「日本人へ」塩野七生 | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

細野豪志サポーターズクラブ「豪衆会」は新規会員を募集中です。

がんばろう日本はどこへいった 塩野七生 文藝春秋 

 一年ぶりに帰国した日本で、日本人の残酷さに直面して愕然としている。世に言う「風評被害」である。風評被害の加害者たちは、自らの手は汚していない。ただ単に、福島県産というだけで買わないか、場合によっては当局側に抗議の電話をかけるかメールを送りつけるだけ。それもその「抗議の声」なるものには「不安の声」という「衣」をかぶせるのだから始末が悪い。そして、それらを受けた当局側は、理をつくしての説得をするわけでもなくビクつくだけで、結果は「中止」で幕を引くことになる。

 何という卑劣な残酷さ。「がんばろう日本」なんて言っていたのは、どこに行ってしまったのか。
 外にも表面に出てこないヒステリー現象は数知れず存在するにちがいない。しかもそのほとんどは感情的なものにすぎなく、単なる思いこみだけで日本人が同じ日本人に対して拒絶反応を起しているのだから、卑劣な振舞いと言うしかないのである。このように振舞う人は、自分の胸に聞いてみることだ。不幸に見舞われてしまった同胞に対してかくも残酷になれるのが、他の誰でもなく自分なのだ、と。
 まるで今の日本は、「抗議」と「不安」だけが肩で風切っているようだ。それをささえているのが、自分の考えることだけが正義であるという思いこみ。この種の思いこみくらい、互いに力を合わせないと機能していかない住民共同体にとっての害毒はない。
 今回の原発事故で、われわれ日本人は、「絶対安全」などというのは神話にすぎなかったと知ったのではなかったか。それなのに、ミリシーベすくルトとかベクレルとかを唱えることで、もう一つの[絶対安全」を求めようとしているのか。
 イタリアに行ってすぐ友人になった一人に、青少年期をファシズム下で過ごし、それが打倒された戦後には一変して共産党に入党した小説家がいた。その人と話しながら思ったものである。寄って立つ支柱がなければ生きてこられなかった人は、その支柱が倒されても必らず別の支柱を求めるようになる、と。
 東日本大震災という不幸を契機に、せめては絶対安全神話から卒業しようではないか。そして、風評被害の加害者になることから卒業し、日本全体で処理することによって、がれきからも卒業しようではないですか。
(2011/10/23)

(注:以下、試験焼却に反対している方々とのやり取りをアップしてありましたが、本日「真意が伝わっていない」とのお話をいただきました。間違ったことをお伝えすることは本意ではありませんので、一旦削除させていただきます。
  反対意見にも聞くべきものがあります。広域移動による環境負荷の増大など理論的に頷かざるを得ない部分もあるわけで、引き続きお話し合いを続けながら、推敲後再度掲載させていただく所存です)





 日本にもサンクチュアリは必要なのかもしれません。でもそれは、近い将来東海地震の発生が予想される、この地域ではありません。
 静岡県に住む私たちには、お互いに、というか日本中で助け合うことで、「減災」に努めるしか手が無いことを理解すべきだと思います。
 では子供たちにはどう言えばいいのでしょうか。同じく塩野七生さんのエッセイから引用してこの稿を閉じます。

日本人へ
 
 各地で起っている放射能騒ぎに至っては、醜悪以外の何ものでもない。「おしゃもじ」が「放射能測定器」に変わった一昔前の主婦連を思い出してしまった。
 このような母親を見ながら子供は健全に育つと思っているのだろうか。
 私ならば、この種の振舞いこそ拒否する。だが、子供たちにはこう言うだろう。
「母さんは母さんに出来る範囲のことは注意しますよ。それが母親の役割だからね。だからあなたたちは安心して、子供の役割に専念してほしいの。それは、よく学びよく遊ぶこと。これからは日本も含めて世界中が大変な時代になるから、その時代を生き抜いていくには心身ともに逞しく育つのが一番。でもないと、ガンでは死ななくても他のことで死んじゃうことになりかねませんからね」
 そう言うと、高校生ぐらいだと言い返してくるかもしれない。
「母さん、政府や役所や東電の言うことは信じられないんじゃないの?」
 それで話を高校生の水準に上げる。
「疑心暗鬼に駆られたあげくに立ち止まってしまい、後から来る人たちに押しつぶされて死ぬか。それとも危険を避けながらも走り抜ける力は自分にだってあると信じて走り出すことで生きるか。放射能もガンの原因になるかもしれないけど、ストレスなんてもっとガンの原因になるのよ」
(塩野七生)