どん底でも
昼間はひどく暑かった。
夜勤明けで、家に着くと睡魔の為にまどろみそうになるが、
暑さがそれを許さなかった。
すべてが面白くなく、
なにもやる気が起きず、
私は本読む以外にする事がなかった。
私は本を読む。
もしも私が、本を読まない人間だったら、
とっくに自殺していただろう。
孤独、
どん底。
そんな状態でも、本を読む事によって浮き上がる事が出来た。
ありがたい事だ。
夜になり、やっと空気が冷えて、すごしやすくなった。
虫の声と、遠くから自動車のロードノイズが聴こえる。
夏でも秋でもない。
そんな夜に、
なにを思い、
ことばを綴れば良いものか。
少なくとも、
希望と呼べるものを、紡ぎ出すべきだろう。
絶望はもうごめんだった。
夜勤明けで、家に着くと睡魔の為にまどろみそうになるが、
暑さがそれを許さなかった。
すべてが面白くなく、
なにもやる気が起きず、
私は本読む以外にする事がなかった。
私は本を読む。
もしも私が、本を読まない人間だったら、
とっくに自殺していただろう。
孤独、
どん底。
そんな状態でも、本を読む事によって浮き上がる事が出来た。
ありがたい事だ。
夜になり、やっと空気が冷えて、すごしやすくなった。
虫の声と、遠くから自動車のロードノイズが聴こえる。
夏でも秋でもない。
そんな夜に、
なにを思い、
ことばを綴れば良いものか。
少なくとも、
希望と呼べるものを、紡ぎ出すべきだろう。
絶望はもうごめんだった。
一瞬のうちに消え去る
私は携帯で文章を書いていた。
文字の入力はひどくやりにくい。
それでも、結構な字数だった。
何かの調子で画面が切り替わる。
保存するか、
しないか。
まだ書き終わっていないので、
私は迷わず、しない、を選ぶ。
次の瞬間、画面は初期メニューのような状態になった。
私は数秒間、硬直する。
私の書き上げた文章は、
跡形もなく消え去ってしまった。
早朝、牛丼屋へ行ったときの話しで、
それなりに、良く書けていた。
大男が登場する。
飯の食い方について。
散文だった。
そんなときほど、何故か消えてしまう。
私は、同じ物を再度書き直す事が出来なかった。
同じものは書けない。
文章は技巧や構成を練りに練って書くものではない。
稚拙な文章でも構わない。
勢いの無い文章は死んだ文章だ。
そう、ある作家が言っていた事を思い出す。
これで何度目になるだろうか?
PCならばテキストエディターで下書きをし、
それから、ブログへUPという手順が取れる。
本を読んだり、
ものを書いたり。
最近、
好きだったそれらが、
また傍に寄り添ってくれそうな気がして。
手近な筆記用具の携帯で、書いた訳なのだが。
本をまた読もう。
孤独なときは、いつもそうだった。
そして、
今も。
文字の入力はひどくやりにくい。
それでも、結構な字数だった。
何かの調子で画面が切り替わる。
保存するか、
しないか。
まだ書き終わっていないので、
私は迷わず、しない、を選ぶ。
次の瞬間、画面は初期メニューのような状態になった。
私は数秒間、硬直する。
私の書き上げた文章は、
跡形もなく消え去ってしまった。
早朝、牛丼屋へ行ったときの話しで、
それなりに、良く書けていた。
大男が登場する。
飯の食い方について。
散文だった。
そんなときほど、何故か消えてしまう。
私は、同じ物を再度書き直す事が出来なかった。
同じものは書けない。
文章は技巧や構成を練りに練って書くものではない。
稚拙な文章でも構わない。
勢いの無い文章は死んだ文章だ。
そう、ある作家が言っていた事を思い出す。
これで何度目になるだろうか?
PCならばテキストエディターで下書きをし、
それから、ブログへUPという手順が取れる。
本を読んだり、
ものを書いたり。
最近、
好きだったそれらが、
また傍に寄り添ってくれそうな気がして。
手近な筆記用具の携帯で、書いた訳なのだが。
本をまた読もう。
孤独なときは、いつもそうだった。
そして、
今も。
日々考える事
いつも考え続けているような気がする。
頭の中に、様々な考えが溢れ、何も手に付かなくなる。
なぜなら、その考えはほとんどがネガティブなものだからだ。
職場のあいつが気に食わないとか、
牛丼屋で隣に並んだおじさんが、楊枝でスーハー五月蝿いとか。
バカじゃないの?
これじゃ、自分の事について、考える余裕などなくなってしまう。
そう、
全てはどうでも良い他人の事について、
思い巡らし、
悩み、
腹を立てる。
私はいつも、モンゴルの遊牧民について想いを巡らす。
微かな憧れとともに。
彼らの生活に、
電気も、
水道も、
ガスもない。
しかし、自分の事を考える時間は充分にあるという。
放牧した家畜を追ったり、世話をするのは大変かもしれないけれども、
我々の様に、半日会社に拘束される事はない。
家畜の世話は一日中やっているわけではないからだ。
作業を終えると、
自分の時間はたっぷりとあり、
テントでゆっくりと、思索にふける事ができる。
生活の維持のために、
一日中会社で過ごし、
電気、水道、ガス、通信費を払い、
何かに苛立ち、
失望し、
何の幸福感も得られないまま、
日々死んでゆく。
それが、
便利さを約束された文明的な生活というものなのか?
そんなの、誰も望んじゃいない。
頭の中に、様々な考えが溢れ、何も手に付かなくなる。
なぜなら、その考えはほとんどがネガティブなものだからだ。
職場のあいつが気に食わないとか、
牛丼屋で隣に並んだおじさんが、楊枝でスーハー五月蝿いとか。
バカじゃないの?
これじゃ、自分の事について、考える余裕などなくなってしまう。
そう、
全てはどうでも良い他人の事について、
思い巡らし、
悩み、
腹を立てる。
私はいつも、モンゴルの遊牧民について想いを巡らす。
微かな憧れとともに。
彼らの生活に、
電気も、
水道も、
ガスもない。
しかし、自分の事を考える時間は充分にあるという。
放牧した家畜を追ったり、世話をするのは大変かもしれないけれども、
我々の様に、半日会社に拘束される事はない。
家畜の世話は一日中やっているわけではないからだ。
作業を終えると、
自分の時間はたっぷりとあり、
テントでゆっくりと、思索にふける事ができる。
生活の維持のために、
一日中会社で過ごし、
電気、水道、ガス、通信費を払い、
何かに苛立ち、
失望し、
何の幸福感も得られないまま、
日々死んでゆく。
それが、
便利さを約束された文明的な生活というものなのか?
そんなの、誰も望んじゃいない。