肉親以外
ゴミを出せ。
そんな怒鳴り声で、目が覚めた。
いつまでも寝ていていい気なものだ。
そんな怒鳴り声が、廊下を歩く俺の背中を追ってくる。
さらに容赦なく、怒鳴り声が続いた。
「私はゴミ出しに行きたくないんじゃないのよ。あなたの親戚に遭いたくないだけだから」
俺の親族すべてを、妻は嫌っていた。
こんなの異常だ、近くに親戚がいることでどれだけ嫌な思いをしているのか。
事あるごとに、言われ続けていた。
たとえば、叔父が最近遊びに来ないな、などと言う。
妻は、そんな嫌味をいわれて、誰が遊びにいけるのかと、ひどく憤慨するのだった。
俺もしだいに、親戚との交流を絶っていった。
妻の気持ちも、わからないでもなかった。
一度だけ、妻と二人、近所の親族宅を尋ねたとき、自尊心をズタズタにされるようなことを言われた。
人の気持ちなど、微塵も考えていないような言い様だった。
俺一人のときならばわかる。
何故、妻と訪れているときに、こんなことを言わなければならないのだ。
ゴミを出し、布団を上げた。
冷蔵庫の中にあったものを取り出す。
俺のために作ったものかどうかわからなかったが、それを喰った。
一人でぼんやりとTVを眺めた。
急に、わけもなく涙が溢れ出してきた。
止まらなかった。
なんなのだ。
ひとしきり嗚咽し、それは収まった。
ゆっくりと立ち上がり、俺は汚れた皿を洗った。
希望を持て
虫がいるから捕れ。
そんな怒号から、俺の一日が始まった。
居間に行くと、壁に蟷螂が這っていた。
捕まえると、指を挟まれた。
咄嗟に、振り落とす。
そんな俺をみて、すかさず怒鳴り声が浴びせられた。
「なにをやっているのよ」
しばらく居間にいると、妻が邪魔だと言うように溜息をつく。
のどが痛かった。
暖房のせいか、俺は咳き込んでしまった。
また、怒鳴り声が浴びせられる。
「ここで、大げさにやってないでよ」
たまらず居間を出た。
しばらく洗面所でじっとしていた。
自室へ行くと、100%文句だった。
冷静に考えてみる。
一緒にいれば怒鳴られ、離れていても文句なのだ。
どうせ怒鳴られるのなら、離れていた方が良い。
寒さに耐えられず、自室へ行き、じっとしてた。
時々、足音が聞こえる。
そのたびに、びくりとした。
何もすることがなく、時間だけが過ぎていった。
怒鳴り声。
「そうやって部屋で好きなことして、気楽なものね。そんなんで、ご飯だけはちゃんと食べるんだから。よく平気でいられるわ」
仕事をして、家事をこなし、それでも飯を喰うことさえ非難されるのか。
もう相手にしなかった。
好きなだけ、怒鳴れば良い。
もし、部屋まで押しかけてくるならば、怒鳴り返してやろうと思った。
良いも悪いもないのだ。
怒りで圧倒してやりたかった。
TVのスイッチを入れた。
東京女子マラソンで高橋尚子が優勝したようだった。
思わず、見入ってしまった。
壇上に立ち、彼女は言った。
~みなさんも、あきらめずに希望を持ってがんばってください~
そんな意味のことを、言っていた。
2年間、苦渋に満ちた時期を過ごし、たった今復活を遂げた彼女の言葉が、俺の心に響いてくる。
気付くと俺は、涙ぐんでいた。
ホワイトソーススパゲッティー
毎日がつらいという事を、妻に伝えた。
しかし、その事が、妻をますます怒らせることとなった。
妻は、実家で過ごす日が多くなっていたが、それでも、服などを取りに帰って来る。
そして、帰宅するなり怒号が鳴り響く。
「米の一粒も、炊いていないわけ」
そう言いながら、でかい物音を立てている。
「つらいとか言っているけれど、私だって朝から晩まで忙しくしているのよ」
そう言い残し、仕事に出かけた。
米を炊いて、風呂を洗った。
急に思いついて、俺は娘に言った。
「スパゲッティー、食べるか」
娘が、返事をする。
PCで、レシピを調べた。
ホワイトソースの作り方を、俺は知らなかった。
ほぼ、思っていたとおりの材料だったが、バターを加えると言うことまでは、考えが及ばなかった。
手早く作って、娘に食べさせた。
腹が減っていたのだろう、おいしいと言っておとなしく食べていた。
俺は、炊きあがった飯と、冷蔵庫にあるもので済ませた。
妻のために、ホワイトソーススパを皿に盛り、ラップして食卓に置いた。
娘が食べ終わり、風呂に入れる。
歯を磨かせて、寝室で寝かしつける。
娘が眠った後、俺は自室で休んだ。
何かをやろうと言う気が、どうしても起きなかった。
最近は、頭痛薬を手放せない状態が続いている。
箱の中を開け、残り数回分しかないタブレットをみて不安に駆られた。
これがなくなると、困る。
新たに買う金もないのだった。
いつの間にか眠ってしまった。
そして、怒鳴り声で目が覚めた。
「皿ぐらい、洗っておいてよ」
俺は寝ているふりをした。
何度も、同じことを怒鳴り続けている。
今度は、物音だった。
どかどかとでかい音を立てて、何度も部屋の前を行き来する。
扉を乱暴に閉め、でかい音を立てる。
それでも、何故か俺の部屋の扉を開ける事はしないのだった。
娘が物音で、起きてしまったようだ。
泣いている。
妻は寝室へ入り、娘と一緒に眠ったようだ。
夜中に目が覚めた。
廊下に出ると、俺の服が散乱していた。
風呂に入ったときに脱いだものだ。
キッチンへ行き、皿を洗おうと思った。
うずたかく積まれた皿はいつも洗っている。
ただ、夕食をとった後の皿は、洗わなかった。
麺を茹でた鍋を洗い、まな板を洗ったところで、もう限界だった。
娘と俺が使った皿が二枚、シンクに置かれている。
俺は、三角コーナーの生ゴミに視線をやった。
むなしさと、徒労感に全身を包まれたまま、しばらく立ち尽くしていた。
三角コーナーのゴミ箱には、俺が妻のために作ったホワイトスパゲッティーが、ラップと一緒に、手もつけられずに、投げ捨てられていた。
