その矛先は母に向かい、母に向かったその不満は全部自分が原因なのだと思うと自分が生きてる意味を見失った。
「生きてるだけでいい」
なんてのは事故から半年もすれば綺麗に忘れられる。
そもそも価値がない命の更に価値がなくなった残りカスにもならないのだ、自分なんか。
赤信号が近い
湖が読んでる
あと少しなのだ。
未だにシーズンに一度は体調を崩す。
尿路感染、いわゆるおしっこ熱と言うやつから、最近では腎炎と言う呼び名までまぁ色々。
でも症状は決まっていて、まず強烈な悪寒を伴っての発熱、これが大体2−3時間ほど
続き、体温は40℃以上になる。
40℃を超えてくると一人の時は常に叫ぶか何かを喋ってないと気が狂いそうになる。
そして熱が上がりきったら解熱のための座薬。
ここからが本番だ。
40℃ある熱を体は36℃に戻そうとするが、首の自律神経をやられてるために汗がかけない、熱が下がらない。
体調不良で熱がある中、サウナにでも放り込まれたようになる。
衣服を全て脱いで霧吹きを身体中に吹き付ける。
それでも体の内側にこもった熱はなかなか下がらない。
大体3時間くらい、長いともっとかかることしばしば。
それが収まると今度は悪寒でカチコチになった肩こりからくる頭痛
痛いし熱い
今回はちょっとそれがいつもよりひどかった。
座薬を入れるタイミングが悪く、熱が下がらないまま診療所に行き抗生剤の点滴。
最悪のタイミングで悪寒が始まってしまい、点滴の針が動かないように親に震える腕を抑えてもらいながら点滴。
最初は
「死ぬかもしれない」
と思っていた思考もだんだんと
「死んだほうがいいのかもしれない」
と変わっていった。
まだ死なずに耐えれているが、これが後5年、10年、一生と続いて行くことを思うと、どこかで本当に耐えきれなくなる時が来るように思う。
その前にこのブログくらいは書ききっておきたい。
飲食店にしろ宿泊にしろ、利用するときは大抵事前に連絡するようにしてる。
楽しみにして現地に行ったら利用できなかった、というのは色々とダメージが半端ない
そして今日も飲食店の予約電話でまた心折られるような出来事。
「二人で予約したくてそのうち一人車椅子なんですが大丈夫ですか?」
「うちは完全バリアフリーではないので、それでも良かったら、、、」
「入れることは入れるんですか?」
「はい、でもうちは完全バリアフリーではないので、それでも良かったらですが」
これ本当一番嫌なパターン、「察しろ」ってやつです。
文章じゃ伝えきれないけどもう「来てもいいけど来なけりゃ尚良し」って感情が籠りすぎててもう。。。
入れなきゃ入れないできっぱり断ればいいのに。
わがままかもしれないけどこういう電話対応が一番くる。
これで行ったとしても料理の味なんかわからん。
結局他にも理由ありでこのお店は諦めました。
店側だってこんな少数派のためにわざわざ特別な何かをする必要はないと思う、自分が健常者だったらそう思う。
でもまぁ
なんていうか
誰が悪いってわけじゃないんだろうけど悲しくなる。
このブログを更新するにあたって当時のブログやsnsを見返してるんだけど、本当にキツかった時はやっぱり文章に出てるなーとおもた。
やっぱり人は簡単に死ぬんだと思ったら色々と、ね。
死から生還したとはいえなんか首輪つけて返されただけみたいな
気をぬくと自分からそっちにいってしまいそうになってたなぁと
今でもそれは少しあるけど、今は当時より臆病になった分そっちを向くことは少なくなった。
過去のブログ見てて笑ってしまうことがあって、
本当に辛い時は辛いって書かないのね
んでちょっと回復してくるとすぐ死にたい死にたいいい始める笑
クッソめんどくさいやつ!!!笑
まだこのブログの回顧シリーズは当時のブログまで追いついてないけど、時期が来たら過去のも引っ張って貼り付けてみたい。
当時の自分がどう考え、生きていたかをちゃんとまとめたい。
リハビリが始まるとそれまでの個室から大部屋に移った。
個室で親と会話のないただただ過ごす時間から、ワイワイと他の人と話しながら過ごす「生活」が始まった。
他の患者さんたちも個室より大部屋の方が入りやすいようで、夕方にはみんなが動けない自分の病室に集まってくれてワイワイやっていた
このころの自分の生活リズムはざっくり言うと
7:30~付き添いの母親がやってきて起床、朝食
8:30~リハビリ出発(血圧の具合で出発時間はまちまち)
9:00~11:00 PT
12:00 昼食
15:00~ OT
17:00 ベッドに帰還、血圧が戻ってきてやっと普通に喋れるようになる
18:00 夕食
21:00 就寝
この頃のリハビリはとにかく血圧との戦い。
そもそもベッドから車椅子に移った時点で血圧が下がって意識が飛びそうになる
そうなったら頭に血を上げるためにベッドに戻ったり、車椅子をウィリーさせて頭の位置を下げたり、もうリハビリどころじゃない。
んでやっと血が上ってきてPTに向かう、だいたい先生から言われるのは
「今日も顔色悪いな!笑」
PTの先生は50歳くらいのベテラン先生、白髪のおしゃれ坊主に白いヒゲ、いつもおちゃらけてて掴みどころのない、高田純次みたいな先生だった。以後高田先生で笑
おちゃらけてるけどやることはしっかりやる先生、ガチガチに固まった左肩をグイグイ上げていく。
簡単に例えるなら関節技をかけられてる感じ
プロがやるから限界までキッチリとキメられる
「いってーーーー!!!」
毎日PT室には自分の絶叫が響いていた。
朝一で低血圧でフラフラになり、PTでは激痛で絶叫
お昼に部屋へ戻る頃にはもう瀕死、確実に朝より顔色が悪い
その日もフラフラになりながら部屋に戻った
?
ベッドテーブルに朝はなかったものがあった
それは自分が大好きなマンガの中に出てくるチームのワッペンだった。
数日前に他の患者さんと話している時に話題に出した物だった
置いていってくれた人はすぐにわかった
患者さんたちの中でも年長でみんなのリーダー、宮本さん。
見た瞬間、地獄に垂れた蜘蛛の糸を見たような気分だった
たった一枚のワッペンがそれまでもらったどんなプレゼントよりも輝いていた
すぐにお礼を言いに行った
でも宮本さんは
「人にプレゼントするのが好きなだけだからお礼なんかいい」
そう言われてしまいあまり感謝を伝えることはできなかった。
でも
この時のワッペンは今でも宝物として大事にしてある。
武田さん、かなり人生経験豊富で物事をズッパリいう方で、結構怖い印象もあった。
見た目的にはこの頃のエレカシの宮本さんに似てる⬇︎
あまり怒らないけど、怒らせたくないなっていう学校の先生みたいな感じ、かな?
リハビリではすぐ痛い痛い叫ぶ自分はいつ怒られるかちょっとビクビクしていた笑
この宮本さんがどん底から自分を救ってくれる話はまた今度。。。
リハビリも始まって(?)いろいろなことが出来るようになっていく、と思っていた。
いざリハビリが始まっても、出来ないこと多さを確認するだけのような
自分が何も出来なくなったのを思い知るだけのようで
辛いとか苦しいとか痛いとか
なるべく感じないようにするだけで精一杯だった。
幸いリハビリの先生たちはそんな患者に慣れていたし、感じたことがないくらいの痛みがあること以外はまぁなんとかなった。
問題はそれよりも日常に関わってくることだった
この時にきつかったのは排痰だった。
事故からGW明けまでずっと寝たきりだったので肺炎になってしまい、肺に痰が溜まるようになった。
でも腹筋の効かない体なので自分で痰を出せない、ずっとゴボゴボと半分溺れているような呼吸になってしまう。
これを看護師さんが腹を押してなんとか痰を出そうとするのだけれど、困ったことに看護師さんたちの間で技術格差がすごい。。。
上手い人ならタイミングを合わせてどんどん痰を出せるんだけど、下手な人だとタイミングが合わなかったり力だけが強くて苦しいだけだったりで拷問なんじゃないかって時間を過ごすことになる。
だいたい早くて30分、長いと1時間以上でどっちにしてもティッシュ一箱ほど消費する。終わる頃には看護師さんも自分もハァハァ息がきれる重労働だった。
そんな排痰、とうとうある日恐れていた事態が起きてしまう。
看護師さんの上手い下手はまだ我慢できる、技術の差はまぁしょうがないし難しいんだろうな、とは思っていたから。
でもその日はそういう次元じゃなかった
いつものように痰が絡み始めてナースコールを押したらやってきたのはなんというか、、、
XXXXLくらいの看護師さん、見た目ほぼ丸、坂道から転がせばすごい勢いで転がりそうなくらい丸い。
ビジュアルは浅間山荘事件で使われていた鉄球に手足が生えて頭が乗っかっているところをイメージしてもらえれば完璧
↑ほぼこれ
「私あんまり力ないから上手く出来ないかも(アニメ声)」
鉄球の上の方から甲高い声が聞こえる、気のせいであってほしい。
そして鉄球看護師さんは私のみぞおちあたりに両手を置き、少し背伸びをすると体重をかけてきた
その動作は浅間山荘へ突撃する鉄球の動作と重なって見えた次の瞬間
ミシミシッ
見た目以上の重量感と共に山荘の壁よろしく、アバラが軋むのをはっきりと感じた
当然のように痰は全くでない、と言うかそれどころじゃない
痰が出ていないことを確認した看護師さんは体重をかけるべく、また少し背伸びをした
死ぬ
死に直面した際の走馬灯なのか、それとも本当にゆっくりだったからかはわからないが、鉄球が高さを増していくのがとてつもなく長く感じた
痰が絡みゴボゴボと溺れながらやっとの事で私は言葉を絞り出した、生きるために
「他の、、、看護師さん呼んで、、、」
すると鉄球は甲高い声で笑いながら部屋の外にでて行った
今日学んだこと
「大は小をかねない」
今回はいつものシリーズじゃなく障害者らしく(?)車椅子について書いていこうと思います。
車椅子遍歴からいこうと思ったら割と長くなてしまったので、私がこれまでの経験で感じた車椅子を選ぶ時の注意点、こうしたらいいかもという点をあげたいと思います。
ちなみに私の状態を説明すると
・体幹は全く効かない
・指も握力0
・肩肘手首の伸展、可動は問題なし
・顔面はよく言えば個性派
その1 まずはいろんなメーカー、機種を可能な限り乗ってみる
もうこれが一番です。体幹が効いたり指が動けばある程度自分に合わないものでも人側が合わせられますが、頸椎損傷は基本的に人側の対応幅が少ないので、いかに自分に合う車椅子を見つけられるかが勝負なところがあります。
判断の項目としては
・乗っている時の姿勢(長時間座る時、漕ぐ時、食事時など複数)
・漕ぎ出し、操作性
・移譲動作などの生活動作のしやすさ
などですね。特に姿勢はどこかに歪みがあると後々手術まで必要になってくるので鏡や写真、ビデオで確認したり業者さんに見てもらったり、やりすぎるくらい徹底した方がいいです。
その2 信頼できる業者さんを見つける
私がパンテーラを購入した決め手はコレでした。
その業者さんは当時全く担当してなかった私のメーカーの車椅子についてもしっかり知識があり、頼んだ以上の整備までしてくれ(サポートしてくれるまでも早かった)、車椅子の調整についても実際にかなり調子が良くなったので今でも信頼してあれこれ注文させてもらっています。
ただこういう業者さんはメーカーとの絡みがあったりでなかなか見つからないかもしれません、もし車椅子をもうお持ちでしたらいろんなところに整備を頼んで良い業者さんを探してみるのもいいかもしれません。
その3 サポートパーツにも目を向けてみる
これを車椅子選びのなかで書くのもちょっと反則かもしれませんが、車椅子業界には車椅子本体を作るメーカーだけでなく、サポートパーツを作っているメーカーもあります。多分一番有名なところならクッションのロホとかですかね?でもクッションもロホだけでなくJAYクッションなどがあります。
背もたれや体幹保持のためのパーツなど、車椅子単体ではサポートしきれない部分までサポートしてくれるので自分の悩んでいるポイントについて探してみるといいものが見つかるかもしれません。
私の車椅子遍歴(自走式になってからのみです)
*一応メーカーURL貼っときます
force nova 2
・初めての自走式、今はオルタナって名前になってるシリーズかな?
アームレストがフラフラしてたけど他は大丈夫だった、気がする笑
頑丈なイメージがあるメーカー、カラバリも豊富で比較的安価で最初の一台にいい
OX SX
・初めての自分用車椅子、漕ぎ出しの軽さと車に積み込む際に畳んだ時のコンパクトさが選んだ理由。車体重量自体はそこまで軽くはなかったけど積み込みは本当に楽だった。
太ったため今は乗れなくなってしまったかわいそうな車椅子。。。
Tig Titan R
・車体の軽さと伴う漕ぎの軽さ、国産では一番間違いないメーカー(と他の患者さんたちに言われ)選んだ。
実際今も載っていて5年目になるが、車体もほぼガタつきがなく今までのった中で一番トラブルのない車椅子
http://www.titanium-tig.com/html/wheelchair.html
クイッキー タイタン?チタン?
・OXが乗れなくなった際に載っていた初の固定車&海外車、背もたれの高さがあっていなかったり、アームレストの土台が何度も折れる欠陥個体に当たってしまった。
クイッキー自体は悪くないので注意。
http://www.accessint.co.jp/products/manual/index.html
パンテーラ S3
・家の中で使うために今年購入、今まで乗った車椅子で間違いなく一番軽い。
乗っている姿勢も一番楽で漕ぎ出しも驚くほど軽い、唯一の欠点は価格だがそこをクリア出来るならこれは本当におすすめ。
サポートパーツ
クッション
・ロホクッション
エアーで自動調整してくれるので褥瘡予防で信頼性の高いメーカー(完璧というわけではない)
褥瘡予防では有効だが、クッション全体が柔かいので姿勢の保持という点ではちょっと低い。
https://www.abilities.jp/fukushi_kaigo_kiki/tokozure/roho-wheelchair-cushion
・JAY クッション
褥瘡の出来やすい坐骨部分にジェルが配置され、太ももが乗る部分は硬めのクッションでサポート。そのためロホよりも姿勢保持はしやすい。
私は褥瘡の出来にくい方だったので今はこれを使っています
http://www.accessint.co.jp/products/seating/index.html#cat01
事故後初めての「景色」に感動したのも束の間、少し目を赤く腫らしながらリハビリ室へと向かった。
受付で名前を伝えまずPT(理学療法)の部屋へ。
と言っても今日のPTは先生に挨拶をするだけ、入ってみるとそこは小さな体育館のような場所だった。
車椅子に重りをつけて引く人
先生に支えられながら歩行器で歩く人
ステージのようになった場所で先生達からストレッチを受ける人
そして談笑する人々
なんとなくリハビリというよりも移設も人も本当の体育館みたいだな、という印象だった。
少し見回ってから隣のOT(作業療法)室へと向かった。
入ってすぐにたくさんの机、そしてそこに向かって何か作業する人達が見えた
こっちはPT室と違ってものがたくさんあった。
PT室はステージ以外は開けていたが、こちらは逆にステージ以外は机やいろんな器具がたくさんあった、中でも驚いたのは普通の乗用車が一台あったことだった。
⇩ステージは大体こんな感じ、この隣に車が置いてあるのを想像してもらうとわかりやすい?かも
「なんで室内に車が???」
今思えば呑気だったな、自分。
まぁそれもまた今度の話。
そしてPTの先生と対面、結構若目でニコニコとしていて第一印象は優しそうだなと、この時は思った。
先生「やーGくん(自分のことです)、ゴールデンウィークで遅れた分どんどんやっていくよー」
なんてことを言われたと思う。
ちなみにこの時の自分の状態はリクライニング車椅子に乗っていて、背もたれを結構倒した状態。
先生が後ろに周り車椅子を押して、自分に時計が見える位置まで車椅子を移動した。
先生「じゃ最初は5分くらいねー」
(えっ、何が???)
と思った瞬間、ガチっと後ろから音がして背もたれが起こされた。
今まで「座る」と言うよりも「寝ている」と言った方が正しい状態の自分の体が「座る」と「寝る」の中間ほどに体が起こされた。
頭の位置が上がった瞬間、強いめまいに襲われ視界がぼやけ、途端に景色が狭くなっていった。
強烈な眠気や疲労感というのはそれまでも経験していたが、そのめまいはこれまでのどれとも違って、どれよりも強烈だった。
起立性低血圧、普通なら足の筋肉がポンプになって帰ってくる血液が帰ってこないことで引き起こされる低血圧状態。
動けないのでその苦しさもごまかせない、ただただ苦しい時間
自分も大変だったが、後で聞いたら母親の心境も大変だったらしい。
側で見ていても明らかに血の気が引いてどんどん血の気が引いて顔面蒼白になっていく息子、しかもついこないだ生死をさ迷いたてという中でだ。
「今度こそ死ぬんじゃないか」
と思いながらも専門家の先生がしていることだったので、手出しするのはぐっと我慢していたらしい。
そして五分、全く動かない「座っているだけ」のリハビリが終わった。
体育会系で結構きついこともしてきたつもりだったが、正直これに勝るものはなかったと思う。
先生がまた背もたれを倒し始めると血が頭に戻ってくるのがわかった。
視界がはっきりし、めまいも治った。
「体を動かす辛いこと」だったらそれまでの経験からなんとかなると思っていた。
しかしまさか「座っていられるようになる」からリハビリがスタートするとは思っていなかった、自分が思っていたスタート地点すらはるか彼方のことのようで、また気が遠のいていくような感じがした。
そんな呆然とする自分に先生がかけてくれた言葉が今回のオチ
「じゃ次は3分間ね!」
ゴールデンウィークが明けて病院に人が戻ってきた、自分がいた個室の外もガヤガヤと騒がしく、昨日までと同じ場所とは思えないほどの活気が病室の外からは聞こえてきた
確かこの日は午後から車椅子に乗ったと思う
と言っても自分では全く動けないので、背もたれが首まであり、さらにリクライニングもする大きな車椅子に看護師さん数人がかりで乗せてもらった
リクライニング車椅子ってのは⇩
こういうのが⇩
↑こうなる車椅子。
車椅子というか車輪付き簡易ベッドという感じ。
自分が乗っていたのはこの写真より車輪が大きくて自走もできた、なぜリクライニング機能があるかはこれからわかります。
とにかく乗車、そして親に押してもらって病室から退出、なんだかんだで事故からここまで天井以外の景色を初めて見た。
何て事のない、普通の病院の廊下
忙しそうに行き交う看護師さん達
リハビリに向かう患者さん達
そして20mほどの廊下の突き当たりからは非常用の外につながる出口
事故からここまで自分の世界はベッドから天井までのたかだか2mが全てだった
世界とはこんなにも広いものだったのかと、遠くに見えた非常口に差し込む日の光はあんなにも綺麗で温かなものなのかと。
あの景色を忘れることは一生ない
自分の世界が一気に広がった瞬間
気づけば鼻をすすり、ボロボロと涙を流していた
自分で拭くこともできなかった涙を母親が拭いてくれた
拭いてくれた母親も泣いていた
この時初めて「心配させてしまっていたんだ」と気付いた。
そレまで他人のことも考えられなかったこともこの時気付いた
周りの看護師さんまで泣いていた、それまでよっぽど死んだ顔をしていたんだろうな。
ひとしきり泣いた後、改めてリハビリに向かった。
広がった世界の余韻はそこで全て吹っ飛んだ。
この年のゴールデンウィーク、間違いなく世界で一番動かなかったのは自分だっただろう。
まだ車椅子にも乗れなかったため、ベッドから1センチたりとも外に出れなかった。
見舞いに来てくれた友人も居たがまだ自分自身どういった対応をしていいかも、相手に自分がどう写ってるかもわからず相当にぎこちない対応になってしまっていたと思う。
病院も休みで看護師さんも少なく、患者も外泊で帰宅している方が多くいつもより静かな病院。
不思議と退屈ではなかった。
考えることは山ほどあったし、呼びかけても反応のない自分の体と向き合っているうちに時間はどんどん過ぎていった。
少しずつ暗くなっていく病室がほんの少しだけ安心できるひと時だった。
「時間さえ経てば」
無理だとわかっていても希望にすがってしまう。
その希望通り時間だけは経った。
その間に筋肉は完全になくなり、関節は岩のように固まっていた。
そこから始まるリハビリはしっかり自分に「現実」を教えてくれた。