【複製】#ギュンターグラス原作 #映画ブリキの太鼓 #ブリキの太鼓は何の象徴か | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

後にノーベル文学賞を受賞したこのギュンター・グラスの代表作。

言語自体の持つあいまいさ、と映画自体の持つ多義性が相まって不可解が不可解を呼ぶ悩ましい映画である。

冒頭、オスカルの祖母、つまり母の母はだだっ広い芋畑で、追われていた放火の常習犯をスカートの下に隠してかくまい、その種を宿してオスカルの母アグネスを生む。アグネスも成人し1924年自由都市ダンツイヒにオスカルが誕生する。

 

オスカルの父親は雑貨屋だが、ナチズムが優勢の時はナチに入党し、旗色が悪くなるとヒトラーの肖像をベートーベンに取り換えるような日和見である。オスカルの母アグネスは従兄と仲が良く、オスカルの種はその従兄らしいが、それを雑貨屋は受け入れているようだ。

 

ダンツイヒは第一次大戦後のヴェルセイユ条約によって成立したがナチスドイツの侵攻により1939年併合された。そのごナチスの敗北によってソ連に解放、否 蹂躙された。

自由都市とはいえ、儚い運命だ。

現在はワレサのグダニスクである。

 

 

少し先を急ぎ過ぎたようだ。

まずは原作から。

今は精神病院の住人オスカルが、ブリキの太鼓を叩きながら回想する数奇な半生。胎児のとき羊水のなかで、大きくなったら店を継がせようという父の声を聞き、そのたくらみを拒むために3歳で成長をやめることを決意したオスカルは、叫び声をあげてガラスを粉々に砕くという不思議な力を手に入れる。時は1920年代後半、所はバルト海に臨む町ダンツィヒ。ドイツ人、ポーランド人、カシューブ人など多くの民族が入り交じって暮らすこの港町は、長年にわたって近隣の国々に蹂躙されつづけてきた。台頭するヒトラー政権のもと、町が急速にナチズム一色に染められるなかで、グロテスクに歪んでいく市井の人々の心。狂気が日常となっていくプロセスを、永遠の3歳児は目の当たりにする。ナチス勃興から戦後復興の30年間、激動のポーランドを舞台に、物語は猥雑に壮大に、醜悪に崇高に、寓意と象徴に溢れためくるめくエピソードを孕みながらダイナミックに展開する。

 

原作では、今は精神病院の住人であるオスカルの回想から始まる。

映画では最後にオスカルは成長することを決意して、祖母を母国に残して汽車で西側に去ってゆくが、そのごオスカルが精神病院に入ったことも暗示されていない。

 

原作者のグラスも脚本に参加しているから、当然彼も承認していたのだろう。映画は原作に忠実である必要はない。

どんなに忠実に作ろうとしても、言語も映像も多義的であり、違ったものになるのは当然であり、映画作家を尊重しようとすれば、グラスの態度はうなずける。

 

「ブリキの太鼓」の映画制作者は、精神病棟でのオスカルを映像化しないことで、かえって、オスカルという精神と性は成熟しているにもかかわらず身体は外見的に子供であることや、ブリキの太鼓がもたらす出来事などから、寓意や象徴を読み取ろうとする我々の好奇心というかを探求心を利用しているように思える。

 

自由都市ダンツイヒでの第一次、第二次世界大戦の戦間期、グラスもその地で生まれ育ち、反抗的な若者で教師と対立し、それが故に再三転校を余儀なくされた。

彼は著書「玉ねぎの皮をむきながら」で

 

 

「私はたしかに、ヒトラー・ユーゲントとしてナチス少年団員だった」

と衝撃の告白をし、ノーベル賞返上の騒ぎもあったのだが、その当時

を「想起」することで、オスカルに自分の一部を担わせ、追体験というよりは再体験をして自分の過去にけりをつけようとしている。

 

当時の自由都市ダンツイヒの隣国ドイツとポーランドに挟まれて不安定な状況下で人々は刹那的に、ゆえに享楽的な生活を送っていた。

オスカルは決して局外者としてそれを見ていたのではない。

精神と性は成熟していながら、外見的に子供であることにより大人の子供に対する甘やかしや油断を利用する。

雑貨屋に住み込みで働くようになった少女マリアと海水浴場の着替え室で一緒に着替えしている時、全裸のマリアの陰部に吸い付き「ませ過ぎよ、何も知らないくせに」と言われ、その夜家人が出かけた夜マリアと同衾し、性行為が暗示されて

子供クルトが生まれる。

世間体を憚った雑貨屋の父はマリアを入籍しクルトをオスカルの弟として育てる。

またナチスの地方部隊の慰問団になったサーカスの小人集団に誘われ、そこのマドンナ ラグーナ嬢と恋仲になり同衾する。

オスカルも退廃を共有しているのだ。

 

映画の終盤、雑貨屋にソ連兵たちが押し入り、マリアを強姦し、

オスカルはソ連兵のアジア系の兵士に抱きあげられたとき、手に持っていたナチスのメダルを兵士に隠れて父に渡す。

そのメダルを飲み込もうとして激しくせき込み、父は撃たれて死ぬ。

 

父を埋葬するとき、オスカルは「成長する」決意をし、ブリキの太鼓を墓に投げ入れる。真似をしてクルトが石を投げつけそれがオスカルに当たり、オスカルは成長をやめた時と同じように失神し、息を吹き返して成長し始める。

 

成長は「父殺し」を契機に始まったのだろうか。

だとすればブリキの太鼓は長い父殺しのプロセスの象徴なのだろうか。

あるいはブリキの太鼓は自由都市ダンツイヒ、ドイツ人ポーランド人、それに母方のカシュバイ人の平和的共存の終焉を意味するのだろうか。

成長は第二次大戦後の東西両ドイツ分断、東西冷戦の新たなヨーロッパの始まり、危機に対応するために決意されたものだろうか。

 

などいろいろな見方が可能であり、それはカフカの「城」と同じく多義的で、それぞれが矛盾し「決定不可能」なものでもある。

 

話は変わるが、コパアメリカで主将として念願の優勝を果たしたアルゼンチンのメッシもまた、成長ホルモン分泌不全性低身長症 通称小人症であった。彼は高額な費用のかかるホルモン投与の治療を受けるためにFCバルセロナに入団することになる。

だからオスカルの「成長」はあながち荒唐無稽とは言えないのだ。

 

 

なにはともあれ、長年のメッシファンとして、コパアメリカのメッシ宿願の優勝を喜びたい。

 

追記:同映画は1979年カンヌ国際映画祭ぱるむ・ドール受賞。アカデミー外国語映画賞受賞。