日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -302ページ目

写真

うんざりだった。

俺が作った飯も喰わないし、風呂にも入りたがらない。

ママ、ママと大声で泣いている。

焦躁に駆られながら、無理矢理風呂に入れた。

風呂から出ても、泣き止まなかった。

どんな言葉をかけても、ママのいない淋しさは消えないのだろう。


「今日は何したの」

そう声をかけると、何故かピタリと泣き止んだ。

そして、お友達と遊んだことなどを、話してくれた。

何故泣いていたか、やっとわかった。

ママがいないからではなく、ただ眠いから泣いていたのだった。


小さな明かりを点けて、布団の上で大の字になる。

二人で天井を見上げていた。

「じいちゃん、ばあちゃんだ」

娘が指を突き上げて、言った。

壁に、二つ並んで掛けられた、親父とお袋の写真である。


「じいちゃん、ばあちゃん笑ってる」

また、娘が言った。

「じいちゃんばあちゃん何か言ってた」

聞いてみたが、写真に向かっておやすみなさいと手を振りながら言っただけで、訳のわからない事を喋り続けていた。


このみじめな有様をみて、親父たちは本当に笑っているのかもしれない。

二つ並んだ写真を見つめながら、そう思った。

暑い

蒸し風呂だった。

車のエアコンが効かないのである。

たまらず、ハンバーガー屋へ避難。

百円で涼を買った。

占い  「加筆訂正しました」

占いが嫌いだ。

以前は、ラッキーカラーは赤だなどという占い記事を読むと、赤い下着を身に付けたりしていた。

馬鹿げていると思いながら、心の奥底で、無意識に信じてしまう自分がいるのである。

大袈裟に言えば、占いに人生をコントロールされているような気がしてくる。


不幸になると言われれば、実際にそうなってしまう。

そして、根拠のない戯れ事だと、思えば思うほど、気になったりするのだった。



見方を変えれば、占ったものに向かって、歩かされるようなものではないのか。




一度見てみたいものだ。


同じ生年月日、同じ名前、同じ血液型の人間を100人集める。


比較検討し、はたしてその100人は、同じ人生を歩んでいるのだろうか。




占い師に、名前が悪いから売れないと言われ、改名させられたタレントは、今は売れているのか。

ちょっと考え、たいして売れていないことに、気付いた。







読者の皆様は、占い、好きですか?