日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -300ページ目

変な、奴

ショッピングセンターの中にある書店で、本を探していた。



村上龍の新作が面白そうだった。


とても買えはしない。


ブックオフに出回るまで、相当な時間がかかるのだろうか。


願わくば、図書館に収蔵されることを願った。



妻と娘の姿を探していたそのときである。


セーラー服姿の女性が、店内を徘徊している。


どこか、異質なものを感じた。


こちらに、近づいてくる。


その姿を、近くではっきりと認めた。


驚きと同時に、冷笑を誘った。




男であった。



「奴」は、周りの視線を気にするでもなく、歩きながら、指で本や雑誌を弾いたりしている。


短い髪も、男だとわかった後見ると、妙に納得できた。


妻に教えようかと、逡巡した。


そして、やめた。




3人で書店を、後にした。


俺は、また振り返り「奴」の姿を探していた。


恥ずかしくはないのか。


それとも、周囲の冷たい視線が快感だとでもいうのか。


前を向き、歩く。



「奴」が、現れた。



通路に立ち並ぶポットや家電を指で弾きながら、こちらに歩いてくる。


すれ違った。


妻は、気が付いていない。



俺は振り返って「奴」の後姿を見送った。


冷笑などではなく、拍手を送りたい気分だった。


何かに夢中になることは、よい事だ。


それが奇行であっても、他人に迷惑をかけなければいい。


かんばれ、若者よ。


俺は、心の中でエールを送っていた。



あんなものを見せられ、気分が悪くなるどころか、ちょっとだけ前向きになれる自分が可笑しかった。


謎の、飲み物

Tシャツが、汗で体に張り付いていた。


車のエアコンが効かない。


窓を開け放ち、風を入れる。


それでも、汗は引かなかった。


ふと、数日前の出来事を思い出していた。



妻から新聞広告を手渡された。


中古車の合同展示会である。


3人で出かけた。


会場を見て歩いても、大して安い車はなかった。


何かいいのあった。


そう妻に声を掛けられ、一台の軽自動車を妻に見せたのだった。


年式が古いから、やめた方がいい。


今は我慢して、来年、もうちょっとよい車を買ったほうがよいのではないか。


それが妻の意見だった。


安ければ何でもいい。車は年式ではなく走行距離だ。


そう思ったが、黙っていた。


この会場の中では、これが一番よかった。


俺はそれだけを言い、会場を後にしたのだった。




俺は、開け放たれた窓から腕を出した。


その腕だけは、涼しい。


何件かのディーラーを回った。


そうしているうちに、どうやらエアコンのガスは完全に抜け切っておらず、ちゃんと循環していることがわかった。


そして、ガソリンスダンドへ行きガスの値段を調べた。


妻に電話をする。


「エアコンのガスを補充するけど、いい」


「今日じゃなきゃだめなの」


「わかった」



それで、話は終わりだった。


すぐに、妻からメールが届いた。


ガソリンスタンドは、スキミングされる恐れがあるから、カードで買わない方がいいというような内容だった。


ここ数日、暑くてかなわない。


だから、今日、エアコンを何とかしたかった。


そういう内容のメールを返信した。



ちょっと車を運転しただけでも、汗が染み出してくる。


仕事場に着く頃には、軽く雨にでも降られたように、シャツは濡れているのであった。



いつものハンバーガー屋で涼んだ。


ソフトクリームをストローで飲んでいるようだ。


そんなことを考えていると、またメールが届いた。



「明日から涼しくなるわよ」


俺は、声をあげて笑っていた。



窓の外を見た。


明日は、雨かもしれない。


そう思いながら、ストローを咥えて吸い込んだ。




なかなか、吸い込むことが出来なかった。

倦怠感

疲れ果てていた。


何かをしようという、気が起きない。


ひょっとしたら、熱が出ているかもしれないと思ったが、測ろうという気も起きなかった。


寝床に横になり、じっとしていた。


外は曇り空だった。


開け放った窓から、灰色の空が覗いている。


晴れそうな兆しは、ない。



足音が近づいてきた。


妻である。


「お風呂も洗っていないし、犬の散歩も行ってないじゃない。何時だと思っているの」


頭から、水を浴びせられたような、そんな気分になった。


もうたくさんだった。


そう思ったが、言い返す気力は、すでになかった。


発作的に、窓から身を投じたくなった。


首を振り、馬鹿げた思いを振り払う。


2階である。


身を投じても、死ぬことはないだろう。


精々、足の骨を折るくらいのものだ。


ひょっとしたら、怪我すらしないかもしれない。



何をやっても、否定的な言葉しか返ってこなかった。



そして、文句を言う材料がなくなると、それが次第に些細なことにまで及んでいく。


普段は開け放たれたままの便座の蓋も、何故使い終わった後、閉じていないのと、がなり立てたりするのである。


俺がもし、完璧な夫になったとしても、妻は変わらないだろう。


俺の行動が気に入らないのではなく、俺という存在自体が気に入らないのだから。


妻の前から、姿を消す。


それが一番いい。



寝床に張り付いた体を引き剥がし、犬の散歩へ行った。


外へ出ても、倦怠感は消えなかった。