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Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

ベルイマン監督1968年作品。英題は Hour of the Wolf

 

 

日本語ヴァージョンの解説・ストーリは見当たらなかったので、英語版Wikiより自動翻訳したのち適宜抜粋、大幅に追加加除訂正した。

画家のヨハン・ボルグと彼の妊娠中の若い妻アルマは、バルトルムの小さな島に住んでいる。画家は恐ろしいスケッチをアルマに見せ、バードマン、昆虫、肉食者、学校長、帽子をかぶった女性などと名付ける。

それらのデーモンに悩まされてヨハンの不眠症は悪化し、午前三時、夜と朝を分かつ狼の時間、多くの人が生まれ死ぬそのまでアルマに傍に居てくれるよう懇願する。

ある日、年配の女性が家に来てアルマにベッドの下に隠してあるヨハンの日記を読むように言う。アルマは、ヨハンが、彼の前の恋人であるベロニカ・フォーグラーの画像にも悩まされていることを知る。ヨハン夫婦は近くの城に住む島の所有者男爵から夕食の招待を受ける。夕食後、男爵の妻は夫婦を寝室に案内し、そこに掲げてあるヴェロニカの肖像を見せる。ヨハンはアルマに子供のころのトラウマ、小さな人が住んでいたクローゼットに閉じ込められたこと、それから島で釣りをしている間に小さな男の子との出来事、背中に抱き着かれたその子を岩に激しく打ち付け男の子を殺したことを自白しアルマに激しいショックを与える。

城主のゲストの一人であるヒールブランドが夫婦の家に現れ、城での別のパーティーに彼らを招待し、ベロニカ・フォーグラーが招待者の一人であると付け加えた。彼は護身用のピストルをテーブルに置いて去る。ヨハンとアルマはベロニカへの執着をめぐって喧嘩を始める。ヨハンはついにピストルを手に取り、アルマを撃ち、城に駆け参じる。

ヨハンはパーティーに出て、ヴェロニカを探して城を駆け抜けると、彼はリンドホルストに出会う。リンドホルストは彼の薄い顔に化粧品を塗り、シルクのローブを着せ、それからヨハンをヴェロニカに導く。

死んでいるように見えるベロニカの体を見渡すと、彼女は突然起き上がって笑う。ヨハンはデーモンたちにも嘲笑され侮辱されて、外のブッシュに逃げ込む。一方ピストルで撃たれたものの浅傷のアルマは、森で夫を探し、出会って後夫を森の中に残して自宅に帰る。


彼女は、男と女が長い間一緒に住んでいると考え方や感じ方が似通ってきて、互いに年老いてくると顔まで似てくることを思い、ヨハンを失った理由を思いめぐらす。

「強すぎる感情が良くなかったの?

もし私が愛情の薄い女なら夫を守ってあげられた?

それとも愛情が足りないから嫉妬に振り回されたの?

彼はあのひとたちを「人食い」と呼んでいた。

彼は食われてしまったの」

 

 

映画の冒頭、クレジットが流れている時、セットを作る作業音、トンカチの音や話し声が聞こえる。そしてベルイマンの

「始めるぞ、静かに」

「カメラ、スタート」の声があって、ボートが陸に近づき、この島に住むために来た二人が上陸する映像が出る。

つまり、この映画は現実ではなくファンタジーである、との

メタメッセージと読むべきだろう。

 

ベルイマンは生誕の時母親がスペイン風邪にかかり、栄養失調状態ですぐ母がたの祖母と乳母に預けられる。

父親はルーテル国教会の牧師で、ベルイマンを厳しく躾け、寝小便をしたベルイマンはそのことで折檻を受けたりクローゼットに閉じ込められたりする。

そうした小さい時の出来事が、分離不安として残り、母親代理としての女性に完全な愛情を求め、満たされぬ欲求ゆえにその時の怒りが激しく、人を殺すのではないか、気が狂うのではないか、という不安にさいなまれる。その不安を解消し乗り越えようとする希求が映画製作の動機にもなり、幾多の恋愛と結婚、離婚の要因ともなる。

 

ベルイマンはそれらのことについて、自叙伝(マジックランタン)で率直に語っている。

 

(慢性的な不眠症で)いちばんつらいのは、深夜の三時と四時の間である。この時刻に心痛や嫌悪感、不安、虚脱感、憤怒などのデーモンがやってくる。デーモンを押さえつけることが出来ないために事態はますます悪くなるばかりで、私は目を閉じ、じっと耳を済ましてデーモンが勝手にあばれまわるがままにさせるーさあお出ましだ。

疲れるまでしたい放題にするがいい。デーモンはますます荒れ狂う。

やがてそれは息を切らし、にっこり笑って消え失せ、ようやく私は一時間ほど眠ることが出来る。(抜粋同書p248-9)

 

ベルイマンが幼少期のトラウマを映画製作を通じて何とか乗り越えてきた経緯は精神療法家 Barbara Young を惹きつけた。

 

映画のストーリーと自伝からわかるように画家ヨハンにはベルイマン自身が投影されている。

一方のアルマを演じるりヴ・ウルマンとベルイマンはペルソナ(1966)で出会ってすぐ互いに愛し合い、バルト海に面したフォール島に家を建てて同棲する。

その時ベルイマンは1952年に結婚したケービーと息子ダニエルをストックホルムに捨ててきた。

リヴ・ウルマンはやがてベルイマンの子を宿し、ベルイマンからの結婚申し出を断って実家のノルウエーに帰っていたが、ベルイマンは当初の「人食い」のシナリオを書き換え、アルマを妊婦に変えて、「結婚はあきらめるが、出演をしてほしい」と要請し、リヴは島に戻ってくる。

つまりアルマにはリヴ自身が投影されている、と言ってもよい。

 

ベルイマンはリヴとの同棲中、ベッドを共にしても肉体的緊張は解けず、それを深刻に受け止め、その原因を探り、自分の心中にある怒りなどの自己分析の結果をヨハンに投影するのだ。

 

そしてヨハンは自分の狂気を必死に抑えようと格闘するが、デーモンたちにいいように侮辱されて結局は血を吸われてしまう。

 

この死によってベルイマンは一種の浄化を果たすことになる。

この自分の中のデーモンと格闘したベルイマンの勇気を精神療法家のヤングは称賛する。(同書P142他)

 

この映画に付随する「特典映像」の中でリヴは

「イングマールは心に悩みを抱えていた。

登場人物もどこか異常で正気の人物はアルマだけ。

(この映画の)テーマに気づいたのは後になってから。

”愛する人の苦悩に同化しすぎては危険だ” ということ。

アルマの場合も正にそうだった。

イングマールと私にも当てはまるわ。

(あのとき)子供を連れてさっさと帰国すべきだったが別れなかった。

彼の苦悩を受け止めてしまった。

それが私の人生を変えた。

あのときノルウエーに逃げ帰らなかったから

悩み苦しみながらも成長できた気がする。」

 

リヴは心の強い女性である。

ベルイマンの攻撃性にたじろぎながらも踏みとどまり、

愛し続けた。

がしかし ベルイマンとの同棲は双方を傷つける、と感じ、

リヴは他の映画監督の映画に出演を求められたとき、承諾し

ベルイマンと別れる。

しかし「友達で居たい」とのベルイマンの気持ちにこたえてその後も

二人は友人同士として親密な関係を保つ。

勿論以後もベルイマンの映画に多数出演した。

 

この映画の特典映像には記録し、保存しておきたい内容が

いくつかある。

 

ベルイマンは「神」について

 

「神は存在しない。それは恐ろしいことではない。

むしろ心安らぐ考えだ。

この現在の大切さを再認識できる。

自分という存在だけを信じて生きることが出来る。

そこから様々な感情が生まれてくるのだ。

希望、恐れ、欲望、想像力(CREATIVE MIND、、

「祈り」それは今も私の中にあるしそれが自分の中にあることを

幸せだと思っている。

だが、自分の外に神は存在しない」

 

と述べている。

祈り、の癒やしの力を信じる者には力強いメッセージだ。

実存主義の影響に言及する人も多数いる。

 

もう一つ、後にアカデミー主演女優賞をとるリヴ・ウルマンの演技論。

 

「俳優には三つのタイプがある。

1,メソッドアクター:日常生活から役になりきるタイプ。

2,役の仮面をかぶるタイプ:完全に自分を覆い隠してしまう。

3,自分の中にある感情を利用して演じる(私のようなタイプ)

白紙の状態で脚本を読むと自然に感情が生まれてくる。

登場人物の感情が心に流れ込んでくる。

あとは顔や体を使ってそれを表現するだけ。

自分にはない人物を演じる時でもあくまで私自身を通して表現して行く。感情が無ければ役を演じられない。

でも私の武器は豊かな想像力だと思うの。

だからどんな突飛な役柄でもその気になれば感情を自分のものにできる。

カメラの前に立つと不思議と心が落ち着く。

私が嘘さえつかなければ、忠実に映し出してくれる。

 

 

了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この映画の「福」は、10年にわたる活動の”ザ・バンド”が、

そのラストライブをゲストたちとステージで楽しくハモっていること。

 

その伝わってくる楽しさは、バンドの面々と、ゲストの間にお互いの「レスペクト」があることが第一、そして第二にはそれを撮り、インタビューしたスコセッシ監督自身がロックの大フアンであったことによるだろう。

 

 

ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、エリック・クラプトンらの多彩なゲストの中でもひと際存在の大きいのがボブ・ディラン。

それもその筈、彼らの活動はディランと切っても切れないものだ。

 

簡単にWikiから抜粋する。

1959年、アメリカのロックンローラー、ロニー・ホーキンスは彼のバック・バンド、ザ・ホークスを連れロックンロールが落ち目になりつつあったアメリカを離れカナダへと活動の中心を移した。しかし、次第にドラムスのリヴォン・ヘルム以外のメンバーがホームシックにかかり脱退したため、現地カナダの若者をメンバーに加入させる。その際集まったメンバーが、ギターのロビー・ロバートソン、ベースのリック・ダンコ、ピアノのリチャード・マニュエルガース・ハドソン、後のザ・バンドのメンバーである。1963年までロニー・ホーキンス (Ronnie Hawkins) のバックバンドとして活動していた。

1964年、ロニーと意見の相違から別れたザ・ホークスは、やがて、ボブ・ディランのマネージャーのアルバート・グロスマンの目に留まり、彼らはボブ・ディランのバックバンドとして抜擢されることとなった。折しも、ディランがアコースティックギターの弾き語りによるフォーク路線から、エレキギターを使用したフォークロック路線へと転換する時期であり、電気楽器を嫌う従来のフォークファンからは壮絶なブーイングを受けた。しかしこれが逆にバンドの知名度を高めることになる。

1968年、ホークスはバンド名をザ・バンドとし、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビューする。シングルカットされた「ザ・ウェイト」は翌年の映画『イージー・ライダー』に使われ多くの人々に知られるところとなった。ロックにカントリー、フォーク、R&Bといったルーツ・ミュージックの要素を色濃く反映させた音楽性は非常に高い評価を獲得し、当時の多くのミュージシャンたちに大きな影響を与えた。

1969年8月17日にはウッドストックコンサートに出演。同じ8月末にはディランとともにワイト島フェスティバルに参加。このワイト島出演の際ザ・ビートルズジョン・レノンジョージ・ハリスンリンゴ・スターと親交を深めた。

同年9月、第2作のアルバム『ザ・バンド』を発表。1970年に3作目の『ステージ・フライト』を発表。1971年には野心作『カフーツ』でアラン・トゥーサンを招き、ホーンセクションを取り入れる。

1973年にはカバーアルバム『ムーンドッグ・マチネー』を発表。

1974年にはディランと共にツアーを行い、興行的にはその年で一番といわれるほどの大成功を収めた。

1972年に発表されたライブアルバム『ロック・オブ・エイジズ』は、スタジオ録音と変わらない演奏スタイルで話題を呼んだ。このあたりから、ロバートソンがバンドのイニシアチブを取るようになり、ヘルムとの関係が微妙になる

以後も、リンゴ・スターエリック・クラプトンマディ・ウォーターズのアルバム制作に参加

1975年アルバム『南十字星』発表する

だが、バンド内ではツアー活動よりアルバム制作を重視すべきとの意見をもつロバートソンと、ツアー活動にこだわるメンバーとの対立が激しくなったり

マニュエルが疲労とストレスから酒とドラッグに溺れ体調を崩すなどの問題を抱える

こうして音楽活動が行き詰まる中、ロバートソンは1976年にライヴ活動の停止を発表す

 

ロバートソンは解散して新たなステップを目指していたが、ヘルムは解散・ライブ活動停止には反対であった。またロバートソン以外のメンバーも解散を望んでいなかった。そのような中、11月24日にサンフランシスコのウインターランドでラスト・コンサートを行なう。(実質的に解散コンサートとなる。)

 

コンサートには多数の大物ミュージシャンが参加した。ホーキンス、ディラン、ニール・ヤングジョニ・ミッチェルマディ・ウォーターズドクター・ジョンヴァン・モリソン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ロン・ウッドポール・バターフィールドニール・ダイヤモンドら、そうそうたる顔ぶれである。この模様はマーティン・スコセッシの手により撮影され、映画『ラスト・ワルツ (The Last Waltz)』として公開、3枚組サントラ盤もリリースされた。

1976年、キャピトルとの契約が残っていた関係上(「ラスト・ワルツ (The Last Waltz)」のサントラをワーナーブラザーズから発表するため)アルバム『アイランド』をリリースするが、最早往年の出来映えは見られず不評に終わる。結局これを最後にザ・バンドとしての活動に終止符が打たれる。

 

 

ステージでは楽しそうにハモっているが、内部の緊張、意見の対立はあったのである。以下のようなエピソードがある。

このイベントは、ザ・バンドのリーダーロビー・ロバートソンと、ザ・バンドのマネージャー・チームが独断で物事を進めていた。事の発端は、ロバートソンがツアー生活に疲れたため、豪華なゲストを招いたライブを行い、そのライブでライブ活動を終了し、以後はレコーディング活動のみ行って行きたいと決断したのが始まりであった。しかし、ロバートソン以外のメンバーはその考えに賛同できなかった。特に、ドラムボーカルリヴォン・ヘルムは、「そんなもの全くやりたくなかったし、まだツアーを続けたかった」と後で話している。

しかしそうした緊張や対立が即演奏に反映する、というものではないだろう。

気持ちを合わせて心を一つにして演奏することはそれでも尚可能なのだ。それが出来ることが、どの世界でもプロというものだろう。

 

音楽は祈りに似た要素を持っている。

一種の帰依のようなものだと思う。

歌詞はそれが苦しみであれ、楽しさであれ、希望であれ何であれ

祈りの言葉と通底している。

神への賛美だけが祈りなのではない。

 

このDVDは深刻なイングマール・ベルイマンの映画の

息抜きとして鑑賞した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前作「道化師の夜」(1953)など後に評価された映画であるが興行的にパットとせず、プロデューサから「次回作が失敗なら二度と映画は撮れない」と脅かされてこの映画を作るが、幸い国内外で評判高く、

1956年カンヌ国際映画祭で「詩的ユーモア賞」を受賞して、ベルイマンは一躍国際的な知名度を高めた。(Wikiより)

 

 

 

英語の題は「Smiles of a Summer Night」

面白いことに前半部のストーリーは映画。Comが、後半部のストーリーをWikiが載せている。(一部余計な描写を削除、追加)

前半部

スウェーデンが生んだ巨匠イングマール・ベルイマンが、20世紀初頭のスウェーデンを舞台に、男女の交錯する思いを軽妙なタッチで描いた恋愛喜劇。弁護士のフレデリックは若い後妻のアンと、先妻との間に生まれた年頃の息子ヘンリックと暮らしていた。一方で、かつて情事をかわした舞台女優のデジレの舞台を見に行った夜、誘われて彼女の家を訪れる。しかし、デジレの現在のパトロン マルコム伯爵が来て鉢合わせする。

(左からフレデリック、デジレ、マルコム)

一方、息子のヘンリックは、若き義母のアンに思いを寄せていたが、メイドのペトラにモーションを掛けられて、からかわれている。デジレは、ヘンリックとアンを結びつけ、自分がフレデリックの正式な妻になろうと計画。関係者を集めてパーティを開くが……。

 

一部重複し矛盾もあるが後半部は

ある夏の午後、著名な弁護士であるフレデリック・エーゲルマンは、かつて愛人であった女優デジレ・アームフェルトの母親の別荘を訪れることになった。別荘へ向かうフレデリックに、彼の若妻アンと成人した息子ヘンリック、うんと年上の男が好きな女中ペトラも同行する。

そこに招かれたのはエーゲルマン一家の他に現在のデジレの愛人であるマルコム伯爵、アンの友人でもある伯爵夫人シャーロッテなど。

いずれも、現在のパートナーと上手くいっていないという共通の悩みを抱えている。

アンと未だに肉体関係に至らないことを思い煩うフレデリック、フレデリックと縒りを戻そうとするデジレ、デジレを独占しようとするマルコム伯爵、伯爵を愛しながらも報われないシャーロッテ、シャーロッテのことを心配するアン、ペトラに振られアンに心を動かされているヘンリック。それぞれが様々な思惑を抱きながら、長い夏の夜は更けていく。

 

別荘でのパーティに至るまでにはいくつかの伏線があり、そこで交わされる会話がすごく面白い。

おそらく観客をわかせたことだろう。

 

マルコムの妻が夫の愛人デジレを訪れ、夫を愛しているというと、デジレは計略を思いついて妻シャーロッテに打ち明ける。

(デジレ)計略があるの。私たちの利害は同じ。お互い敵だからと意地を張るのはお互い損よ。しばらくの間だけ休戦。(マルコムが)自分の意見で家庭に戻らせるのよ。”男の対面”を刺激すればいい。

あなたは夫を取り戻す。私はフレデリックを取り戻すのよ。

男はバカだから、女が手を貸さないと。

(シャーロッテ)どうするの?

(デジレ)まずは夕食会の席順ね。

 

息子ヘンリックの隣は若い義母アン。

フレデリックの隣はマルコムの妻シャーロッテ。

デジレの隣はマルコム。

 

パーティの会場はデジレの母親が三角関係の果てに貴族の亡夫から相続した館。メモワール(回想録)を書かない、という約束で。

招待主のデジレの母、みなにワインを振る舞ったのち、

「さて皆さん。このワインにはこんな言い伝えがある。

白樺の樹皮が落ちた血のように赤い、しかもワインを満たした樽の中に初産の女の乳が一滴たらされ、若い牡馬の精液も。

これを口にするものは恋の魔力にとらわれる。

 

早速魔力(暗示)にとらわれたのは最も若くうぶな息子ヘンリック。

酔って父親を批判しグラスを投げつける。突っ伏するとアンが「ヘンリック、落ち着いて」とアンが優しく触れる。

(左からシャーロッテ、フレデリック、アン、ヘンリック)

それを見てショックを受けるフレデリック。

醜態をさらしたヘンリックが「死にたい」というとマルコムが「いいことだ。人の心を乱すのが聖職者の仕事だから」激高するヘンリック。マルコムは「殴りたければ殴れ。(殴れば)お前の負けだぞ」と大人の対応。

失神しそうになって部屋に下がったアンのもとに死に損なったヘンリックが落ちこみ、アンに泣きつかれて「人のこころを癒すのが聖職者の仕事」とアンと駆け落ちする。

デジレの企みは、フレデリックの現在の最愛の妻、まだ初夜も済んでいない妻をフレデリックから引き離すことに成功。

アンは純白のヴェールを捨てて去る。純白のヴェールは処女の暗喩。それを木陰から見ているしかないフレデリック。

 

からくりの人形時計が回って

屋敷の馬小屋の責任者フリードがペトラに言う。

「夏の夜のほほえみは三度開く。

最初の微笑で若い恋人たちが心と体を開く。」

 

夕食後別室でコーヒーを飲む席でデジレが歌う。

「光あるうちに人生を楽しめ。

色褪せぬうちにバラの花を摘め」

 

トルストイの「光あるうちに光の中を歩め」が想起される。

 

みなそれぞれ自分の部屋に引き下がった後、

残ったフレデリックとシャーロット。

魔法のワインのせいかシャーロッテはフレデリックに言い寄る。当初はフレデリックに「妻を寝取られるよりは愛人を寝取られる方が不名誉だ」と言っていたマルコム。

妻シャーロッテがフレデリックと庭の東屋にいる、と聞いて「妻を寝取られたらワシは虎になる」とフレデリックにロシアンルーレットで決闘を挑む。

発砲音の後、しばらくして出てきたのはマルコムのみ。

待ち受けたシャーロットは、これはゲームの賭けだという。

そしてマルコムに自分への愛を誓って、とせがむ。

「7つの永遠の喜びと、18の偽りの微笑と57のささやきの間君だけを愛そう。あくびが二人を分かつまで」

と返すマルコム。

どうやらフレデリックを誘ったのは計略だったらしい。

 

ベルイマンの映画は台詞がいい。

この映画はベルイマン37歳前後の作だが、

彼は既にイエーテボルイ市立劇場やマルメ市立劇場などで

カミュ「カリギュラ」

シェイクスピア「マクベス」

T.ウイリアムズ「欲望という名の電車」

ストリンドベルイ「幽霊ソナタ」

モリエール「ドン・ジュアン」

イプセン「ペールギュント」

などの演出を行っている。

 

映画では汽車が森と湖の中を左から右に走って行っても映像(シーン)になる。

クローズアップで顔の表情をとらえて感情表現をすることが出来る。

モンタージュで長短の映像をつなげて過去と現在、あるいは夢と現実を表すこともできる。

一方舞台ではコトバと動作言語(身振り)によってそれらを表現する。

つまり会話や独白(告白)の比重が大きく、そこにセンスがないと舞台は生きないのだ。

加えてベルイマンはこの年ですでに多くの女性との愛と破綻を経験している。

その中での会話も台詞の中に入り込んでいるだろう、と推測する。

 

まあ余計なことだが、制作当時、「不良少女モニカ」の主役ハリエット・アンデション(メイドペトラ役)と別れ話の最中であり、しかもグンと結婚しているさ中でもあった。

更には、ビビ・アンデション(この映画で端役で出た、とあるが認識できなかった)との関係が始まるところであった。

自叙伝では、シャーロッテの中に妻グンを投影している、と語っている。

 

メイドのペトラは、享楽的で賢人風の少々年取った男フリードと恋の追っかけごっこ。

賢人風と言ったのは「三度微笑む」の舞台回しー陰の主役ーをしているから。宴の神サチュロス風、と言ってもいいだろう。

またもからくり時計が回って午前三時。彼が言う。

(フリード)夏の夜の二度目のほほえみは救いのない間抜けや愚か者のため。

(ペトラ)私たちの事?、、、、 結婚して。

(フリード)クハハハハ(と呵々大笑)

 

最後は東屋でフレデリックとデジレ。

フレデリックは顔中がススだらけ。

マルコムがピストルに込めた弾はスス玉だったらしい。

フレデリックが凄い溜息を吐くとデジレは

「気持ちはわかるわ。大いなる悲劇の哀れな主役ですものね。見るも痛々しいわ。」

去ろうとするデジレに「行くな」とフレデリック。

「将来の約束はしない。あなたは退屈な男。

私は大女優よ。」と形勢は完全に逆転。

この二人を再び結び付けたものは、ここに至るまでのこの夜の経緯からみて魔法のワインのせいとはいいがたい。

若い妻を息子に取られてたフレデリック。

大女優と言ってみても容色の衰えはまじかに迫るデジレ。

つまり「老い」が二人の距離を縮めたのだ(色褪せぬうちに)、と読む。

また確かにフレデリックは退屈な男。マルコムの方が男としてよほど成熟し味わい深いことを言う。

(フリード)人生ってやつは最高だ。

(ペトラ)夏の夜の三度目の微笑よ。」

(フリード)そうとも、俺のべっぴんさん。

悲しい者、虐げられたもの、夢破れた孤独な者のための微笑だ。

フリードにペトラ、北欧神話か民話の中にあるいはその名前があるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルイマン監督が自伝的映画「ファニーとアレクサンドル」撮影中に構想し原作 The Best Intentions を書いた。それをもとに、「リスボンに誘われて」のピレ・アウグストが監督して映画化。

公開はベルイマン存命中の1992年。

 

まずは映画。Comから解説

神学校に学ぶ貧しい青年と、上流階級の娘が結婚し、互いの価値観の違いを乗り越え理解し合うまでを描く人間ドラマ。「ファニーとアレクサンデル」のイングマール・ベルイマンが、引退後、自叙伝執筆の最中に構想した脚本を基に、「ペレ」のビレ・アウグストが監督した。一九九二年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール(グランプリ)、主演女優賞受賞。アウグスト監督は「ペレ」に続いて二度目の受賞となった。製作はラーシュ・ビィエルケスクーグ。エグゼクティヴ・プロデューサーはイングリッド・ダールベリ。撮影は「ペレ」のヨルゲン・ペルソン。音楽はステファン・ニルソンが担当。出演は、ベルイマンの母アンナに、スウェーデンの舞台出身で、アウグスト監督夫人でもあるペルニラ・アウグスト、父ヘンリクに、テレビ出身の人気俳優サミュエル・フレイレルが抜擢された。ベルイマン映画の常連の名優マックス・フォン・シドーが、アンナの父ヨハン役で共演している。

1992年製作/182分/スウェーデン・ドイツ・イギリス・イタリア・フランス・デンマーク・フィンランド・ノルウェー・アイスランド合作
原題:The Best Intentions Den Goda Viljan
配給:KUZUIエンタープライズ

同ストーリー

スウェーデン、ストックホルム近郊の町ウプサラ。1909年、神学校に学ぶヘンリク・ベルイマン(サミュエル・フレイレル)は、友人エルンスト・オカーブロム(ビヨルン・シェルマン)の妹アンナ(ペルニラ・アウグスト)と愛し合うようになるが、

ヘンリクには婚約者のフリーダ(レナ・エンドレ)がいた。ヘンリクとアンナの関係を快く思わないアンナの父母ヨハン(マックス・フォン・シドー)とカリン(ギタ・ノービィ)は、ヘンリクに嫌がらせをし、その結果、二人は別れることになる。二年後、結核の療養生活を終えたアンナはヘンリクと再会する。北部の田舎町フォルスボーダで牧師をすることになったヘンリクは、アンナと共に暮らし始めるが、育った環境の違いから諍いが絶えなかった。1913年3月、アンナの希望通り、二人はウプサラの大聖堂で盛大な結婚式を挙げた。10月には息子ダグが生まれたが、労働争議を発端にしたヘンリクと地元の有力者ノーデッソンズ(レンナット・ユールストレム)との対立は深まり、周囲から孤立していくのに耐えられない妊娠中のアンナは、ヘンリクと別居する決意を固めた。1918年、アンナに会うためウプサラに赴いたヘンリクは、ストックホルムの病院の仕事を引き受けたことを話し、臨月近いアンナは、二人でやり直そうと思うのだった。

 

 

ベルイマン自伝(Magic Lantern)から少々付け加える。

ベルイマン監督が生まれたとき、父エーリック(ヘンリク)と母カーリン(アンナ)の関係は危機的であった。カーリンはスペイン風邪にかかり入院し母乳も出ず、ベルイマンも栄養不足で瀕死であったためカーリンの母アンナと乳母に預けられる。祖母アンナはベルイマンが死んだらエーリックと離婚して仕事に戻るようカーリンに勧めていた。

カーリンの母アンナは支配的な人物で、もともと若い神父エーリックとの結婚には反対であった。

 

生まれてすぐ母親の愛情に欠けたベルイマンは母親の愛に希求し、それが満たされないために分離不安を起こし、満たされなかったフラストレーションは殺意を秘めた感情的な爆発に導く。

 

飛躍するが、彼の多くの結婚や愛人との破綻はそこに起因し、

それを抑圧するときは胃痙攣などの心身症となって表れ、その不安が彼の映画の製作のモチベーションとモチーフになる。

 

彼が自伝を刊行したのは1987年69歳の時。

最後の伴侶イングリットと安定した結婚生活を送って16年余、成人になってからも複雑な関係であった父も母もすでに亡く、映画によって子供の時からのトラウマ、デーモンを克服するとともに人間的な成長を遂げ、モチベーションも気力体力も衰えて引退を発表した1982年から5年くらい経ってからである。

 

自伝的映画「ファニーとアレクサンドル」は引退の前年であるが、その映画製作中に、この両親の恋愛から結婚の物語を構想しシナリオも書いたのだが、両親との葛藤はすでに浄化されていたのである。

 

そして両親が互いに愛し合い、かつそれが故に互いに傷つけあったりもする「愛の風景」がスエーデンの美しい田舎の風景の中で描かれる。

 

この映画でカーリンがエーリックと共にヘンリックの母親を訪ねるシーンがある。エーリックの父親が死んだ後エーリックを抱えた母親は大変な貧乏生活にさらされるが親族からの援助は得られず、エーリックが聖職を選んだのも大学に進むことが出来なかった理由もあるだろう。その貧乏の中でベルイマンの父エーリックも母親の愛情を十分に得られなかったようであるから、トラウマは二代続くのである。

 

ベルイマンは相手の女性に、自分の母親には満たしてもらえなかった愛情、無条件の愛情、休みない愛情を求め、満たされないときの嫉妬や怒りは相手との関係を激しく傷つける。

映画「ペルソナ」で出会ったりヴ・ウルマンと激しく恋愛関係に陥いり愛の巣をフォール島に建てる。

この二人の関係の映画は見ていないが参考のために以下に貼る。

 

 

尚映画「愛の風景」の予告編映像は見当たらなかった。

また原作はアマゾンにある。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原題は「Bringing out the Dead」(1999年作品)

 

 

「他人に哀れみを持つ人に常に興味を持ってきた。

私はホームレスや酒飲みに囲まれて育った。

一方でまともな家族と暮らし他方ではどん底の人生を目にしていた。

彼らは死を待つだけ。 実際毎日のように死んでいった。

以来、私の中には葛藤がある。

彼らを哀れむ気持ちと不快に思う心。

そんな葛藤の映画だ」

とスコセッシ自身が語っている。

 

救急救命士のフランクは、自分が救えなかった人たちの亡霊に悩まされる一方、命を救う経験を「世界一の麻薬、、神が自分の中を通り過ぎた。たったの一瞬だが否定できない。俺は神だった」と万能感に浸る。

 

「誰かを救うたびに持つエゴや思い上がりを救命士たちは昇華させ、哀しみや思いやりの心へと到達する。」(スコセッシ)

 

原作はジョー・コネリー。自らの救命士としての経験をベースに小説化する。その意図は、

「本を書くことによって、救えなかった人々を弔いたかった。

クイーンズの救命士養成校に5週間通ったのち、救急車でイーストハーレムに送られた。

救命の定義は常に変わる。初心を忘れず柔軟に対処しないと重責に押しつぶされる。救えないものは救えるものよりはるかに多い。

そのことを伝えたかった。」

 

映画の中でフランクは

「俺の仕事は命を救うことではなく、見届けることなのだ。

現場に駆けつけてきて悲しみを拭き取る雑巾」

と救うことのできなかった日が続いて鬱屈する。

 

何度も手を切って自殺を図ろうとするやせこけた老人に、フランクは

死にたければこう切れ、と教えた後ナイフを突きつけ、

「お前は死を望みながら、死ぬ勇気はないのか」と迫る。

一方、心拍停止から何回も蘇生したタフな父親を献身的に介護するメアリーに出会う。

家族を持たず鬱屈を癒す拠り所を持たないフランクはメアリーに惹かれていくが、メアリーの父親バークは、フランクと二人きりの時

何度も「死なせてくれ」と懇願する。

フランクはどうすべきか迷う。

 

DVDに付属した「特典映像」を交えながら綴ったが、シチリア系イタリア移民社会に1942年生まれ育ったスコセッシには、現実の腐敗と矛盾に取り組んだ作品が多く、深い余韻が残る。

そしてその余韻がアートをアートたらしむものなのだろう。

 

一方少年時代にはカトリック司祭を目指したことがあり、「キリスト最後の誘惑」や「沈黙」など直接キリスト教を扱った映画もある。

この映画も、「キリスト者」としての生き方と交錯する面があることは言うまでもないだろう。

 

このコロナ禍で、感染拡大が予測されながら、Xファクター(山中教授)、ただのインフルエンザ(麻生太郎)、PCR検査は検査誤差が却って感染拡大をもたら(厚労省)、、などなど根拠なき楽観や過小評価によってしっかりとした見通しに立った備えを怠り、一方では大きな医療資源を負担せざるを得ず、よって感染拡大を助長するオリンピックは、ずるずると無い崩し的に開催して来た自公政権。

大阪維新はどうだ、雨合羽にイソジン、愚劣のオンパレードだ。

いまや医療崩壊は現実のものとなり、救急隊員はコロナ中等症(重症化するか否かは事前の判別不可能)者は自宅待機(単身者はどうする!)重症者の搬送先も見つからない状態だ。

 

感染した人たちの不安や恐怖も相当なものだろう。

それを置いて、「感動」などと舞い上がるスポーツ選手の無知無教養には心底情けなくなるが、日本国民を見下すバッハも許しがたい。

 

また、救うことの困難な、再び会う時は死亡しているかもしれない患者を搬送せざるを得ない救急隊員の気持ちを思うと切なくなる。

残念ながら、これらの難局は当分続くだろう。

 

もう言葉もない。

日本映画界にはひとりのスコセッシもいないのか?

 


追記:映画「救命士」の予告編 日本語ヴァージョンが見つかりません。よって英語版となりました。悪しからず。

見終わって最初の感想は

「ずいぶん安上がりに作ったなぁ」

ということ。

基本的にロケを行わず従ってエキストラも不要。

セットも照明の当たる部分の大道具小道具のみ。

背景を暗くするために強烈なスポットライトが当てられる。

そのせいか、主要な人物、バートランド・ラッセル(ウイトゲンシュタインより11歳年上)J・メイナード・ケインズ(同6歳上)の皺の多い顔が目立ち現実感に乏しかった。

ウイトゲンシュタイン

 

先に進む前に、映画。comから解説とストーリーを抜粋する。

解説

20世紀最大の哲学者のひとり、ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの波乱に満ちた生涯とその思想を、独特の視点で描いた伝記映画。監督は94年2月にエイズで死去した「ザ・ガーデン」「エドワードII」のデレク・ジャーマンで、彼の最後の劇映画となった主演は、ジャーマン監督作「テンペスト」にも出演したカール・ジョンソン。共演は「バットマン」のマイケル・ガウ、ジャーマン作品の常連ティルダ・スウィントンほか。

1993年製作/イギリス・日本合作
原題:Wittgenstein
配給:アップリンク

ストーリー

ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、1899年にウィーンで工業界の大物の息子として生まれた。家庭は裕福だったが、不運に見舞われていた。彼は9人兄弟の末っ子で4人の兄がいたが、うち3人が自殺していた。ケンブリッジ大学に進学したヴィトゲンシュタインは、情熱に満ちた才気あふれる思想家バートランド・ラッセル(マイケル・ガウ)の援助を受けていた。当時の学内には、ラッセルの愛人であるレディ・オットリーン・モレル(ティルダ・スウィントン)や、経済学で著名なメイナード・ケインズ(ジョン・クェンティン)らがいた。ヴィトゲンシュタインの知性的自己開発の探究は、彼の空想の産物であるミスター・グリーン=緑の火星人(ネイビル・シャバン)との対話形式で語られる。彼はまた同性愛者だったが、恋人ラッセルとは決裂してしまう。第一次大戦に従軍中、記念碑的な著作『論理哲学論考』を完成。復員後はオーストリアの田舎の教師として生徒たちの教育に当たるが、ある女生徒を殴打する事件を起こし、教師を辞めさせられる。その後、ロシアでは肉体労働者として働くなど各地を転々とするが、その間、一生を通じて自己疎外感と闘った。1929年にケンブリッジに戻ってからの彼は、再び哲学への思索に打ち込む。「素晴らしい人生だったと伝えてくれ」との言葉を最後に残して、ヴィトゲンシュタインは51年にガンで亡くなった。

このストーリーに関しては補足と訂正が必要だ。

まずウイトゲンシュタイン(英語読み、ドイツ語読みはヴィトゲンシュタイン)の生まれは1889年。父親は折からの鉄道敷設ブームもあってウイーンに宮殿を立てたユダヤ人大富豪。そのサロンには画家のクリムトやフロイトも顔を出すほどのウイーン随一の豪華さ。ウイトゲンシュタインはベルリンの工科大学を出た後、英国マンチェスター大学工学部の研究生になる。偉大な論理学者フレーゲの著作に触れて彼のもとで学ぼうと訪ねるが、高齢のフレーゲにケンブリッジのラッセルのもとで学ぶよう勧められ1912年にケンブリッジの学生となる。

文中、ラッセルの援助云々はちと言いすぎ。

ラッセル

またラッセルは4度くらい結婚した異性愛者でウイトゲンシュタインと同性愛関係になったことはない。このころ知り合ったケインズはウイトゲンシュタインの崇拝者に近い理解者で、当時は同性愛者であったが、ウイトゲンシュタインと同性愛的関係になったことはない

ケインズも40歳くらいになって異性と結婚したことを記しておこう。

第一次世界大戦で1914年オーストリア・ハンガリー帝国軍に志願する。生命の危険度の高い見張り兵に志願するなどして武功を上げ勲章をもらい少尉に昇進するが、敗軍となって収容所に入れられるが、戦後の賠償問題を話し合うパリ講和会議で英国の大蔵省主席代表になっていたケインズの尽力で1919年釈放される。

ラッセルの名誉のために付け加えれば、核廃絶などの社会活動家でもあったラッセルは入獄中で彼を助ける能力はとてもなかった。

 

また彼の哲学を「知性的自己開発」というのは意味不明だ。

 

戦争中「論理哲学論考」を書きあげるが学位論文提出は1929年。

その時教官のラッセルやムーアに向かって「君たちがこの論文を理解できないことは分かっている」と言い放つが、ムーアは「これは博士論文のレベルを超えた天才のものだ」として通し、ケンブリッジの講師になる。

ウイトゲンシュタインの生前の著作は「論理哲学論考」(たくさんの人が翻訳や解説を著作しているが野矢茂樹氏の岩波文庫推奨)と「小学生のための正書法辞典」(内容不明)のみ。これは収容所から出た後、1920年教員資格をとってスイスで小学校教員になり、そこで厳しい体罰が問題となって1926年退職。ラッセルやケインズの強い勧めもあってケンブリッジに復職、学位を取ったのち1939年哲学教授になる。

ウイトゲンシュタインの著作は先の二冊のみだが、講義録や受講生のノート、彼自身の論考以降の思考の変化を書き留めたノート類が死後刊行される。

主なものを挙げると、「青色本」「哲学探究」「哲学断章」「哲学宗教日記」「ラストライティングス」などがある。

映画で彼の思索の変化をどう伝えるか、興味をもって見たが、うまくいっていない。それも無理なかろう。彼の思索ないしその変化を簡単に述べることは不可能だろう。私にも手に余る。

ウイトゲンシュタインを知りたい人のために、私の経験から、次の二冊を入門書として挙げておこう。

1 「はじめてのウイトゲンシュタイン」NHK Books 古田徹也著

2 「ウイトゲンシュタインはこう考えた」講談社現代新書鬼界彰夫著

 

日本のウイトゲンシュタイン研究者も、新しい世代が出てきて「新訳」もいくつかあり、「哲学探究」をはじめなるべく新しい訳書のほうがわかりやすくなっていると思う。

 

第二次大戦中はロンドンの病院勤務をした後、再び復職して1944年授業を再開する。46年には「哲学探究」の最終稿が出来上がり47年には教授を退職する。そののちの48年、49年の思索が「ラストライティングス」であり1951年前立腺がんで死亡する。

病の重さに枕頭にはせ参じようとした人たちに残したのが

「素晴らしい人生だった と伝えてくれ」という最後の言葉なのである。

 

あと二三付け加えたい。

ウイトゲンシュタインは「ウイトゲンシュタイン読本」法政大学出版飯田隆編によれば同性愛者であったことは確かなようであるが、一方1930年から32年の「哲学宗教日記」講談社鬼界彰夫訳にはマルガリートという女性を「愛している、あるいは愛したいと願っている」とある。同性愛はケインズと同様一時的なものであったと思われる。

ゲイでエイズで亡くなった監督デレク・ジャーマンはケインズを含めてゲイを強調しすぎだ。だからストーリーにあるようにラッセルもゲイと勘違いしてしまう。もっともウイトゲンシュタインがゲイであったかどうかは、彼の思想に関して全く本質的なことではない。彼は愛について語っているわけではないのだ。

 

もう一つ興味深いことがある。

ウイトゲンシュタイン家の男子は、5人中3人が自殺している。

自殺の衝動はどこから来るのだろうか?

今の日本の自殺の原因は大概が残念な、政治の貧困ともいえる「経済苦」からであるが、ウイトゲンシュタインに勿論それはなかった。

自分の無能力、あるいは無能力感から来る「わたしは生きるに値しない」という感覚に襲われたのだろうか?

子供の時寝小便をする子供であったようだが、例えばイングマール・ベルイマン監督のように、それによって罰ーさらし者にされて屈辱ー恥ずかしい思いをする、といったことも無かったようだ。

余りに偉大な父親を乗り越えようとするプレッシャー?

彼の伝記には詳しくないのでこれ以上の詮索は止しておこう。

がその彼が自殺衝動から、あるいはその恐怖から抜け出したのは、

トルストイの「要約福音書」に出会った故だという。

トルストイは、新約聖書にある処女懐胎や復活といった三位一体に関する言説や奇跡に関する言説を退けて4つの福音書を一体にして要約した。三位一体説が信じられない私にはとても興味深い。

そこで今それを読んでいるところだ。

それは荒井献著「イエス・キリストの言葉」(岩波現代文庫)にも通じる

なぜなら処女懐胎も復活もイエス自身は語っていないからだ。

このことについていつかブログに書くことを妙な話だが私自身楽しみにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このコロナ禍ではあるが、読書もまた我々の営みに欠かせないものであり、予定通り開催した三省堂に敬意を表して昨4日出かける。

 

ワクチン接種後で多少の安心感はあるものの、BrakeThrough が報告されており行きにグリーン車を奮発する。

 

会場は入り口と出口が分かたれ、例年思想・哲学書が並ぶ書店は出口に近い方であったので、そこに直行するが棚はなかった。

社会的距離を取るために参加書店を絞ったのか、とも思うがこのコロナ禍で廃業したのでなければよいが、と不安も兆す。

 

昨年は確か見送ったので多少記憶が曖昧な点があるが、棚数が少なくなって全部を見る時間も少なくなった。

 

今回は以下の4点を購入

1 「映画で世界を愛せるか」 佐藤忠男 岩波新書 200円

2 「ヴィスコンティ集成」 フィルムアート社 500円

3 「映画監督大島渚ー追悼」 阿部嘉昭 河出新社 1200円

4 「老年期」 E・H・エリクソン他  みすず 1600円

この書はハーバードの「人間のライフサイクル」という講座でベルイマン監督の映画「野いちご」を教材として使い、人生の各段階を回想し、その再体験によって自分の人生を改めて組みなおし、老年期の癒しを得る例として分析がなされている点が目次にあり、それに注目し購入した。

 

 

エリクソンの「心理社会的人生段階」説はつとに有名であるが、それは日本を含む概ね先進諸国の「人生段階」であり、それを一般的なものとして提示すると、もともとが多様な人間の自己意識を、標準ー逸脱 との余計な枠組みを作ってしまう危険を感じていた。

それは、特に自分自身の方向性を決めようとする青年期、揺れ動く青年期に無用な悩みを作ることになりかねない危険性もある。

ということで昔から批判的であったのだが、最近ベルイマン監督自身の「デーモン」についての分析をしている書を読んでいるので、参考のために購入した。

 

出かける前は一応ウイトゲンシュタイン関係の本を探すつもりであったが、例年求めるものがあった例はない。ないけれども書棚をめぐっているうち違うものに出会う楽しみが捨てがたいのである。

 

昼少し前に清算をして、池袋西口の「ふくろ」に行く。

久しぶりであったので、店の様子が変わっていた。

一応分煙され、カウンターには木枠が据え付けられて対面での感染防止、客同士の感染対策でしっかりしたアクリル板が設けられており、隣客との間隔も少し広めになっている。

このコロナ禍が簡単には収まらぬ、とみてある程度長持ちする対策を取ったのであろう、と感心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍にも拘らず強行されるオリンピックの凶騒を避けて、

開会式前の21日、炎天下の中を市谷のギャラリーまで出かける。

 

展示は、Monument for Nothing Ⅴ にほんのまつり

この作品は兵庫県立美術館で展示された2019年の作品であるが、

先の太平洋戦争の敗戦で戦死した6百万以上の兵士の半数以上は餓死者であったことは、筑摩書房の「餓死した英霊たち」に詳しい。

 

 

 

当然ながら制作した会田にもそのことはあっただろう。

兵士の人命を軽視して、親や妻兄弟姉妹の苦しみや悲しみを「英霊」という三文の得にもならない美辞麗句で仕立て上げれば、一件落着、という戦前の支配層ー彼らもまた戦後、官僚や地方の首長、自衛隊や治安警察などに流れ込んだことは、「戦後の特高官僚ー日本機関紙センター、柳河瀬精著」に詳しい。そうした戦後の、今日の有様を見れば、彼らの死は無駄にされた、との思いがふつふつと湧く。

 

 

そうして戦後を生き延びた軍人や高級官僚は岸信介を筆頭にいわば「自民党」の笠をかぶって国会を乗っ取ったのである。

 

そうした思いからこの作品はぜひ見たい作品であった。

もう一つ会田の作家活動の中で忘れてならないのは、日本オーストリア友好150周年記念イベントでウイーンで開催された

「Japan Unlimited」で出品された「国際会議で演説する日本の総理と名乗る男のビデオ」(明らかにアベシンゾーをパロっている)が反日的だとして(恐らくはアベに阿る)国会議員から外務省に抗議があり、急遽外務省ー駐オーストリア大使館のルートで記念事業の公認取り消しをしたことである。

 

このビデオは18年冬、大林組の助成事業で開かれた「会田誠展」

 

 
で拝見したのだが、自称愛国者、その実アベに阿る猟官議員が起こした騒動で、「美しい国」の芸術は問題とすべきものでは全くない。
 
今日の、アベの再度の敵前逃亡の辞任劇後の今であれば、自称愛国者は何の声も挙げず、外務省も無視したと信ずる。
 
そうした愛国者を揶揄したのが「漬物」を日本の文化の粋として称揚した「声明文」である。
 
「わたくし粕漬は今回の「北東アジア漬物選手権」における最下位に抗議する」と始まる中で、「神の力」と「人の愛」で出来ている粕漬は一食品の枠を超え「崇高な信仰の対象」だとして審査の再考を求める文である。先の大戦は現人神天皇を戴く聖戦であり、絶対に負ける筈はない」、と言いながら「神の子」であるはずの兵士の人命をちり芥のごとく軽視する日本の旧支配層の問題は、「一億総懺悔」で軽くいなされてしまった。それゆえに今回のオリンピックの開催決定からコロナ禍の中での対応のまずさの中に依然として同じ問題が繰り返されているのである。
 
予想外な事に、展示はこの二点だけであった。
しかし、市谷駅近くのタイ料理屋で春雨サラダをつまみにのどを潤したこともあって不満はなかった。
不満はなかったが物足りなさは残ったので、「アマビエの図」
を購入した。アマビエとは疫病(コロナ)除けの妖怪である。
相変わらず少女が好きだなぁ、、と思いつつ。
 
今展示中の会田の作品でわすれてはならないのは、国立競技場周辺で始まった「パビリオン・トウキョウ2021」に出品された「東京城」である。
この作品は左がブルーシート、右が段ボールで作られていることに注目すべきだろう。展示のリンクを以下に貼る。

 


ブルーシートと段ボール、と言えば、天災、人災の際の応急処置や避難生活につきもの。避難所の生活は先進国と言われる日本よりも開発途上国のタイやインドネシアの方が遥かに居心地が良い。ましてや台湾などはもっと良い。

先進国などといい気になっているが、一人当たりGDPや平均賃金はいまや韓国に抜かれてしまっている。

我々国民も、蜃気楼の飴玉をしゃぶらされてオリンピックで日の丸が上がるたびに感激して日頃の憂さを、自公政府の失態を忘れていると、ますます沈没するだけであろう。

 

追記:時おり個展を開くことがある会田誠は、継続して一人の作家の足跡をたどることができる、という意味で貴重である。

例えば昨年の「都美セレクション展」で注目した「宮本京香」はその後どんな作品を作っているだろうか、などと気になる。

彼らも時折個展を開くことがあってほしいものだ。

 

監督のギャスパー・ノエ はWikiによれば「観客を挑発し続けるフランス映画界の鬼才」と呼ばれているそうだ。

 

大体「鬼才」などという尊称?は、意味ありげだが、よくわからないものを作る作家を奉って脇ー傍流に追いやるためのものである。

 

まずは映画。Comから解説を借用して、この映画の概要とする。

フランスの鬼才ギャスパー・ノエが、ドラッグと酒でトランス状態になったダンサーたちの狂乱の一夜を描いた異色作。1996年のある夜、人里離れた建物に集まった22人のダンサーたち。有名振付家の呼びかけで選ばれた彼らは、アメリカ公演のための最終リハーサルをおこなっていた。

激しいリハーサルを終えて、ダンサーたちの打ち上げパーティがスタートする。大きなボールに注がれたサングリアを浴びるように飲みながら、爆音で流れる音楽に身をゆだねるダンサーたち。しかし、サングリアに何者かが混入したLSDの効果により、ダンサーたちは次第にトランス状態へと堕ちていく。「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」のソフィア・ブテラ以外のキャストはプロのダンサーたちが出演し、劇中曲として「ダフト・パンク」「ザ・ローリング・ストーンズ」「エイフェックス・ツイン」などの楽曲が作品を盛り上げる。

 

前半部に集まったダンサーたちにインタビューする部分があり、次いで踊りの稽古の場面が続く。それがこの映画のドキュメンタリー的な見せかけを凝らして終わり、第二部で彼らがドラッグでハイになり、何者かがパンチボールの中に薬を入れたことに気が付き始め、ラリったままで犯人追及が、つまり支離滅裂な追及が始まる。それは次第に暴力的なものになり、死と隣り合わせのものになり、なるべくしてセックスー兄妹の近親相姦を含めてーに至る。

ノエ監督がこの映画をもって来日した際のインタビュー記事がある。

 

 

長ったらしいので適宜省略する。

物語は実際の事件を基に、ノエ監督が大きく脚色し、演技経験のないダンサーたちによる即興の会話劇と、その身体能力をフルに活かした目くるめく狂乱を実験的な手法を用いて映像化した。

「ドラッグの混入は僕の脚色で、犯人は誰かということを明確にせず、ダンサーたちの変質を撮りたかったのです」

前半はとりとめもない会話、後半は衝撃のクライマックスに向け、ボルテージを加速させていく音とダンス、理性を失った登場人物たちを捉える2部構成となっている。「前半の会話でシナリオに書かれているものはひとつもありません。基本的に今回の作品は順撮りで進めました。そうすることによって、登場人物たちの心の変化と演じている人たちの変化がリンクしやすいのです。最初のダンスは振り付けを入れて撮りましたが、それ以外のダンスは全て彼らに任せました。脚本はないので、僕はカメラの後ろで『僕を笑わせてみて』なんていう指示をするのです」

酩酊状態に変化していく人間の姿を映していく一方で、文字を使った視覚表現がアクセントになっている。

 

最後の文字を使った省略表現だが、それは

「生きることは集団不可能性」

「死は特異な体験」

などというものであり、訳のわからないことを言って人を惹きつける、例えばフランスの哲学者ジル・ドゥルーズのやり方を活用している。

訳の分からないことを言うと、必ずそれを「分かった!」と言うものが私を含めて出てくるのだ。あとはそれを高みの見物をすれば何となく権威がまとわりつくようになる。

(この意見に賛成の方は岩波現代文庫の「知の欺瞞」などを推奨)

 

インタビューの最後はこう締めくくられる。

「多くのカップルが人生の楽しみと捉えてセックスを実践していると思う。それを良くないことと非難する、最近のヨーロッパ社会は精神分裂気味だと感じています。性的な営みを、正しい、正しくないものと捉えるのは危険だと感じるし、子どもたちが性を悪いものとして捉えるという弊害が出てくるのでは」と持論を述べた。

 

まったくもって精神分裂気味だ。

ギャスパー・ノエ監督作品は「アレックス」を見

 

 

 

最近も「エンターザボイド」を見たのだが、汚らしくて不潔で、途中で見るのを止めてしまった。

やはり「鬼才」として脇に奉って(放って)置きたくなるのだ。

 

アレックスもこの映画も背景のトーンは血の赤である。

これにもまた意味を見出すべきだろうか?

 

 

 

 

 

 

後にノーベル文学賞を受賞したこのギュンター・グラスの代表作。

言語自体の持つあいまいさ、と映画自体の持つ多義性が相まって不可解が不可解を呼ぶ悩ましい映画である。

冒頭、オスカルの祖母、つまり母の母はだだっ広い芋畑で、追われていた放火の常習犯をスカートの下に隠してかくまい、その種を宿してオスカルの母アグネスを生む。アグネスも成人し1924年自由都市ダンツイヒにオスカルが誕生する。

 

オスカルの父親は雑貨屋だが、ナチズムが優勢の時はナチに入党し、旗色が悪くなるとヒトラーの肖像をベートーベンに取り換えるような日和見である。オスカルの母アグネスは従兄と仲が良く、オスカルの種はその従兄らしいが、それを雑貨屋は受け入れているようだ。

 

ダンツイヒは第一次大戦後のヴェルセイユ条約によって成立したがナチスドイツの侵攻により1939年併合された。そのごナチスの敗北によってソ連に解放、否 蹂躙された。

自由都市とはいえ、儚い運命だ。

現在はワレサのグダニスクである。

 

 

少し先を急ぎ過ぎたようだ。

まずは原作から。

今は精神病院の住人オスカルが、ブリキの太鼓を叩きながら回想する数奇な半生。胎児のとき羊水のなかで、大きくなったら店を継がせようという父の声を聞き、そのたくらみを拒むために3歳で成長をやめることを決意したオスカルは、叫び声をあげてガラスを粉々に砕くという不思議な力を手に入れる。時は1920年代後半、所はバルト海に臨む町ダンツィヒ。ドイツ人、ポーランド人、カシューブ人など多くの民族が入り交じって暮らすこの港町は、長年にわたって近隣の国々に蹂躙されつづけてきた。台頭するヒトラー政権のもと、町が急速にナチズム一色に染められるなかで、グロテスクに歪んでいく市井の人々の心。狂気が日常となっていくプロセスを、永遠の3歳児は目の当たりにする。ナチス勃興から戦後復興の30年間、激動のポーランドを舞台に、物語は猥雑に壮大に、醜悪に崇高に、寓意と象徴に溢れためくるめくエピソードを孕みながらダイナミックに展開する。

 

原作では、今は精神病院の住人であるオスカルの回想から始まる。

映画では最後にオスカルは成長することを決意して、祖母を母国に残して汽車で西側に去ってゆくが、そのごオスカルが精神病院に入ったことも暗示されていない。

 

原作者のグラスも脚本に参加しているから、当然彼も承認していたのだろう。映画は原作に忠実である必要はない。

どんなに忠実に作ろうとしても、言語も映像も多義的であり、違ったものになるのは当然であり、映画作家を尊重しようとすれば、グラスの態度はうなずける。

 

「ブリキの太鼓」の映画制作者は、精神病棟でのオスカルを映像化しないことで、かえって、オスカルという精神と性は成熟しているにもかかわらず身体は外見的に子供であることや、ブリキの太鼓がもたらす出来事などから、寓意や象徴を読み取ろうとする我々の好奇心というかを探求心を利用しているように思える。

 

自由都市ダンツイヒでの第一次、第二次世界大戦の戦間期、グラスもその地で生まれ育ち、反抗的な若者で教師と対立し、それが故に再三転校を余儀なくされた。

彼は著書「玉ねぎの皮をむきながら」で

 

 

「私はたしかに、ヒトラー・ユーゲントとしてナチス少年団員だった」

と衝撃の告白をし、ノーベル賞返上の騒ぎもあったのだが、その当時

を「想起」することで、オスカルに自分の一部を担わせ、追体験というよりは再体験をして自分の過去にけりをつけようとしている。

 

当時の自由都市ダンツイヒの隣国ドイツとポーランドに挟まれて不安定な状況下で人々は刹那的に、ゆえに享楽的な生活を送っていた。

オスカルは決して局外者としてそれを見ていたのではない。

精神と性は成熟していながら、外見的に子供であることにより大人の子供に対する甘やかしや油断を利用する。

雑貨屋に住み込みで働くようになった少女マリアと海水浴場の着替え室で一緒に着替えしている時、全裸のマリアの陰部に吸い付き「ませ過ぎよ、何も知らないくせに」と言われ、その夜家人が出かけた夜マリアと同衾し、性行為が暗示されて

子供クルトが生まれる。

世間体を憚った雑貨屋の父はマリアを入籍しクルトをオスカルの弟として育てる。

またナチスの地方部隊の慰問団になったサーカスの小人集団に誘われ、そこのマドンナ ラグーナ嬢と恋仲になり同衾する。

オスカルも退廃を共有しているのだ。

 

映画の終盤、雑貨屋にソ連兵たちが押し入り、マリアを強姦し、

オスカルはソ連兵のアジア系の兵士に抱きあげられたとき、手に持っていたナチスのメダルを兵士に隠れて父に渡す。

そのメダルを飲み込もうとして激しくせき込み、父は撃たれて死ぬ。

 

父を埋葬するとき、オスカルは「成長する」決意をし、ブリキの太鼓を墓に投げ入れる。真似をしてクルトが石を投げつけそれがオスカルに当たり、オスカルは成長をやめた時と同じように失神し、息を吹き返して成長し始める。

 

成長は「父殺し」を契機に始まったのだろうか。

だとすればブリキの太鼓は長い父殺しのプロセスの象徴なのだろうか。

あるいはブリキの太鼓は自由都市ダンツイヒ、ドイツ人ポーランド人、それに母方のカシュバイ人の平和的共存の終焉を意味するのだろうか。

成長は第二次大戦後の東西両ドイツ分断、東西冷戦の新たなヨーロッパの始まり、危機に対応するために決意されたものだろうか。

 

などいろいろな見方が可能であり、それはカフカの「城」と同じく多義的で、それぞれが矛盾し「決定不可能」なものでもある。

 

話は変わるが、コパアメリカで主将として念願の優勝を果たしたアルゼンチンのメッシもまた、成長ホルモン分泌不全性低身長症 通称小人症であった。彼は高額な費用のかかるホルモン投与の治療を受けるためにFCバルセロナに入団することになる。

だからオスカルの「成長」はあながち荒唐無稽とは言えないのだ。

 

 

なにはともあれ、長年のメッシファンとして、コパアメリカのメッシ宿願の優勝を喜びたい。

 

追記:同映画は1979年カンヌ国際映画祭ぱるむ・ドール受賞。アカデミー外国語映画賞受賞。