Gon のあれこれ -6ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

みなさん、明けましておめでとうございます。

正月はいかがお過ごしですか?

 

元旦はいつも通り5時過ぎに起床。

Walking Warm up  Wushu(武術)の稽古(内容は揚式56,五行拳、締めは三体式)を3合計で一時間強。

帰宅して朝食。10時頃近くの神社にお参りして温浴施設で入浴。

お参りの列は長く、寒風のなか待つ身は辛いのでお札を買って入浴施設へ。自宅の神棚にお札を納めればそこが神社で没問題。

帰宅して神棚にご酒や山の幸海の幸をお供えしてお参りし昼食。

 

今年も Covid-19との戦いが続く覚悟は必要でしょう。

ο株は症状がマイルド、と言われておりますが、新たな変異株の出現がどのような災厄をもたらすかは不明で、安心できない年になりそう。

コロナ後の世界をいくつか見てみたいと思いますが、どうなることやら皆目見通しがつかず、交通・旅行産業や飲食業の行く末も案じられます。このような最初から苦難を予想せざるを得ない年明けはいい加減に終わりにして欲しい、と当てもない願いをする空しさ。

 

人間悲観ばかりしては生きて行けないので、今年も読書や映画、展覧会などに楽しみを見いだしていこう、と思っております。

どういうわけか暇つぶしには事欠かない好奇心が旺盛なのは我ながらさいわいです。

 

その暇つぶしの一部、太極拳練功や気功、瞑想などの昨年一年間の回数を以下に記録します。

スポーツジム&スパ:153日

3W太極拳や五行拳練功:288日

易筋経・練功十八法:62日

瞑想ヴィパッサーナ:330日。

雨や風の強い朝は自宅で易筋経や練功十八法の功夫。

 

 

この​​​易筋経は3ヶ月間ほど中国人老師(先生)に習いましたが、練功十八法は15年ほど前に学んだ「揚名時健康太極拳」の先生から準備運動の一つとして教えていただきました。

ラジオ体操と決定的に違うのは、反動で手足を振らないこと。

ゆっくりと動く中で調心(心を静め)調息(息を整え)調身(身体を整える)事ができます。そして上体を大きく伸び伸びと開(カイ)いて後、それから身体中心に合わせ(合、フー)る反復リズム。太極拳も同じですが、開合、展縮のリズムはとても気持ち良くリフレッシュになります。

周囲にはこれで腰痛が治った、という方もいます。但し模範演技者に習う余り、むりな動作は禁物。身体の動く範囲で行ってください。くれぐれも無理をなさらないように。尚両方とも畳一枚分のスペースで可能。

 

 

揚名時太極拳の良いところは、レッスンの中に、八段錦 と言う基本的な気功を正課として取り入れていること。

太極拳の入門にお勧めです。特に年齢がいっている方にはここから始め、実際に数ヶ月やってみて自分の運動能力に余裕があれば、伝統太極拳などに進めば良いでしょう。大概は公民館などの公的施設に教室がありますので、安くできます。着るものもトレパンにTシャツで十分。

また周りの人に必ずしもペースを合わせる必要はありません。

自分のペースで練習すれば良いのです。

マスゲームをやるわけではないのですから。

せっかくの機会なので、その揚名時太極拳を映像で紹介。

 

ついでに伝統太極拳。伝統拳には陳式、揚式、呉式、孫式などがありますがご紹介するのは、揚式の中興の祖、揚澄甫の娘婿、傅鍾文の孫傅清泉の28式。

 

 

 

伝統拳には、それぞれの風格がある、と言われますが、その風格を学びながらそこに自分の味わいを出すことができれば言うこと無し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​​この映画の背景には、1950年代米国で吹き荒れたマッカーシズムの影響がある。

米ソ冷戦開始で米国では政府職員やマスメディア、映画人に対する赤狩りが始まった。1930年代共産党員であった監督のエリア・カザンは、1952年4月、議会証言で共和党上院議員リチャード・ニクソンの追求に、かつての仲間8人の名を明かした。脚本のバッド・シュールバーグもまた同様の証言をした。

 

彼らは「圧力に屈し、保身のために仲間を売った男たち」と周囲から批判され白眼視される。

その批判者の中にはマーロン・ブランドもいた。

この映画を撮影するのあたり、エリア・カザンは 主役のテリーにポール・ニューマンを望んだが、断られ次に望んだフランク・シナトラにも断られ、周囲の説得もあってマーロン・ブランドに依頼する羽目になる。

 

ブランドのカザンやシュールバーグに対する批判を人づてに聞いていたカザンは、ブランドに手紙を書いて出演を要請する。

かくもカザンがこの映画に拘ったのは、自分に向けられた批判に対して反論したかったからに他ならない。そしてそれが受け入れられるか否かは、主役を演じる者の演技の説得力に掛かっていた。

「君に手紙を書くのは簡単なことだ、という振りをする事はできない。結局のところ、我々のこの狭い世界では誰がどうしたかは筒抜けなのだ。しばらくそれらのことは不問に付して、私は君にプロの監督として書いている次第だ。君はこの役をどのような判断基準からでも好きなように演じて良い」。

 

しかしこの舞台から続く、恩師とも言うべきカザンからの手紙にブランドもまた出演すべきか否かに苦しみ悩む。ブランドの言によれば、映画とコミュニズムや証言とのアナロジーについてカザンも語ることがなかったし、そのアナロジーは当時気がつかなかった、と言っているが、コミュニズムと波止場に巣くう組合と称するギャングは同じではないから、鋭い感覚の持ち主のブランドと言えどもアナロジーを認識できなかったであろう。(The Contender-The Story of Marlon Brando,by W J,Mann   p246-250 )

 

この映画のストーリーをWikiから引用しつつ簡約、訂正して以下に記す。

テリーは元ボクサーだが、落ちぶれた今は波止場荷役をする日雇い労働者であった。テリーがボクシング界を去ったのは、ギャングの一味でもある兄・チャーリーの指示で八百長に加担したためであったが、皮肉にも八百長相手のウィルソンはタイトルマッチに挑戦するほどのボクサーに成長していた。テリーはある日、地元のギャングであるジョニーの命令で、古い友人を呼び出し、結果的に殺人に関与してしまう。波止場を牛耳るジョニーが自分の立場を脅かす存在を次々と殺していくことに皆怯え、テリーも逆らえずにいた最中、彼は死んだ友人の妹イディに出会う。兄の死の真実を追求する彼女の姿に心動かされ、テリーは次第に、信念に基づき生きることに目覚めていく。その様子を知ったジョニーはチャーリーに、テリーを黙らせるよう指示する。チャーリーはテリーを説得するがテリーはそれを拒み、その結果チャーリーは殺害されてしまう。検事の説得に応じてテリーは証言台に立つが、ギャングたちからの執拗な妨害工作で裏切り者のレッテルを張られたテリーには仕事もなく、労働者たちから村八分に会う。

テリーはついにジョニーを激しく罵倒し、ジョニーと殴り合いになるがテリーは瀕死の重傷を負う。

テリーの熱意に心動かされた労働者たちはジョニーの脅しを無視し、朦朧としつつも立ち上がる、新しい指導者テリーの後について仕事の割り当てを得る。

 

 

波止場では労働者を采配するギャングのボスによって仕事にありつけるかどうかが決まり、当然ボスは賃金をピンハネして日銭を稼ぐ。

米国ではそこで起きる裏金、掠り、詐欺などの犯罪がこの映画の数年前から新聞を賑わし、問題は既に明るみに出されていた。

かつてはボクシングチャンピオンに対する挑戦者(Contender)に成れるはずであったが、ギャングの賭けの為に兄に言われて八百長試合をしたため、その挑戦もかなわず、落ちぶれて港湾労働者になる。

テリーは兄も属するギャングに友人の呼び出し役に使われ、呼び出した後友人が殺されたことを知り、怒りと同時に無力感から、鳩の飼育に逃避する。友人の妹との間に愛情が芽生え

カトリック系の女学校に通うその女性や司祭の行動に触発され、挑戦者になれなかった自分の悔恨から、再び逃避して屈することを次第に自分自身で肯定し得なくなり、検事の説得に応じ証言台に立ち、ギャングのボスを名指しする。

 

証言する前、テリーは兄チャーリーに呼び出されて、思いとどまればギャングから新しい桟橋の主任になって良い歩合をもらえる、と説得されるが、かつて兄に言われた八百長試合のことを話して拒否する。チャーリーは弟の話から説得を諦め自らは死をさとり、テリーに拳銃を渡す。

やがて必要になる、と。

以下の場面は言わばテリーにとっての一つのハイライト。

あの晩俺に負けろと言ったのは誰なんだ。覚えているか?

奴を半殺しにもできたのに、あげくに奴がチャンピオン。

俺はたちまちどん底だ。それからだ俺がぐれだしたのは。

ーお前だって儲けた。

違う。タイトルも取れたんだ。多少は大きな顔を出来る身になれた。

見ろ、今のこの俺はただのゴロツキだ。兄貴のせいだ。

ー分った。皆にはお前に会えなかった、と言っておく。

 (ピストルを)やるよ。持ってろ。必要になる。

 

 

この、

違う, 

 

 

以下のこの部分がアメリカ映画の名台詞ベスト100に入っているらしい。(You don't understand! I could had a class..I could been a contender. I could've been somebody,instead of a bum,which is what I am)字幕の良し悪しは異論もあるだろう。

 

テリーはカザンと同じく証言台に立ち、ボスのジョニーを名指しする。

カザンは議会証言で名前を挙げたのは、アメリカを弱体化させる「赤」を止めるという、より大きな善のために行った、と言っているが、コミュニストと波止場労働者を束ねるギャングを同一視できるだろうか。

 

ギャングをユニオンと呼ぶ場面があるが、言うならボス ジョニーは、小泉純一郎の祖父と同じく波止場に巣くう請負師である。

1950年に起きたソヴィエト連邦によるスパイ事件、ローゼンバーグ夫妻事件に絡み、カザンが挙げた名前にあったダシール・ハメットもサルトルやアインシュタインやブレヒト、ピカソ等とともに逮捕批判の列に加わっているが、当時の米国共産党がソ連のスパイであったという証拠はなく、今はマッカーシズムというアメリカ政治における汚点と見なされている。

しかもテリーが名指したジョニーは殺人を次々と指示を下すボスである。故にこのアナロジーには無理があると思うのだ。

 

更に、結末を見てみよう。テリーはギャングに散々に痛めつけられるが、友人の妹イディや神父に励まされて、雇い主のところに向かい、

最初はひるんでいた港湾労働者たちも、テリーの後に続き、ギャングたちを排除することになる(筈だ)。

ヒーローのテリーにカザンを重ね合わせるのはどう見ても無理がある。

感覚の鋭いブランドと言えども無理だろう。

一方脚本のシュールバーグは実際に波止場に度々足を運んで取材をしている。その彼は自分たちの行為と、この映画の関連を否定している。

 

ところでマーロン・ブランドは、映画史上最高の俳優、と言われている。

演技者、というよりは独特の個性、オーラを持った俳優だ。

その彼は若い頃から黒人やマイノリティに親しみ、公民権運動に参加した。リベラル、と言って良いだろう。

カザンが最初候補に挙げたポール・ニューマンは好きな俳優の一人だが、彼も昔からのリベラル派、民主党支持者である。

癖がある、が誠実な男、というところが好ましい。

 

映画は映像と音の芸術、と最近は映画の「音」を意識している。

視覚と違って聴覚は記憶に明確に残りにくい点があるし、映像に重ねられる音楽を聴いてそれを誰それの曲、と言い充てる人はクラシック、ポップ、ジャズそのた広いジャンルをカバーする事になるから滅多には居ない、と言うこともあるだろう。

この映画の音楽はレオナード・バンスタイン。

テリーとイディが互いの感情を深めていくシーンで、静かな緩やかなテンポの曲が流れる。しかし口ずさんでみよ、と言われると何もできないのだ。

 

最後に彼らの生きた時代を記す。

Marlon Brando (1924/4/3-2004/7/1)

ちなみに、同じエリア・カザン監督作品「エデンの東」((1955)

の出演要請を断ったため、ジェームズ・ディーンが登場した。

Paul Newman(1925/1/26-2008/9/26)

最初の頃、第二のマーロン・ブランド と言われることに落胆し、一時映画界から舞台とテレビに移るが、ディーンの急逝により主演が居なくなった映画「傷だらけの栄光」(1956)に依頼があって出演、高い評価を得て「熱いトタン屋根の猫」(1958)ハスラー(1961)と続く。

James Dean(1931/2/8-1955/9/30)

孤独感が漂うオーラで独自の存在感があった。デビュー後、

「エデンの東」(1955)

「理由無き反抗」(1955)

「ジャイアンツ」(1956)

と立て続けに主演するが、24歳の若さで自動車事故で急逝する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

フェデリコ・フェリーニ(1920-1993)監督の1972年の作品。

 

フェリーニはイタリア半島の東岸アドリア海に面するリミニの町に生まれ、フィレンツェを経て1938年12月ローマに出、ユーモア雑誌社に入社する。

時はムッソリーニの時代。

1943年にはジュリエッタ・マシーナと結婚し、イタリア解放後アメリカ軍

が進駐、その際は米兵にユーモラスな似顔絵を描いて儲ける。

44年、ロッセリーニがフェリーニを訪れ、フェリーニの友人アミディと「無防備都市」の脚本を書くよう依頼する。ロッセリーニの本命はアミディで「将を射んとすれば馬を射よ」とフェリーニにアプローチしたらしい。

次いでロッセリーニの「戦火の彼方」のロケについて回り、映画の魅力にとりつかれたことがきっかけで映画監督に転身する。

彼の作品をこれからも見ていくつもりなので紹介ははこれぐらいにしよう。

 

まずはこの映画のCMから。

 

この映画に明確なストーリーがあるわけではない。

フェリーニがローマにやってきたときから、彼の記憶=イメージにあるローマの情景が次々と展開する。

18歳の少年が住んだローマの下町、次に現代に飛んで監督フェリーニが環状道路を車で走りながら次々にその風景を撮ってゆく。

さらに現代と過去を行ったり来たりしながら、三流劇場の三流ショー、地下鉄建設工事を長々と追い、そこで掘り進んだときローマ帝国時代の貴族の館にぶち当たり、館のフレスコ画が現代の空気に当って次々と溶解していく場面、スペイン広場のヒッピー、娼婦の館での年取って、でかい尻をした娼婦たちと客たち、

カトリックの司祭や侍者たちのファッションショー、イタリアが生んだ女優アンナ・マニャーニが貴族の屋敷街を抜けマンションに帰宅、その門のところで、マニャーニに

(あなたは)ローマのシンボルとも言える。

ーそう思う?

ローマは処女にして雌オオカミ、

貴族にして売春婦、道化でもある。

ー監督さん、とても眠いの。

質問したい、、

ーあなたを信頼していないの、チャオおやすみなさい

とマニャーニは中に消える。

そして突然ローマの道路を爆音を響かせながら暴走族が走りまわって、終わる。

これはドキュメンタリー映画ではない。

フェリーニの心象のローマであり、そのファンタジーだ。

かといってそれが単に空想の産物、と言うことではなく、

間違いなくフェリーニのなかではリアリティのあるものなのだ。

 

映画 とはなにか、と考えるとき

映画とはファンタジーだ、と言いたい。

リアリズムをいくら標榜しても、それは「リアリズム」というゲームの中のファンタジーである。

もちろんファンタジーを貶めて言っているのでは無い。

ファンタジーこそ、リアリティに富むものなのだ。

その良い例が「恐怖」「戦慄」、、

もとになるのは自ら作り出すファンタジー

 

多くの映画作家が、だんだんと「物語」を離れてゆく。

それは、映画 とはファンタジーである、と理解したからではないか。

もちろん最後に、もういっぺん自分の原点というか起点に戻ろうとする

映画作家もいるが。

 

追記:フェリーニとアンナ・マニャーニの会話で、

雌オオカミ、とあるのはローマの建国神話から。以下にかいつまんで。

ローマ南東の国を治めていた王の姪が群臣マルスに孕まされ双子を産んだ。怒った王は双子を捨てたが雌オオカミによってその乳で育てられた。

その後羊飼いに育てられ、ついには自分たちを捨てた王に復讐する。

そしてローマにそれぞれが国を作ったが、二人の間に争いが起こり、

兄ロムルスが弟を討ちローマを建国した、という伝承。

売春婦も道化もフェリーニに縁の深いものであり、彼の人生と映画にとって欠かせないもの。

マニャーニ(1908-1973)はフェリーニが脚本に参加したロッセリーニの

「無防備都市」に出演、1955年「薔薇の刺青」でアカデミー主演女優賞を受賞。この映画や「蛇皮の服を着た男」などの縁で作者テネシー・ウイリアムズと知り合い、彼がローマに来るときは会っていたらしいことが彼の回想録にある。

ところでマニャーニはこの出演でギャラをもらったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

公募による写真新世紀展はこの数年継続して見ているので、

今回も恵比寿へ。後で知ったのだが今回が最終展。

その後3階に上がって「日本の新進作家vol 18」を見る。

 

見た順序からは逆になるが、

新進作家展で印象の強かった作家山元彩香の作品から紹介する。

光を当てることで、ひとの息づかい、感覚、祈りが見えてくる。

 

神は始めに「光あれ」と言われた。

その後泥の中から神に似せて作られたひとは

神の光を浴びて生命を育む(創世記)

つまり太古からひとびとは光が生命を吹き込むこと、

息吹くことの神秘を感じてきたのだ。

 

作家山元は

「馴染みのない国や地域に出かけ、

そこで出会った少女たちを撮影することで、

その身体に潜む土地の記憶と、

身体というものの空虚さを写真にとどめようとする」

と紹介されている。

 

肉体と霊魂、

身体というものの空虚さは、光を当てることで

霊的なものをいっそう現前させる効果を生んでいる。

 

光の中の身体が静謐さや祈り-霊性を感じさせて

これらの作品に際だった個性を与えている。

 

参考:山元彩香のインタビュー

 

 

もう一つは 小森はるか+瀬尾夏美 による東北の被災地の現状やそこに住む人々との交流の記録をみて、映像の持つジャーナルな特性がよく生かされている、と思った。

先ずはお二人のホームページから

小森はるか+瀬尾夏美

映像作家の小森と画家で作家の瀬尾によるアートユニット。2011年3月、ともに東北沿岸へボランティアに行ったことをきっかけに活動開始。2012年より3年間、陸前高田市に暮らしながら制作に取り組む。2015年、土地と協働しながら記録をつくる組織、一般社団法人NOOKを設立し、仙台に拠点を移す。 現在も、各地での対話の場づくりを行いながら、風景と人びとのことばの記録を軸に作品制作をしている。

被災した流域沿いの村々の位置と各集落の写真があって、

かくも我々日本人は深い狭い谷にへばりついて住んでいるのか、

ということ、つまり全体の俯瞰を通して感得し、

住んでいる人たちとの対話を通じてさまざまな生活が語られる。

情報を収集し分析し、一つの全体像を構成し、提示する。

そしてそれらはこの過程を明示することで有責性を果たしている。

 

これはテレビでは出来ない「報道」だ。

空白がないテレビ映像は制作者の視点や意見を次々と押しつけてくる。

それを見ながら一歩引いて反芻したり、前後の関連を考えたり、全体を改めてみるなど、見る側の主体は奪われたまま進行する。

 

こうしたことに敏感なドキュメンタリー映画もあるから一概に言えないが、少なくとも日本のテレビ局、各社の報道番組は報道する側の

「視聴者側の判断する権利」を尊重する番組は無いと言ってよい。

そのかわり、娯楽的な要素たっぷりの、ある意味視聴者に対する冷笑的な態度の番組であふれている。

BBCやCNNはケーブルテレビや衛星放送で視聴できるから是非見て欲しい。

日本の民主主義の脆弱さは日本のテレビを見れば分る。

国境なき記者団の「世界報道自由度ランキングを下記に貼付ける。

 

 

私が最も腹立たしい、と思っているのは、

そうしただらしない日本のメディアや自称ジャーナリストたちが

「野党がだらしない」と野党に責任転嫁しているからだ。

その先頭に立っているのは池上や田原である。

 

その深刻さや先々の影響を考えるとき、つい血圧が上がってしまう。

そこで次の「写真新世紀」展にいく。

 

写真に何ができるだろう?

写真にしかできないことはなんだろう?

 

という問いかけをもった公募展。

最初に遭遇したテンビンコシ・ラチュワヨ優秀賞の作品

実は感銘を受けたのはこの作品ではないが、

ネット上にこの作品しかないので、仕方が無い。

作家はアフリカーンス語で「屠殺場」を意味する酒場で育つ。

目にし体験したトラウマからの救いを求めて、トラウマの元凶であるその酒場をスタジオとして使用し、そこで自分の感情を吐出する。

 

この「制作意図」を読んだとき、米国の映画監督マーチン・スコセッシを想起した。

スコセッシはリトルイタリーにマフィアの本拠シチリア系のイタリー人として育つ。

法の支配が及ばない、独自の「掟」が支配するその場所で暴力殺人が横行する。

スコセッシもまたそのトラウマをなんとか理解しようとする試みとして映画制作をする。

特に初期の作品はそうだと感じる。

暴力と聖性、暴力という「他人」を否定する行為の中に、人間の善性を見ようとする。トラウマ克服のプロセス。

これらをスコセッシの映画鑑賞を通していずれ言及するつもりだ。

 

もう一つは光岡幸一の作品。

選者の横田大輔の選考理由に啓発された。

「渋谷の工事現場付近で撮った写真の上に、渋谷の川の泥を採取して塗ってゆく、というこの作品は、写真を撮る行為は制作のための一部に過ぎない、写真を撮るためにそこに行って何かをやっている可能性はあるけれども、作品として仕上がったときには、写真を撮る前後の行為がすごく介入している。

写真を撮るだけでなくその前後のパフォーマーという部分も制作として、見せられる形にあるというのがすごくおもしろい。(適宜抜粋)」

 

シャッターを押す、という行為は制作のための一部にすぎない。

確かにそうだ。許可を取ったり、撮るための準備をしたり、あるいは傍観者の介入をどのように処理するか、そして撮った写真にどのような編集をするか、もあるだろう。

 

報道写真の場合、

ベトナムで沢田や開高健が、戦場から帰ってきて、夕暮れの涼しい風にあたりながらメコン川のゆっくりとして流れを見るともなく見、コニャックソーダーを飲みながら、その日 目撃した様々な、その多くは残酷な場面を反芻して、ある癒やしとする。

それらのこともまた、撮る、という行為の一部であると思うのだ。

 

参考:ベトナム旅行第一日

 

 

 

冒頭触れたように、公募展としての「写真新世紀」が終了するのは鑑賞者の私もとても残念だ。

絵画、写真、映画、、どれもイメージの表現であり、

表現者ー媒体ー鑑賞者の関係は異なるが、

その関係性から生まれてくるものは等価だ。

若い才能の、その表現の場の一つが無くなることの影響は大きい。これに変わる公募展が始まることを切に願う。

 

帰途、山手線の上を通る橋を渡って、久しぶりに「たつや」で

昼飲み。余韻を楽しみながら酒を飲むのも、私のアート鑑賞の一部なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原題は Mean Streets  「みすぼらしい街」でいいだろうか。

1973年の公開だから、スコセッシが31歳の時。

 

ニューヨーク大学映画学部の修士の学生のとき、ハーベイ・カイテルを主演に「ドアをノックするのは誰」1967年で注目されたスコセッシは、同じカイテルを主演、デ・ニーロを脇役にこの作品をつくり、74年「アリスの恋」そして74年の「タクシードライバー」(カンヌパルムドール受賞)と映画界で明確な地歩を固めていくのだ。

 

冒頭

「教会で罪は贖えない。

我々は街や家庭で罪を贖う。

それ以外はまやかしだ」

と字幕が出たのち、カイテル演じるミーンストリートのチンピラ

チャーリーがあたかもそれが啓示のように響いてガバと起きる。

 

チャーリーの伯父ジョバンニはこの街のボス的存在。

リトルイタリーは法の支配の及ばない世界、

もめごとを警官や検事に持ち込んでも解決出来ない世界。

従って罪を贖う、たとえば借りた金を踏み倒したり、裏切りに対する報復は、固有の「掟」により実行される。

勿論教会で懺悔しても罪が許される訳では無い。

 

チャーリーの親友ジョニー(デ・ニーロ)はチャランポランな男で、

街で同類にカネを借りてもまともに返そうとせず、いつかその報復を恐れる友人のチャーリーはジョニーに借金返済のカネを渡すが、ジョニーはそれすら酒代に代えてしまう。

チャーリーの恋人テレサはジョニーのいとこ、癲癇持ちだ。

伯父ジョバンニはチャーリーにイタリア料理店を任せようと思い、

そのかわり、ジョニーやテレサと縁を切るように迫る。

手を切ることも相成らぬまま、チャーリーは悶々とするばかり。

カネを借りた相手に銃口を向けてしまったジョニーと恋人テレサを連れてチャーリーはしばらく他所でほとぼり冷まそうとするが、ブルックリンを超えた時猛スピードで追いかけてきた殺し屋に3人は撃たれる。

 

見終って最初に感じるのは、救いようのないバカ、

ジョニーを演じたデ・ニーロの演技。

演技を演技と見せない巧さ。

見るこちら側がデ・ニーロを憎んでしまうのだ。

この演技で全米批評家協会の助演男優賞を受賞。

同時にスコセッシの映画に欠かせぬ存在になってゆく。

 

関連していくつかの話題を提供する。

先ずはデ・ニーロのトランプ批判、1943年の生まれだからもうすっかり白髪だが舌鋒は鋭い。

 

 
トランプをペテン師、詐欺師、白人至上主義者とコテンパンで、気持ちがスッとするぐらい小気味がいい。付け加えることが無いくらいだ。
 
デ・ニーロは両親が画家だったこともあるだろうSOHOにも近いトライベッカで生まれ育った。いまも恐らく彼のレストランがあるはずだ。
1942年生まれのスコセッシはトライベッカから1キロ前後のリトルイタリー出身。子供の時はミサの侍者をやり司祭を目指すが、ティーンのときある女の子に恋して自分の性的欲望の強さに司祭を諦め映画の道に入る。
 
同じイタリー系でデニーロがリトルイタリーに徘徊することもあっただろう。加えてスコセッシはニューヨーク大学の映画学部、デ・ニーロは有名なアクタースタジオ出身で同じ映画界。
ということで若いときから遭遇していたのでは、と思って調べると、二人とも16歳前後の時、リトルイタリーのグランドストリートの行きつけのバーで互いに面識があったらしい。デ・ニーロは背も高くて、いつも静かでスコセッシは彼のことをthe nicest one,the sweetest one と言っている。
(Conversation with Scorsese p100)
必然的な運命に導かれ、それに素直に従った者は強い。
 
付け足しで恐縮だが、スコセッシはこの映画で、後の定番になる
ポップス、ロック、あるいは宗教的なクラシックを背景に使っている。
この映画では、The Ronettes の {Be my baby」
何気なく藤圭子を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原題「Raging Bull」は1980年の作品。

主演のデ・ニーロは第53回アカデミー賞をはじめゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞したが、スコセッシ監督はそれらにノミネートされたが監督賞を受賞したのは全米映画批評家協会賞が目賞しいところであった。

 

実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの自伝が基になっている。

ミドル級の世界チャンピオン ラモッタ(1922-2017)はブロンクスの出身でひたすら前に出て接近戦を挑みレイジングブルの異名をとる。

1947年11月14日、ビリー・フォックスに4回TKOで敗れるが、マフィアが仕組んだ八百長試合でラモッタがわざと負けたと疑いをかけられ、ラモッタは出場停止処分を受ける。後にラモッタは、八百長試合で負けることを受け入れ、さらにマフィアに2万ドルを支払うことで世界ミドル級王者マルセル・セルダンに挑戦できたことを、アメリカ上院議会で証言する。

1949年6月16日、世界ミドル級王者マルセル・セルダンに挑戦。ブルファイターの両者は前評判に違わぬ大激戦を展開するが、セルダンの腕が脱臼し、10回TKOでラモッタが世界王座を獲得した。再戦が決定したが、セルダンの乗った飛行機が試合地のアメリカへ向かう途中、アゾレス諸島で墜落し、セルダンは死亡してしまう。ラモッタは世界ミドル級王座の防衛を、激闘の末、2度成功させる。(Wikiより)

世界タイトル挑戦のために、実弟の策に乗って八百長に乗ったラモッタであるが、惚れた妻と弟との関係を疑い自らを苛んでゆく。

ボクシングでは殴り合いに強くスタミナ抜群の強い男であったが、一個の男子としては猜疑心の強い弱い男であった。

その猜疑心の強さに辟易した妻(キャシー・モリアティ)はたまらず離婚を選ぶ。

ラモッタは引退後、舞台付きのバーを買い、自らはエンタテナーとして舞台に立つ。

(デ・ニーロ)

 

自らの私生活を破壊した彼の猜疑心のよって来るところは何だろう。

スコセッシはエンデングでヨハネ福音書からの引用を以て終わる。

 

さてユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。

「神の前で正直に答えなさい。あの者(イエス)が罪ある人間だと知っているのだ。」 彼は答えた。「あのかたが罪人かどうか、私には分りません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えると言うことです。」 同福音書9章(生まれつきの盲人をいやす)24-25節。

 

この引用をあれこれと詮索する必要はないだろう。

この映画の余韻として味あうことをスコセッシは求めているのだろうから。

 

この映画についての話題をいくつか。

この映画の企画はスコセッシがNew York New York を撮り終えて疲労困憊し倒れて入院し、デニーロが見舞いにやってきたときに持ち込んだらしい。そしてその疲労困憊はスコセッシが自己不信に陥り、それが周りの者にたいする不信に投影されて関係がギクシャクしたところから起こり、そこから立ち直るには映画制作者としての道に戻るしか無い、と考えたようだ。(Conversations with Scorsese-Richard Schickel 138-139)

 

もう一点は「スコセッシ流監督術」(クリストファー・ケンワーシー著)を参考に自分なりに見たとき、

背景には天井灯が二個、ロープを背にしてファイティングポーズをとっているが傷ついて独り立つデニーロ。

セコンドや観客を画面に出さないことで孤独感や寂寥感が出てくるのだろうと思う。

(追記)このカメラが被写体を仰ぎ見る角度、仰角は被写体を神々しく扱う場合にも用いられる。キリストは十字架に架けられ傷つき、死ぬことで人類の救済者になった。一方十字架の上で「神は自分を見捨てた」との猜疑心にも苛まれる。これらは一種の遠い婉曲的だがヨハネ福音書のエンデングに繋がってゆく者では無いだろうか。(1921・11・7)

 

最後に、ラモッタがエンタテナーに変身したとき、ずいぶんと太ったらしい。デニーロはその役作りをするため、イタリアに行って三食こってりしたイタリア料理を食べて20キロ以上増量した。

この努力も主演男優賞の一助になったのだろうか。

(再掲)

 

 

 

 

 

 

 

イスラエルに旅行することはあるまい、と思ったのと、1948年に建国したイスラエルがどのような経緯で印象派の絵画を所蔵するに至ったか、について何らかの情報が得られるのではないか、との期待で出かけた。

展示は70点前後。

コローから始まって、クールベ、セザンヌ(5点)、ゴッホ(3点)、ゴーガン(5点)、ルノワール(7点)、モネ(4点)などの他、ピサロやドガ、シスレーなどがある。

予想外に多かったことで充実感は得られた。

 

チューブ入りの絵の具が開発されたことで、印象派の画家は存分に屋外で描画出来ることになった。

さすれば当然、快晴と曇天では光が違い、見えるものが陰影とともに色彩まで変化する。その"光”に画家が注目するのは当然の成り行きで、

その変化する光を捉えようと工夫を凝らす。

 

もう一点は、キャンバスを何処に置くか、である。

それは勿論画家がどの風景に魅せられたか、でもあり、その魅せられた内容の中には大きな要素として水平軸と縦軸の構図がある。

 

そしてその構図の中に、つまりは建物や木々、あるいは岸辺やドックが大概は縦軸と横軸の中心にある。

風景画における人物は、どちらかというと全体配置の中のアクセントで、

風景の大きさや色どりの変化をもたらすために描かれる。

そうでないのはゴーガン。

勿論彼はタヒチの女性たちに魅せられたのだ。

 

人物画も数点あった。

ルノワールについては、息子の映画作家ジャン・ルノワールの自伝的著作にその人物像が描かれているが、私はルノワールの人物画の巧みさに感銘を受ける。

ルーベンスやベラスケスなどの宮廷画家が、一部はハプスブルグ家の姻戚関係のネットワークを形成するために肖像画をお見合い用に描いた、例えていえばそれらが写真館での肖像画とすれば、ルノワールの人物画はスナップ写真のようである。

そこには飾らぬ人々の落ち着いた表情、静けさがある。

加えてレンブラントの人物画の生気とは違った生気を感じる。

かつてある展覧会で見た彼の傑作を貼付ける。

 

冒頭で、ユダヤ人がナチスのホロコーストに遭って、自分たちの国家を建国したとき、勿論19世紀後半から世紀末にかけて盛んであった印象派の絵画は大概がイスラエルに無かったものだ。

絵描きになろうとして成れなかった元画学生ヒットラーは

ユダヤ人富豪たちから、名画を略奪した。

クリムトのアデーレ、ブロッホ=バウアーの肖像はナチスからオーストリアに返還され、それを元ユダヤ人富豪の娘が取り戻したという例もある。

また絵画の鑑定には、その絵の所有権の移転の筋をたどることが重要な部分である。その画家の好きなテーマや画風は真似ることが可能であり、

贋作は真似る天才たちによって作られるのだ。

だからその絵の故事来歴ー記録が最も重要な証拠になる。

おそらく今回の展示作品には、イスラエルだからこその

いろいろな歴史、物語が付属している筈だ、

その物語を知りたい、という好奇心が充溢する。

しかし、その願望は叶えられなかった。

お門違い、とも思えないが。

 

最後に今回の展示で魅せられたのはレッサー・ユリイの絵。

特にベルリンの都市の情景を描いた「冬のベルリン」と「夜のポツダム広場」には独特の情緒があった。

風景画と言うより情景画と呼ぶ方が相応しい。

始めて知った作家であったのだが、ベルリンの分離派、あるいは表現主義の作家と言っても良いだろう。

(夜のポツダム広場)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都の現代美術館は駅(清澄白河)から結構距離があって、木陰の少ない通りを歩くので、涼しくなってから、、と思って先延ばしにしていたが、なかなか秋が来ないので、やむなく6日に出かける。

 

内容

1 模写とパロディ

2 デザイナーから画家へ

3 三島由紀夫

4 たま のこと

 

1 模写とパロディ

 横尾(1936~)さんは多彩な経歴の持ち主でかつ創作も多岐にわたりそれらを紹介するとそれだけで数日かかるだろうから、関心のある方はWikipedia を参照していただくほうが正確。

この自画像は最も最近のもの、と思われるが、左側に首つりのロープが描かれていることに気づく。

 

以下は彼の最新の自伝的著作「言葉を離れる」

と会場で求めた展覧会ガイドブック。

それに題名に惹かれて先日購入した以下の本を参考にした。

 

横尾さんは子供の時から模写が好きで、それによってある程度技巧も学んだが、美学校などには行かず独学の人、と言ってよいだろう。

従って横尾氏の作品を草間弥生さんや山下清とおなじアウトサイダーアートに位置づける見方もある。

私自身はそのカテゴリー自体に反対だ、権威主義の匂いがするゆえ。

「学び方を学ぶ」ことさえ出来ていれば、あとは独学がその人の個性を開花させるにはもってこいの方法だ。

 

模写好きは生涯変わらず、模写をしていると自分なりの着想が湧いてきてそこから彼自身の作品が出来上がる。

模写、とは横尾さんの場合、相手の絵の中に入り込むことだが、必ずしも模写のプロセスを経なくとも、脳内シュミレーションで自分の絵筆が動くこともあるのだろう。

だから絵が例えばピカソ風とかキリコ風とかアンリ・ルソー風とかの味わいを持った作品が出来上がる。

デラ・フランチェスカの「受胎告知」のマリアもよく引用されている。

他にも沢山あって、絵を見てピカソだ、デルボーだなど出てくるものもあれば名前が出てこないものもある。

 

横尾さんは1980年ニューヨークの近代美術館でピカソ展を見た。

私も90年代の後半に行ったときやはりピカソ展をやっていてらせん状のスロープに相当な数の絵があってその数に圧倒された記憶がある。

その展覧会は盛況でなかなか前に進むことが出来ず、じっくりと見る中で、隣り合わせの作風がまるで違う絵が同時期に描かれたことを知る。

「そうだ、自分の想いに忠実に描くピカソこそ真の芸術家だ」と悟る。

その結果が、グラフィックデザイナーから画家への転身宣言。

アカデミアの芸術批評家からはずいぶん辛口の評価であったらしいが、悟った彼はものともせず、我が道を行く。

 

横尾さんの絵は遠目からでも、すぐ彼の絵だ、と分る。

その個性こそなによりも彼の強みだ。

クラナハの裸婦、ブリューゲルの風景、レンブラントの生気、ボスの不可解セザンヌの山、、、みな明確な個性が満ちあふれている。

 

横尾さんは三島由紀夫と親交があり、著作でも三島に対する尊敬の念が深いことがわかる。

しかし三島を題材にした絵には、三島を殉教者に見立てたものが多く、

三島を大いなる時代錯誤者とみる私には馴染めない。

 

横尾さんは2014年の5月末日、15年同居したメス猫を亡くした。

タマの本名はたまご、恐らく背中に円くて黒いぶちがあることが由来だろう。ひょいと横尾さんの家に一匹で入り込んだらしい。

亡くした後のペットロス状態から、タマがよく遊んだ裏庭に墓を建てたらしい。

この本を読むと他人事ではなくなる。

我が家も上の娘の友人で捨て猫の里親捜しをしている女性からもらった

たま(本名玉緒)を2014年10月26日に亡くした。

やはり15才で、その年の5月頃から体調を崩し、近くの病院で投薬で治療したのだが、やがて薬を飲まなくなり、水も飲まなくなって、ついに逝ってしまった。

頭から額にかけてと背中にぶちがあり、同じく尻尾も黒だ。多少模様は違うが姉妹のように似ている。

タマ以前に飼っていた雌犬のコロ、娘たちが小学校低学年のころ校庭に棄てられた子犬をせがまれて飼ったコロであるが、15才で亡くなった。

すぐ虫が湧いて十分なことをしてやれなかった悔いがあったので、その分晩年のたまにはできるだけのことをしてやろう、と決意した。

たまが亡くなってすぐ市の斎場に予約を入れたが二日後に予約が出来、近くのスーパーで発砲スチロールの箱を分けてもらい、ドライアイスを買って冷凍保存し居間に置いた。当日は段ボールに移し替え、庭を眺めているのが好きだったたまの脇に庭の花を沢山入れて斎場に持って行った。

遺骨を壺に入れ今も居間のサイドボードに置いてある。

そして、たまにはいつでも帰っておいで、の気持ちなのである。

 

横尾さんのタマの絵は、猫の持っている妖しさが良く表現されている、と思う。

その妖しさはいつでもあるものではなく、ふとしたときに出てくる。

いつどういう時、ということもなかなか言えない。

 

つい長々とたまのことを書いてしまった。

私もペットロス状態なのだろう。

 

追記:この展覧会の展示作品数は不明だがおそらく500点以上だろう。

逐一見る、というより、展示空間の横尾ワールドに浸る感じだ。

その意味でオフィシャルガイドブックは有用だ。

しかも2420円税込みと安い。アマゾンやヨドバシでも購入できる。

ただし巻末の黄色の地に赤い文字はいただけない。

とても見づらい。文字が小さいと尚更だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​​詩情あふれるシーンで堪能させてくれるWW(Wim Wenders)の

この作品、1984年カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した。

ストーリー

4年前に妻子を捨てて失踪した兄のトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)がテキサスの砂漠で行き倒れていたという連絡を受けたウォルト(ディーン・ストックウェル)は、目を離すと逃げ出そうとするトラヴィスに手を焼きながら、レンタカーで妻とトラヴィスの息子が待つカリフォルニア州ロサンゼルスへと向かう。当初、全く喋らなかったトラヴィスだが、やがて自分がテキサス州のパリスへ行こうとしていたことを明かす。トラヴィスによると、パリスは彼らの両親が初めてセックスをした土地であり、それ故トラヴィスはパリスに土地を買ってあるのだという。

ロサンゼルスで息子のハンター(ハンター・カーソン)と再会したトラヴィスは、ある日、ウォルトの妻(義理の妹)アン(オーロール・クレマン)から、ヒューストンにいる妻のジェーン(ナスターシャ・キンスキー)からハンター宛にしばしば送金があることを教えられる。トラヴィスは中古車を買い、ハンターとともにヒューストンへ向かう。ヒューストンでジェーンと再会したトラヴィスは、放浪の旅に出た理由をジェーンに告白する。再び心が通じた二人。しかしトラヴィスはジェーンに息子を託して再び旅に出る。

 

この結末はハッピーエンドとは言いがたい。

しかし、”その後三人で幸せに暮らしましたとさ”では

あまりにも平凡で締まりが無い。

再び旅に出る、、は西部劇の主人公がもめ事を弱者の側に立って

解決して、大概は若くて美人の女性に後ろ髪を引かれながら去る、

というのが定番だが、性的サービスで生活するジェーンにはピンプの影もチラつき、果たしてハンターに、彼が望む教育を与える事が出来るだろうか?という子供を持つ親なら誰しも持つ不安が兆す。

 

トラヴィスはジェーンと覘き部屋(マジックミラーでジェーンの側からはトラヴィスは見えない。電話で会話し客の要望に従って裸にもなるらしい)で自分を隠してジェーンの現状を探った後、メリディアンホテルでヴォイスレコーダーにメッセージを録音する。

ハンター、パパだ。

面と向かって、うまく話せる自信がないからこうして話す。

パパはウオルトの家で君と再会し、君の父親であることを分って欲しかった。君は分ってくれた。

でも一番望んでいたことはやはり無理だ、と分ってしまった。

君はママと生きろ。

君たちを引き離したのは僕だ。

僕が君たちを一緒にしなければならない。

僕は一緒に生きられない。

過去の傷が拭えないままだから、どうしても駄目なんだ。

何がおこったのかも思い出せない。

空白が空白のまま孤独に輪をかけ傷は一層治らない。

だから今は怖いんだ。

また出かけてしまうことが怖い。

家出して自分が発見するものが怖い。

しかしそれに立ち向かわないことがもっと怖い。

愛してるよハンター。

僕の命よりも愛している。

 

翌朝ヒューストンのメリデアンホテルに、ハンターにこの録音を残してひとり再度覘き部屋でジェーンと会う。

ある男と女の物語を語り、自分がトラヴィスであることと

今も尚ジェーンを愛していること、

ハンターがジェーンをホテルの一室で待っていること。

そしてそこに行ってくれるよう頼む。

この場面のナスターシャの演技、トラヴィスの話につれて徐々に心境の変化を表現する演技が素晴らしく、ここだけでも一見の価値がある。

加えてジェーンの性根の優しさもよく伝わってくる。

 

演技と言えば子役ハンターを演じたハンター・カーソンの演技もまた素晴らしい。

作らない自然さだ。背伸びせずありのままに演技しているように見える。

弟役のディーン・ストックウエルは俳優を辞めて不動産に転身することを考慮中だった、というが彼の演技も説得力があった。

これらの俳優の演技と、WWが拘る詩的シーンが、ストーリーの構成の弱さをカバーしている、と思う。

ストーリーは撮影に入る前に出来上がっているのでは無く、ロードムービー的に作りながら展開する。

WW自身、物語は苦手らしい。

多分、説得が前に立って、理屈っぽくなったり回りくどくなったりする、

と自覚しているようだ。この映画でも脚本陣には加わっていない。

WWはロケ先の場所と時間、つまり光がもっとも素晴らしいシーンを作るためにあちこちと探し回る。

 

WWは鉄道が好きだが、道路でもこのようにずーっと先に続く風景に惹かれるのだろう。

どうもドイツ人のWWは地平線にも憧れているように思える。

地の果てまで伸びる鉄道やハイウエーはドイツでは無い風景、と言うこともあるのだろう。

最後に音楽はライ・クーダー。

この映画が機縁で後の「ビエナヴィスタ・ソシアルクラブ」に繋がった。

WWはアメリカの音楽と風景がとても好きなんだろうと思われる映画。

余談だが、WWの写真を見ると、つい大島を思い出す。

 

 

白黒の写真だともっと似ているように思われる。

 

追記:ストーリーはWikiから、この映画のDVDに含まれるWWのコメント付き映像も参考にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​​​大学助教授の夫と離婚専門の弁護士である典型的中産階級の夫婦の不倫やセックスの喜びなどの問題が赤裸々に語られる。

 

元々は6話からなる1973年のテレビドラマシリーズで視聴者は主婦が多く、夫婦間の対話を誘発し、離婚が劇的に増えたと言われる。

日本・スエーデン家庭生活調査報告書https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/prj/hou/hou011/hou11c.pdf

(内閣府平成16年。このグラフは全文53ページ中の12ページにある)

によると五年ごとの統計であるが1975年が突出して離婚率が高い。

ハナから恐縮だが、夫婦一緒に見ない方が無難だろう。

 

ヨハン(42才応用心理研究所助教授)、マリアンヌ(35才親族法の弁護士)は結婚十年を迎え二人の娘と外見は幸せそうな家庭を営んでいる。ある日理想的カップルとして、雑誌のインタビューを受け夫婦生活について語る。数日後夫婦の共通の友人を夕食に招くが、その夫婦は互いに罵り合いをはじめ, 二人はなんとか二人を宥める。

それらがきっかけでマリアンヌは自分たち夫婦の問題を話し合おうとするが、ヨハンは取り合わない。

 

ある夏の日娘たちと夏の別荘にいたマリアンヌのもとにヨハンが訪れ、ヨハンが自分には愛人がいると打ち明け、自分の荷物をまとめて家を出て行く。マリアンヌはある友達に電話すると、仲間内ではヨハンの不倫はみな知っていた、と言われる。

 

(以下最終第六話冒頭の「前話のあらすじ」部分)

数年後二人は離婚書類にサインするためオフイスで合う。

ヨハン(エルランド・ヨセフセン)マリアンヌ(リヴ・ウルマン)

だが問題が起きた。

マリアンヌはその数年で立ち直り、再び人生に喜びを見いだしていた。

ヨハンは正反対。出世の夢は全く絶たれ研究所では屈辱的な扱いを受けて自信を失っていた。

愛人のとの生活にもすっかり疲れ切っていた彼は離婚に異議を唱える。二人は始めて激しい喧嘩をした。

疲れるまで格闘し恨みをぶつけ合った。積もり積もった感情だ。

(ヨハンは)憎悪を抱えて離婚書類にサインする。(第五話了)

 

ヨハンとマリアンヌ,

彼らが結婚してから通算20年が経っていた。

ある劇場で偶然に再会し、焼けぼっくいに火がつく。

二人は情事のため友人の別荘にゆき、マリアンヌは「自分は誰も愛さず誰からも愛されていない」と言う悪夢にうなされ目を覚ます。

ヨハンはマリアンヌと「完全には満たされることの無い愛」を分かち合う。(後で詳述)

 

ヨハンは前のブログ「狼の時刻」のヨハンと重なり合い、ベルイマンの様々な結婚・離婚や愛人の別離などの経験が投影されている。

一方相手のマリアンヌにはリヴ・ウルマンを含む相手の女性が複合的に投影されている。

「ペルソナ」(1965年)でリヴと劇的に出会い、子をもうけて(狼の時刻)

リヴがベルイマンからの結婚の申し出を断って後、ベルイマンは長年の関係が続いていたイングリット・フォン・ローゼンと1971年に再婚する。イングリットは貴族の出,結婚相手も貴族でその相手とは4人の子をもうけていた。

確かにイングリッドは穏やかで上品で、男を上手にサポートする術をもち、実務的な管理能力もあってベルイマンには心落ち着くパートナーであったと言われている。しかしそれだけでは無く「狼の時刻」などで自分の子供時代のトラウマ、分離不安や罰の屈辱からくる激しい憎悪などのデーモンを完全ではないもののある程度の浄化作用をすることが出来たことによって彼自身の内面の安定がもたらされていた事がこの映画の背景にある。つまりそれらの結婚をある距離をおいて対象化し映画化する事が出来たのである。

 

[狼の時刻」で紹介した The Persona of Ingmar Bergman 」の著者Barbara Young は”マイホーム、日々決まり切った生活、友人たちあるいは両親を自分の安定の根にすることは間違いだ。安定は自分の心をよりどころにするより無いのだ"とヨハンはベルイマンを代弁して言っている。この哲学は彼の幼少時代の心痛を和らげヨハンは離婚に向き合うようになる。(Hubert Cohen の言うように)お互いの違いを尊重することは身を切るような辛さだ。だがそれは成長した証なのだ。(P174-5)と語らせている。

 

このテレビ映画はスエーデン国内で3百万人が見た、と評判を呼び、ベルイマンのフォール島の家に見ず知らずの人たちが相談の電話を掛け、ベルイマンは電話番号を変えなければならなかったという。1973年のテレビ映画としては一回50分で六部(282分)で74年の映画版は同じ六部構成で155~168分といくつかのヴァージョンがある。それはベルイマンの映画社からフィルムを買って字幕や吹き替えをするだけで無く購入側が適宜長さを調整するからであるが、米国でも映画もテレビ版も両方何回も上映放映されたため、見たヴァージョンによって多少違う批評になる可能性もある。

 

さて最終第六部友人の別荘宅(夜中のサマーハウスで)の二人の情事だが、ヨハンは米国での大学の転職もご破算となり、研究所で惨めな立場に置かれているが若い愛人との関係はまだ続いている。

弁護士のマリアンは自信に満ちて夫との関係の中でセックスの肉体的喜びを堪能しているが、一方夫は気軽に不倫を続けている。

 

マリアンヌはヨハンがビリビリしたところが無くなって、とても優しくなったことに感動し涙する。

「毎日辛いの?」と問われヨハンは

「身構えなくなった。人生を諦めたわけじゃ無い、身の程を知っただけだ。自分の限界を受け入れて、心が穏やかになった」

 

マリアンヌはヨハンにヨハンと結婚後まもなく浮気したことを語る。

「この秘密を告白していたら私たちの結婚はそのとき終わっていた」

「ヨハン、彼女を愛してる?」 「ふふ女はそればかり」

「つまり幸せなのね?」「なら君と会ったりはしない」

マリアンヌは夫ヘンリックとの結婚で自分の性欲を知り、彼と離れられなくなった、と語る一方夫は気楽にセックスが出来る女に走ってしまった事やそれを考えないことで円満に過ごしていると語る。

「実にいい話だ、面白い。だがこれ以上聞きたくない」とヨハン。

「傷ついたの?」

「夫婦生活をぶちまけて楽しいかい?。セックスは人生の一面に過ぎない。考えても見ろよ、僕たちは二人とも自分を知ったのだ。

僕は自分の小ささを。君は偉大さを知った。”真実”の話はもうしないでくれ」そうして明かりを消しベッドで横になり画面は暗転する。

 

夜半にマリアンヌが起き寒さに震えて「悪夢を見た」とヨハンに抱きしめられる。砂辺でマリアンヌがヨハンと娘たちに手を伸ばそうとするがどうしても届かない。肘から先がないのだ、と。

 

「ヨハン、人生は混乱ばかり」  「混乱って?」

「不安よ、確かな者など何もない。人間はただ運命に身を委ねるしかないの?」   「そう思う」

「もう手遅れなの?」  「ああ黙って受け入れよう」

「ヨハン、私は誰も愛したことが無い、愛されたことも無い。

とても寂しいわ」

「考えすぎだよ。僕には分るよ。自分勝手な愛だが君を愛してる。

君も僕を愛してる、わがままな愛だけどね。

愛し合っているけれどやり方がまずいだけだ。君は気難しい」

「私に愛されていると感じる?」

「感じるよ、でもそれを話すと消えてしまう」

「一晩中こうして抱合っていたい。」

「だめだよ」「どうして?」「足がしびれてきた」「横になりましょう」

「そうしよう」「ありがとうおやすみなさい、良い夢を」「君もね」

 

見終わって様々な問題が浮かんでくる。

「秘密と嘘」は自己防衛のエゴイズムだが、「正直」で「誠実」であることは互いを傷つける。

「狼の時間」でアルマ(ウルマン)も言うように、

 

なんだろうか

相手と一体化することを求めて互いに傷つき破綻に至る。

男と女の「親密さ」とはなんだろうか? 

一体化ではないとすればなんだろうか?

セックスのオルガニズムだろうか?

それは愛無くしても可能だ。だとすれば即親密とは言えまい。

愛無くして不倫も可能だ。

愛無くして肉体の喜びを得ることも可能だ。

その愛も、時にふれて感じるもので永遠では無い。

 

Hubert Cohen は「The art of Confession 」のなかで

 

自分勝手な愛だが君を愛してる。

君も僕を愛してる、わがままな愛だけどね。(先述)

この二人の「不完全な愛」、互いを違いを認めることは痛切な痛みを伴うが、それは互いの(関係の)成長なのだ。(同書p359)

 

そして愛に、あるいは結婚に余りの多くを求めないこと。

かといって、

ふと兆す「疑い」がすべて無くなるわけでは無く

争いや混乱が無くなるわけでも無い。

この「不完全な愛」が居心地も良く長続きするものなのだ。(同書362)

 

これらは勿論、著者Cohen の解釈であり

他の解釈を排除するものでないことは言うまでも無い。

 

たとえば趣味が共通していることで親しくなって結婚したカップルもその後の一方の変化で親密さが揺らぐこともある。

子供の養育、しつけなどの問題の意見の食い違いもハレーションが大きい問題だ。

男は仕事の中で成長もするが、自信を失ったりもする。

そのとき男の最も良き理解者はあるいは同僚の女性かもしれない、

 

愛情とは移ろいやすいものだ。

その移ろいやすい愛に「秘密と嘘」が欠かせない、

としたら、愛とは?

 

ヨハンとマリアンヌの結婚と離婚、そしてまた愛人関係へ。

何が何でも離婚せずにいることが幸せな人生では無いだろう。

すべてはわれわれ各々の人生次第。

自分の生、この一回限りの心と身体を持った生命に、

代わるべき相手、責任を押しつける相手は居ないのだから。

 

追記:文字変換が調子悪く、度々訂正しました。お許しあれ。