Gon のあれこれ -5ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

昨日ようやく開催が確認できたので出かけた。

前回は2019年11月だから、実に3年ぶりの開催。

開催予定であってもコロナで中止が相次いだせいである。

 

 

出かけるのが遅れた理由の一つは

開催の確認がなかなか出来なかったこと。

「日本の古本屋」のホームページで開催を確認すると、確認先として指定された公式ツイッターは19年3月以来更新されていない。

 

そこで記憶を頼りに出展していた古書店のツイッターから確認を取ろうとしても梨の礫。広場のWEBカメラを探しても見当たらない。

と、まあいろいろと手を尽くして調べてようやく無店舗の古書店さんのツイッターを探し当て、そこの電話番号を「日本の古本屋」で調べて電話し ようやく木曜日に開催の確認が取れ昨金曜日に出かけた次第。

当日、主催の責任者を呼び止めてもらい、以上の事情を話してツイッターの更新をお願いした。

(そのせいか現在公式ツイッターのアカウントは消去されている)

 

もう終了間近、と言うこともあり客も少なく、本棚も寂しかったが、

手ぶらで帰るのもつまらなく以下の二点を購入。

(800円)

 

(400円)

映画「無防備都市」を見てロベルト・ロッセリーニに恋したバーグマンは自らをロッセリーニに売り込み出演、次いで結婚する。

その前は、グレゴリー・ペックと「白い恐怖」の撮影期間中激しく愛し合う。

 

じつは彼女の人生には左程の関心は無いのであるが、いずれロッセリーニの映画を鑑賞したときに、何かの参考になれば、程度のいい加減な気持ちで購入した。

 

帰途御徒町の中華Tに寄って昼食後帰宅。

 

追記:ラファエロ前派展(2015年)の鑑賞ブログ

 

 

 

 

 

 

 

今回の都美展覧会の目玉はフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」

右上にはキューピッドの絵が描かれているが、これは最近の研究によりフェルメール以外の誰かが消したものだ、と言うことがわかり、それに基づいて修復したものだという。以下は都美のパンフよりコピペ。

17世紀オランダを代表する画家ヨハネス・フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》は、窓から差し込む光の表現、室内で手紙を読む女性像など、フェルメールが自身のスタイルを確立したといわれる初期の傑作です。1979年のX線調査で壁面にキューピッドが描かれた画中画が塗り潰されていることが判明、長年、その絵はフェルメール自身が消したと考えられてきました。しかし、その画中画はフェルメールの死後、何者かにより消されていたという最新の調査結果が、2019年に発表されました。
本展では、大規模な修復プロジェクトによってキューピッドの画中画が現れ、フェルメールが描いた当初の姿となった《窓辺で手紙を読む女》を、所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館でのお披露目に次いで公開します。所蔵館以外での公開は、世界初となります。加えて、同館が所蔵するレンブラント、メツー、ファン・ライスダールなどオランダ絵画の黄金期を彩る珠玉の名品約70点も展示します。

ちなみに今回の修復前の絵画は

すっきりとして、”フェルメールらしい静謐さ”が漂う。

以前、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」について引用した美術史家の小林頼子氏は、「フェルメールの世界」(NHKブックス)で、

「とはいえ,フェルメールはすっきりとした構図にやすやすとたどり着いた訳では無い。X線写真からは、当初壁の上に大きなキューピッドの絵、手前のテーブルの右端に非常に大きなレーマー杯を書き込んでいた事が判明する。結局キューピッドの絵を塗りつぶし、レーマー杯の前にカーテンを下げ、構図から煩雑さを取り去った。単身の風俗画としてはなおかなりの大きさの画面を複雑化させることなくまとめるには、事物を隠し、空間の深みを効率的に示唆するカーテンは秀抜のアイデアだったと言っていい。(同書p63-64,適宜略)」

 

と述べている。絵の批評というものはなかなかに難しく、大家の作となれば結果から推測してその結果を正当化しがちであるが、X線写真で判明した時点で、即それが元々の絵であった、と主張した専門家はいなかったのであろうか。

「牛乳を注ぐ女」ではメイドより後ろに位置する壁のかごが、そこに焦点が当っているかのごとく精密に描かれている。このことから、ホックニーのカメラ・オブスキュラ利用説(秘密の知識より)を支持したのだが、小林氏はこれを否定している。(以下のブログ参照)

 

 

さて、手紙を読む女も牛乳を注ぐ女も言わば家事をするキッチンメイドである。オランダ絵画の図像学では、キッチンメイドは

この作品が描かれる200年ほど前から、ミルクメイドやキッチンメイドは性愛や性交渉を想起させる存在であり、このことはアントワープやユトレヒトなどのオランダ諸都市で描かれた台所や市場を舞台にした絵画によく描かれていた。『牛乳を注ぐ女』のように性的な画題を巧妙に隠蔽していた作品もあれば、あからさまに性愛描写を描いた作品もあった。

とWikiにある。「そして描かれたキューピッドは女性の性的興奮を暗示する、あるいは働きながら男性を夢想していることを意味する」

とも書かれている。

そして、消し去られたキューピッドは、その後のたとえばカルヴァン派の厳格な性道徳の影響などを受けた可能性があるかもしれない、

あるいはよりフェルメールらしさが出て絵の価値が増す、から

と門外漢の私は自由に想像を膨らますのである。

 

左側の、構図からも衣装からも違和感のあるこの人物はフェルメール自身、つまり自画像とされる「取り持ち女」と題されるこの作品。

 

 

この取り持ち女も言わば売春のやり手である。

ホックニーは、「絵画の歴史」(青幻社p194以下)でこの作品もカメラオブスキュラを使用したとみているが、それはさておき、フェルメールの珍しい風景画に「小路」がある。

この絵の場所探しが行われ、フェルメールの親戚が住んでいた家、

と推定されている。

フェルメールの父親は酒屋兼宿屋を営んでいた、というから今で言う風俗業である。そうした生業の女性達を描いたのも機縁があったと言うべきだろう。

フェルメールはたとえばカラヴァッジョと同じく、「リアリズム」、必ずしも「写実」と言うことでは無く、題材の切り取りや焦点化、場合によってはデフォルメすることを含めて、現実を真に迫ったものとして追求した画家である。劇的なカラヴァッジョの絵とは対照的に静けさが漂う絵が多いが。

また、カメラオブスキュラを使ったと言うことで彼の絵の価値が些かも落ちることは無い。絵筆の技巧ばかりに画家の焦点を当てるのでは無く、画家の描こうとした「真実」こそが価値があるものだ。

その真実とは、デシャンの「泉」に通じるものだ、と示唆しておこう。

(偉そうに(^^♪)

 

偉そうに言ったついでに、もう一つ。

フェルメールは1632年にうまれたデルフトの在のひとである。

彼の遺言管財人は同郷のアントーニ・ファン・レーウェンフックで歴史上始めて顕微鏡を使って微生物や精子を発見した「微生物の父」と呼ばれている人物である。

もう1人1632年生まれの哲学者スピノザは、ポルトガルから逃れてきたユダヤ人の裕福な貿易商の家に生まれた。成人してキリスト教会のある会派に出入りしてユダヤ教会から破門されたが、父親の死後貿易商を継ぐも性善良で商売の駆け引きが出来ず、家督を弟に譲って引退する。

そして彼の才能を高く買った人から年金をもらう一方、レンズの研磨を副業としハーグ近郊に移り住んで「エチカ」の執筆を始める。

ハーグとデルフトは直線距離が8キロ。徒歩2時間だ。

レンズの研磨は当時地位が高く、研磨業の傍ら市長になった者も居る。

そしてフェルメールの友人レーウェンフックは顕微鏡を駆使し、フェルメールもカメラオブスキュラを愛用した。

実はスピノザの銅像がハーグにあることからもしや、と思って何らかの証拠立てるものを探して居たのだが、そのうち以下の書を見つけた。

「フェルメールとスピノザ」ジャン=クレ・マルタン著以文社

このカバーが示唆するように、フェルメールの「天文学者」のモデルはスピノザだと主張する。通説は友人のレーウェンフックとされている。

どちらがフェルメールのモデルだろうか。

顔の輪郭がシャープなのは右の方、スピノザである。

他の材料として、著者マルタンは「天文学者」の最初の題は「哲学者」であったこと、スピノザの書簡の中の宛名にフェルメールの本名があったことを挙げている。哲学者マルタンならではの着眼と言うべきであろう。

この絵のモデルは別として、私はレンズの研磨つながりでフェルメールとスピノザは面識があったと思う。

 

フェルメールはレンブラントやカラヴァッジョ程には後のちの影響は無いけれども愛好者は多い。一方スピノザは、「エチカ」「神学・政治論」「知性改善論」「国家論」の著作がある。

 

オランダは宗主国スペインの軛から脱するのに80年を要したが、ルネッサンス時代のベネチアがシルクロードから地中海を経る交易ルート(今上陛下のご専門)と金融を押さえ繁栄したが、スペイン、ポルトガルが喜望峰周りのルートを開拓して地中海ルートを衰退させた。

その新しいルートを利用して遠くジパングの長崎出島に拠点を設けたオランダ(イエズス会とは違い布教をごり押ししなかったため)はスペイン艦隊を破りフェルメールやレンブラント、デカルトやスピノザのオランダ17世紀の個人の自由を基盤とする繁栄をもたらした。

しかし都市同盟の組成が現在のEUと同じで明確な中心を欠き、それが軍事的な弱点となって王制国家フランスやイギリスに敗れて衰退した。

 

EU(欧州共同体)とNATO(北大西洋条約機構)はそのオランダの衰退からも学んでいるのだ。その意味でスピノザの「国家論」はこれからも注目される著作だろう。

 

今回の都美の展示では、なぜ「キューピッド」を上から塗り込めたのがフェルメール本人ではない、と断定したかの理由や、復元の忍耐強いプロセスについての映像があった。これはとてもいい工夫だ。

一方、こうした風俗画の場合、描かれている人物と画家との関係や、衣装や場所についてのいわば社会的見取り図のようなものに言及するべきだろう。

もう一点、キューピッドが右足で「仮面」を踏みつけていることから、欺瞞を否定し愛の普遍性を寓意している、との解説があったが、キューピッドは愛の神、エロスの担い手である。この手紙を読んでいる場面のキューピッドは、手紙の内容を暗示したものではないか。

あるいは性的欲望を。なぜもっと直截に語らないのだろう。

 

補記1:ドレスデンの国立美術館には、2006年6月23日、同年ワールドカップドイツ大会のドルトムントで日本対ブラジル戦を見た後、夜行寝台(個室洗面付き、シャワー共同)でドレスデンに朝8時ごろ到着、ホテルに荷物を預けて美術館に行った。

フェルメールとクラナハを見た、と記録にあるが、確認のためにデジカメを、と思ってもそれは無い。実は翌朝行って三泊したプラハで三泊目にデジカメを掏られてしまって記録が無いのだ。(プラハ出発当日、プラハ警察にタクシーで行って、たらい回しされたあげく、ようやく証明書をもらった苦労を思い出す)したがってプラハから向かったベルリン(3泊)での美術館巡りのデジカメ記録も無く、ヴィデオカメラのみ、しかも媒体のテープが三日目で無くなってしまった。但しドレスデン同美術館でマイセンの磁器の素晴らしさはどういうわけか鮮明に覚えている)

以後、デジカメは二台携帯するようにしている。

 

補記2:今日のウクライナの人々の窮状は察して余りある。

子供の時から馴染んできたキリスト教、旅行で馴染んだヨーロッパの風景、それらは確かに中東のイスラムの人たちより色濃いものであることは間違いない。それ故のシリアの人々へのシンパシーよりもウクライナの人たちへの強いことは率直に認める。 

エルミタージュを見に行った時のロシア人の日本語通訳に、体制批判をさける苦しさを感じた。個人の意志ではどうにもならない運命がある。その運命に翻弄されないためには、日常において専制的独裁的な、つまりヒットラーのような人物の興隆を絶対許してはならない、と言うのが歴史の、我々の教訓である。

独裁は必ず縁故主義と自己満足と自己欺瞞をもたらす。

取り巻きが独裁者に阿ね、独裁者は自分が裸であることを気づかないのだ。そうなってからでは暴走を止めるに難しく、被害も大きくなっている。

アベや橋下の、専制的に振る舞うことが、「決断力」「実行力」と誤認されているらしい。プーチンやトランプは彼らのロールモデルなのだろう。

橋下をヒットラーと準えることで、萱野稔人ホリプロ芸人教授や橋下の三下野村修也やテレビタレントたちがこぞって菅直人を批判した。

いま欧州ではプーチンをヒットラーに例えている。

ヒットラーに例えることは国際的にタブーといったバカ者どもはこれを何というか。都合悪いことにはだんまりだろう。

ヒットラーに例えることを批判する先は、ヒットーラー亜流の跋扈である。

 

自分の出来るわずかなことをしようと国連UNHCR、かつて緒方貞子さんが奮闘した組織に献金した。(ホームページより寄付できる)

https://www.japanforunhcr.org/donations

寄付に下限は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原題は To kill a mockingbird 忠実に訳してもあまりピンとこないから、

黒人差別が色濃い南部のアラバマ物語、という邦題は納得がいく。

 

先ずは映画・Com の解説から

ピュリッツァー賞を受賞したハーパー・リーの自伝的小説を原作に、1930年代のアメリカ南部で人種差別に立ち向かう弁護士の闘いを幼い子どもたちの視点から描いた名作ドラマ。1932年、人種差別が根強く残るアラバマ州の田舎町。弁護士フィンチは妻に先立たれ、まだ幼い2人の子どもたちと暮らしている。ある日、彼は白人女性に性的暴行を加えた容疑で逮捕された黒人青年の弁護を担当することに。正義を重んじるフィンチは、差別や偏見に立ち向かいながら、青年の無実を証明するべく奔走する。しかし町民たちはそれを快く思わず、フィンチや子どもたちに対する風当たりは日ごとに強くなっていく。

この後の展開はWikiより一部加(括弧内)除して接ぎ木する。

(黒人青年トムを裁く)法廷でアティカス(フィンチ)は最後に、全て白人男性の陪審員に向かい、先入観を持たず明白な証拠を以って審議してほしいと語る。2時間経過後、陪審の合議が終了し、判事が評決を質す。陪審の代表が出す結論は、起訴通りの有罪である。アティカスはトムに(かれの)妻への連絡を約束し、(上告すれば勝てるから)希望を失わないようにと伝える。大勢の黒人の傍聴人が、アティカスが法廷を出るのを起立して見送る。(黒人の傍聴人に混じってアティカスの二人の子供スカウトとジェムも傍聴する)

アティカスが家に着くと、保安官代理がやってきてトムが護送中に逃走しようとしたため撃たれて亡くなったと伝え。その後、スカウトとジェムは夕方に学校で行なわれるハロウィン・パーティに出席する。パーティの最中、スカウトは私服と靴をなくしてしまい、仕方なく(パーティの)着ぐるみのまま家に帰ろうとする。スカウトとジェムが森を通って帰る途中、後を追ってきた何者かに襲われる。ジェムは襲撃されて意識を失い、スカウトも襲われるが、襲撃者は後からやってきた何者かに阻まれる。スカウトは衣装の目出し部分から何者かがジェムを抱きかかえ家に連れて行くのを目撃し、急いで衣装を脱いで後を追う。家に着くと、ジェムが意識を失って横たわっていた。後にジェムは腕の骨折と診断される。(アティカスンにトムの弁護を依頼した)保安官がやってきて、襲撃してきたのは(白人女性の父親で、トムに無実の罪をきせようとした)ボブ・ユーエルで、ユーエルは胸にナイフが刺さり、亡くなった状態で発見されたと語る。スカウトは(奇妙な隣人)アーサー"ブー"・ラドリーが部屋の隅に立っているのに気付き、森の中でユーエルから自分を助けてくれたのは彼だと確信する。

保安官はブーが正当防衛でユーエルを殺害したと考え、ブーを英雄として人前にさらすことはそれこそが「罪」ではないかと語る。ブーを守るため、保安官はユーエルが自分で転んでナイフが刺さったのだと片付ける。スカウトは以前、父親から教えられた(罪の無い弱い人=プー=)ものまね鳥 を殺すこと」(原題の『To Kill a Mockingbird』)が罪だというのと同じだと語る。

いくつか付け加えたいことがある。

先ずはアティカスが黒人の弁護を引き受けたため学校でいじめに遭った娘スカウトが父親に尋ねる。

「アティカス、you はニガーを弁護するの?」

「ニガーと言ってはいけない。そうは言わなかっただろ、ニグロを弁護するんだよ」

ニガーはジャパニーズをジャップと言うのと同じ差別語であるが、ニグロも最近居心地がよくない言葉で、ブラックピープルが一般的らしい。

そして「トムの弁護を依頼されてしなければ、頭を上げて歩けないし,お前達にも”そんなことは二度としてはいけない”と言うことも出来なくなる。」

 

次に法廷の場面、トムが婚期の逸した白人女性に呼び止められ、抱きつかれ、キスを求められたのを振り切って逃げようとしたときのトムの証言。

「ユーエル氏が窓から彼女を呪って、殺してやると叫んだ」と。

トムは ”He said he's gonna kill her"とユーエルが叫んだと言っているが、日本語字幕では"彼女”を が抜けている。

日本語は人称や繋辞が曖昧でそれが争いの元にも、オレオレ詐欺などの犯罪の原因にもなったりするが、国語教育の中でこうした事に敏感になるよう教えるべきだと思う。

最近ではウクライナ問題でプーチンが核の使用をチラつかせたことで「核共有」の議論が起こってきた。

スガは「議論することが必要」というが、菅自身はどんな意見を持っているかは言わない。憲法改悪の議論と同じ手法だ。記者も問わない。

こうして曖昧で無責任な言論が、テレビ芸能人のコメンテーターの世論形成でまかり通ってゆく。

 

弁護士アティカスのこの映画は2008年のアメリカ映画協会(AFI)の最も偉大な法廷ドラマ第一位に選出されただけでなく、2003年のAFI ヒーローベストワンにも選ばれているから、いわばアメリカの”良心”を体現して居ればこその栄誉だろう。

沢山の映画人が選ぶアカデミー賞では、おそらく選ぶ側の心理として「理想的人格」を好む傾向があるだろう。その意味で言えば「欲望という名の電車」でのマーロン・ブランドの演技はいかに素晴らしくても、彼の演じるキャラクターが「ヒーロー」に相応しくなかった、と言う解釈も可能だ。

数年後の「波止場」ではブランドが労働者の為に搾取者のボスに立ち向かう、という明確なヒーロー像があった。

 

そしてこの人種的偏見に満ちた"南部”の1930年代の物語は、アメリカにとっては恥ずべき事に今なお意義を失っていない。

例えばアラバマ州の東となりジョージア州で2020年、若い黒人男性がジョギング中に白人の元警察官に射殺された事件。この事件を巡っては警察が当初被告等を逮捕せず、2ヶ月以上経って発砲の瞬間の映像がインターネット上で拡散した後逮捕されたことから Black Lives Matter 運動が全米に広がるきっかけとなった事件である。

元警官等はこれ以前から黒人に対する侮蔑的発言を吐いていたことから Hate Crime でも告発され終身刑は免れないだろうとみられている。

 

一方同じ2020年8月、中西部のウイスコンシン州の人口10万以下の田舎町ケノーシャで、警官暴力に抗議するデモ参加者に発砲し3人を死傷させた18才の白人少年に対する裁判では、すべて白人で構成された陪審団は「正当防衛」として無罪の評決を言い渡した。

正当防衛、と言うがこの少年がデモ参加者から危害を加えられたわけでは無い。ケノーシャで警官が黒人男性を銃撃したことで起きた暴動の2日後にイリノイ州の自宅から半自動ライフルをもってウイスコンシン州のケノーシャに向かってデモ参加者の2人を射殺し1人を負傷させた。

この3人を含め全員が白人である。

トランプ元大統領は支持者に送ったメールで「これが正当防衛でなければ、正当防衛なんて何も存在しない」と判決を支持している。

元大統領は共和党の「白人優位イデオロギー」を持つ人々のベースにアピールして、白人が多い州中西部から南部諸州で選挙人を獲得して当選した。

しかし人種差別を悪とする人たちはおそらくは米国民の過半を占めているだろう。その点では米国社会も進歩してきた、といえるが教育現場で人種問題を教えるべきでは無い、という運動も起こっているからなかなか人種差別は根強いものがある。

我々黄色人種も差別される側である、ということも忘れてはならない。

 

トランプは2024年の再度の立候補に向けて同様の戦術のようだ。

が、昨年二月の議事堂乱入事件での大統領としての彼の振る舞いが犯罪とみなさるようになって挫折するだろう、と予測する。

 

以上のように、この物語から90年、映画公開から60年経って今なお人種差別が米国を分断している。

グレゴリーペック演じる弁護士は、黒人のナニーに対して1人の人間として接しているが、家父長的白人像という批判もあるらしい。

子供の養育は親の責任だ。その責任の中には子供の望む教育を受けさせる事も含まれる。その責任を果たせない親、果たしてもらえない子供には社会全体で支えることが必要だ。子供は道徳や倫理観を持って生まれてくる訳では無い。それを教えていくのは第一義的には親の責任だ。

今の公教育が長い自民党政権下で、神道政治連盟が大多数を占め、歴史修正主義の自民党議員が部会などを通じて教科書に影響力を行使している現実を踏まえると、人の道を学校の教師に委ねることは不安だ。

 

この映画はかくのごとく今以ていろいろなことを考えさせてくれる。

グレゴリー・ペックはインテリジェントで、飾らない自分 integrity をもった俳優というイメージがある。例えば「ローマの休日」で最初のクレジットで自分が上、オードリー・ヘップバーンが下であったのを、監督に「素晴らしいスターの誕生だ。自分を上にするとあなたは将来不明を恥じることになる」といってオードリーを上にした。

そうかといってスキャンダルに無縁、ということでもない。「白い恐怖」でイングリッド・バーグマン」と共演したとき2人ともパートナーが居たが、撮影期間中激しい恋をしたらしい。

 

グレゴリー・ペックは2003年6月、87才の生涯を閉じた。

主な映画としては、1946年ゴールデングラブ主演男優賞を受賞した「子鹿物語」や上に述べた映画の他、「白鯨」(1956)、「頭上の敵機」(1949)、「ダグラス・マッカーサー」(1977)などがある。

その彼の葬儀で弔辞を読み上げたのは、このアラバマ物語で黒人青年トムを演じたブロック・ピータース。ちょっといい話だ。

長い間の民主党支持者として知られ、共和党支持者のロナルド・レーガンがカリフォルニア州知事選挙に出たとき、対抗馬として出るように進められたり、大統領選挙にも出馬を勧められたりしたが、自分は俳優として大統領役も,リンカーンの役もやったりしたから、もう充分だ、と冗談半分に断ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16日(水)から始まったこの古書市、新型コロナの緊急事態等によって中止に追い込まれた古本市が多い中、愛好者としては貴重な機会である。

 

かつては池袋西口公園でも年に数回古書市が開かれていたが、東京オリンピックの”美化”の名目で、ホームレスの人たちを追い出すために障害物の多い広場になってしまい古書市など開けぬ場となった。

ホームレスの人たちも消費税は支払っている。

昨日までアパートに暮らしていた人たちがコロナで仕事を失い、ホームレスにならざるを得ない人たちもいる。

こうした人たちは、行政から見放されて「統計」に現れることも、新聞やテレビが取り上げることも無く、我々の社会から「存在しない」人たちとされ可視化されないのだ。

 

人権とは、清潔な水と食べもの、寒さをしのぐ住まい、医療と教育が最低限保障されることだ。 思想信条や表現の自由は勿論大切だが人の命を守ることが何よりも優先事項だ。入管における虐待や生活保護(これをなまぼ、と呼んで軽蔑をあらわにした元自民党議員もいる)に対する嫌がらせなどもホームレスの人たちに対する冷たい仕打ちと地続きであることをしっかり考えなければならない。

 

つい日頃の感懐が出てしまったが、昨18日10時の開店に合わせて西武百貨店の地下街を通って入場。

出店は19店。あるいは「社会的距離」を取るためかも知れないが、盛期より一割は少ない。それもあって一時間ほどで古書漁食が終わる。

今回の収穫は、

アドルノ著 美の理論 正続 河出書房新社 7000円

マティスとピカソー芸術家の友情 同じく河出新社 1870円

上記二冊は幸に「欲しい本リスト」の中であった。

ドナルド・キーン著 果てしなく美しい日本 講談社 600円

アベやネトウヨが喜びそうな名前だが、キーンさんは彼らを軽蔑する人だろう。キーンさんの著作は多くは英語圏の読者向けに日本の文化について叙述しているので基本的なことがしっかり書かれていて参考になることが多い。たとえば「日本人の美意識」や「能・文楽・歌舞伎」などがそれだ。 この本が 美しさの影 についても言及されているとよいのだが。

最後は 「異説 黒沢明」(文藝春秋編)。

自伝の「蝦蟇の油」とか佐藤忠男の本にはないビジュアルな所を買った。

この三省堂古書市は映画や音楽、芸能など文化、芸術関連の古書が沢山出ているのが特徴だ。

 

久しぶりの池袋なので、眼科に寄って花粉症の目薬を処方してもらい、

昼はいつものように西口の ふくろ で。

 

なお古本好きの方のために朗報をお届けする。

しばらく開催中止が続いた新橋SL広場の古書市が再開される。

詳しい日時については、日本の古本屋 のリンクを貼る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1950年黒沢明が「羅生門」でヴェネチア映画祭のグランプリを獲得。

これに刺激を受け溝口も大いに闘志を燃やしたらしい。

 

この1951年封切りの「お遊さま」はその闘志燃えさかる中の作品。

田中絹代主演、乙羽信子が準主演である。

 

佐藤忠男の「溝口健二の世界」の年譜によれば、この年溝口は義弟田島松雄の未亡人ふじを事実上夫人とし、その娘宝と嶺を養女とする。

しかし同書では、「お遊さま」の撮影の途中で田中絹代がちょっと演技をしくじり、絹代が謝ってやり直しを求めたとき、溝口は意外と優しくO.Kを出した。そのとき溝口は田中絹代に恋をしていたからだ、とある。

(同書p274)

 

前置きが長くなったが先ずはあらすじを映画ドットコムより。

お遊さまは、小曽部の家から金満家粥川へ嫁入って間もなく夫に別れたが、一人子一の養育のかたわら、贅沢と遊芸三昧に憂さを晴らしているひとであった。一番仲のよい妹お静が芹橋慎之助と見合いをするのに付き添って行くが、慎之助はお静よりもこのお遊さまに深く心をひかれる。そこでこの縁談はいったん破れかけるが、お遊さまが、結婚するならぜひ慎之助に というたっての願いにお静は承知して芹橋へ嫁ぐことになった。お遊さまも、慎之助を想っていることを察し、お静は二人の間のかけ橋になる決心をしたのだつた。そのため、お静は慎之助の名前だけの妻に甘んじ、慎之助と共にひたすらお遊さまの心を慰め、たのしませることにつとめた三人がそろっての物見遊山が度重なるに従って、周囲の口もやかましくなり、ついにはお遊さまの婚家粥川家でも問題となって、一が病没したのを口実に、お遊さまは実家へ帰されることになった。そのときになってお遊さまは自分のために慎之助とお静を不幸にしていたことを悟って、兄にすすめられるまま、眼をつぶって伏見の酒造家へ再婚して行った。芹橋家は破産し、お静と慎之助は東京にわび住居をする身になったが、お静は慎之助との間に一子をもうけて幸福であった。しかし産後の肥立ちが悪く、慎之助に見とられながら死んだ。お遊さまは、淀川にのぞんだ伏見の豪華な屋敷に今宵は月見の宴を催していた。その時門前に捨て子があったと女中が連れて来た赤ん坊は、慎之助がお静亡きあと、思い余ってお遊さまに托したものであった。淀川の芦の間を遠ざかる舟の中に、ひとり謡曲「熊野」をうたう慎之助の姿があった。

互いに惹かれる男女が、世間の掟、目を慮って、自分の妹を男に嫁がせ、その愛を知る、他でもない女の妹で男の妻となる女が、姉の心を慰めつつ、男の子を産み自分はそれなりの満足した生活を送る、という前半部分は戦後の日本でさえ、どの程度受け入れられるのかの疑問が湧く。

つまり

「お静は慎之助の名前だけの妻に甘んじ、慎之助と共にひたすらお遊さまの心を慰め、たのしませることにつとめた」という部分。

家制度に関わる運命的なものも、愛を成就するための悲劇性もない。

 

したがって、お遊にも慎之助にもお静にも、各自の生き方に「美しさ」はみじんも無く、映画はなんとなくだらだらと続いてゆく。

佐藤忠男の前掲書には慎之助とお静の初夜の場面について、

「この場面を、溝口は、日本家屋のいくつもの部屋を貫き、動いては止まり、止まってはまた動き、見下げたり見上げたりする移動撮影で撮っている。(そして二人の動きと台詞を詳述し、中略)男が自信を失ったとき、こんどは女が彼を見下ろしている。立つことと座ることという、高さの振幅の変化を心理的な高揚と落胆の振幅に変え、さらにそれを移動撮影によっていっそう情緒的にするのである」(同書290-294p)

 

しかしこの場面は、お静の行動を観客に納得させることが出来るかどうかの決定的な場面であるが、その場面を「見上げたり、見下ろしたり」する二人の心理的振幅で可能であるとは思えない。

 

次いでシナリオの依田義賢は「溝口健二の人と芸術」(現代教養文庫)のなかで、

「あの異常な三角関係は、一般大衆の理解に合わせることはよういなことではありません。」(中略)「田中絹代さんがお遊様のようでないというのも苦しいところです。田中さんの賢さは所帯の目のとどく賢さなので、この目を殺すことができませんでした。田中さんのお遊さまにすると(今度は)慎之助をめぐって二人お静が出来てしまうのです。これは本当に難しいところでした。溝さんは、一番苦しんだところではなかったかと思ってます」(同書202、204p)

「所帯の目の届く賢さ」と、その目は、田中絹代という女優がしっかりした女性像で、生活臭のない役には向いていない、と言う点をいうのであろうか。

要は配役のミスマッチ、無理筋ないし谷崎の陰影ー曖昧さーの映画化に苦しんだと言うことだろう。

結果説得力のある映画にはならなかった。

 

監督が女優に惚れたり関係を持ったりしたりする映画は、「お遊さま」だけでなく、海の向こうのスコセッシが「ニューヨーク、ニューヨーク」でライザミネリと映画制作中、男女関係があったとされるが、スコセッシのこの映画も凡作だとおもう。

一方今村昌平は、「神々の深き欲望」(1968)で 共演者の嵐寛寿郎が

「男優かて三国連太郎、破傷風にかかって、足1本なくすところでおましたんやで。それでも、まだこりずに、ゼニもらわんと、自費でやってきよりますのや。変なのばっかり。沖山秀子、監督と毎日オメコしとる、かくし立てしまへん。」

と述懐しているから、沖山と男女関係はあったのだろうが、映画はその年のキネマ旬報ベストワンになったから例外的秀作としておくが、今村の場合三国にせよアラカンにせよロケ地には通いであったから、二人の関係が周辺に弛緩をもたらすようなことはなかったのだろうと(無理に)推測する。このあたりは「神々~」の時に取っておきたい。

 

参考:

 

 

 

 

 

 

黒沢明、小津安二郎と並び称せられる溝口健二が

1956年(昭和31年)8月24日白血病で58才の生涯を閉じた。

死後20年近く経った1975年公開の作品である。

 

監督の新藤兼人は溝口より14才年下の1912年生まれ。映画を撮りたい一心で22歳の時ようやく新興キネマに入るが監督への登龍門の助監督の道すら遠く、現像部の雑役からスタートする。新興キネマの東京移転に同行して美術部門に潜り込み美術監督の水谷浩に師事、1941年溝口監督の「元禄忠臣蔵」に建築監督として参加した縁で溝口の内弟子となる。

 

この映画を撮る決心をしたのは、水谷が1971年に亡くなり、このままいくと溝口の関係者がいなくなってしまう、という危機感で、1973年10月田中絹代のインタビューから始める。

インタビューは脚本家依田義賢、作家川口松太郎、新興キネマを興し後に大映社長となる永田雅一、キャメラマンの宮川一夫など、女優は絹代の他 山田五十鈴、入江たか子、若尾文子ら、男優は進藤英太郎、大野松治らで合計39人、ほぼ二年の歳月が必要な筈であった。

 

映画のタイトルは「ある、、」とつけている。このタイトルの中に、溝口を尊敬しているが、崇敬、崇めているわけではなく、等身大の溝口を映し出したい、という新藤の思いをみる。

そうした観点から出演者が語る溝口との思い出話も、溝口の人間像をあぶり出すものでは無くてならず、溝口のありのままの姿を語るには、語る方もまた自分をありのままの姿で語らなければならない。

 

短躯にエネルギーを満々と溜めた新藤の迫力ある問いが、相手にも感応して多くは率直な答えを引き出している。

 

映画の中で演技者は監督の求めている演技は何かを考え、できるだけそれに沿った演技をしようとするのは当然だろう。

溝口はそれを嫌い、俳優に「カネをもらっているんだから自分で考えろ」と突き放して、そこから出てくるものをフィルムに撮す。

俳優の多くはそのことに煩悶した。

面白かったのは二代目鴈治郎。溝口に何度も演技している、と言われてやり直し、終いに「何処が?」と問うと、溝口は「黒目が」と言う。

 

とはいえ、俳優とは演技する者である。

しかも、インタビューの要請を受ければ、何について聞かれるのかは充分に想像がつき、予めその答えも「演技」と同様自分の中でシュミレーションして来るだろう。全くの白紙で臨んでいるわけでは無い。

しかしこの予測が、却って俳優を身構えさせ緊張の度合いを高める。

このことを強く感じたのは、田中絹代のインタビュー。

表情から緊張が伝わって来、答える表情に(自己防衛の)演技を感じる。それは絹代が溝口の片思いの相手であることは新藤も知っており、新藤が知っていることを絹代も知っていた筈であることから因ってきたのだろう。彼女は「溝口とは映画(制作)の上の夫婦」と言い、溝口個人に対しては「ユーモアのない、面白みのない人」だから結婚などは考えられなかった、という。期せずして溝口のある人間的側面を描いたのだ。

 

溝口の制作技法として、ロングテイク(長回し)とそれに必道な道具、

クレーンを使ったことがよく挙げられるが、そのためにカットとは違って台詞も演技も長くなり緊張の度も増す。そうしたことも溝口映画のクオリティを高めたのかもしれない。

はにかみ屋で恥ずかしがり屋である一方、映画では妥協を許さず、頑固で大道具小道具を始めスタッフをきりきり舞いさせたことも多々あったらしい。

 

溝口は女性を撮ることに長けた監督、との大方の評がある。

溝口は岡場所が好きで、ヤトナに別れ話をして背中をカミソリで切られたり、ダンサーで歌手の夫がいる千恵子に惚れて、その男のボスはヤクザで、永田雅一にそのヤクザと話をつけてもらったり、その彼女が発狂してそれが自分が性病を移した所為ではないか、と深刻に自責の念に駆られたり、と女性といろいろあったが、証言者は概ね溝口が流れ流れて下に下にと落ちてゆく女を描くのが上手い、と言う。

逆に言えば、上流の女性を描くのは下手で、「楊貴妃」や「新平家」などは失敗作、と言われる。

しかしその上手くいかない煩悶を大いに外部に発散させたらしい。

 

失敗作、といえば、田中絹代で撮った「お遊さま」。

溝口が田中に最もぞっこんだった時期の作品らしい。筋にも溝口の私的な状況が投影されているようにも感じるが、それはさておき、制作手法は相変わらずだが、緊張感のないだらだらした作品である。

実は見る気がしなくなって途中で止めた。

 

出てきた男優の中で一際目を引いたのは、中野英治(1904-1990)。

法政大学野球部出身で、日活野球部に参加。籍は日活京都撮影所に置く。

現代劇のスターとして一世を風靡した。石津健介がおしゃれの見本にした程のダンデイの面影が今もある。(絵は若かりし頃)

溝口とは同じ部屋で同居したこともあり、中野が道頓堀のダンスホールで引っかけた女の友だちが、後に溝口の妻になる千恵子である。

新藤「溝口さんはね巨匠と言われるようになってからも、祇園は下の乙部ですよね、薄暗いところに行くのが好きなんです。(中略)その世界に親しんだために、そういう世界をやると手のひらに入ったような」

中野「生き生きしてきますよね」(中略)

新藤「溝口さん、人のためにカネを出すような人じゃありませんからね」

中野「ええリスクなしに権力だけは欲しいと言うのが溝口さん」

(千恵子の結婚当初の写真を中野が引っ張り出し)

中野「丸顔でね、ポッチャリ太っててね。そう大きくもなく小さくもなく」

新藤「肉体美なんです」

中野「そういうのが好きなんです。瘦せた人は興味ないんです」

新藤「理知的な人ですか」

中野「理知的と言うより功利的といいますか」

新藤「ダンスホールにいた人ですから、相当に美貌な人ですね」

中野「中の上」   (思わず笑ってしまった。中略)

(溝口が好物の鰊の漬物を自宅で漬け、それを千恵子と中野の弟子が食べてしまって、溝口はカンカンに怒ってその弟子を出入り禁止にする。そんな溝口が)

どうしてあんな「近松物語」みたいなうまい写真ができたんですかね。僕は本当にびっくりしました。動物的には身近く肌のそばにいて、精神的には遙か遠いところにいる不思議な人でした。」

(映画と同名の以下の書から抜き書き)

 

新藤兼人はこの作品を「新藤兼人 私の十本」に挙げている。

その中で、田中絹代がインタビューのあいだ、机の下でハンカチをギュッと堅く握りしめていたこと、完成して先ず田中絹代に見せたところ、試写をして明るくなったら真っ青になっている。どうしたの、と聞いたら答えずに飛び出して姿をくらました、というエピソードが書かれている。

新藤は「素顔の田中絹代」というのが出てきてやる、というのは、始めってだった」ショックと述べているが、額面通りには受け取れない。

田中の中にはもっと複雑なものが去来したに違いない。

それは「自分の堅い殻のようなもの、性格の鎧のようなものを自分が纏ってそれを脱皮することが出来ていないことに気がついたせいだ」と私は解釈している。

 

溝口が監督として生きた時代1923年から敗戦後の1956年は、映画界にとっても激動に時代であった。

日本軍による検閲もあった。戦後は占領軍の検閲があった。47年前後の東宝争議は松竹も無関係では無く、その間に会社側にも組合側(日本共産党の影響下)にもつかず、中立を表明した大河内伝次郎に賛同した長谷川一夫入江たか子山田五十鈴藤田進黒川弥太郎原節子高峰秀子山根寿子花井蘭子の十大スターが「十人の旗の会」を結成して組合を離脱、と言うようなこともあったし、50年のレッドパージもあった。その間溝口はそのように行動したのであろうか。

とりわけ戦時中、軍は国体に対する批判だけでなく、「退廃的」な映画を阻止するために事前に脚本を提出させた。

占領軍下の検閲は打って変わって、戦前、戦中の日本を賛美するような映画を禁じたのである。

正義感の強い新藤がこの間の溝口の消息に触れていない、と言う点に満たされないものが残る。

 

満たされない、といえば森雅之(1911-1973)、雨月や羅生門の森が間に合わなかったことである。残念、としか言いようが無い。

「雨月」で溝口は森の演技に感嘆して「初めて俳優に対して平伏した」という感じであった、と田中絹代は述べている。一方森は京マチ子に対し「ひとり,妖霊の不気味さをよく出している。あの人は材料としてのいい素質を十分持っている。料理人を変えれば違った味を出せる」(映画読本 森雅之)と評価しているが溝口には詳しい言及がない。

森は北海道出身で子供時代札幌の白石に住んでいたことがある。

余談だが私も両親が白石に転居したのでそこに懐かしい思いがある。

 

 

余談だが、「私の中の十本」で新藤は「浪華悲歌」「祇園の姉妹」

「残菊物語」「西鶴一代女」「雨月物語」を挙げているが、それについての具体的説明はない。

 

補記:併せ以下の本を参照した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「欲望という名の電車」は1947年11月舞台劇として始まった。

開演の場所は監督のエリア・カザンがかつて学び、演劇学部から多くの映画人(ポールニューマンを含む)を輩出したイエール大学のあるニューヘヴン、だが人口は十数万人規模の、どちらかと言えばニューヨーク大都市圏内の一角の小都市である。

 

ここから、ボストン→フィラデルフィアと次第に評判を高め、12月には本丸ニューヨークで初演を迎える。その評判は、(Wikipedia)

ニューオーリンズを舞台に、落ちぶれた名家出身の女性が隠していた過去を暴かれ、破滅するまでを描いている。

本作品は、性に関していまだ保守的だった当時のアメリカ社会の倫理観に照らし、同性愛少年愛レイプといったきわめて衝撃的な内容を含んでいた。そのため大きな話題となり、1951年同名で映画化1998年にオペラ化されている。映画化の際には多くの自主規制が加えられ、ストーリーも改変されている。

その改変された映画のストーリーは(Wikipedia)

港湾都市ニューオーリンズのうらぶれた下町。Desire(欲望通り行き)と表示された路面電車から、孤独な未亡人ブランチ・デュボワが降り立った。南部の町の傾きかけた名家に生まれたブランチは、家族の看護やその葬儀などで財産を使い果たし、身一つで妹のステラを頼って来たのだ。だが、妹の夫スタンリーは貧しい職工で、家もたった二間のアパートだった。

ブランチの言動は情緒不安定な上にお嬢様気取りで、それがいちいち気に障るスタンリー。ブランチも、粗野で暴力をふるうスタンリーを嫌い、共に家を出ようとステラに訴える。だがステラは、それなりに自分を愛してくれるスタンリーから離れられず、子供も身ごもっていた。

心の平静を失いかけながらも、スタンリーの同僚であるミッチとの結婚に望みをかけるブランチ。だが、ミッチに荒んだ過去を知られ、更にスタンリーに襲われたことで、ブランチの精神は崩壊する。

ブランチ役は舞台とは違いヴィヴィアン・リー(1913-1967)。スタンリーを演じるマーロン・ブランド(1924-2004)の義理姉役としては舞台のブランチ役の女性が年が離れすぎていたためリーの起用となったらしい。

ブランチの妹でスタンリーの妻ステラ役はキム・ハンター。

 

まずは、感想から。

汽車から降り立った不安げなブランチがポーターに尋ねる。

「"欲望"という電車に乗って、"墓地”で乗り換えエリジアン・フィールド(極楽)で降りるんだけど」。冒頭のこの台詞は言わばメタメッセージのようにこの映画全体を暗示する。

欲望の行きつく先は地獄か極楽か、一種の呪術的な台詞だ。

 

この映画、モンタージュや切り返しショット、あるいはクローズアップなどを使用し得ぬ舞台劇から始まった所為か、やや過剰な言説が気になったけれども、マーロン・ブランドが登場してからとてもスムーズに映画らしくなった。しかしながら、アカデミー賞では主演女優賞や助演男優賞、同女優賞を取るもなぜかブランドだけが主演男優賞を逃した。

同賞はマルタの鷹、カサブランカの名優ハンフリー・ボガート。

受賞対象の「アフリカの女王」は中年男女の冒険と恋の物語。ボギーのコミカルな演技はあったけれども、正直たいした映画ではない。

推測するに、アカデミー賞なしで晩年を迎えたボギーに華を持たせた、あるいはこの才能ある新人ブランドが本物ならば、必ずや受賞機会はあるだろうから、という計算、、などが考えられる。

しかしブランドにはなにがしかの傷を負わせたことだろう。

もう一つは台詞の中にシェイクスピアのパロディらしきものを感じたのだが浅学の身で具体的には指摘できないのは残念だ。

 

この映画については多くが語られてきたが、一つだけブロ友のZELDAさんのブログを勝手に貼付ける。

 

 

屋上、屋を重ねず、他の話題を提供する。

ブランチは最後、精神病院から迎えが来て車に乗せられ去って行く。残されたステラはわが乳飲み子を抱き夫スタンリーを捨てて去る。

欲望より大切なものがあることを知るステラは、

姉と夫は失ったが希望(乳飲み子)は抱いて。

このブランチには脚本のT.W(Tennessee Williams)の実の姉ローズが投影されている、と見る。ローズは精神の病でロボトミーの手術を受け終生看護婦の付き添いとT.W等の保護の元に人生を全うした。

 

映画の中で有名な台詞がいくつかあるが、その一つ。

ミッチがブランチに向かって今まであなたをまとも(straight)だと思っていたのに、と言うとブランチが答えて

「まともってどういうこと?線や道路ならまっすぐなものもあるけど、人間の心は違うわ、そうよ、人間の心は山道のようにうねうねしているものです」という。これはT.Wが1940年の始めケープゴットである青年を口説き「自分はまとも(つまりゲイではない)だから」と抗弁するその金髪青年に向かって言った台詞だと言う。(テネシー・ウイリアムズ回想録p99-100)

 

もう一つはブランチ退場の台詞、

「あたくしはいつも、見ず知らずの方のご親切を頼りに生きてまいりました」を思いついたのはケープゴットに青年サントと滞在していたとき。

じっさいそのとおりなのだ。私もいつもそうやって生きてきて、滅多に期待外れを感じたことがなかった、とある。(同書p222)。

T.Wのこの回想録、若い青年との乱交を赤裸々に、露悪的なほど。

 

そしてなんと言っても印象深いのはマーロン・ブランドとの初対面。

そのケープゴットの別荘に、「素質があると思われる若い俳優を派遣するからスタンリーの台詞を読ませて欲しい」とエリア・カザンから電報が届く。その俳優は忘れた頃にチック症のような女の子を同伴してやって来る。(中略)彼は隅に腰をおろしてスタンリーのせりふを音読し始めた。ものの10分もしないうちに(女性舞台監督の)マーゴ・ジョーンズが大声を張り上げた。「すぐカザンに電話しなさい!こんな素晴らしい読みは聞いたことがないーテキサスじゅう探したっているものか!」。

ブランドは少しほほえんだかもしれないが、私たちみんなが興奮したわりにはぜんぜん得意の色を見せなかった。(同書p223)

いい場面だ。ブランドの立ち居振る舞いがいかにも彼の天才を表わしているようでとてもいい。

天賦の素質に恵まれたものには賞賛される程のことではないのだ。

 

ついでにT.Wの俳優評。

「フィエール、アンナ・マニャーニ、ロレット・テーラー、この三人は私の劇に出演した三大女優である。男優ではマーロン・ブランドが抜群だ。

多分彼は現役の俳優の中では最高の人だろう。(ローレンス)オリヴィエよりも上だと思う。わたしは「ラスト・タンゴ・イン・パリ」をポルノ映画と聞いていたのでろくに気乗りもせずに見に行ったが、けっしてポルノではなく、ブランドの演技はこれまで見たことがないような素晴らしいものだった。ポール・ニューマンもすごくうまい。役に入るのは遅い方だが、いったん役をつかむと、素晴らしい演技を見せる。(同書p146)

 

「癖はあるが、誠実な男」ポールニューマンは好きな俳優の一人だ。

 

ラストタンゴ・イン・パリスは嘘のようなホントの話だが、パリに行ったとき、たまたま確かシャンゼリゼの通りに面した映画館で見た。勿論パリだから無修正。しかし内容はさっぱり分らなかったので途中で退場。

再見が必要である。確認したが今もその映画館はあるようだ。

 

ブランドについては、彼の息子が殺人を犯した悲劇での法廷証言で

「私の人生は無駄だった」「この事件は息子ではなくマーロンブランドのだ」と言ったこと(The Contender -William Mann著p3)や

彼のアクティヴィストの側面ー人種差別や戦争、公民権運動や死刑廃止などの活動ーこれらは現在の米国映画界の多様性、包摂を巡る動きの先駆的なものであった。また、個性的な演技などについてもあれこれと言及したいのだが、ゴッドファーザーやラストタンゴ、アカデミー賞などなど今後言及する機会もあるだろうから最後に20世紀最高の俳優、との評価のリストを貼付けて、今回はここで筆を置くことにする。

(ニューヨークタイムズ紙のブランドがベストワン

との記事は検索できなかった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男衆は倒産する木綿問屋主人古沢、そこに出入りの骨董屋聚楽堂、

祇園の茶屋などに出入りしている呉服屋工藤(進藤英太郎)と

その番頭木村。

対するは祇園の芸妓姉妹、名は姉は梅吉(梅村蓉子)

妹はおもちゃ(山田五十鈴)。

姉梅吉は倒産した問屋の元旦那古沢を義理堅く自宅に引き取る。

同居している妹おもちゃは、古沢が疎ましく、また義理だの世間だのという姉の、人の良さがばかばかしくて気に入らない。

一計を案じたおもちゃは、聚楽堂に、姉はあなたに気がある、とそそのかして手切れ金をもらい、それをこっそり古沢に渡して追い出す。

いっぽう自分に気のある呉服屋の番頭木村から着物をせしめるが、木村の主人にばれ、その主人は取り返しにおもちゃの家を訪ねる。

おもちゃは主人工藤を籠絡して、自分の旦那にする。

木村はたまたま古沢とばったり出会い、居場所を梅吉に知らせる。

梅吉は聚楽堂を置き去りにしたまま古沢に会いに行き、古沢に「ここで二人で住もう」言われ、おもちゃに「荷物は後で取りに来る」と言ってさっさとおもちゃと別居、家を出て行ってしまう。

その後おもちゃを訪れた番頭木村は、主人と鉢合わせ、ついには暇を出される。おもちゃへの復讐に燃えた木村は、謀っておもちゃを呼び出す。

おもちゃは急いで鬘をかぶり身支度して迎えの車に乗り、実は同乗していた木村から怪我を負わされる。

病院に担ぎ込まれ手術をしたおもちゃは病床で梅吉と対面する。

「わてはこんなことぐらいで負けへんで。

姉さんの言うとおりにすることは男に負けるこっちゃ。」

(梅吉から古沢がいい話にのって出て行ってしまったことを聞き)

「そんなこっちゃ。

自分の都合でわしらを捨てて往ってしまう。

世間に立派な顔立てそれで世間から何をしてもろた。

ええ暮らしができるようになったか?

なんでわしらはいつもこうなるやろ。

なんで芸妓のような商売が世の中にあるねん。

ほんまにこんなもんなかったらいいねん」

ー暗転 「終」

 

色街での男と女の駆け引きは、女は男の助平ごころ、自惚れ、見栄、

やっかみなどをくすぐり、あの手この手を繰り出して手玉に取る。

一方男は、女の母性に甘えて他に頼る所もない男だと思わせ、

ズルズルと関係を保って惰性でがんじがらめにする。

 

梅吉は古沢を自分の男、と決め とことん面倒をみようとする。

一方おもちゃは、男のおもちゃになってはたまるか、と相方を敵方(あいかた)とみて気張るのだが、そういう女、勝ち気で一本気な女は時に喧嘩にもなるが、相てとしてなかなかに飽きの来ないところもある。

そこに可愛げを見るのだから男の心理も複雑である。

 

かくのごとく男と女の関係は一筋縄では行かぬもの故、あまたの物語が紡げるわけだが、この物語には登場しないタイプもある。

たとえばコケットリー満々で集蛾灯のごとく男を引き寄せておいて次々と袖にする女、無知無垢な振りをして男を取っ替え引き換えする女、計算尽くで子供っぽく振る舞い男が安心して食いつくと逆にパクッと飲み込む女、男なんて、とフンと構えながら仲良くなると途端にベトベトする女、などなど、切りなくあるだろう。

「温厚だが退屈な女」より癖のあるほうが好まれることも多々ある。

 

与太話はそのぐらいにして、真面目な話をいくつか。

溝口監督の名作は、雨月、西鶴一代女、山椒太夫、この祇園の姉妹などだが、溝口を師と仰ぐ新藤兼人は祇園の姉妹、浪華悲歌、残菊物語、西鶴一代女、雨月物語を挙げ、祇園の姉妹を名作のひとつとしている。

しかしその理由は述べられては居ない。

 

早くから監督として頭角を表わした溝口がマンネリに陥り、それを浪華悲歌とこの祇園の姉妹によってスランプを脱した、とされる。その背景は佐藤忠男によれば、永田雅一の主宰する第一映画という小さなプロダクションが経営危機に陥り、どうせ潰れるなら思い切った野心的な作品を残そう、と言う意気込みで制作された、故という。

この話は新藤が近代映画社が立ちゆかなくなって、どうせならと長年温めていた「裸の島」があたり経営危機を脱したことを思い出す。

 

その佐藤はまた、この作品に社会批判の視点、つまり芸者という女性差別の上に成立している郭や茶屋の封建制、男性本位の社会に対する怒りがあり、それを明確に示した点にこの作品の力強さがあり、また山田五十鈴も月田との結婚を許さない父親と争っており、それを知った上で溝口が五十鈴にその反抗心を役に投入するよう指導したことを指摘する。

もう一つ佐藤は上に載せた化粧の場面を取り上げて、芸者の化粧というものは通常、白粉を塗りたくった場面が多いが、ここでの五十鈴は真剣に鏡に向き合った厳粛な一瞬だとしている。

(以上佐藤著溝口健二の世界 92P他)

もう一点は、この映画を米国で著名にしたシーンがある。

これも上に貼付けた、おもちゃが呉服屋の主人を籠絡する場面である。

(再揭)

 

このシーンの奥には工藤が座っておもちゃと話していたときの座布団が置いたままになっている。そこからおもちゃは立って手前のテーブルに座り、工藤に「おぶ代わりにお一つどうです」といって招き、お酌する。応じた工藤はもう半ば籠絡されいる。しかし有名なのはこの奥で工藤と対面していたおもちゃが手前のテーブルに来て座り、工藤も招かれて座る。この一連の動きをロングテイクで撮り、カットを入れていないことである。

このシーンは邦訳デヴィッド・ボードウエル著の「フイルムアートー映画芸術入門に取り上げられている。(同書P275)

ついでだが、この原書は3年ごとくらいに新作映画を取り込んで新版されるが、2020年版にもLong Take、Sisters of Gion と掲載されている。

 

また、監督の溝口も主演の山田も、芸者には深い縁がある。

溝口の父は請負師という浮沈の激しい仕事で、貧しい中、健二は食い扶持を探してあちこちに預けられ、中学進学も断念せざるを得なかった。

実姉は養家から芸者に出され、そこで松平子爵に落籍されて一家の生活も安定。溝口は一時はその妾宅に居候し、画学校などにも通ったし、映画界の人脈から日活向島撮影所の助監督に採用され映画人としてのスタートを切る。一方の山田五十鈴は、郭に生まれた父、芝居が好きで新派の女形になり京、東京で舞台を踏んだ山田九州男と、家が零落して芸者になった母親の子供である。だから芸者しぐさを含めて、馴染みの世界でもあったのだと思う。おもちゃの鏡台に向かっている写真は、佐藤の本のカバーになっているだけでなく、山田五十鈴の「聞き書き 女優山田五十鈴」の冒頭の写真を飾っている。彼女自身好きな写真なのだろう。

 

 

祇園には甲乙があって、映画の舞台は乙部。

芸妓も一段下だが客も同様地元の商売人である。

甲部は京都に本社などがある大企業の経営者が

一力などで接待するのだろう。

 

祇園といえば私にも少々思い出がある。

関東もんが、一見で茶屋遊びをできる訳もないが、最初さる方の紹介で花見小路の会員制のバーに案内され、以後ボトルなど置かせていただき、京都に行った折、時々立ち寄った。そこは舞子や芸妓が客を連れてくる所で、京言葉、芸妓の匂いを肴にロックを飲んだ。

芸妓のやっている座敷に上がる喫茶店でコーヒーを頂いたりもした。

今はもう遠い思い出である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陳式心意根元太極拳の始祖、故憑志強老師は「太極拳には、武術、内功、養生の三側面がある」と指摘しておられます。

 

太極拳は武術としては、銃火器などの出現でその効用が低くなりましたが、反面養生(健康面)での効果が明らかになり、現在は専ら「健康太極拳」の要素が強くなっております。

 

しかし、本来武術として始まった太極拳ですから、太極拳の要訣も武術面から考えると理解しやすくなります。

 

私は武術とは目的が明確であり、方法論の良しあしがすぐにわかるゆえに本来シンプルなものであり、シンプルであるがゆえにその奥深さを日々の鍛錬で極めてゆくものと理解していますので、以下の解釈も出来るだけシンプルに述べたいと思います。

 

18世紀に書かれた王宗岳の「太極拳論」は太極拳の功夫をする者の言わば聖典ですが、その中に「力の強い者が弱い者に勝ち、鈍い者が速い者に負けるのは先天的に備わった自然の能力によるものであり、決して功を練って得られた実力と能力では無い。太極拳の歌訣にある”四両(わずかな力)で千斤(非常な重さ)を撥く”の一句をよくよく考えよ」とあります。(この部分は李天驥”太極拳の神髄”訳より)

 

わずかな力で重い者を撥ねる、とはどういうことか。

それは、相手のバランスを崩す事が出来れば、ほんのわずかの力で押すと相手は倒れる。逆も真でこちらのバランスが崩れれば彼我の体重に関係なく倒れる、ということ。

つまり太極拳とは身体バランスを養い、相手の身体バランスを崩す術、と言ってもいいでしょう。そしてもう一つ付け加えるならば、相手と戦うとき、こちらは心身の消耗を防ぎ、あいての心身を消耗させることが出来れば以弱勝強、弱をもって強に勝つ、ことが出来ます。

 

太極十要は諸説ありますが、最も膾炙されている内容を以下に記し、

たとえば揚澄甫の十要論などを最後に補記します。

 

要訣の第一、虚領頂頸とは領(うなじ)を虚(緊張せずリラックス)にして、頭を頸椎の頂に乗せよ、と言うことです。

頭部の重さは体重の10%前後と言いますから、6~7キロはあるでしょう。試みに頭を前に突き出してみれば分ることですが、その姿勢で動作のバランスを取ることは難しく、また頸椎に余計な負担がかかります。虚領頂頚で首から下の身体を動きやすくするのです。

 

要訣の第二、含胸抜背は函胸抜背と書かれている場合もありますが、結論から言えば、呼吸のしやすい胸の状態にせよ、と言うことです。呼吸は全身に酸素を供給するスタミナの源ですから、これが整わなければすぐ息切れする。これも試みに肩を後ろに引き胸を張って、つまり威張った姿勢にしたり、猫背になって呼吸してみるとその苦しさが直ぐ分るでしょう。

私の場合少し猫背の気味があるので、虚領頂頚から胸椎上部をまっすぐにして後、吐息とともに肩をほんの少し落とした時に抜背が得られます。

ある伝統揚氏の中国人老師は「胸を広げる」(つまり函胸)という言い方をされますが言わんとするところは同じだと思います。

 

要訣の第三は身体の上からの順でいくと、沈肩墜肘となります。

試みに肩肘を上げて万歳の形をとれば、血圧が上がります。

血圧が上がれば息も上がり、戦いに不利なことは自明でしょう。

脇をギュッと締めると同様に血圧が上がります。脇を緩めよ、も同様に気血の流れをスムースにする要訣です。

万歳の形は武術的に隙だらけになります。

以下の挿入図を見れば分るとおり、急所は身体の中心部にあります。

これを上肢を用いて防御するには肩肘が下がっていなければなりません。中心をとる、とは合気でも剣道でも言われますが、同じ意味です。

また背面にも急所はありますが、それを守るには、後ろをとられないようにするしかありません。当然のことですが、武術の心得のある人は後ろに回られたり、通られたりするのを嫌がります。

 

我々の筋肉の7割は下半身にある、と言われます。

その下半身の持っている力を相手との接点にいかに伝えるか、

これは日々の鍛錬の課題でもあります。

子供を抱っこしたとき、子供が寝ているときが一番重い。つまり余計な力を加えていない、放鬆(ファンソン)の状態の時が相手に最も自分の重みを伝えることが出来る。下半身に余計な力を込めずに下半身の力を相手との接点に繋げること、これが「上下相随」と理解します。

陳式では「纏糸勁」といって足首かららせん状の勁の上昇している図をよく見ますが、頭の中でイメージすることは出来ても、今の私に実現できるとは思えない、未知の領域です。

 

先に身体バランスの事を述べましたが、太極拳は身体の「動的バランス」を養う訓練です。静的バランスの一例は「ヨガ」。太極拳では「静止」はその時点で相手に伝える力(勁)が消失してしまうので、「連綿不断」が求められます。連綿不断に動くには、息を整え、心を整え身体を整えることが必要になります。

また、動的バランスを鍛えて、できるだけ要介護にならないで日常生活を生き生きと生きるには太極拳はとてもいい運動です。しかも自分の体力に合わせて始められるので年老いても、いつまでも続けることが出来ます。

 

よく女性の方で太極拳を始めた時、膝を痛めるケースがあります。

大概は膝を屈折するときに使う膝回りの筋肉が弱っていたり、子供の時から正座をして膝回りの筋肉が伸びきってしまったケースです。

そうした場合は、膝をつま先から前に出さ無いように心がけて練習し、日頃から大腿四頭筋を負荷の低いところから始めて徐々に鍛えるのがよいでしょう。この点で日本の太極拳老師、特に女性の老師が勘違いしている人がいるのは、静的ストレッチを準備運動にしていること。

青山学院が駅伝で強くなったのは、静的ストレッチを、動的ストレッチに変えて故障者が少なくなりメンバーが揃った事だと言われます。

中国人老師で静的ストレッチを長々とやっている人に遭遇したことはありません。時代遅れです。太極、陰陽にも反します。筋肉は伸ばせば縮む力が生まれ、縮めば伸びる力が生まれるのです(開合、展縮など)。筋肉は先ず何より弾力性や回復力が大切です。それを失うような準備運動は却ってマイナスです。

 

再度身体バランスの話に戻りますが、身体バランスの要諦は「立身中正」と言われます。立身中正は換言すれば体の中心軸を意識して、これを動作の軸とする事でもあります。コマの回転を観察すればわかるように、中心がぶれているとコマは直に倒れます。

相手との接点は肩(靠ーカオ)肘、掌、拳とありますが、体軸に近いところから発する力(勁)が最も強いのはもちろん、中心軸から回転して出る力は力を入れずとも相当の威力があり非力なものの武器です。

前後左右上下に動くとき、体軸を意識して動くとバランスが得られます。

 

問題は、我々の身体はいろいろな歪みを持っている、立身中正や中心軸の形成は妨げられている、と言うことです。

例えば蹴るときに右足でける人は左足が軸足になりますが、長時間立っていたり重い荷物を肩にかける時は左足左肩に掛けるようになって、我知らず左肩が上がっていることが多い。

左右の視力が違うことも両眼が平行(平目)にならない原因です。

また長時間子供を抱っこしたりすると体が歪んで来ます。

スマホやパソコンの画面をのぞき込むように見ていると、癖がついて虚領頂頚がなかなかできません。

若いころ熱中した草野球、壮年で始めたゴルフなども、前後に十分な全身運動をしなければ、身体の歪み、癖として残ります。

後ろから見ると左右の肩がどちらかに歪んでいる方が結構います。

この矯正には大きな姿見で、両目、両肩、両股関節が平行になっているか否かをチェックし、自分で修正するより他ありません。

 

太極十要には「鬆腰」というのがあります。放鬆とはリラックス、余計なところに力を入れないことですが、どこを緩めるのか。

つまり腰とはどの部分を指すのかと言うと、ウエストから腰椎が骨盤に乗るところと解します。(講談社中日事典ではウエスト、胴回りとなります)

リラックスの感覚を得る最も簡単な方法は、うんと力を入れて吐息と共に力を抜くことで得られます。リラックスした時が最も敏活に動けることは多言を要しないでしょう。

 

次に「気沈丹田」、気を丹田に沈める、と言うことですが、相手の挑発に乗ってカッとせず、「沈着冷静」が武術に大切なことは当然です。

丹田は以下の図で「下丹田」を言いますが

血を頭に上らせないように、下丹田で相手を見ているかの如くせよ、

という老師もいますが、下丹田の位置は概ね身体の重心近くでもありますから、ここに意識を置くことは身体バランスの面で有用なのかもしれません。「気」の話を始めると長くなるので止めますが、人体解剖してもその存在の確かめられないものは存在しない、というような科学実証主義的立場に立つと、精神も魂も、あるいは経済学の長期波動論も「無用」なものになりますが、概念として「気」を想定することによって我々の生命活動がよりよく理解されることがあれば、それはそれで有用な概念といってよいと思います。

現時点で「気」についての労作を以下に紹介します。

 

 

 

上に借りた図は、練丹術の気功「小周天」ですが、丹田の位置はへそ下から恥骨の間。男性では精のうから精管のあたり、女性では卵巣から子宮のあたりでしょうか。練丹術は、伊藤光遠著「錬丹修養法」で紹介しましたが、著書が絶版の様子であり、機会を得てもう少し詳しく紹介しようと考えております。

 

 

 

銭育才老師の「太極拳理論の要諦」

 

 

では、その各論で「放鬆」「立身中正」「虚領頂頚」「気沈丹田」

函胸抜背」「沈肩墜肘」が述べられておりますが、太極十要では残りは「内外相合」「用意不用力」「動中求静」となりました。

 

太極拳は「意を以て気を導き、気を以て身体を導く」。

つまり、意ー気の内から身体の外を一つにして動く、という要訣が「内外相合」と言うことになります。

試みに相手の肩に自分の片手を乗せて力を入れて踏ん張ってみます。しかし相手が自分の片手の上から下に押さえつけられると踏ん張り切れなくなります。今度は力を入れずに自分の肩から掌まで気を通してみます。そうするとなかなか簡単には手が折れないことがわかります。これが「内外相合」の勁の一例です。

套路の練習も、手の位置足の位置などに逐一こだわるよりは、常に意-気を通して動くことを心掛けるべきだと思います。

 

「動中求静」は動中に静を求める。身体は連綿不断に動き、心は平静を保つと解します。動中静あり、静中動あり、と言う方も沢山居ますが、

身体は連綿不断に動くが基本。意を以て気を動かし、気を持って身体を動かす。ゆえに意と気は身体を主導するために静を保つ。

 

太極拳の「拳理」とは

「弱を以て 強に勝つ」

(そのための)

「意を用いて 力を用いず」(用意不用力

と解しています。

冒頭の「太極拳論」で紹介したように、力に、力をもって抗するのでは

力の強い者に百戦百敗します。力の弱いものが力の強いものに勝つには、拙力を用いず、意識・意念を使え、と言うことです。

意識・意念を使うよう心掛けていると、鍛錬はとても疲れます。

中国老師の講習は概ね二時間で、午前午後とする場合にも昼食休憩は2時間半以上取ります。本来的には一日二時間が限度でしょう。

周囲の人と動作を合わせることに気を使ったり、老師の動きに合わせようと努力したのでは意識・意念は疎かになります。

套路を学ぶには前後左右に人がいて倣うのが習うことになりますが、

套路を覚えたら、自己錬が基本。わからないことがあれば老師に聞く、動きが間違っているところを指摘してもらう、というような稽古が最も有益で、あとは独りで稽古するのが良いと思います。

そしてわからないこと、迷ったことがあれば、先ずは自分で「拳理」と「要訣」に照らして解を求める。

既に、充分に「ガイドライン」は示されているのです。

 

これが上達の秘訣だと思います。

最後に競技や資格についてですが、競技で優秀な成績を収めることや段位を得ることが、太極拳練功の目的ではありません。

自分が太極拳に求めるところが、何であるか、

どんな太極拳を目指したいか、

が明確であれば、それに基づいた練功を重ねればよいのです。

 

仲間には段位や教師免許を取るのに汲々し、仲間に負けじ、と対抗心を燃やし、挙句、毎年の納付金に愚痴を言う人達が結構いますが、

残念なこと、時間とカネがもったいないことだ、と思います。

 

太極拳の参考書には、とても「表現」が難しいものがあります。

本来、内的な気づき、内的な理解によって精進するがゆえに、

言葉で言い表すことの困難な事も多いので、やたらと難解になってしまうケースもあるでしょうし、それに「中国語―日本語の翻訳」が加わって翻訳者の理解ないし誤解誤読も加わるケースもあるでしょうから、なかなかに理解することは難しいと言わざるを得ません。

更に文化大革命で、太極拳は伝統文化の一つとして否定され、文献が焼かれたこともあったのですが、そうした経験から、表現をいわば揚げ足を取られないようにこねくり回すこともあるでしょう。

今の習近平体制がどの方向、つまり第二の毛沢東に進む危険性もゼロではないし、文革の騒乱を経験すれば警戒心は根強いでしょう。

 

そこで実際に稽古してそこからつかみ取る方法を勧めているのです。

またこのブログで以下も参考にしていただければ幸いです。

 

 

太極十要論は、揚澄甫(1883-1937)が口述したものを、陳微明が書き記したものがあります。参考のために以下に記します。

虚領頂勁、含胸抜背、鬆腰、分虚実、沈肩墜肘、用意不用力、

上下相随、内外相合、相連不断、動中求静。

分虚実、は四肢の虚実を明確にし、双重になって居着くことを避ける要訣。しかし本来虚である手がバランスを取る上で重要な働きをすることがあります。例えば独立の時の按の手。

 

上記は人民体育出版社の「太極拳 譜」2008年第10版から引用しておりますが、作者不明で以下の身法十要があります。

提起精神、虚霊頂勁、含胸抜背、鬆肩墜肘、気沈丹田、手與肩平、

股與膝平、尻道上提(提肛)、尾ろ中正、内外相合。

尾ろ中正とは尾骨を内に入れて背骨を正す、つまり出っ尻にしないことを言います。出っ尻で壁を押すと腰を痛めます。

ついでに練法十要も紹介しましょう。

不強用力、 以心行気、

歩如猫行、 上下相随、

呼吸自然、 一線串成、

変換在腰、 気行四肢、

分清虚実、 円転如意、

注)一線串成は節々貫串とも言う。

 

最後になりますが、稽古の合間に読む、太極拳について逸話が豊富な本を紹介して終わりにします。

 

 

 

 

参考:動的ストレッチング(youtubeには沢山の画像があります。

自分に必要と思う動作を適宜組み合わせる事で良いと思う)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


英題は「Our Music」 ダンテの「神曲」が下敷きにあるから、「我々(人類)の調べ」と仮に訳しておこう。

 

フィレンツェの政治家ダンテは1300年頃政争に敗れて追放され流浪の

身となり、1307年頃「神曲」を書き始め、「地獄編」「煉獄編」、そして「天国編」を書き終えたのは1321年の死の直前とされる。

 

神無き現代のゴタールは、第一部地獄編でわれわれ人類の自傷行為とも言うべき戦争や飢餓の映像を重ね合わせてゆく。

植民地戦争、ツチ族とフツ族の、死体をショベルカーで掬って穴に投げ入れる場面、ヒロシマ、植民地解放戦争、ベトナム戦争等などの白黒、カラーを躊躇無く映りだす。

 

第二部煉獄編では、「本の出会い」というフォーラムに出席するためボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの空港にゴタール本人が降り立ち、フランス系イスラエル人通訳ラモスの出迎えを受ける。そのラモスはここに留学中の姪のロシア系女性オルガに会う予定を持っている

ラモスとオルガを含めて、このフォーラムのそれぞれバックグラウンドを持った人たちがサラエボに集まったこと全体が、紛争に傷ついた魂の浄化のプロセスー煉獄という構成になっている。

 

但し、ボスニア紛争を、Ethnic Cleansing 民族浄化と訳すのは反対である。異民族を追放し殺戮する事は、殺戮する側のプロパガンダからは一民族一国家を浄化と呼ぶことがあっても、追放され殺戮される側を含めた全体を「浄化」と呼ぶべきではない。特に日本語では「浄化」は斎戒沐浴を含め心身の洗い清めの意味が強いのだ。

しかも近代的国家はすべからく多民族国家である。

ロシアだって、中国だってそうなのだ。

ついでに言えば、日本を単一民族、と唱える者たちは救いようのない無知である。(小熊英二の本を参考にせよ)

 

このゴタールの映画は、交わされる会話、会話の主体の背景、ここボスニアで話される意味他者、、等など濃密な一時間16分である。

おそらくは芸術や哲学の論文で原稿用紙200枚ぐらいは軽く書けるだろう 。 よって逐一言及するのは止めていくつかピックアップする。

 

先ずは第二次世界大戦後ヨーロッパにおける最も残虐な紛争の中心地サラエボに、紛争のさなかに短いヴィデオを作って警鐘を鳴らしたゴタールを始め、イスラエルの入植によって土地を奪われたパレスチナ人、西部開拓時代に西へ西へと追いやられたアメリカのインディアンの人たちが集まる、というこの映画の設定の重みがある。

 

遠因は1980年のユーゴのチトー大統領の死去まで遡る。死去後のユーゴ解体の中で1992年ボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言した。当時人口430万人の44%がムスリム人、33%がセルビア人、17%がクロアチア人という構成の中でムスリムとクロアチア連合が独立を推進したため、セルビア人はこれに反対し分離を目指した。独立宣言の翌月には軍事衝突に発展、この紛争に周辺国、東のセルビアが介入し民族浄化と称してムスリム人に対する虐殺や女性対するに暴行が行われ、死者20万、難民避難民200万人という大惨禍が発生した。

 

英仏や米国の意見の対立等もあってNATOが機能不全に陥り長びいた面もあるが、1995年8月、非戦闘地域のサラエヴォ中央市場にセルビア人勢力が砲撃し市民が多数死亡する事件が発生、NATOは結束してセルビア人勢力にたいし大規模空爆を実施。結果セルビア人勢力が力を失い10月停戦が実現した。

(映画の中で爆撃された建物や市場が再々にわたり出てくる)

 

ゴタールのフォーラム「本の出会い」におけるゴタールのテーマは、

「テクストと映像」。ゴタールは聴衆に、一枚の廃墟、荒廃した建物群が映っている白黒の写真を見せ、ここは何処か?と問う。

スターリングラード(独ソ戦地)、ワルシャワ(ヒトラーの侵攻)、ベイルート(レバノン内戦?イスラエル侵攻?)、サラエボ、広島などの声が上がる。実は1805年南北戦争のバージニア州リッチモンドであった。

戦争の惨禍は何処であろうとみな同じ都市の荒廃なのだ。

 

次いでゴタールは映画のカットの切り返しに移る。

たとえばAとB対話や対立などの場面で、AとBとを交互に写す。

この映画の基本とも言うべき切り返しショットで、AとBとの境界が曖昧になる。二枚の映像がある。1948年ユダヤ人は水を渡って約束の地を目指した。パレスチナ人は水を渡って溺死した。その二枚のカードの切り返し、イメージの切り返し。

フィクション(映画)のユダヤ人とドキュメンタリーのパレスチナ人。

「事実は雄弁に物語る」というが、それも長くはない。映像によって事実を覆い隠す時代がすぐ始まった。1938年二人の著名な物理学者、ハイゼンベルグとボーアが散歩してエルシノア城に至る。ハイゼンベルグは”たいしたことはない”と言いボーアは”ハムレットが住んでいた城だよ、それだけで素晴らしい”と反論する。現実のエルシノア城、想像のハムレットのイメージ(画像)の切り返し。想像は確実で現実は不確実。

 

「映画の原理とは、光に向かい、その光で私たちの闇を照らすこと。

私たちの音楽」(ゴタール、聴衆は黙思している。)

会場でカードが配られる。参加していたオルガがそれを次々手にとる。

”救済とは” "勝利とは”オルガは目を閉じて何かを言いかける。

ピアノの音が流れ、”それは私の殉教です” ”私は天国に参ります”とつぶやく。”ゴタールさん、デジタルビデオで映画を救えますか?”

の会場からの問いにゴタールは硬直し答えず、ただ吐息する。

 

サラエボ、両岸に架かるモスルの橋。対岸の建物は一部破壊されている。それを修復する試み。

それは「ネトレバ川を訪れる為の再建ではなく、過去を修復し未来を作る為だ」「苦悩を罪悪感で結びつけること」と男が言い、取材で訪れたイスラエルの女性記者レルネルとの間にレヴィナスの「われわれのあいだで」が置かれている。

レルネル「顔が”汝殺すなかれ”の表象なら、石は何を表わすのか」

(男)「私と他者の関係は非対称だ。私にとれば、最初は他人などどうでも良い。相手の問題だ。私が責任を持つ他者とはここではムスリムとクロアチア人だ」

(記者)「”すべての人間たちが互いに責任を負っているが”誰の言葉だったか、、、}

 

サラエボ市内でオルガらしき女性が後ろ姿で、

「それは何かのイメージだ。ぼんやりしている。

二人が横に並んでいる。

私の横に女性がいる。

見知らぬ女性だ。

自分は分る、だが私には覚えがない。

はるか彼方の出来事。

鉄条網だらけの風景、文化からほど遠い廃墟なのだから。

文化など忘れるべきだ。

(自分の影、分身)

 

オルガは、自殺こそ唯一の哲学的命題、といい

苦しまずに死ぬことを小さな問題、

あの世のことを大きな問題という

それは神の裁き故ではなく、(自殺という)

自分だけが裁くことで自由を得るという目標を達成することの可能性。

(ラモス)奇妙な目標だ。生きたくない、と言うのかね。

(オルガ)神をなくすことはできる。だがなくした人はいない。

生と死は別のもの、存在する者もしない者も

(ラモス)水曜にパリに戻る。(通訳の)仕事も終わった。

頑張れよ、オルガ。いつでも電話を。

 

ゴタールに通訳とオルガ。

オルガはゴタールにビデオを見てもらいたいと滞在先を訪ねるがゴタールは秘書に渡すように言う。

 

ホテルのバーでゴタールは数人と話している。(私には誰かが不明)

(G)われわれは自由になれぬ事を民主主義という。

(男)フィンケルフォート(レヴィナス研究所設立者ポーランド系ユダヤ人)によれば"近代の民主主義は政治と思想が乖離しているので、全体主義へと向かう傾向がある”

(G)私も同意見だ。私が信じるのは死を前にした証言者だ。

(男)被害者か加害者のいずれかだ。加害者はより大きな悪を告発して常に罪を免れる。

(男)人生は自分を敗者として生きる闘いだ。

(G)違う。余程皮肉な人でなければ怒りを表わさない被害者は耐えがたい。現実の世界は自分の不幸を嘆きたがる側と、その嘆きを毎日聞くことで自分の心を慰め、優越感を感じる側に分かれる。

(男)目の前にあるのは不可能な意志を受け継ぐ物語のようだ。

かつてないほどの空虚さだ。

 

帰路につくゴタール。オルガがデジタルカメラで撮ったビデオを渡す。

スイスの自宅に帰ったゴタールにサラエボで通訳を務めたラモスから電話が掛かり、エルサレムの映画館で「ロシア出身のユダヤ系フランス人が人質をとって自爆すると脅迫し、”イスラエルの人が平和のために一緒に死んでくれれば嬉しい”と言ってバッグから本を出そうとした瞬間に狙撃兵に撃たれて殺された事を告げる。オルガだ。

 

3 天国編

深い森の中に女が背を見せて入ってゆく。

”横に並んでいる、私の横に女性が。

見知らぬ女性だ。自分は分る。それは何かのイメージだ。”

アメリカの水平が釣りをしていたり、歩哨が鉄条網の脇、あるいは水着でバレーをする女と男。

それらを通って水辺に行き、一人の男と並んで座り、囓りかけのリンゴを受け取って食べる。(エデンの園へ逆行)

オルガの顔がアップになり

女が”良く晴れた日だった。遠くまで見える。

でもオルガのいるところまでは見えない。

スクリーンは暗転し、交響曲が流れて Fin

 

以上、ゴタールとオルガを中心に紹介した。

ずいぶんと「言ったこと」を書き連ねたが、言ったことの内容の中にある曖昧さがこの映画の一つの要素になっている、つまりサラエボもパレスチナも単純な正と邪、善と悪では割り切れない紛争であり、誰が被害者で誰が加害者であるかも時として不分明だ。

不分明、とは不明確、と同じではない。明確な事実でもその意味が捉えがたいのだ。いわば「名付け得がたいもの」故に「要約」や「まとめ」を避けてそれを表わすための冗長性はやむを得ない。

勿論この映画にとって「ストーリー」は重要ではないと言うこともある。

 

二つ付け加える事がある。

一つはリトアニアのユダヤ人でフランスに帰化した哲学者レヴィナス。

このブログでかつて彼を紹介した。

 

 

レヴィナスは、フッサールとハイデッガーに直接学び、ナチスに一時協力したハイデッガーを乗り越えるべく「他者性」を考えた哲学者である。

われわれはなぜ自分ならぬ他者を殺すことができるのか?

他者は「自己の探究」からはどこまでも断絶があって、他者を見いだすことはできない。他者の中に自己を見いだすこと(メルロポンティ)は可能なのか。レヴィナスは「他者の顔」に「汝殺すな」の刻印を見る。

しかし、「顔の現前」は他者を殺すなかれ」と必ずしも直結しない。

戦場に「レヴィナス」を持って行った兵士が、そこで兵役を拒否することがあるだろうか?突きつけられた問題の深さ、深刻さは感じるが、レヴィナスから(今のところ)解は見いだせないのだ。

 

もう一つはソニマージュ。

ゴタールは一時、音(ソニック) と映像(イメージ)を映画における等価なもの、と主張した。映画作者の意図を尊重することは鑑賞の一部であるが故に、この映画での音に注目して聞いた、見た。

ピアノソナタや交響曲が時に小さく、あるときは次第に大きく。

たとへば地獄編で戦争のカットが連続して流れる中に、

ある感情をもったピアノの音が流れる。

音楽は感情表現だ、と言っても良いほど、豊かな感情表現があり、

曲想(楽曲のイメージ)を表わす記号はとても豊富で120,160,240,、と数える人によって違うが、たとえば

Cantando
カンタンド
歌うように。
Con affetto
コン・アフェット
愛情を持って。
Con anima
コン・アニマ
生き生きと。
Con amore
コン・アモーレ
愛情に満ちて。温情を持って。
Con brio
コン・ブリオ
活気をもって。活き活きと。
Con bravura
コンブラヴーラ
華麗に。
Con fuoco
コン・フオーコ
火のように、熱烈に生き生きと。
Con grazia
コン・グラツィア
優雅に。気品をもって。
 

 

等があるのだ。映画作家は音楽を選ぶとき、シーンにあった音楽を選ぶときもあるし、黒沢明のように、「対位法」という言葉の使い方はともかく、暗い場面は明るい音楽を、、など反対の曲想の音楽を選択する監督もいる。

 

しかし音楽を、映画を鑑賞しながら記憶にとどめるのは難しい。

仮にメモをとったとしても、曲や曲想はテイクノートできない。

しかも我々の情報ソースは視覚偏重である。

勿論印象的な音楽を記憶することはあり得る。

曲名は分らなくとも、特に不釣り合いな音楽だったり、耳障りなほど大きかったりするときは不快感として記憶する。

しかしこの映画では曲も曲想も正確に言い当てることはできないが、

ピアノ曲が効果的に使われていた、と門外漢の私にもわかった。

 

カットの切り返し、でもう一つ思い出したことがある。

オルガ(ナード・デュ-)とイスラエル人ジャーナリスト(サラ・アドラー)

のイメージの重なりである。

ベルイマンの「ペルソナ」ではビビアンデションとリヴ・ウルマンが一つのペルソナに重なる。

この映画ではオルガ

 

と記者レルネル(映画では黒髪)。

 

あるシーンでは二人とも後ろで三つ編みだったように記憶する。

わたしも時間差切り返しカットで混乱させられているのかも知れない

 

最後にもう一つこの映画の特徴を挙げれば、小説家や詩人たちが実名で自分の主張等を述べていることだ。

その発言はとても意味深く、紹介したい誘惑に駆られるが、もはや長くなりすぎた。しかしフィクションの部分と実名のドキュメンタリー的な部分が融合して一つの映画を形作っている。

一つのありかた、興味深いあり方だと思う。

名付け得ぬものを語るためには。