1時間、8日間のリライトでだいたい300万円ぐらいの仕事だろうか。
本書の内容は、突き詰めてまとめると「楽しみを見つけよ。人生は楽しみのための時間であり、楽しみのための費用や自分の生存に必要な費用を稼ぐためにやむなく行う準備作業の一つが「仕事」、と呼ばれるに過ぎない。仕事をして賃金がもらえるのは、辛くてつまらない他の人がやりたがらない作業だからである。」というような内容である。
こうした内容については、極常識的な事柄を森視点で語ってあるだけであり、よほどこれまで何も考えずに生きていたという人でも無ければ、意表を突かれた、という事もないだろう。もっと素晴らしいアドバイスを期待していたのに、とガッカリする向きもあるかも知れない。
常識人なら、多分、本書を読んでこう言うだろう。
「なるほど本書に書かれている意見は、一見奇抜に見えて、その実、確かに現実的なものである。しかし…」
この「しかし」がくせものだ。
本書でも書かれているが、情報化社会には大きな弊害があって、それは知識偏重という事だ。膨大な知識の操作を重んじるあまり、知恵がないがしろにされる傾向にある。知識というのは、単なるデータや信号に過ぎない。生きる上で本当に大事なのは知恵の方だ。
どれだけ読書をしてもネットサーフィンをしても、身につくのは知識ばかりで、知恵は容易には身につかないだろう。
金言は知恵である。書籍から知恵を得ようとするなら、さらっと字面を眺めただけでは「知識」を得るばかりでダメなのである。
知識を知恵に転換するには、例えば読書後に、じっくりとその内容を考えると有効だろう。私がブログを書く目的の一つでもある。
だから、森ファン的な視点から読んでいる私のような読者ではなくて、本書に何らかの救いを本気で求めているような人は、「いってる事は分かるけど…」の「けど」を自重し、即効性のある処方の欲求を抑制し、ひたすら本書の内容を吟味するか、もしくは何度も何度も本書を読んだら良いと思う。
昔から読書百遍といわれる所以である。
閑話だが、個人的には100回読むというのは、比喩ではなく、実際的で有効な方法論だと思っている。
私は塾や家庭教師などの受験産業というものは不必要だと考えている。勉強に必要なのは、コツやテクニックではなく、愚直な鍛錬だ。例えば、教科書の内容が分からないという子がいたなら、副読本やドリルをやるより、教科書を真剣に100回読んだら良いと思う。ほとんどの子は、1,2回、せいぜい10回読んで分からない、と投げ出しているのであり、100回も読んだら多分分かる。もしも100回で分からなければ200回でも300回でも、分かるまで繰り返し読めば良い。WATERという言葉を知ったヘレン・ケラーのように、落雷に打たれたかのように「分かる」瞬間が、読み続けていれば必ず来る。そうやって自分で読んで自分で理解した事が知恵であり、知恵はなかなか忘れない。だから、子供への学習指導といったら、分かるまで何回でも繰り返し読みなさい、だけで十分だし、実はそれ以外にない、と考える。遠回りに見えて、結局はこの方が早くて確実なのである。受験産業がしているように、コツやテクニックといった知識を詰め込んで分かった気にさせる事は簡単だが、そんな「知識」は、テストが終わったら綺麗さっぱり無くなるだろう。少なくとも、成人後死ぬまで使える知恵にはならないだろうと思われる。
閑話休題。
本書はあくまで若者向けのプラグマティックな内容であるので範囲外だが、森さんの考える貨幣論などがあれば開陳してもらえるとファンとしては面白かったかな。まあ、そんなものには興味ないのでどうも思わないです、といわれそうだが。
森博嗣
「やりがいのある仕事」という幻想
内容的には森さんのこれまでの著作の内容から、あちこち寄せ集めたものがほとんどで新規な内容は無い。就活に挫折したり就職直後に悩んだりしている人向けに「仕事と人生」という観点で再構成した点がミソだろう。1日1時間、8日間のリライトでだいたい300万円ぐらいの仕事だろうか。
本書の内容は、突き詰めてまとめると「楽しみを見つけよ。人生は楽しみのための時間であり、楽しみのための費用や自分の生存に必要な費用を稼ぐためにやむなく行う準備作業の一つが「仕事」、と呼ばれるに過ぎない。仕事をして賃金がもらえるのは、辛くてつまらない他の人がやりたがらない作業だからである。」というような内容である。
こうした内容については、極常識的な事柄を森視点で語ってあるだけであり、よほどこれまで何も考えずに生きていたという人でも無ければ、意表を突かれた、という事もないだろう。もっと素晴らしいアドバイスを期待していたのに、とガッカリする向きもあるかも知れない。
常識人なら、多分、本書を読んでこう言うだろう。
「なるほど本書に書かれている意見は、一見奇抜に見えて、その実、確かに現実的なものである。しかし…」
この「しかし」がくせものだ。
本書でも書かれているが、情報化社会には大きな弊害があって、それは知識偏重という事だ。膨大な知識の操作を重んじるあまり、知恵がないがしろにされる傾向にある。知識というのは、単なるデータや信号に過ぎない。生きる上で本当に大事なのは知恵の方だ。
どれだけ読書をしてもネットサーフィンをしても、身につくのは知識ばかりで、知恵は容易には身につかないだろう。
金言は知恵である。書籍から知恵を得ようとするなら、さらっと字面を眺めただけでは「知識」を得るばかりでダメなのである。
知識を知恵に転換するには、例えば読書後に、じっくりとその内容を考えると有効だろう。私がブログを書く目的の一つでもある。
だから、森ファン的な視点から読んでいる私のような読者ではなくて、本書に何らかの救いを本気で求めているような人は、「いってる事は分かるけど…」の「けど」を自重し、即効性のある処方の欲求を抑制し、ひたすら本書の内容を吟味するか、もしくは何度も何度も本書を読んだら良いと思う。
昔から読書百遍といわれる所以である。
閑話だが、個人的には100回読むというのは、比喩ではなく、実際的で有効な方法論だと思っている。
私は塾や家庭教師などの受験産業というものは不必要だと考えている。勉強に必要なのは、コツやテクニックではなく、愚直な鍛錬だ。例えば、教科書の内容が分からないという子がいたなら、副読本やドリルをやるより、教科書を真剣に100回読んだら良いと思う。ほとんどの子は、1,2回、せいぜい10回読んで分からない、と投げ出しているのであり、100回も読んだら多分分かる。もしも100回で分からなければ200回でも300回でも、分かるまで繰り返し読めば良い。WATERという言葉を知ったヘレン・ケラーのように、落雷に打たれたかのように「分かる」瞬間が、読み続けていれば必ず来る。そうやって自分で読んで自分で理解した事が知恵であり、知恵はなかなか忘れない。だから、子供への学習指導といったら、分かるまで何回でも繰り返し読みなさい、だけで十分だし、実はそれ以外にない、と考える。遠回りに見えて、結局はこの方が早くて確実なのである。受験産業がしているように、コツやテクニックといった知識を詰め込んで分かった気にさせる事は簡単だが、そんな「知識」は、テストが終わったら綺麗さっぱり無くなるだろう。少なくとも、成人後死ぬまで使える知恵にはならないだろうと思われる。
閑話休題。
本書はあくまで若者向けのプラグマティックな内容であるので範囲外だが、森さんの考える貨幣論などがあれば開陳してもらえるとファンとしては面白かったかな。まあ、そんなものには興味ないのでどうも思わないです、といわれそうだが。