#フェリーニのローマ  #フェデリコ・フェリーニ  1972年作品 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

フェデリコ・フェリーニ(1920-1993)監督の1972年の作品。

 

フェリーニはイタリア半島の東岸アドリア海に面するリミニの町に生まれ、フィレンツェを経て1938年12月ローマに出、ユーモア雑誌社に入社する。

時はムッソリーニの時代。

1943年にはジュリエッタ・マシーナと結婚し、イタリア解放後アメリカ軍

が進駐、その際は米兵にユーモラスな似顔絵を描いて儲ける。

44年、ロッセリーニがフェリーニを訪れ、フェリーニの友人アミディと「無防備都市」の脚本を書くよう依頼する。ロッセリーニの本命はアミディで「将を射んとすれば馬を射よ」とフェリーニにアプローチしたらしい。

次いでロッセリーニの「戦火の彼方」のロケについて回り、映画の魅力にとりつかれたことがきっかけで映画監督に転身する。

彼の作品をこれからも見ていくつもりなので紹介ははこれぐらいにしよう。

 

まずはこの映画のCMから。

 

この映画に明確なストーリーがあるわけではない。

フェリーニがローマにやってきたときから、彼の記憶=イメージにあるローマの情景が次々と展開する。

18歳の少年が住んだローマの下町、次に現代に飛んで監督フェリーニが環状道路を車で走りながら次々にその風景を撮ってゆく。

さらに現代と過去を行ったり来たりしながら、三流劇場の三流ショー、地下鉄建設工事を長々と追い、そこで掘り進んだときローマ帝国時代の貴族の館にぶち当たり、館のフレスコ画が現代の空気に当って次々と溶解していく場面、スペイン広場のヒッピー、娼婦の館での年取って、でかい尻をした娼婦たちと客たち、

カトリックの司祭や侍者たちのファッションショー、イタリアが生んだ女優アンナ・マニャーニが貴族の屋敷街を抜けマンションに帰宅、その門のところで、マニャーニに

(あなたは)ローマのシンボルとも言える。

ーそう思う?

ローマは処女にして雌オオカミ、

貴族にして売春婦、道化でもある。

ー監督さん、とても眠いの。

質問したい、、

ーあなたを信頼していないの、チャオおやすみなさい

とマニャーニは中に消える。

そして突然ローマの道路を爆音を響かせながら暴走族が走りまわって、終わる。

これはドキュメンタリー映画ではない。

フェリーニの心象のローマであり、そのファンタジーだ。

かといってそれが単に空想の産物、と言うことではなく、

間違いなくフェリーニのなかではリアリティのあるものなのだ。

 

映画 とはなにか、と考えるとき

映画とはファンタジーだ、と言いたい。

リアリズムをいくら標榜しても、それは「リアリズム」というゲームの中のファンタジーである。

もちろんファンタジーを貶めて言っているのでは無い。

ファンタジーこそ、リアリティに富むものなのだ。

その良い例が「恐怖」「戦慄」、、

もとになるのは自ら作り出すファンタジー

 

多くの映画作家が、だんだんと「物語」を離れてゆく。

それは、映画 とはファンタジーである、と理解したからではないか。

もちろん最後に、もういっぺん自分の原点というか起点に戻ろうとする

映画作家もいるが。

 

追記:フェリーニとアンナ・マニャーニの会話で、

雌オオカミ、とあるのはローマの建国神話から。以下にかいつまんで。

ローマ南東の国を治めていた王の姪が群臣マルスに孕まされ双子を産んだ。怒った王は双子を捨てたが雌オオカミによってその乳で育てられた。

その後羊飼いに育てられ、ついには自分たちを捨てた王に復讐する。

そしてローマにそれぞれが国を作ったが、二人の間に争いが起こり、

兄ロムルスが弟を討ちローマを建国した、という伝承。

売春婦も道化もフェリーニに縁の深いものであり、彼の人生と映画にとって欠かせないもの。

マニャーニ(1908-1973)はフェリーニが脚本に参加したロッセリーニの

「無防備都市」に出演、1955年「薔薇の刺青」でアカデミー主演女優賞を受賞。この映画や「蛇皮の服を着た男」などの縁で作者テネシー・ウイリアムズと知り合い、彼がローマに来るときは会っていたらしいことが彼の回想録にある。

ところでマニャーニはこの出演でギャラをもらったのだろうか?