歴史的な大事件に関する謎として、よく本能寺の変が挙げられていまして、本能寺の変の真相について、色々な説が考えられていますし、それについての本もたくさん出版されていて、テレビ番組でも度々取り上げられていますね。
けれども、私はなぜか本能寺の変の真相についてはそれほど知りたいとは思わなくて、どちらかというと坂本龍馬を暗殺した犯人が誰なのか?ということの方が気になります。
吉野奏美さんの
で、坂本龍馬の墓で龍馬本人の霊について直接尋ねていますが、どうやら龍馬が知っている人物らしいと思われます。
先日、NHKの「歴史探偵」の徳川慶喜公の回を見ていてふと、坂本龍馬暗殺事件の主犯は、大政奉還の背景に龍馬が動いていたことが気に入らない人物、徳川家を完全に潰したい人物じゃないか?と感じました。
これは、小学生時代に坂本龍馬について知った時からなんとなく感じていたことなのですが。
幕府、特に徳川慶喜に対して強硬姿勢だった薩摩藩が黒幕ではないかと思っていましたし、実際、龍馬ファンの間でも薩摩藩黒幕説は結構有力ですね。
けれども、今年の大河ドラマの「青天を衝け」や先日の「歴史探偵」を見ていて、その薩摩藩の背後にいたイギリスの思惑、登場駐日英国公使を務めていたパークスの指示だった可能性が高そうだと感じました。
本能寺の変についての推論の一つに、イエズス会黒幕説がありますが、戦国時代のイエズス会というかスペイン&ポルトガルと、幕末のイギリスの意図が全く同じだったことを考えると、イエズス会が信長の暗殺を仕組んだのと同じように、イギリスも坂本龍馬の暗殺を指示したんじゃないのかな、と思いました。
特に龍馬の場合、イギリス商人のグラバーから援助を受けていて、薩長同盟の仲介に動いていた頃はイギリスの意図を受けて活動していたと言われるだけに、徳川家存続に協力した龍馬を裏切り者と見なしたような感じがします。
龍馬にしてみれば、日本を平和的に開国させて民主主義の社会を実現させることを目的として動いていたので、武力で徳川家を再起不能に追いやることよりも、慶喜公自ら政権を朝廷に返上して幕府を解体する方向に動かす方が、日本の国、それからすべての日本人にとってベストな道であると考え、その通りに動いた訳でして。
むしろ、戦争に持ち込んで江戸をはじめ東日本を戦火に巻き込んでしまおうとする薩長の方に嫌悪感を覚えます。
戦争を回避しようと動いていた慶喜公に対して、薩長は王政復古の大号令や鳥羽伏見の戦いで追い詰めた挙げ句に、江戸城の無血開城には応じましたが、戊辰戦争で更に会津藩や長岡藩、仙台藩、米沢藩等の人々を官軍の名の元に虐殺しました。
薩長同盟成立から戊辰戦争までの過程をじっくり考察してみると、1921年のワシントン軍縮会議から日米開戦に至るまでの過程にそっくりなのです。
私がアメンバー限定記事で、戦国時代の自分の前世に関わるある事件について色々と検証していますが、その事件によく似た事件がありまして、よく考えてみたら両者の黒幕が同一人物だった!!Σ( ̄□ ̄;)ということがあったのですが、薩長が幕府を追い詰めた過程と日本政府が欧米に対して戦争をせざるを得ない状況に追いやられた過程が同じなのは、それと同様に、両方とも英米の思惑によるものだから、ということなんでしょうね。
前回の記事で、マスメディアの影響を受けなくなってきた若者を中心に、日本的な文化の価値を見直すというムーブメントが盛んになってきていることについて書きましたが。
ペリーが来航して、幕府に強引に開国させて以来、欧米の文明・文化を礼賛する風潮が主流になっていましたが、インターネットの登場、普及によって、日本人が本来の自分達の文化の価値を再認識する、平安時代の遣唐使廃止と同様の変革が起こっているんだと、改めて認識させられました。