もう若くは無いのだから、無理な力仕事は程々にしないと。

お山の力仕事と言えば、丸太の切り出し。
車はもとより、一輪車も入らない場所は、丸太を玉にして持ち上げて運んでいたのだが、太い幹だと30kgは軽く越えてくるので、腰が非常にやばい。

真面目に木曽馬が欲しくなる。

斧で割って運ぶ事もしていたが、このクラスになってくると簡単には割らしてくれない。
しばらく道具バックの中のペグとナイロンのロープを眺めて思い立った。

ペグを玉の中心に打ち付ける。
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反対側も同様に、抜けない様に5cm程しっかりと打ち付ける。
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ナイロンのロープに輪っかを二カ所作り、二つのペグにかけると、丸太ローラーの完成。
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ロープを玉の幅40cmに持って引っ張れば、絡まずに転がってくれる。

我ながら自分に感心した師走の里山。





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お山にはの立枯れのブナが4、5本。
既にコズエ部分は腐りはじめているので、早目に伐採しないと薪として使えなくなってしまう。

今迄伐採するのを躊躇していたのは、経験不足。広葉樹は硬い、太い、重い、そして恐い。

間伐材もそろそろ充実してきたので、いよいよ決心し、ブナの伐採に挑む事にした。

先ずは、足場の確保。お山の木は必ずしも平らな場所に立っているとは限らない。むしろ斜面に立って居る事が多く、逃げ場がない。足場は作業スペースと逃げる場所。

教科書通りの受け口を切りたいのだが、なかなか綺麗にいかない。どうしても浅い受け口になってしまう。やっぱり恐いのだ。思い切って太さの半分程斜めに切り込みを入れ、我ながら綺麗な受け口を作った。やっぱり経験は大事である。

次に追い口。これもなかなかどうして、腰が引けて真っ直ぐ受け口に向かって切れない。一度は受け口の下に追い口を切り、往生した事も有る。

今回はそんな経験を生かして手鋸でガイドラインを引いて見た。引いてわかったのは、追い口を切る立ち位置からは受け口の位置が全く見えない事であった。大体の感覚で適当にやっていた事があらためて判明した。やっぱり素人の独学はダメだ。

後はつるを正確に残す事に集中して追い口を切って行くのだが、おっかなびっくりで腰は引けて、瞬時に後方へ2mは飛べる体制になっている。

いよいよ残したつるがみしみしと音を立てながら、倒す方向を維持しつつ『ズド~ン』と地響きとともに伐採は完了。



腐ったコズエは衝撃で粉々に吹き飛びバラバラになった。


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形成層も腐り始めていたが、木部はしっかりしているので十分薪として活躍してくれる。

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さて、ここからが正念場。気力は使い果たしたのだが、玉にしないと始まらない。


広葉樹は重いので人力では全く太刀打ちできず、チェンソーで切っていかないと動かすことすらできないのだが、ここでは単純に上から下に玉切りが出来る訳では無い。

倒木は大抵2つの支点で支えられており、その支点に挟まれた中央から切る場合が意外と多い。上から下に何の疑いもなく切っていけば、自重でVの字になり、チェンソーは簡単に挟まってしまう。挟まったソー程何ともならない物も無い。力では抜ける訳はなく、悲しい気分を味わう事数回。クサビを打ち込んで救出するのだが時間の浪費が甚だしい。

この場合は、上から3分の2を切り、下から残りを切り上げるのだが、ここでもソーを素早く抜かないとダメージを受けてしまう。

とにかく色んな状況、状態で切り離す必要があるので、切り方にも経験が必要。支点、力点、作用点の中学2年の物理の原理も頭をめぐらせ、考えて切らないと無駄な時間と労力を要する事を思い知らされた。

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後は運搬と薪割りだが、体力はここまで。

薪作りはレジャーである。

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杉とヒノキの針葉樹を薪にするのは広葉樹に比べて圧倒的に楽。


倒してからの運搬、枝切り、薪割りに至るまで重量が無いので、体力を消耗しなくてよろしい。

しかも乾燥も日なたで一年そこそこもすれば十分。薪の太さを調整して焚けば温度のコントロールも可能。


広葉樹にこだわった自分が無知であり、もっと早くから間伐材を使えば良かった。

しかし判り切った事ではあるのだが、燃焼時間は極めて短い。更に高温二次燃焼で空気を絞っても、オーロラバーンはほぼ期待出来ない。

しかし焚き始めやストーブトップでの調理の時は間伐材を使い、巡航運転の時に広葉樹を混ぜて焚けば、火力調整も燃焼時間の調整も案外上手くいく様だ。




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お山に入る様になって確信したのは、植林政策の負の遺産、『見放された資源・不健康林』。この資源をいかに有効活用するかが薪ストーブユーザーに求められる課題なのだ。



薪ストーブのシーズン到来を記して、先日久しぶりにお山に入り、合掌しつつヒノキを4本頂きました。

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太さは30㌢程ですが、見上げれば樹高25㍍はありそうなひょろひょろヒノキ。密集エリアからの間伐。


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年輪を数えると、年の頃は45から50才位でしょうか?

昭和30年代終りから40年はじめに芽生えた植林二次世代。今頃家の柱の一部になる事を夢みて育った同世代でありました。

今となってはコストがかかりすぎて、材木になる可能性はカケラもなく熱源にしかならないのは、哀しくて空しい。


間伐材を何とか役立てようと思うのは摂理であり、薪ストーブユーザーにしか出来ない環境対策なのである。

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きっちり40㌢の玉にして丁重に扱い、一番日当たりのよろしい場所を提供し、立派な薪に仕上げるのが我が勤めと悟った晩秋の午後2時半。








斧と薪と熾きの日々


実の処スクリーンで裕次郎さんを見るのは生まれて初めて。
公開されたのが昭和43年だから、愚輩は就園前。一世代、いえいえ二世代前のスター。

映画『黒部の太陽』の存在を知ったのは学生の頃。テレビの放映もなくビデオすら発売されていないのは裕次郎さんの意思であった事を知ったのはつい最近。

確かに裕次郎さんの言う通り。映画は大きなスクリーンで見てこそお金を払う価値があり、デカくなったとはいえテレビで見ても迫力、臨場感が伝わってこない。
映画はスクリーンで見て欲しいから、この二本だけはビデオ化せず、それを死後なおファンにも強要する、現代ではありえない映画人であったと思うのです。

今回の『黒部の太陽』と『栄光への5000㌔』はそんな裕次郎さんの意思を受けついだ震災復興支援でもある貴重な上映。全国津々浦々、地方の自治体の施設を中心に上映しており、ようやく9月17日に中京エリアでは最初の上映が一宮市民会館でありました。


斧と薪と熾きの日々

特撮さえ手探りの時代、ましてやCGの概念のカケラも存在しない時代のロケとセットだけの重量感のある実写映像。


フィクションとノンフィクションの境すら感じさせないプロジェクトⅩばりのストーリー。

この時、裕次郎さんは30代半ば、三船敏郎さん40代後半。ほぼ三船さんの年に達しようとしているのに何だこの差は?ついつい今の自分の年代と重ねながら見入った休憩込みの3時間30分。

昭和の映画は観客に媚びを売らない。製作者の意思が全面に出てくるので、伏線が邪魔な事も多々あるし、目を見張るアクションもスピード感も期待してはいけない。
しかしアナログの映像美は、今の鮮明で視神経を直撃するチカチカしたデジタル映像と違い、絵画に通じる美しさと、スクリーン外周部のピンボケ具合が妙に愛おしい。
途中で入った休憩もオリジナルのままで、3時間以上の長丁場でしたが、後半もまったくダレる事もなく、久々に映画に引きずり込まれました。

宇野重吉さんとまだ10代と思われる寺尾聡さんの親子設定のツーショットは何故だかわからないけど鳥肌が立ち、大滝秀治さん、二谷英明さん、下絛正巳さん等今となってはすごい俳優陣がチョイ役で脇を固めており、確かにテレビで横になって見る映画ではありません。

黒四ダムの建設は戦後僅か10年、リーマンショックの経済打撃から未だに立ち直れない現代の日本とこんなにもマンパワーの差がある事自体が妙に虚しい気分にもさせられた時間でもあり、随所に事故死の場面も入れて、ラストシーンで慰霊碑を舐め回すように映し、追悼の意を表す事も忘れていない事にも感銘を受けました次第です。

斧と薪と熾きの日々

最後に、観客のほとんどが60代から70代の諸先輩方で、正に青春であった時代の映画を楽しんでおられ、映画がはねた後の何とも言えない笑顔は『黒部の太陽』の太陽たる由縁だったと思うのです。


























日曜日お昼近くの中央道上り。午前中の混雑が嘘のようにガラガラ。中津川インターから恵那山トンネル到る神坂PA付近の長い急坂に到っては貸切り状態で、富士重工の水平対向2000CCのターボエンジンは心地よく5000回転から徐々に加速しつつ片道3車線をぐんぐん登って行くのであった。

駒ヶ根インターで降りて広域農道を飯田方面へ数分。『きらく』は自宅から1時間40分、距離片道130数キロの地。年に数回無性に、しかも突然食べたくなるソースカツ丼。しばらくは伊那の『青い塔』にはまっていたのだが、ここ2、3年は駒ヶ根の『きらく』に決めている。ついでとは言え、『BESS駒ヶ根』と『バーモントキャスティング』の日本総代理店『ファイヤーサイド』が近くに有るので、かなり充実した日曜日の午後が過ごせるのである。

誰も定義していないが、ソースカツ丼はロースより肩ロースの方が断然うまいに決まっているのだ。250グラム以上3センチに迫る肉厚で家庭では調理不可能であるボリューム感、インパクトが必要。キャベツは多過ぎるとご飯との相性がさほどいいわけでは無いので、控え目がよろしい。

揚げるのに10数分は掛かるので、運転の疲れを癒しつつ20分はだらだと過ごし、先客の頼んだ品を横目でやり過ごしながら、口中の唾液分泌腺が限界に達する頃に差し出されるソースカツ丼の愛しさ。




斧と薪と熾きの日々



蓋は当然ながらカツに引っ掛かる様に乗っており、本来の役割を完全に放棄しているのだか、ソースカツ丼の場合、蓋は取り皿として存在するのである。最初にカツを3片程取り皿と化した蓋に移動しておかないと、ソースカツ丼を食すのにカツが邪魔をする、何とも矛盾した状況に陥るのであった。


斧と薪と熾きの日々



幸せな時間はものの20分程で終り、お腹にずっしり来るカロリーを如何に消費するかが、食後の課題なのだが、気がついた時はBESS駒ヶ根の「あきつ」で1時間はしっかり熟睡した生産性のカケラも無い休日の午後。