ベルイマン監督1968年作品。英題は Hour of the Wolf
日本語ヴァージョンの解説・ストーリは見当たらなかったので、英語版Wikiより自動翻訳したのち適宜抜粋、大幅に追加加除訂正した。
画家のヨハン・ボルグと彼の妊娠中の若い妻アルマは、バルトルムの小さな島に住んでいる。画家は恐ろしいスケッチをアルマに見せ、バードマン、昆虫、肉食者、学校長、帽子をかぶった女性などと名付ける。
それらのデーモンに悩まされてヨハンの不眠症は悪化し、午前三時、夜と朝を分かつ狼の時間、多くの人が生まれ死ぬそのまでアルマに傍に居てくれるよう懇願する。
ある日、年配の女性が家に来てアルマにベッドの下に隠してあるヨハンの日記を読むように言う。アルマは、ヨハンが、彼の前の恋人であるベロニカ・フォーグラーの画像にも悩まされていることを知る。ヨハン夫婦は近くの城に住む島の所有者男爵から夕食の招待を受ける。夕食後、男爵の妻は夫婦を寝室に案内し、そこに掲げてあるヴェロニカの肖像を見せる。ヨハンはアルマに子供のころのトラウマ、小さな人が住んでいたクローゼットに閉じ込められたこと、それから島で釣りをしている間に小さな男の子との出来事、背中に抱き着かれたその子を岩に激しく打ち付け男の子を殺したことを自白しアルマに激しいショックを与える。城主のゲストの一人であるヒールブランドが夫婦の家に現れ、城での別のパーティーに彼らを招待し、ベロニカ・フォーグラーが招待者の一人であると付け加えた。彼は護身用のピストルをテーブルに置いて去る。ヨハンとアルマはベロニカへの執着をめぐって喧嘩を始める。ヨハンはついにピストルを手に取り、アルマを撃ち、城に駆け参じる。
ヨハンはパーティーに出て、ヴェロニカを探して城を駆け抜けると、彼はリンドホルストに出会う。リンドホルストは彼の薄い顔に化粧品を塗り、シルクのローブを着せ、それからヨハンをヴェロニカに導く。死んでいるように見えるベロニカの体を見渡すと、彼女は突然起き上がって笑う。ヨハンはデーモンたちにも嘲笑され侮辱されて、外のブッシュに逃げ込む。一方ピストルで撃たれたものの浅傷のアルマは、森で夫を探し、出会って後夫を森の中に残して自宅に帰る。
彼女は、男と女が長い間一緒に住んでいると考え方や感じ方が似通ってきて、互いに年老いてくると顔まで似てくることを思い、ヨハンを失った理由を思いめぐらす。「強すぎる感情が良くなかったの?
もし私が愛情の薄い女なら夫を守ってあげられた?
それとも愛情が足りないから嫉妬に振り回されたの?
彼はあのひとたちを「人食い」と呼んでいた。
彼は食われてしまったの」
映画の冒頭、クレジットが流れている時、セットを作る作業音、トンカチの音や話し声が聞こえる。そしてベルイマンの
「始めるぞ、静かに」
「カメラ、スタート」の声があって、ボートが陸に近づき、この島に住むために来た二人が上陸する映像が出る。
つまり、この映画は現実ではなくファンタジーである、との
メタメッセージと読むべきだろう。
ベルイマンは生誕の時母親がスペイン風邪にかかり、栄養失調状態ですぐ母がたの祖母と乳母に預けられる。
父親はルーテル国教会の牧師で、ベルイマンを厳しく躾け、寝小便をしたベルイマンはそのことで折檻を受けたりクローゼットに閉じ込められたりする。
そうした小さい時の出来事が、分離不安として残り、母親代理としての女性に完全な愛情を求め、満たされぬ欲求ゆえにその時の怒りが激しく、人を殺すのではないか、気が狂うのではないか、という不安にさいなまれる。その不安を解消し乗り越えようとする希求が映画製作の動機にもなり、幾多の恋愛と結婚、離婚の要因ともなる。
ベルイマンはそれらのことについて、自叙伝(マジックランタン)で率直に語っている。
(慢性的な不眠症で)いちばんつらいのは、深夜の三時と四時の間である。この時刻に心痛や嫌悪感、不安、虚脱感、憤怒などのデーモンがやってくる。デーモンを押さえつけることが出来ないために事態はますます悪くなるばかりで、私は目を閉じ、じっと耳を済ましてデーモンが勝手にあばれまわるがままにさせるーさあお出ましだ。
疲れるまでしたい放題にするがいい。デーモンはますます荒れ狂う。
やがてそれは息を切らし、にっこり笑って消え失せ、ようやく私は一時間ほど眠ることが出来る。(抜粋同書p248-9)
ベルイマンが幼少期のトラウマを映画製作を通じて何とか乗り越えてきた経緯は精神療法家 Barbara Young を惹きつけた。
映画のストーリーと自伝からわかるように画家ヨハンにはベルイマン自身が投影されている。
一方のアルマを演じるりヴ・ウルマンとベルイマンはペルソナ(1966)で出会ってすぐ互いに愛し合い、バルト海に面したフォール島に家を建てて同棲する。
その時ベルイマンは1952年に結婚したケービーと息子ダニエルをストックホルムに捨ててきた。
リヴ・ウルマンはやがてベルイマンの子を宿し、ベルイマンからの結婚申し出を断って実家のノルウエーに帰っていたが、ベルイマンは当初の「人食い」のシナリオを書き換え、アルマを妊婦に変えて、「結婚はあきらめるが、出演をしてほしい」と要請し、リヴは島に戻ってくる。
つまりアルマにはリヴ自身が投影されている、と言ってもよい。
ベルイマンはリヴとの同棲中、ベッドを共にしても肉体的緊張は解けず、それを深刻に受け止め、その原因を探り、自分の心中にある怒りなどの自己分析の結果をヨハンに投影するのだ。
そしてヨハンは自分の狂気を必死に抑えようと格闘するが、デーモンたちにいいように侮辱されて結局は血を吸われてしまう。
この死によってベルイマンは一種の浄化を果たすことになる。
この自分の中のデーモンと格闘したベルイマンの勇気を精神療法家のヤングは称賛する。(同書P142他)
この映画に付随する「特典映像」の中でリヴは
「イングマールは心に悩みを抱えていた。
登場人物もどこか異常で正気の人物はアルマだけ。
(この映画の)テーマに気づいたのは後になってから。
”愛する人の苦悩に同化しすぎては危険だ” ということ。
アルマの場合も正にそうだった。
イングマールと私にも当てはまるわ。
(あのとき)子供を連れてさっさと帰国すべきだったが別れなかった。
彼の苦悩を受け止めてしまった。
それが私の人生を変えた。
あのときノルウエーに逃げ帰らなかったから
悩み苦しみながらも成長できた気がする。」
リヴは心の強い女性である。
ベルイマンの攻撃性にたじろぎながらも踏みとどまり、
愛し続けた。
がしかし ベルイマンとの同棲は双方を傷つける、と感じ、
リヴは他の映画監督の映画に出演を求められたとき、承諾し
ベルイマンと別れる。
しかし「友達で居たい」とのベルイマンの気持ちにこたえてその後も
二人は友人同士として親密な関係を保つ。
勿論以後もベルイマンの映画に多数出演した。
この映画の特典映像には記録し、保存しておきたい内容が
いくつかある。
ベルイマンは「神」について
「神は存在しない。それは恐ろしいことではない。
むしろ心安らぐ考えだ。
この現在の大切さを再認識できる。
自分という存在だけを信じて生きることが出来る。
そこから様々な感情が生まれてくるのだ。
希望、恐れ、欲望、想像力(CREATIVE MIND、、
「祈り」それは今も私の中にあるしそれが自分の中にあることを
幸せだと思っている。
だが、自分の外に神は存在しない」
と述べている。
祈り、の癒やしの力を信じる者には力強いメッセージだ。
実存主義の影響に言及する人も多数いる。
もう一つ、後にアカデミー主演女優賞をとるリヴ・ウルマンの演技論。
「俳優には三つのタイプがある。
1,メソッドアクター:日常生活から役になりきるタイプ。
2,役の仮面をかぶるタイプ:完全に自分を覆い隠してしまう。
3,自分の中にある感情を利用して演じる(私のようなタイプ)
白紙の状態で脚本を読むと自然に感情が生まれてくる。
登場人物の感情が心に流れ込んでくる。
あとは顔や体を使ってそれを表現するだけ。
自分にはない人物を演じる時でもあくまで私自身を通して表現して行く。感情が無ければ役を演じられない。
でも私の武器は豊かな想像力だと思うの。
だからどんな突飛な役柄でもその気になれば感情を自分のものにできる。
カメラの前に立つと不思議と心が落ち着く。
私が嘘さえつかなければ、忠実に映し出してくれる。
了。



































