日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -28ページ目

瞑想

瞑想とは何だろうか?

ウィキで調べると、

何かに心を集中させること。

とあった。



こんな話がある。


ゲームを一日何時間もプレイする者の脳を調べると、

プレイ中は、瞑想時と同じ状態なのだとか。


極度に集中を必要とする、最近の高度なゲームはいわば、

メディテーションに匹敵するという驚きの事実。

ゲーム脳と馬鹿にするなかれ。



私のPC内蔵の辞書によると、

瞑想とは、


目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと。「—にふける」「座禅を組んで—する」


とあった。

私も瞑想とはそう言ったイメージを持っていた。

しかし、

他にも興味深い方法がたくさんある。


特に興味を引かれるのが、

ヴィパッサナー瞑想だ。

釈迦もこの瞑想法で悟りを開いたらしいで、お墨付きの方法である。


方法は、今この瞬間に集中し、

例えば、自分自身の思考や状態を実況中継するというもの。


じっと座って、目を閉じる必要もなく、

食事を作っているときも、

歩いているときでも、

瞑想が出来るという。



この瞑想法によってありのままを知る力が身に付くので、

おそらくは、

自我なんて存在しない(正確には存在しているとも、しないとも言える)という事も、

知る事が出来るのかも?







※最近、やたらとお釈迦様を引き合いに出してる気がする。
 別段、仏教がかってる訳じゃないのだけれども?

ダウンロードコンテンツか、物か?

物が目の前に存在するも、しないも同じ事である。


そんなことを釈迦も言っていた気がする。



私はラジオから流れる曲に、

思わず涙した。

プリシラアーンのカントリーロードだった。

この曲はジブリアニメの「耳をすませば」の、

劇中挿入歌で、

カントリーロードの日本語訳詩を映画の中で主人公自身が歌っていた。


それをプリシラアーンが、ほぼ完璧な日本語で歌っている。



透明で、

優しく、

どこか憂いのある歌声。



おもいきり、私の琴線に触れてくるのだった。



私は帰宅すると、コンピューターを起動し、

iTunesを立ち上げた。

検索するとすぐに見つかった。


1500円だった。

目当ての曲だけならば150円。


私は買わなかった。


近所の本屋とレンタル屋が一緒になった店に行き、

CDを探した。

案の定売ってなかった。


そして、CDの品揃えが恐ろしく少ない事に驚いた。

時代はダウンロードコンテンツ全盛なのだ。


私の世代の人間は、「物」にこだわりすぎるのか?

私の友人も、楽曲を積極的にダウンロードする事に抵抗があるという。


そう、

バブルを垣間見(恩恵にはあずかれなかった)

物質文明万歳な時代を経験している我々は、


物として、

手に持てる。


所有感が欲しいのかもしれない。


私はその後、Amazonで検索をかけた。


幸せのみつけ方/プリシラ・アーン

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2300円だった。


800円の差。

物としての所有感を満たすためだけの、

価格差なのか?

そして、iTunesの方が、

どうやら一曲多く収録されている気配だった。



考えてみるとダウンロードしたデータは、


有か、

無か?


データを再生すれば音は出る。


データを何千、何万曲メモリに入れても、

重量は変わらない?
(実際にはどうなのだろう?)

重量が無いと言う事は、

もはや物質ではないのだろう?

つまり、

物ではないのだ。


私はいつも、

つまらない事を考える。



この世は疑問ばかり。


首を傾げないでいられる日など、

一日たりともないのだ。



疑問を抱き、

考える。


そうしている間だけ、

私たちは、人間だと自覚できるのかもしれない。





という訳で、


今回は、iTunesで。

という具合に、考えている。








集合的無意識

また夢を観た。

私は夢を反芻し、

後に書き留めようと考える。

しかし、

もう一度寝てしまうと、

それは微かな残滓となり、

再現出来なかった。


畜生め。


いつものように、

枕元にノートを置いておくべきだった。



夢は、潜在意識とは深い関わり合いがあると、

確かユングかフロイト先生が言っていた気がする。

さらに面白い事も言っていた。

意識は氷山に例えられ、

顕在意識が海面から顔を出しているとするならば、

潜在意識は海底に埋もれている、と。

つまりは、

人を支配する意識の大部分は無意識で、

人は自ら自覚する事の出来ない潜在意識によって縛られている、

というような話だ。


さらにその下層には、

全人類共通の意識たる集合的無意識があるとも言っている。


私は、

夢を見るという事は、

それに繋がる行為ではないかと、思っている。



実際に言われている夢とは、

日中に起きた記憶などを、寝ている間に整理する

いわばデフラグとしての役割という解釈だった。

私はその説に懐疑的だ。


観た事も無い風景。

会った事も無い人々。

それらが何故、私の夢に現れる?



観た事も聞いた事も無いものを、

記憶の断片を再構築し、

リアルな体験として再構築など、

出来るものなのか?



私は不思議でならなかった。


もしも、永遠に夢から覚めなければ、

それは夢だと気付かずに、


ただ現実として受け入れてしまうに違いない。





夢は、


天国を覗くようなものなのか?


それとも、






地獄か?










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