湿度が低く雑木林を渡る初夏の風も心地よいある日の午後。

本日は何もしないと決めていたので、程々のデッキでうとうとするのが至福の時。

デッキの梁にはロープに結わえた純製品を思わせるハンモックフックが常設してあるので、対角線上にメキシカンハンモックをつり下げれば至福の時への準備は万端。



斧と薪と熾きの日々


斧と薪と熾きの日々

不思議とこの状況にピッタリくる野田知佑氏のカヌーエッセイと昔のバイク雑誌を持ち込み、手に届く位置に置いた正にこの様な状況にふさわしいプレモルとグラス。



斧と薪と熾きの日々


斧と薪と熾きの日々


メッシュ状に編まれた二人用のビッグサイズなメキシカンハンモックは風を遮る事無く、全てを優しく包み込み、大脳皮質は静かにそしてゆっくりとその活動を停止していくのであった。


斧と薪と熾きの日々



斧と薪と熾きの日々


何もしないある日の午後はキッカリ日没数分前、凶暴化し集団となって襲ってくるヒトスジシマカによって終焉を迎え、かわいた喉に気の抜けたプレモルを流し込む、穏やかな初夏の夕暮れ。

程々の家はログでは無いので、比較的早いサイクルで外壁のメンテをしないとあかんと思っている訳です。しかしながら外壁の塗装というのはオモシロミに欠けてすぐ飽きてしまう。塗れば塗るだけスティンはどんどん染み込んでいき、いい加減にしろと思ってしまうのである。





昨年、2年目の南壁面が白く焼けて来たし、ひび割れも気になったので梅雨を前に塗装を開始した訳だが、前出の通りつまらないので3時間程かけて南面を塗っただけでやめてしまっていたのだ。

だからその時決めたのだ。塗装メンテは毎年一面ごと。4年サイクルで一周、年単位のルーチンワークにしてやっていこうと。





それで、今年は玄関側を塗った。風雨にさらされた壁面はかさかさに白くなり、スティンを含ませた刷毛が触れるや否や乾燥仕切ったスポンジの様にちゅーちゅーとスティンを吸い込んで行く杉板。




斧と薪と熾きの日々








斧と薪と熾きの日々






『よしよし喉が渇いておったのだな』と優しい気分になっているのも束の間。渇きが癒えない杉板は際限が無く、適当に切り上げて次の杉板に移動して行く。



思うに新築時に2度塗りをオプション設定しておくべきであった。1回塗っただけでは見た目は宜しいが、杉板の細胞壁は全然満足されておらず、1年足らずで白焼けひび割れ現象が起きたのだと推測するのだ。



だから昨年飽きながらも奮闘してしっかりと塗った南面は今でも黒々と風雨を弾き返しておる。




斧と薪と熾きの日々




『よしよし』と再び優しい気分になったのであった。





斧と薪と熾きの日々








先日、瀬戸の陶祖祭があり、久しぶりに瀬戸の街をぶらつきました。窯元や若い作家も作品を展示販売しておりますが、大衆は大量生産されるなんちゃって織部のひと山ナンボに集中するのも無理は無いか。

足はぶらぶらと街の繁華街「せと銀座通り商店街」へ。
商店街の入口でふと足を止めさせられたのが、昔懐かしの音楽。いかにも貸店舗で、店内はダンボールに入れられたドーナッツレコードの数々。

今は無きレコード店の様に整理されるわけも無く、大分類程度にまとめられたレコードを片っ端からチェックする。
映画の挿入曲なら西部劇『リオブラボー』の皆殺しの唄、『真昼の決闘』のハイヌーン、『駅馬車』の淋しい草原にはうめないでくれ等などナド。

洋楽ならサイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、アースウィンドファイヤー。

歌謡曲だってマッチ、郷ひろみ、ジュリー、堺正章、狩人。

つまりEPレコード全盛時代1970年から1980年代の音楽全般がその貸店舗にギッシリ詰まっており、ストライク世代には小銭を握って物色するしかなかったのでありました。

当然これらの音源はデジタル化され、CDとなって我がウォークマンにも取り込まれている訳ですが、オリジナルの音源を確保したいのが哀しいかな昭和世代の性。

持ち帰った厳選楽曲は野口五郎の「針葉樹」「私鉄沿線」、バンバンの「いちご白書をもう一度」、中村雅俊の「ただおまえがいい」「青春貴族」、布施明の「シクラメンのかほり」の6枚。1枚はおまけで税込み500円。状態は極めて良好。歌詞カードには若干の色あせがある程度。

斧と薪と熾きの日々

レコードプレーヤーにEP盤アダプターをはめ込み、スピードセレクターを45回転にセット。親指をドーナッツの穴に入れ、レコードの縁に手を添えて状態のチェック。若干の埃はあるものの傷、カビは無し。よしよし。30年は経過しているであろうナガオカのベルベットで出来たレコードクリーナーで3回程撫で回し、ターンテーブルへ。更にナガオカのレコード針クリーナーで針をスリスリ。スピーカーのウーファーからは懐かしいボソボソ音が。

これらの一連の儀式の後、ようやくプレーヤーをスタート。パチパチとツィーターからトレースノイズが小さくこぼれだし、そしてやっとこさ、レコード針の小さな振動は100W+100Wのアンプで増幅され、三菱電機の音響機器ブランドDIATONEの3ウェイスピーカーから放出され出した。

A面の「俺たちの旅」。僅か4分程で終了しB面の「ただおまえがいい」。


平成の世、音楽を聴くのにこんな手間なんてあり得ないのかもしれないけど、アナログっていいなぁーとつくづく思う。

この時期、薪作りの楽しみは、間伐材から出る膨大な枝葉の処分。すなわち焚火。

火種となる乾燥した小枝や中枝、薪の採りこぼしは無尽蔵に有るので、焚火には事欠かない。


斧と薪と熾きの日々

家の中でストーブ、山では焚火・・・・・・・・・。

やっぱりヒトには、狩猟民族の遺伝子が受け継がれているからなのだと思う。



斧と薪と熾きの日々

焚火に檜の枝葉を放り込み、『パチパチパチ』と樹脂がはじける音と、大量の白煙が灰色の冬空に広がり、しだいに地上に舞い降りて霧の様に里山をうっすらと覆う。


見渡せばあちらこちらで数本の白煙。



斧と薪と熾きの日々


斧と薪と熾きの日々


斧と薪と熾きの日々

熾き火の中では近くの「ふる里農園」で購入したさつまいもがぼちぼちいい感じ。


斧と薪と熾きの日々


斧と薪と熾きの日々

すばらしい熾き火でもったいないのだけれど、そろそろ消火して、帰り支度。


今日はチェンソーも動かさず、何にもしていない一日であった。

薪採りのお山は関市の西田原にあり、迫間山ひとつ隔てて各務原の航空自衛隊岐阜基地。
毎年与作の時期と航空祭に向けた練習時期と重なる。

チェンソーの排気音など足元にも及ばない爆音と共に上空をF‐15イーグル、F‐2、F‐4ファントム、三菱Tー4、Cー1輸送機が単独であったり編隊を組んで通過していく。

斧と薪と熾きの日々

エンジンを止めて、可児方面に見えなくなるまで眺める愚輩。

斧と薪と熾きの日々


11月の最終日曜日が航空祭。今年もブルーインパルスの華麗な編隊飛行と異種編隊を見たさに本番に行ってきました。
さすがにこの日は大盛況。11万人の観客は、口を半開きにして上空を見上げるタイプと明らかに給料手取り1ヶ月分以上はするであろう一眼レフと、まるで地対空ミサイルの様なスーパー望遠レンズを覗きながらばしゃばしゃしている御仁に大別される。



斧と薪と熾きの日々


しかしながら問題なのは全く興味を示していない子供達。

父ちゃんにしょうがないからついて来てやったと言わんばかりの態度。
ブルーインパルスが密集体系で旋回しようが、Fー4ファントムが重たい機体に鞭打ちつつ、アフターバーナーを全開にして急上昇しようが、Fー15イーグルが高度150mで地上スレスレをフルスロットルて通過し主翼を拡げて急旋回、「トップガン」宜しく追撃戦闘体制を披露しようが、殆どの子供は無関心。菓子を食っているか、ゲームをしているか、「早く帰ろー」と親父を困らせている。

斧と薪と熾きの日々


一体いつからこんな事になったんだ?男の子は乗り物が大好きだったのは過去の出来事なのか?

確かにうちの息子もゼロ戦とか雷電とか疾風のプラモデルなんか作った事ないし、「サーキットの狼」に端を発するスーパーカーブームの様な男の子みんなの乗り物に対する夢が盛り上る時期を経験していない。

斧と薪と熾きの日々




彼らは飛行機どころか、10段変速機付きドロップハンドル式自転車やスポーツカーにも熱くなった事が無い世代だ。

斧と薪と熾きの日々

君等、つまんなくないのか?