謎のピアノマン
ずぶ濡れの青年が、保護された。
何もしゃべらないらしい。
筆談のために用意された紙に、ピアノの絵を書いた。
実際に弾いてみると、プロ級の腕前らしい。
度々報道される、その美青年のおびえたような表情。
出来過ぎた話ではある。
まるで、映画のようだ。
穿った見方をすれば、ピアニストとして売り出すための自作自演とも思えなくもない。
いずれにしても、俺はこの事件に夢中なのであった。
なんと、映画化の話も出ているらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050518-00000517-yom-int
順位
全力で、走り回っている。
俺が捕まえようとすると、面白がって逃げる。
追いかけるのをやめると、近づいてくる。
捕まえようとして、庭を走り回っていた。
年寄りなのに、やるじゃないか。
老犬である。
どうやら、遊ばれているのは俺のほうらしい。
餌で釣って、捕まえる。
首の皮を掴んだ。
引っ張ると、意外なほど伸びて、大人しくなった。
直後、隙をみて逃げられた。
その後、いくら追いかけても捕まらない。
餌でおびき寄せる。
首に紐をかけようとすると、餌だけ捕って逃げていく。
大声で、犬の名前を呼んだ。
距離を空けて、こちらを窺っている。
こっちへ来い。
今度は、怒鳴り声を上げていた。
妻が出てくる。
「大きな声上げないで。ご近所に聞こえて恥ずかしいでしょ」
「いくら呼んでも、捕まらないんだ」
妻が、老犬の名前を呼んだ。
妻の前に、走り寄って来る。
「お座り」
その後、大人しく首に紐がかけられた。
犬は、群れの中で順位を決める。
俺がいくら世話をしても、それは変わらない。
妻が一番。
自分が二番。
俺がその下、か。
笑いたくなってきた。
妻が家に入ると、老犬の首に掛かった紐を、
俺は、ちょっと強く引っ張った。
娘の順位は、俺より上、かな。
頭の中で、呟いていた。
牛歩
静まり返る家に、入っていく。
妻たちの寝室を通り過ぎようとしたとき、戸が開いた。
「冷蔵庫に、おかずあるから温めて食べて」
少し、滑稽だった。
戸の隙間から、顔だけ覗かせている。
娘を起こしてしまわないためだろう、と思いながら、なんだか可笑しくなった。
いつも、声などかけて来ないのにな。
そう思いながら、俺は穏やかな気持ちで返事をしていた。
牛歩。
それでもいい。
昨日より今日。
そうやって、少しずつ前に進めばいい。
冷蔵庫を開け、碗に盛られたおかずをレンジで温めた。
一人の夜食も、悪くない。
少なくとも、俺の帰りを待っていて、こうして料理が準備されているのだ。
これが、当たり前と思わないことだ。
そう、肝に銘じた。
一杯だけ酒を飲んだ。
ディスカウントストアーのようなところで、
妻に買ってもらった酒だった。
何故なのだろう。
たった一杯で、酔っていることが不思議だった。