実の処スクリーンで裕次郎さんを見るのは生まれて初めて。
公開されたのが昭和43年だから、愚輩は就園前。一世代、いえいえ二世代前のスター。
映画『黒部の太陽』の存在を知ったのは学生の頃。テレビの放映もなくビデオすら発売されていないのは裕次郎さんの意思であった事を知ったのはつい最近。
確かに裕次郎さんの言う通り。映画は大きなスクリーンで見てこそお金を払う価値があり、デカくなったとはいえテレビで見ても迫力、臨場感が伝わってこない。
映画はスクリーンで見て欲しいから、この二本だけはビデオ化せず、それを死後なおファンにも強要する、現代ではありえない映画人であったと思うのです。
今回の『黒部の太陽』と『栄光への5000㌔』はそんな裕次郎さんの意思を受けついだ震災復興支援でもある貴重な上映。全国津々浦々、地方の自治体の施設を中心に上映しており、ようやく9月17日に中京エリアでは最初の上映が一宮市民会館でありました。
特撮さえ手探りの時代、ましてやCGの概念のカケラも存在しない時代のロケとセットだけの重量感のある実写映像。
フィクションとノンフィクションの境すら感じさせないプロジェクトⅩばりのストーリー。
この時、裕次郎さんは30代半ば、三船敏郎さん40代後半。ほぼ三船さんの年に達しようとしているのに何だこの差は?ついつい今の自分の年代と重ねながら見入った休憩込みの3時間30分。
昭和の映画は観客に媚びを売らない。製作者の意思が全面に出てくるので、伏線が邪魔な事も多々あるし、目を見張るアクションもスピード感も期待してはいけない。
しかしアナログの映像美は、今の鮮明で視神経を直撃するチカチカしたデジタル映像と違い、絵画に通じる美しさと、スクリーン外周部のピンボケ具合が妙に愛おしい。
途中で入った休憩もオリジナルのままで、3時間以上の長丁場でしたが、後半もまったくダレる事もなく、久々に映画に引きずり込まれました。
宇野重吉さんとまだ10代と思われる寺尾聡さんの親子設定のツーショットは何故だかわからないけど鳥肌が立ち、大滝秀治さん、二谷英明さん、下絛正巳さん等今となってはすごい俳優陣がチョイ役で脇を固めており、確かにテレビで横になって見る映画ではありません。
黒四ダムの建設は戦後僅か10年、リーマンショックの経済打撃から未だに立ち直れない現代の日本とこんなにもマンパワーの差がある事自体が妙に虚しい気分にもさせられた時間でもあり、随所に事故死の場面も入れて、ラストシーンで慰霊碑を舐め回すように映し、追悼の意を表す事も忘れていない事にも感銘を受けました次第です。
最後に、観客のほとんどが60代から70代の諸先輩方で、正に青春であった時代の映画を楽しんでおられ、映画がはねた後の何とも言えない笑顔は『黒部の太陽』の太陽たる由縁だったと思うのです。