先日、ネット記事で『太陽にほえろ!』を扱ったものがあった。でも、それは相変わらず番組開始期のハナシで、ボスを演じる石原裕次郎とともに目玉のキャストに置いていた、新米刑事のマカロニを演じる萩原健一が番組開始から丸一年で降板する際、“殉職”、つまり死ぬ設定で番組から去っていったというものを革新的だと説いていた。まぁ、こんなハナシは大昔から語り継がれていたし、検索を掛ければいくらでも出てくるもので、いまさら感が強い。

 

だいたい、『太陽にほえろ!』のハナシはそのマカロニと、後任の松田優作演じるジーパンだけがウケる。それ以降は少なくとも一般ウケはしないし、まぁ有っても歴代刑事における“殉職”のことだけ。ほんと、それに終始する。

 

この二つを禁じ手とした記事は書けないものか?、ついついX(旧・ツイッター)のほうでこう呟いてしまった。

 

「“番組の華”となった殉職降板をしないで去っていった刑事とそれを演じた俳優のその後は?」

 

うーん、誰も書かないだろうな…。

 

ならば、自分がそれを今回の記事で書いていこう。

 

殉職せずに降板したレギュラー刑事は五人いる。

 

関根恵子(現・高橋惠子)演じるシンコ、山下真司演じるスニーカー、下川辰平演じる長さん、三田村邦彦演じるジプシー、最後は金田賢一演じるデューク。

 

石原裕次郎、萩原健一に次ぐ三番手の知名度とポジションで番組に抜擢された関根恵子(現・高橋惠子)が演じるシンコは番組開始時からレギュラーの婦人警官役で登場し、途中から捜査一係の刑事となった。番組が二年目に入り、ジーパンが配属されると二人の恋愛エピソードが作られていく。それで二人はいよいよ結婚、シンコは寿退社…、じゃなくて寿退職というときにジーパンが殉職した。その「ジーパン・シンコその愛と死」(1974年8月30日放送)の次回、勝野洋演じるテキサス登場編以降は、同じく番組開始から登場していたハナ肇が演じる父親・内田宗吉とともに出てこなくなる。その理由を述べた説明台詞さえないままに。テキサス登場とともに番組は新たなフェーズとなり、今後は足かせとなる初期設定の部分をリセットしていったかたちとなった。

 

番組降板後、シンコを演じた関根恵子(現・高橋惠子)は、波乱万丈な女優人生を送り、映画出演で知り合った監督・高橋伴明と結婚し、以後は高橋惠子の名で活動していく。その結婚をした1982年、フジテレビのドラマ『君は海を見たか』(1982年10月15日~12月24日まで放送)で萩原健一演じる主人公の再婚相手役としてキャスティングされ、前年の映画『魔性の夏 四谷怪談より』(1981年5月23日公開)でも萩原健一演じる主人公の妻役で共演していて、どちらも『太陽にほえろ!』共演時の雰囲気をリバイバルさせたかったものだったという。

 

スニーカー刑事を演じた山下真司のことは以前に書いたことがあるので、ここでは割愛したい。

 

山下真司、俳優人生を語る | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

ジプシーを演じた三田村邦彦は、都内で撮影していた『太陽にほえろ!』と京都太秦で撮影していた「必殺仕事人」シリーズ(制作:朝日放送-松竹)の掛け持ちで元々無理が生じていたところに、1983年春改編期からはNHK大阪制作(撮影もそこで)の主演時代劇『壬生の恋歌』(1983年4月20日~10月26日まで放送)が入ってしまった。だから、掛け持ちを続けるにしても、先行して得ていた仕事なのと京都-大阪間の距離的なアドバンテージで「必殺仕事人」シリーズのほうを残して、「さらば!ジプシー」(1983年2月25日放送)にて『太陽にほえろ!』をわずか一年で降板するに至ったのだ。

 

振られた『太陽にほえろ!』側は心残りがあったので、二度と出られない“殉職”ではなく、一つの場所に長居しないジプシーのニックネーム通りに次の所轄署へとまた転勤していくかたちで去る設定にして逃げ道を作った。それで降板翌年の1984年に「ジプシー再び」(1984年3月9日放送)で一度だけゲストとして同役で復帰を果たしたり、演じた御本人もレギュラー復帰を望んでいたりしたのだが、1985年夏に、TBSでの主演ドラマ『もしも、学校が…!?』(1985年8月9日~9月27日まで放送)を『太陽にほえろ!』の裏でやることになって、その目は完全になくなってしまった。あと、三田村邦彦といえば、幻の『あぶない刑事』主演である。

 

最新作も話題『あぶない刑事』の意外な誕生秘話 三田村邦彦と舘ひろしのコンビ予定だった! | 女性自身 (jisin.jp)

 

昨年唐突に出てきた話題で、その界隈を大いに賑わせた。あやふやな感じのものだったんだけど、以前に自分はそのハナシを聴いたことがあって、やはり“意外だな”と思っていた。なるほど、マネージャーが売り込んでいたのね。ただ、そのときに聴いたものは記事中の舘ひろしとではなく柴田恭兵のほうとのコンビで進められ、ハナシが流れて、改めて舘ひろし&柴田恭兵となっていったのだと。まぁ、そこらへんのことは今月出る、制作関係者へのインタビュー本『核心』にいろいろと載っていることだと思うので楽しみにしよう。

 

 

デュークを演じた金田賢一は番組末期の1985年に登場してきて翌年の最終回「そして又、ボスと共に」(1986年11月14日放送)を待たず、その三回前の「山さんからの伝言」(1986年10月24日放送)にて、俳優本人の理由としてはスケジュールの関係で、デュークのキャラとしては海外研修に赴くという設定で降板した。ただ、この回は「捜査を完璧にするはずの山さんが、もしも間違っていたのならば?」と金田自身もアイデアを出して作られたのだという。デュークは、スコッチ、ジプシーから続くクールキャラではあるが、捜査を冷静沈着かつ丹念に進める面から、若き山さん的なポジションでもあった。山さんの生前には表立ってその言動を現さなかったが、山さんリスペクトで締めて去ったのはそれはそれでありなんじゃないかなと振り返る。

 

では、なぜ“殉職”じゃなかったのだろうか。1986年半ば、『太陽にほえろ!』は番組存続か否かで揺れていた。体調がすぐれなかった石原裕次郎は『太陽にほえろ!』に降板を申し入れていたからだ。それは了承され、石原プロ側からお詫びの意味で渡哲也の1クール分出演を提示されて受け入れた。

 

渡哲也が出ている『太陽にほえろ!』 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

石原裕次郎は降板後すぐにハワイへ療養に旅立つつもりであったのだが、観光ビザでしかないため、半年以内の滞在しか出来ず、それでは真冬の帰国となってしまうことから夏場は自宅で療養して、秋から行くことで翌年春の気候が良いときに帰国出来るようにしてハワイ行きを延ばしていたのが再度の出演(最終回の出演)に繋がった。番組側はそういったことも含めて番組の仕切り直しに追われ、“殉職”させるどころではなかったのだ。

 

全12話で駆け抜けた「太陽にほえろ! PART2」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

うん?、長さんのことが抜けている、って?

 

そう、今回の記事でフィーチャリングしたいのは、“知ってるつもり⁉”の長さんを演じた下川辰平のことを長々と綴っていきたい。では、お付き合いのほどを。

 

番組が10周年となる1982年夏、その記念にカナダへの海外ロケと掛け合わせた木之元亮演じるロッキー刑事殉職降板回の前後編(1982年8月20日・8月27日放送)で、下川辰平演じる長さんは警察学校の教官に転属するという設定で降板した。まぁ、このイベント編のどさくさに紛れてだったので、当時観てても記憶の彼方に飛んでいたり、番組ファンではない人にとっては、いつの間にかいなくなったキャラにしか思えなかっただろう。

 

 

1970年代の終わり頃より、番組開始期からのレギュラーたちは降板を申し入れていた。1980年、殿下を演じる小野寺昭の殉職降板「島刑事よ、永遠に」(1980年7月11日放送)を皮切りに、この下川辰平の降板、そして直後となる秋改編期の期首特番回「石塚刑事殉職」(1982年10月21日放送)で、ゴリさんを演じる竜雷太もやはり殉職降板で番組を去っていった。殉職せずに、それも関係先への転属を明示しての降板となったので、下川辰平だけは『太陽にほえろ!』にその後も度々ゲスト出演。降板した翌1983年、新人・又野誠治演じる新米刑事のブルース赴任回「ブルース刑事登場!」(1983年7月15日放送)に彼が警察学校での教え子という設定ということから出演。1985年秋改編期の期首特番回「殉職刑事たちよやすらかに」(1985年10月5日放送)では警察学校に訪ねてきた山さんと共演する場面も作られた。そして、1986年11月28日放送開始の、『太陽にほえろ!』の後番組『太陽にほえろ!PART2』で七曲署の刑事としてレギュラーに復帰する。

 

さて、演じた下川辰平である。

 

『太陽にほえろ!』開始以前、そして出演中から映画・テレビドラマともに様々な作品に出演し続けていて、もちろん降板後もそれが続いた。日本テレビでは『太陽にほえろ!』に長年出演してくれたことへの功労もあって、降板直後の1982年11月23日開始の時代劇『右門捕物帖』(制作:ユニオン映画・杉友プロダクション)、その後番組で1983年10月18日開始の『長七郎江戸日記』(制作:ユニオン映画)にもレギュラー出演。後者の『長七郎江戸日記』はシリーズ制で断続的ながらも1991年秋改編期終了まで作られていたから、里見浩太朗演じる主人公・松平長七郎に仕える家臣・三宅宅兵衛の役は『太陽にほえろ!』の長さんに次いで長く演じたものとなった。

 

時代劇 長七郎江戸日記2スペシャル 天下を取れ!仕掛けられた反乱|BS日テレ (bs4.jp)

 

ここで話を少し横道に逸れさせてもらう。この『長七郎江戸日記』は日本テレビがNHK『紅白歌合戦』に1985年から対抗した番組「年末時代劇スペシャル」の素地となっていて、それには『太陽にほえろ!』の最高責任者・岡田晋吉プロデューサーも関わっていることもあり、下川辰平をはじめとして、竜雷太、露口茂、勝野洋、木之元亮など『太陽にほえろ!』のOBたちがこぞって出演している。1986年の『白虎隊』では竜雷太と露口茂ふたりだけでの共演場面がある。竜雷太が殉職降板後、最初で最後なのであるからして、是非とも未見の『太陽にほえろ!』ファンはチェックされたし。

 

日本テレビ「年末時代劇スペシャル」涙を誘う堀内孝雄の名曲たち (reminder.top)

 

というわけで、「年末時代劇スペシャル」の話をもっとしたいところだけど、話を戻そう。このユニオン映画制作の時代劇出演とともに、もうひとつのキャリアとして注目したいのが、大映テレビ制作のドラマへ常連になっていくことだ。

 

『太陽にほえろ!』出演時の1976年に、同じ金曜日の放送で、後時間帯の9時からやっていたTBS『赤い運命』(1976年4月23日~10月29日放送)にセミレギュラーで出演したことがあるが、常連となったのは『太陽にほえろ!』降板後から。

 

1976年4月、「火曜日のあいつ」と、その時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

その手始めとなったのは、前回の記事でも紹介したTBS初の2時間ドラマ枠「ザ・サスペンス」(1982年4月10日~1984年9月29日)で放送の、西村京太郎 原作「十津川警部シリーズ」全5作の2作目から5作目に、十津川班所属の山本刑事役。

 

1982年9月4日に放送した1作目の『特急さくら殺人事件』は、これ一作限りの宝田明が十津川警部で、犬塚弘がその相棒のカメさんこと亀山警部補だったのだが、2作目以降最終の5作目まで、若林豪が十津川警部で、坂上二郎が亀山警部補となり、十津川班の刑事たちも刷新されていく。

 

『Gメン’75』と『Gメン’82』で立花警部を演じていた若林豪、『夜明けの刑事』→『新・夜明けの刑事』→『明日の刑事』の通称・日の出署シリーズで主演・鈴木刑事を演じていた坂上二郎、そこに『太陽にほえろ!』で長さんを演じていた下川辰平が集結したのである。しかも、全員が再び刑事役で。

 

まさに『エクスペンダブルズ』そのもの!

 

大映テレビの制作ではあるが、監督は1作目と4作目が竹本弘一、2作目と3作目が鷹森立一、5作目が山口和彦という東映出身で、全員が『Gメン’75』の監督経験者たち。だから、若林豪演じる十津川警部は、まんま立花警部なのである。とくに、疑問と怒りを込めた「なにぃ!?」という台詞まわしなんか(笑)。さて、大映テレビ制作なのに、何故『Gメン’75』の血が入ったのか?といえば、TBS側の番組プロデューサーが大映テレビの刑事ドラマと『Gメン’75』を手掛けていた樋口祐三であったからに他ならない。

 

前回の記事でも触れたとおり、TBSが「ザ・サスペンス」を始めるにあたって、裏番組のテレビ朝日「土曜ワイド劇場」は相当な牽制を掛けてきて、大映テレビ以外の2時間ドラマ制作に手練れた大手の制作プロが参画することは叶わず、脚本家や監督ら個人スタッフも年間契約で囲われてしまったことから制作体制の持ち駒不足に苦慮する。それを解消する手立てとして、各制作プロが独自のスタッフと常連出演者で作る縦割りの制作体制ではなく、TBSが音頭を取って横の連携を密とした制作体制で作っていったから、大映テレビの刑事ドラマ&『Gメン’75』という超ウルトラハイブリッドが生まれたわけである。

 

TBS「ザ・サスペンス」、かく戦えり | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

「ザ・サスペンス」の番組開始一周年記念作品でもある、1983年4月9日放送のシリーズ2作目『ミステリートレイン 日本一周 旅号 殺人事件』はそれが顕著となり、『Gメン’75』の続編『Gメン’82』(1982年10月17日~1983年3月13日放送)が終わったばかりの若林豪と“日の出署シリーズ”の記憶がまだ新しい坂上二郎、さらにそこへ『太陽にほえろ!』を半年ほど前に降板した下川辰平が合流。

 

西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ「ミステリートレイン日本一周旅号殺人事件」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

若林豪演じる十津川警部は立花警部と同様に“熱い心を強い意思で包んだ”現場指揮官、坂上二郎演じる亀山警部補は鈴木刑事と同様に“罪を憎んで人を憎まない”人情派刑事、下川辰平演じる山本刑事は長さん同様に捜査班の皆から慕われるおやっさん刑事とキャラは変わらない。

 

犯人や被害者、思わせぶりな曲者ら、事件に関係する出演者たちも大映テレビの刑事ドラマ&『Gメン’75』の常連が相見えるかたちとなり、刑事ドラマファンにとっては夢のような世界が構築されたのである。

 

TBS「ザ・サスペンス」の「十津川警部シリーズ」は、裏番組のテレビ朝日「土曜ワイド劇場」の「西村京太郎トラベルミステリー」と同様に、亀井警部補が実質的にメインで動く構成で、このシリーズオリジナルの下川辰平演じる山本刑事は脇に廻ってはいるのだけど、1984年2月11日放送の第5作『寝台特急紀伊殺人行』は山本刑事の娘・真紀(演・岡田奈々)が婚約者の故郷へと向かう旅の途中に誘拐されてしまう話だから、下川辰平演じる山本刑事がフィーチャリングされた回となっていて、本作にはキャラが微妙に被る亀山警部補は出てこなくて、そのポジションも得た。

 

西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ「寝台特急紀伊殺人行」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

『太陽にほえろ!』での長さんもその家庭が随時描かれていて、年頃の娘がいる設定。現在、サンテレビで放送中の『太陽にほえろ!』、今週放送分の第201話「にわか雨」は、長さん主演エピ回となっていて、縦軸の事件と並行して横軸として家庭のハナシが描かれ、奇しくも娘が将来結婚する恋人を連れてくる話となっており、「十津川警部シリーズ」の山本刑事はどこまで行っても長さんなんだな、と。

 

サンテレビ太陽放送5/12=野崎家動乱!?とお天気 - 「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2 (goo.ne.jp)

 

「ザ・サスペンス」は1984年9月29日の秋改編期で番組が終了したことから「十津川警部シリーズ」も5作目で結局終わってしまう。後番組は大映テレビの制作による連続ドラマ『スクール☆ウォーズ』(1984年10月6日~1985年4月6日放送)。下川辰平は舞台となる不良たちが荒れ狂う高校の校長役でレギュラー出演していて、熱血教師役で主演の山下真司とは『太陽にほえろ!』以来の共演となる。次の1985年春改編期、フジテレビで放送される大映テレビの連続ドラマ『スタア誕生』(1985年4月10日~11月6日放送)にも下川辰平は堀ちえみ演じる主人公の養父役でレギュラー出演し、同じくレギュラー出演している若林豪や坂上二郎らとも共演場面があり、「十津川警部シリーズ」のプチ同窓会的な趣となっている。

 

 

この後もTBS『ポニーテールは振り向かない』(1985年10月12日~1986年3月29日放送)、TBS『おんな風林火山』(1986年10月12日~1987年3月1日放送)、フジテレビ『プロゴルファー祈子』(1987年10月21日~1988年4月20日放送)と、ほぼ立て続けに大映テレビ制作の連続ドラマへレギュラー出演していって、やはり同じく「ザ・サスペンス」の「十津川警部シリーズ」を契機に大映テレビの常連となった若林豪とともに、いまのアラフィフあたりで大映テレビの連続ドラマに夢中だった世代にはお馴染みの俳優となった。