読んだり観たり聴いたりしたもの -103ページ目

3DS 体験版まとめ

以前のエントリでも少しだけ話題にしたが、3DSの体験版が花盛りである。

これまでざっと18ソフトの計19本の体験版がDL可能となり、これらを一通り遊ぼうとするだけでもかなりの時間を要求される程だ。
体験版の起動回数制限の事は以前にも長所として挙げた。しかし、このカウントはソフトの起動と終了を1単位とするので、起動しっぱなしでスリープなどで維持すればかなり長い間遊ぶ事もできる。各ソフト毎の起動回数は下記に記載したが、普通に遊んだ程度ではどれも数回ずつしか消費していない。最も遊んでいるシアトリズムですらまだ20回以上残っている。一日一回起動としてもこれを消費しきるまでには相当な期間が掛かるし、もしそれほど遊び込み、その遊びに慣れた消費者は、いざその遊びを禁じられた時(つまり回数制限が来た時)には、そのソフトに対する募る思いは相当なものになるのではないだろうか?ビジネスのシステムとして大変秀逸だ。もちろん、1回遊んだらもう充分というソフトもたくさんある。しかし、そうしたソフトはそもそも購入予定になく、眼中にすら入ってなかったソフトであるので、機会損失という点では全く問題ないだろう。パイを拡げ、眼中になかったソフトが意外と面白い、という体験例(例えば自分の場合ならDOA)をこつこつ着実に稼ぐ方がメリットがあるはずである。

あと、体験版だけではないが、3DSのDLシステムで賞賛すべき点は、「あとから受信」である。DLしたいソフトを続けてどんどん選んでDL指定しておき、実際のDLはスリープ時にまとめてこつこつやってくれる機能である。体験版やムービーなどのまとめDLに威力を発揮する。PS3や360でも同様の機能はある。そしてPSPにはこの機能が無い、という点がPSPでの体験版DLの敷居を若干高くしているのは間違いない。

さて、本日付けまでの体験版を寸評と共にまとめてみた。ほぼ配信日順になっていると思う。

「モンスターハンター3G 体験版」(30回)
初心者と上級の2つの狩猟クエストが遊べる。初心者向けクエストを初見でクリアして満足。Wiiの3を思い出して、ああ、モンハンってこんな感じだったなと記憶がよみがえった。時間制限20分しかないし、そもそもデータの残らない体験版なのに、ついつい雑魚を倒して素材を剥いだり、ハチミツを集めたりしてしまい、染み着いた習性に、一体俺は何やってるんだろうと思った。うさぎの親玉みたいなターゲットモンスターは、意外と素早くて最初翻弄されたが、やっぱり避けまくって攻撃し続ければ別段なんて事はなく倒せる感じだ。Wiiモンハン3は、極度にプレイ時間が掛かり面倒くささの募る仕様にやむなく中断した訳であるが、3DSで妻と二人でやったらやっぱり面白いかも知れないな、とは感じた。最近メタルギアソリッド ピースウォーカー(MGSPW)をやり込んでcoopに馴染んでいたので余計そう感じたのだろう。
体験版ではもう一つ難しい上級クエも選べるが、まだプレイしていない。

「ぷよぷよ!! 体験版」(30回)
4つのモードを制限無く遊べるお得な作り。内容は、若干画面が小さいかなと思う以外は、操作もしやすい普通のぷよぷよである。意外と妻がハマってこつこつプレイしている様子。自分は数回プレイして感触を試した程度。

「花といきもの立体図鑑 体験版」(10回)
特定の一部の花や虫などのデータだけ見られる。
体験版をプレイして、そもそもこのソフトは、パッケージではなく、DL内蔵ソフトにすべきだと痛感した。
何かの拍子にふと図鑑を見たくなるが、そんなときに刺さっているのはマリカだったりするわけで、それを入れ替えて起動するのはやっぱり面倒である。将来的にDL版が出たら買いたいと思った。

「デッド オア アライブ ディメンションズ 体験版」(30回)
ストーリーモードの1話と、アーケードモードを4キャラ分だけ遊べる。
実はDOAシリーズはこれが初プレイである。で、全く何も期待してなかったのだが、プレイするとすごく面白い。何というか、技の出、とか、当たり判定とか、そうした格闘ゲームのアクション部分が気持ちよい。ほとんど格ゲーはしないので、久々にプレイして余計にそう感じたのかも知れない。あと、下画面に技表がインクリメンタルサーチで表示されるのがすごく便利。安く見かけたらぜひ買おうと思った。この体験版群の中で、最も購入意欲を増大させられたソフトはこれだろう。

「モデル☆おしゃれオーディション2 体験版」(30回)
自分でファッションをコーディネートして、ニコラの読者モデルに応募する、という所まで遊べる。
が、折角気合い入れて応募したのに、結果を教えてくれないのだ。あからさまに続きは製品版で!という作りがいかにもダイレクトで鼻につく。そりゃ無いよ、という気持ちで一杯だ。

「クレヨンしんちゃん 宇宙DEアチョー!? 友情のおバカラテ!! 体験版」(5回)
アニメ原作の横スクジャンプアクション。1ステージを遊べる。特になんて事は無く簡単にクリアできたので、それで終了した。多分、原作ファンでないと楽しさ半減なのだろう。

「クッキングママ4 体験版」(30回)
まさか世界的な大ヒットシリーズになるとは誰も予想してなかったよね。大阪のおもちゃショーのステージで、タイトーの営業さんがギャグを滑らせながら初代のWii版を必至にプレイしていたのを思い出した。で、遊んでみると、なるほど面白い。結構細かく作業させるので、結構料理をしている気になるし、ミニゲームとしても割合楽しめた。
体験版ではピザを作る事ができる。

「NEWラブプラス 体験版」(30回)
残念な事に、写真を撮るモードしかなく、今ひとつか。三人のカノジョを一通り撮影して終わり。

「シアトリズム 体験版」(30回)
「シアトリズム 体験版2」 (30回)
プレイ前から、紹介映像などで、注目していた。楽しそうだし、何よりFFの名曲が集結である。まず、売れない訳がないだろうと誰しも思うだろう。で、実際遊んでみると、すごく面白い。単にFFの曲だから思い出補正が掛かっているという訳ではなく、リズムゲームとしてちゃんと面白い。流れてくる音符をタイミング合わせてタッチする、という基本は良くあるパターンだが、このタッチした瞬間の反応がきちんと調整を積んで作ってあるので、プレイしていて反応がキビキビと分かり、気持ちよい。よくあるミニゲームなどで入っている程度のリズムゲームでは、大概、この部分がまともに作ってあったためしがない。あと、音符が左から右へ流れるのも、ちゃんと右利き用に作られており、分かっているなと思った。まあ、単にFFの伝統のバトル画面を模しただけかも知れないが。
体験版1に1曲、2に2曲入っている。
体験版2も合わせると、この体験版群の中ではもっともプレイ回数が多い。普通の譜面はすべてSランクフルチェーンクリアした。熟練はAキビシイ。究極は一つもクリアできてない。

「METAL GEAR SOLID SNAKE EATER 3D 体験版」(30回)
研究者救出の1ミッションを遊べる。
最近、PSPのMGSPWを妻とずっと遊んでいるので、このソフトも注目度大だ。3,4回プレイしたが、やはりPSPに比べると画質は段違いだ。また3Dで迫力もある。十字キーを押さなくても、壁に密着するだけで張り付いてくれるのは便利だ。
しかし、coop周りの情報がまだなにも出ていないので、やや心配である。

「リズム怪盗R 体験版」(30回)
フリーモードみたいな感じで4つのミッションを遊べる。評判良かったので期待してプレイしたが、その通り面白かった。ストーリーの付いたリズ天という感じなのだろうか。リズムゲームは結構簡単で楽しい。安く手には入ったら欲しいとは思うが、売れているみたいだし、値下がりは期待薄だろう。

「バイオハザード リベレーションズ 体験版」(30回)
スタートから序盤の区切りまで遊べる感じ。
ホラー謎解きバイオとして原点回帰した、限りなくナンバリングに近い作品らしい。プレイして、初代を思い出した。
音にこだわっているので、ヘッドホンでプレイしろと開発者が語っていたのを思い出して、ヘッドホンで2周目をプレイしてみたら、確かに全然違う。隣の部屋に何かがうごめいているのが分かると、怖くてドアを開けられない。

「エースコンバット3D クロスランブル 体験版」(3回)
チュートリアルっぽいオリジナルミッションを遊べる感じ。
Wiiのスカイクロラからのマニューバの系譜。楽しくない事はないが、ミサイル戦ではマニューバのありがたみも若干落ちるし、音速機のスケールでは、パイロットウイングスなどと違って、背景空間のスケールが大きくなり立体視の効果が出にくい感じだ。あと、エスコンの売りであるストーリー部分の情報が皆無だったのでそこは残念かも。

「ワンピース アンリミテッドクルーズ スペシャル 体験版」(30回)
アクションバトルを2種類プレイできるが、よく分からないままに終わり、と言う感じ。ワンピースも最新の方のキャラはあまり知らないのでイマイチ楽しめなかった。

「電波人間のRPG 体験版」(30回)
MGSPWにリクルートという機能がある。傭兵団の兵隊を雇うシステムだが、PSPのWifi機能で周囲のアクセスポイントを検索し、その電波強度に応じた強さと人数の兵隊がリクルートに応募する、という面白いシステムだ。一度リクルートに使用してしまったアクセスポイントは数日経過するまで再使用できないので、PSPをあちこち持ち歩いては、無線ルータがありそうな店などでさっと取り出してリクルートするのである。
それと同様のシステムと思われる。電波の強いところにいる電波人間をつかまえ、パーティを組んで、ダンジョンRPGを行うのである。特殊な能力を持っていたり、強い電波人間をゲットできると嬉しいし、そうした「当たり」を求めてふらふらと収集に歩き回ってしまうだろう。RPG部分はオーソドックスな作りか。DL800円ならコスパもいいし、ダンジョンRPGやハクスラが好きな人ならはまるかも。1ダンジョンのクリアまで遊べる。セーブデータは製品版に引き継げるらしい。

「熱血硬派くにおくんすぺしゃる 体験版」(30回)
ファミコンテイストのアクション。おっさんむけ思い出補正ゲームだろう。ミッション3つとバトルが遊べる。
面白くない訳ではないが、システムもきちんとオールドファッションなので、そう言うのが好きでもなければ別にわざわざプレイしようとは思わないだろう。とくにパッケージフルプライスならなおさらだ。

「善人シボウデス 体験版」(6回)
こちらもシステムは割合オールドファッションなADV。ある密室脱出シーンをクリアまで遊べる。難易度は普通程度か。アドベンチャーになれている人ならサクサククリアだろう。
まあまあ面白いが、定価で買ってまで、という程ではない。とくに全体的なボリュームが見えないと何とも判断できない。タラコの喋りが聞き取りにくい。

「nintendogs+cats 体験版」(10回)
3DS発売前に体験会で触って以来の犬。あのとき、異様に目が疲れたの思い出したが、やはり今でもこのソフトは何かしら目の負担が多いような気がする。犬の種類を3つから選んで10分ほど遊べる。時間切るのはちょっとせこいだろう。
確かにペットのグラフィクスは綺麗でもふもふで可愛いし、良くできていると思うが、ソフトウェアのペットを愛玩するのは自分には性格的に無理。それならまだ電波人間の方がよっぽど愛玩できると思う。

以上、メモ程度だが印象を書いておいた。良い時代になったものである。
そのうちPSPの体験版についても書こうと思う。

鋼鉄の華っ柱 4巻/西森博之

並高での学園生活にも慣れ、家来もとい仲間もできた真道。
公園問題が火種となって特松との軋轢が拡大。
そこへ出てきた特松のリーダー格は、かつて上流階級の中央にいた真道を片隅から妬んでいた大河だった。
真道の忠告を無視して公園に出張った品川は、大河の手下にこてんぱんにされ、生徒手帳を取り上げられてしまう。
相談してもすげない真道には頼らず、自力で何とかしようとする品川達。
だが、大河の手下は強い。もうダメだと思った時、助けに現れたのは、お面を被った真道だった。「俺は決して仲間を見捨てない」。この登場シーンを印象づけるべくわざと助力を断る計算鬼の面目躍如だろう。
しかし、真道の計算はもっと先へゆく。
早苗から大河に高校生活を抹消された先輩の話を聞き、彼に会いに行って事の詳細を得た真道は、なにやら策略を仕込んでそうな気配だが…。

今巻も期待に違わぬ面白さで、特に最後の引きは気になる。

時折見せる、真道の非情な眼差しは何に向けられているのか。決して感情では動かない人間の、その計算の行方は。
それとは裏腹に、つまらんギャップに笑いをかみ殺せない、そしてそれを深く悔いるというキャラとしての幅も完璧だ。
西森博之
鋼鉄の華っ柱 4巻

スラムダンク 17巻/井上雄彦

海南と陵南。白熱の一戦に決着が付く。

退場を食らった魚住に代わり、チームを引っ張る仙道。互角の戦いを続けながら、しかし、チーム力としてすでに陵南はその限界を迎えていた事を悟った仙道は、2点差を追う後半のこり5秒で賭に出る。
ダンク狙いのオフェンスに、わざと牧を追いつかせ、ファウルを取って、なおかつシュートを決め、ワンスローを決めて1点差で勝つ。これが仙道の描いたシナリオだ。
ここで決めねば、チーム力の残っていない陵南に延長でかつ術はない。
しかし、王者牧は、ブロックに飛んだ瞬間これを見抜き、シュートを打たせて延長へ持ち込む。
凄まじいレベルでの攻防である。

一方、湘北サイドでは、事件が発生していた。安西先生が倒れたのである。命に別状はないものの、リーグ2位を決める陵南戦は、知将の采配を欠いて戦わなくてはならないというハンデを背負い込んだ湘北。
死ぬほどやり込んだシュート練習の成果を華麗に披露した桜木は、全国への切符を手に出来るのか?

次巻、多分、流川あたりに動きがありそうな予感。
陵南戦の続きに、期待大である。


井上雄彦
スラムダンク 17巻

ピアノの森 2巻/一色まこと

という事で、小首をかしげながら2巻も読んでみた。

うん、趣味じゃない。
物語的にも、絵的にも、漫画的にも、全く好みに合わないという事がはっきり分かった。

特に致命的だったのが、テンポ。コマ割と流れ、そして描かれる人物の心情が、自分の感覚とは半拍ずれて生理的に合わない。
スローなストーリー展開も、引っ張りすぎと感じてイライラしてしまう。まだここで興味が持てたなら良かったのだが。

という事で、このマンガとは、これでお別れだ。
マンガ賞受賞作品でも、趣味に合わなければどうしようもない。残念。


一色まこと
ピアノの森 2巻

サムライカアサン 4巻/板羽皆

いよいよたけしも高校の卒業式という事で、よい子の18年分の回想は圧巻。
そして、突然現れるこずえを捨てた母。6年分の想いは出口を求めて濁流と化す。
こずえはよい子をメンターのように慕っていたが、やはりそこには自分の母の面影を重ねていた部分もあったろう。
そんなにすぐにはスッキリ丸く収まるものでないのは当然である。それでも、母にぶつかり、母を許せるかも知れないという予感。少なくとも母と自分の関係を認められた、という手応えは、たしかに大きな壁を越えたものだろう。

ミッチョンとちらし寿司の話は、涙腺緩んでしみじみ暖まる。
一人に伝える大切さ。伝わるうれしさ。良い話である。

次巻、いよいよたけしは巣立ってゆく。よい子は子離れできるのか?

板羽皆
サムライカアサン 4巻

ごくせん 7巻/森本梢子

修学旅行編の後編でスタート。

教師達を出し抜いて夜遊びに出かけたは良いが、案の定行方不明になるうっちー。やむを得ず慎はヤンクミに報告。一人盛り上がって頓珍漢に探索しまくるヤンクミが割と笑いを取っていた。

修学旅行から帰ってみると、本業(?)でも大事件が。急逝した狸腹の跡目問題につけこむ猫股の暗躍。黒田を抑えるためにと、先走った若い衆が沖縄で風邪を引いてヘロヘロのヤンクミを誘拐してしまう。
これを知った慎は以前の借りをかえさんとばかりに救出に向かう。
満身創痍で助け出したヤンクミは、そうとも知らず、寝言で篠原先生を呼ぶ。慎の傷心が切ない。

そうこうしていると、珍しい時期に新任教師がやってくる。若いダメ教師にみえるが、その実、理事長がヤンクミ対策に送り込んだ刺客であった。
ヤンクミへの想いをうっかり仲間に漏らしてしまった慎。そしてそれをかぎつける刺客。
次巻波乱は必至だろう。

今巻は、意外と笑えるところがあって(初めてかも)、悔しいが、結構良かった。


森本梢子
ごくせん 7巻

スラムダンク 16巻/井上雄彦

懸命にシュートの練習をする花道。だか、これまでの地道な基礎練習ばかりの彼には、シュートの練習は楽しかった、という行にはじんわりときた。
練習しすぎで寝坊した武里戦は花道なしであっさりと勝利を収め、巻の後半では、陵南と海南の白熱の戦いが幕を上げる。
新キャラ陵南のフクちゃん登場により展開は混迷の極みへ。
どちらが勝ってもおかしくはない。決勝リーグは全く目が離せない。
次巻も期待大である。




井上雄彦
スラムダンク 16巻

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録/市橋達也

2007年、英会話講師だったイギリス人女性が殺害・死体遺棄された事件で容疑者となり、その後警察の包囲と捜索を振り切り、3年近く逃亡していた容疑者の手記である。表紙、挿絵も著者による。

通報が決め手となり、2009年11月、逃亡から2年7ヶ月後に著者は逮捕された。2011年7月に無期懲役の判決を受け、現在上告中である。本書は2011年1月が初版となっているが、いつ頃、どのような形で文章を書き、出版に至ったかは書かれていない。

本書には色々と物議を醸すポイントがある。
まず、当時まだ公判中であった重大事件の容疑者が、嫌疑のある事件に関しての記録的書籍を出版するという点である。
世論の操作や、判決の誘導、そして被害者感情への配慮不足など、批判の声は大きいが、私は、容疑者であれ受刑者であれ、書籍を出す事は何ら問題ないと考えるし、むしろそうした特異的な立場の人物の考えや感情を公にする事は、人間理解にとって非常に有用であると思う。
被害者側への配慮という点では、どのような書籍であれ不当に他人の名誉を毀損してはいけないという点でとくに異なるものではなく、同列に扱えばよいと思われる。

冒頭にある、本書出版の目的が、「自分が犯した罪の懺悔のひとつとして、それを記したい」とある。本文中には、被害者を「死なせてしまった」という表現も出てくる(しかし決して「殺してしまった」という表現は出てこない)。贖罪と悔恨の気持ちが強いようである。しかし、その割りには、本書は逃亡した空白期間の記録に留まり、事件そのものに関する記述は、ほぼ皆無である。どのような経緯でどのように犯行に及んだか、という情報が全くないので、その辺りに期待していた向きは大幅な肩すかしを食らうだろう(副題を良く読めという事もあるが)。そして、全てをつまびらかにしない、そうした態度がはたして本心からの贖罪にあたると言えるのか、という批判がある。

そもそも、本当に本人が真実を書いたのか、という疑念がある。
内容が真実かどうかについては、全て真実から、全くのデタラメまで幅広い可能性がある。事象は真実を書いたけれど心情は美化して書いたとか、裁判などに都合の悪い事実は敢えて書かなかった、などいろんな可能性がある。また本人が書いたのではなく、断片的なメモからゴーストライターが起こした可能性もある。

一読して、私は、これは本人が事実と実際の心情の記憶を綴ったものであると感じた。
ただし、前エントリで「錯覚の科学」に学んだように、人の記憶というものは当てにならない。本人が、当時はこういう事がありこう思った、と本心から思っていても、自分で作り上げた架空の記憶である、という可能性も大いにあるのだ。逃避行というのは肉体的にも精神的に相当なストレスが掛かるものだと思われる。そのような状況下では、記憶の改変が過度に進む可能性は大いにあると思われる。
ある程度は被害者側を意識しての事か、また世間的なバッシングを回避するためか、模範的な表現に留まり、心情深くにあるむき出しの感情は述べられていないと思う。例えば、自分をこんな惨めな状況に追い込んだ被害者への恨みなどは、当然湧き出るはずである。何であれぐらいで簡単に死んでしまうんだ、あいつにさえ出会わなければ俺は罪を犯さずに済んで、今こんな目に遭う事もなかったのに、という酷く自己中心的な感情は、人間であれば誰しもちらっとも考えないという事はないだろう。だが、そうした記述はない。これは著者がそうした感情を持たない希な人物か、そうした感情を持った記憶は改変で抹消されたか、敢えて表現しなかったかのどれかであろう。
逃走当初の記述は、しばしば記憶が飛んでいる。状況の異常性からはもちろん、3年弱という期間は記憶が脱落しても改変しても不思議はない。逃走直後に山中で見た幻覚らしき映像の記述などは非常に興味深いものだ。
だから、忘却もあり改変もあり、また意図としても当然すべてを包み隠さず表現しきったものでは無いのだろうが、それでも見せられる限りを素直に書いた、という印象は受けた。

日本列島北から南、青森から沖縄までの逃避は大変興味深い旅となっている。
特に印象深いのは、逃走半年後あたりで四国でお遍路をするあたり。不安定で追いつめられた精神状態ゆえか、お遍路巡礼を思い立つのだ。お遍路を何十周も行えば、死んでしまった被害者が生き返るかもしれない。そんな強迫観念に駆られての行動である。変わってしまった運命を元に戻したい一念であろう。このあたりの心情はとても理解できる。
次に感銘を受けたのが、沖縄での無人島ライフである。魚を捕り、野菜を育て、植物を採集し、毎日食べ物の事だけを考えながら孤独に日々を費やす様は、異様な迫力と生命力を漂わせ、インパクト十分である。
著者は大学で造園都市設計などを選考したらしく、植物にはかなり詳しい知識を見せる。

マスメディアの間違った報道に憤るメンタリティが特異的だった。掴まってさらし者だけにはなりたくない、という一念でこの逃避行を為し得た、そのプライドの高さである。

もちろん文学と呼べるほどのものではないが、あちこちに漂う詩情や、特殊な境遇が生み出す、他では見られないような独特の行動や心理描写はオリジナリティが高く、一遍の人間描写として読んで損はない。
小説としても読めるし、逃亡犯の行動と心理として犯罪研究にも役立つだろう。
実際、逃避行を描いた作品をものしようとする者は、最低このレベルの迫真性をクリアしなければならないという点で決して無視できない書籍になるだろう。

警察の包囲をすり抜けたところから書き始め、捕まるまでを描いた構成も必要十分である。殺人事件そのものは、取るに足りない普通の類型犯罪に過ぎないと思うので、そんな所を長々と書かれてもあまり興味が持てないだろう。

さて、この事件、そしてこの書籍に興味を持ったのは、著者が最後に捕まったフェリーターミナルは我が家の近所である、という要因が大きい。自分の身の回りで起こった事件は気になるものだ。
そして、南港の住民として一言著者に言いたい事がある。

まず、ニュートラムの事を何度もモノレールと書いているが、正確にはニュートラムはモノレールではなく、連結されたバスに似た車両が空気タイヤで専用路を走る、新交通システムと呼ばれるものである。しかし、これはまあどうでも良い。
そして、これが重要な点だが、著者は咲洲南港地区の地理について理解が及んでいないと思われる。逃走初期に一旦この地を訪れた著者は、南港のATCあたりから市中心部へ行こうとして、徒歩では通れない自動車専用の海底トンネルに阻まれ、「海に囲まれた陸の孤島」というおかしな表現をしている。陸の孤島は海に囲まれる事はないので、多分、海の孤島、という事が言いたかったのだと思うが、それは間違っている。確かに北の海底トンネルは自動車と鉄道専用であるし、北東の阪神高速も当然車両専用だ。しかし、南東の南港大橋を通れば歩いて市中心部へ移動する事は可能である。
逮捕直前最後のシーンでも、「逃げても、ここは陸の孤島だから、警察の人海戦術ならじきに囲まれる」との表現で、南港地区からは歩いては出られないという前提で逃亡を諦めているのだが、上記の理由でそれは間違っているし、そもそも著者が待機していたフェリーターミナルは、咲洲ですらない。咲洲から件の南港大橋を渡ってすでに大阪本土側へ渡った先なのである。当然市中心部とは全面陸続きなので、逃亡はある程度容易だったものと思われる。
もちろん著者が逃亡を諦めた理由が、地理的条件だけではないという事は、本書を読めばよく分かるが、もし上記のような地域の地理情報を持っていたらどうしただろうか、というのは興味深い妄想である。


市橋達也
逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録

錯覚の科学/クリストファー・チャブリス,ダニエル・シモンズ,木村博江

大変楽しめた本。

最初は、エッシャーの絵などに代表される錯視がテーマなのだと思っていたが、開いてみてそうではない事が分かった。
認知心理学的な人間の機能の限界を示すのが狙いである。その意味では、錯覚という表現は若干違和感があり、ダイレクトに、認知の限界や、思いこみの科学、などが合っているのではと思った。

本書のリードテーマでかつ最も面白いのが、第一章、注意力の錯覚、である。ここでベースになっている実験はイグノーベル賞を受賞して話題になったので知っている人も多いだろう。この実験では、バスケの試合のビデオを被験者に見せて、一方のチームのパスの回数を数えてもらう。実験者が作成したビデオには仕掛けがあって、試合中、何と突然コートにゴリラの着ぐるみが飛び出し、10秒近くに渡って画面に登場し続けるのだ。被験者はさぞびっくりする事だと思うだろう。しかし、実験後、「そう言えば実験中、何かおかしなものを見ませんでしたか?」と尋ねられた被験者は、その約半数が、「別におかしなものは何も見ていない」と答えたのだ。半数の人は、コートで踊るゴリラが見えていなかったのである。
分かりにくい映像だから、ではない。実際、その後、おかしな点に注意するように言われてビデオを見直すと、こんなはっきりしたゴリラが見えていなかったという事に、見落とした実験者は皆驚愕する。中には、これに気づかないなんて事は絶対にあり得ないから、最初に見たビデオには絶対にゴリラは映っていなかったと言いはって譲らない人物もいたらしい。

人間の注意力の総量には限界がある、というのが著者の主張である。
限りある注意力を上手く活用できるよう、人間は進化してきた。つまり、詳細に知覚できるものが実際には自分の回りの世界のほんの一部であっても、その他の部分は、経験や記憶などで高性能な脳が自動的に補ってしまう。全体に向ける注意力が無くても、脳は世界のパターンを予測し、次にどこに注意を向ければよい か判断する。
つまり、予期しない物事には、そもそも注意がいかないのである。

このため、何かに集中して注意力を振り向けると、その他の事には注意がいかなくなって見落としてしまう。そして重要なのは、人には、この「見落としている」という感覚が希薄な点である。見落としたものは、見落としているが故に、それが直接影響してくるまでは、見落としている事すら気づかないのだ。

これが携帯電話しながらの車両運転が危険な理由である。
車両の運転のような日常的な行為は慣れているため、特に意識せずとも実行できる。誰だって、慣れていれば半分寝ていても運転できるだろう。いつものパターン通りの対応であれば、特別な注意などは必要としないのだ。
しかし、イレギュラーが発生した場合は異なる。そこへ振り向ける注意力が残っていなければ、人はそれをいとも簡単に見落としてしまうのだ。事故を回避するには、コンマ何秒での初動対応が重要なのは明らかだ。一般に自動車の衝突事故では、衝突時の相対速度は時速15km前後といわれている。意外に遅く思うだろう。ブレーキをかけるからである。そして、それでも大層な事故になるのである。もし、見落として初動が遅れ、時速60kmのノーブレーキで衝突した場合の威力は想像できるだろうか。物理学の教えるところによれば、衝突エネルギーは速度の二乗に比例する。速度が4倍になると、その衝撃エネルギーは16倍になるのである。

携帯電話で喋ったりメールを見たりしながらでも、通常の運転は全く問題なくこなせる。回りは全て見えていて、状況は十分把握しており、適切に運転できていると思い、疑いもしない。
しかしそれは錯覚なのだ。
携帯電話しながら運転してなおかつ事故に遭っていない人がいるとすれば、それはロシアンルーレットを外し続けるような強運に守られたのと、もう一つは、事故るハズだった「相手」が避けてくれていたからである。もちろん低下した注意力では、そんなことがあったことすら気づかないであろう。
携帯電話をしながら運転しても危ないと感じないのは、あわや危ないという事態すら、人は見落としてしまうからである。見落としたものに気づく方法はないのである。

ゴリラの実験は著名となり、世界中で類似の追試が多数行われている。だから見落とすという結果は事実であり、実験の手法などによる誤差や間違いではない。応用として行われた研究によると、面白い事に、
・ゴリラを赤くしたり派手にしても、見落とす人はそれほど減らない。
・パスを種類毎に数えるなど難しい作業を行わせると、見落とす率が上がる。
・見落としは、知能や性格、その他個人の資質には関係がない。
・パスの回数の正解率と、見落とす率は関係がない。
・見落としやすい人・見落としにくい人、というタイプはない。どんな人でも見落とす時は見落とす。
・唯一ゴリラに気づく割合が高かったのが、バスケの上級者たちである。
・しかし、ハンドボールの上級者は、一般人と同じ程度に見落とす。
・注意力を必要とする仕事のプロであっても、見落とす人は多い。

「赤いゴリラ」を使った大学生に対する実験では約3割がゴリラを見落としたのに対し、携帯電話で会話しながら作業させたグループでは、何と9割が見落としたという。携帯電話が人の注意力を奪う威力は凄まじいものだ。

このように、携帯電話で運転が危険になるのは、注意力の減少が理由であって、片手操作などではない。だから、ハンズフリーセットを用いても、まったく危険性が減らない事が分かっている。
一方で、助手席など同乗者との会話は、注意力の減少をほとんど起こさない事も分かっている。これは、同乗者は運転者の状況を説明せずとも分かるため、電話の向こうの相手と違って配慮が減るためだろうと著者は判じている(例えば突然黙りこくって返事が遅れても、ああ、交差点で集中しているな、と分かってくれる)。

このように、人間の注意力にはかなり制限のきつい限界があり、なおかつ脳が作り出す錯覚のために、それにまったく気づかず生活しているんだ、という驚愕の事実は万人が知るべきであろう。そして、運転はもちろん、社会での行為や施策に反映されるべきである。

特に運転は急務だ。
飲酒運転で事故を起こしたら過失ではなく犯罪と見なされるようになった昨今であるが、この本を読んで、そして注意力の限界を知ってなお、携帯電話しながら車両の運転をする事も、飲酒運転と同程度の「犯罪」として啓蒙し、そして取り締まる必要がある。もちろん、テレビ・読書など携帯電話と同じぐらい注意力を奪う行為も同様である。
これまでしつこく車両と書いてきた事に注意して欲しい。危険なのは自動車だけではない。自転車も同じように危険なのである。むしろ意識が薄い分、自転車の方が危険であるとさえ言える。

さてこの本には、注意の錯覚のように、このような人間が錯覚しやすい能力の限界が6章に6つ紹介されている。各章は完全に独立してはおらず、他の章の話題が常に混ざり合う構成となっている。他の錯覚もざっと紹介すると、

2章 記憶の錯覚
人間の記憶の曖昧さ変わりやすさについて。この章も非常に面白い。人間の記憶など全く当てにならないという事がよく分かる。人間は決して写真のように事実を記憶する事はない。ここで紹介されるものは、事件を目撃したカップルの通報が、事件のすぐ後であっても、全くバラバラである例や、911などショッキングな出来事のあった日の事は良く憶えているものだが、実はその記憶はかなり改変されているという例などである。
人の記憶は、憶えた瞬間にすでに変質しており、そして時間の経過と共にさらに変化してゆくのだ。
こんな実験が面白かった。2つに分けたグループに人の顔を覚えてもらう実験をした。人物の顔写真を短時間見せた後、数分間全く別の作業をさせ、その後、最初見た写真の人物を多数の写真の中から選んでもらう実験である。次に、もう一方のグループでは、写真を見た後の数分間に、その写真を思い出しながら特徴を紙に書き出してもらう作業をしてもらった。すると、驚く事に、正解率が下がったのである。特徴を拾い出して文章化する事で、強い抽象化イメージを生み出し、それが元の記憶した顔写真のイメージを改変してしまったのである。

3章 自信の錯覚
人間は理由もなく自分に自信を持ちやすい、という性質について。
チェスのレーティングは有名だが、この厳格な実力反映のランキングシステムに慣れているにもかかわらず、多くのチェスプレイヤーは、レーティングは自分の本当の実力より少し低く出る、と思っているというのだ。しかも、下手な人ほどそう考えるようで、上級者になるに連れこの割合は下がるというのが興味深い。同様に、ユーモアのセンスを調べた実験では、ユーモアのセンスが低かった(プロのコメディアンと乖離のあった)下位25%の被験者は、全て自分は平均以上のユーモアセンスがあると回答していた。
このように、人には自分の実力を過大に見積もる傾向がある。
この原因には、他の錯覚も関与しているだろう。記憶や注意力など、本当は人間は不正確で見落としばかりしているのだが、それは照らし合わせてチェックしない限り気づかない。見落としを見落とす見落とし、と表現されている。ゆえに、自分の起こしそうだったミスに気づかなければ、その能力を高く見積もってしまう事は、とくにビギナーにはありがちな事となる。

4章 知識の錯覚
これも3章とよく似ているが、日頃見慣れているものは、よく知っている理解していると勘違いしやすいという錯覚である。毎日のように携帯電話を使っていると、ケータイの事なら肌の一部のようによく知っていると思うだろうが、携帯電話の動作の仕組みを説明できる人は多分0.1%もいないだろう。ぐっと敷居を下げて、自転車の原理を説明できる人を捜しても、そう多くは見つからないだろうというのが著者の主張である。使える事と理解している事は違う。
ここでも面白い実験があった。簡単に言うと株取引についての実験である。被験者には架空の金融市場で25年間の資産運用を行わせる。株はABの2種類があり、売買を行って好きな比率で保有できる。全額Aを買っても良いし、半分ずつ持っても良い。そして、この相場の情報と売買を行うタイミングを、月に一度、年に一度、5年に一度、の3つグループに分けるのだ。情報を受け取って投資配分を変えるチャンスは、5年に一度のグループでは全期間中5回、月に一度では300回ある訳だ。ではどのグループが最も利益を上げただろうか?実験終了時に、5年に一度のグループは、月に一度のグループの倍の利益を上げた。
長期的に見て株は値上がりするというのは経済学の常識である。しかし短期で見れば株の値動きは激しい。毎月情報をもらう被験者は、この短期の情報に惑わされ損失取引を繰り返したのだ。
情報は知識ではない、という事がよく分かる。情報が多いと、その物事を良く理解していると錯覚してしまうのだ。

5章 原因の錯覚
これは人の脳が自動的に因果関係を捉えてしまう性質からもたらされる錯覚である。人は、続けて、または同時に起こった2つの出来事からパターンを抽出し関連して記憶してしまう。
例えば、体調不良が発生した時、人はその直前に食べたものに原因を求める事がある。特に変わったものを食べた場合などにはそれが顕著になる。明らかにこの機能は、進化の過程で重要な働きをもたらしただろう。
しばしば、雨が降ると関節炎が痛む、という事が言われる。雨が原因となって、痛み、という結果をもたらしたと判断する訳である。しかし、医学的な実験では、雨と関節炎の痛みには何ら関係がない事が分かっている。思いこみなのである。陰湿な雨の情景と、痛む手足の感覚が結びついて記憶されやすい、という事だと思われる。これは無関係な事例から関係のパターンを見いだしてしまう錯覚である。
そして、因果関係がないのにあると思いこむ錯覚の例としては、はしかのワクチンと自閉症の発症を取り上げている。2歳前後で受けるはしかのワクチンと、ちょうどその時期に発祥の症状が目立ちやすい自閉症は関連があると思われ、ワクチン拒否は世界的に広がり、はしかの拡大を招いた。ワクチンと自閉症の原因であるという調査結果は一つもない。しかし、人は無味乾燥な統計データより、友人や著名人などの、具体的な体験談から強い影響を受けるのだという。ワクチンの例では、著名な女優が子供の自閉症をワクチンに原因があるとして(それが良い事であると思って)大々的な啓蒙活動を行ったのである。
心理学の教科書には、アイスクリームの消費量が増えると水難事故の発生率が上昇する理由を考えろ、という課題があるようだ。もちろん、誰でもアイスが人を溺れさせると考えはしないだろう。これは気温の上昇に伴って共に増える事象である。つまり相関関係はあっても因果関係はない。そして、相関関係があるものに本当に因果関係があるかどうかは、実験をする以外に判別する方法はないのだ。上記の例なら、実験者を集め、一方にはアイスを与え、水難事故を起こすかどうか追跡調査するのである。
容易に分かるように、特に医学系の事象であれば、こうした実験が倫理的理由などで簡単には出来ない事も多い。もし、何か怪しげな原因説を見た場合には、「どうやって実験したか」を想像する事が、本当に因果関係があるのか、それとも相関があるだけなのかを見分けるコツだと著者は言う。これは非常に有用な手法だと思うので、憶えておいて損はないだろう。

6章 可能性の錯覚
この章では、人にはまだ開発されてない認知能力の膨大な貯蔵庫が眠っていると思いこみやすい、という話題に触れる。モーツアルトを聞くと天才になる、人は脳の10%しか使っていない、サブリミナル効果など、広く信じられている間違った錯覚を切り倒す。この章はこれまでの総合という趣で、ややピントが合ってない感じだ。
人間の脳は鍛えられる。しかし、鍛えられるのは、鍛えようと訓練した行為自体である、という視点が新鮮だ。つまり、脳トレで鍛えられるのは、総合的な脳の機能ではなく、脳トレで取り組んだゲーム自体をクリアする能力である、という事だ。このあたりは能力というものをどう捉えるか、という点が曖昧なままでは議論が難しい点ではある。
もっとも興味深いのは、脳トレより有酸素運動の方が脳を生理学的に若く保ち、認知能力を向上させるという実験結果であった。

何より驚くのは、サイエンスライターではなく、本職の研究者が、これほど分かり易くユーモアたっぷりに研究を紹介している事である。
本当に読みやすく楽しく、内容も豊かな本である。


クリストファー・チャブリス,ダニエル・シモンズ,木村 博江
錯覚の科学

花より男子 7巻/神尾葉子

花沢類を選んだつくし。しかし、その代償は大きかった。
何より、今になって気づく道明寺の誠意、そしてそれを如何にして自分が踏みにじったかという思いに、深く深く打ちのめされる。
類を選びながら、折に触れ道明寺が頭から離れない。
道明寺の姉も登場して、混乱に拍車を掛けたと思ったら、類のF4追放と土地成金のF4加入と急展開。
ついには、つくしと類の学園追放宣言まで飛び出し、事態はいよいよ天王山へ。

道明寺が不憫でならない。つくしは最後は道明寺に戻るのだろうか?戻るというのも変だが。
なんか、こうしてずるずると普通の三角関係話になってしまうとするなら残念だ。
次巻、もう一ひねりの展開を期待。

神尾葉子
花より男子 7巻