日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -332ページ目

目の前にあった、幸せ

全てを許し、全てを信じ、全てを愛しなさい。

そんなようなことを初老の牧師が言っていた。



結婚式である。



俺は、すべてをゆるせるのか。

いや、許されたいと、願っているのかもしれない。

そして、まだ未来を信じている。

愛されないまま。





披露宴が始まり、音楽とともに新郎新婦が入場する。

バックストリートボーイズ、だった。

普通の披露宴。

目の前に、広がるしあわせ。

俺が、心から望んでいるものがそこにあった。

みていたくない。

飲めるだけ飲んで、酔い潰れたい。


酔い潰れはしなかった。


いくら飲んでも、酔えないのだった。




花束贈呈。

新婦の読み上げる手紙。

泣いている母親。

ふと、親父とおふくろのことを思った。

親父たちは、今の俺をみて、どう思っただろうか。



お袋は泣いただろう。

親父は、黙って俺の話を聞いてくれただろう。




自嘲していた。




俺が結婚したときは、ふたりともこの世にはいなかった。



家に帰り、娘を抱き上げた。


「うつるから、抱かないでよ」


俺の体は、心配していないらしい。



俺は、妻にさえ気にかけられない男だ。



親父とおふくろに、会って話がしたい。

娘を、遠巻きに見つめながら、そう思った。

病院

咳が出て熱もあった。

帰ったら病院へ行こう。

具合が悪かったら、すぐに病院へいって。

妻にそう言われていたのだった。

家に着いた。


「病院に行って来る」


返事はない。


了解という意味なのだろう。

待ち合い室は、すでに人で一杯になっていた。

電話予約の出来る病院。

俺の番は、当分回って来ないかもしれない。

一時間半、待った。



まだ名前は呼ばれない。



まるで、時が俺の周りだけ、遅くなっているような感覚だった。

このまま何時間でも待っていられる、と思った。



携帯が鳴った。


「いったいいつまでかかるの?8時から仕事なんだけど」


時計を見る。


もう7時30分だった。


「わかった。今すぐ帰るよ。」

「いいから、診てもらってきなよ。」



携帯が切れた。


それから15分後、名前が呼ばれた。




飛んで帰った。

「なんで私ばかり、忙しくしてなきゃならないの!」

「ホント頭にくる。もう、仕事やめるから。」


いきなりだった。

返す言葉は、なかった。


娘が奇声を上げ、足に抱きついて来る。

娘の顔が、一瞬ぼやけた。

それは一瞬で、冷たいものが、頬をつたうことはなかった。


「もう寝るから」

「ちゃんと歯磨きさせて」

反論する気力もなく、ただ、押し黙るだけ。



娘を抱いて、廊下を歩いた。


廊下には、ホワイトデーに贈ったお菓子が、封も切らずに投げ出されていた。

何でもない、しあわせ。

娘は大の字で、床の上に寝てしまった。


そっと布団をかけてあげる。

朝食を摂ってすぐに、倒れる様に寝てしまったのである。



汚れた食器を洗い、ソファーに体を沈ませた。



日差しが暖かい。

木漏れ日が、俺の手のひらに、奇妙な模様を写し出している。


ぼんやりと窓の方へ目をやっていた。

空は、蒼くどこまでも澄んでいるように思えた。



突然視界の中を、何かが過った。


雀だった。


盛んに首を動かし、刹那こちらを見て、どこかへ飛んでいった。


今日は良い一日になりそうだ。




娘の寝顔

時々やって来る雀。



なんでもないことに幸せを感じる。


まどろんでいた。



妻の声で、目覚めた。




「自分の洗濯物は、自分で洗って」


俺は、ああとだけ答えて、また窓の外に目を向けた。