Gon のあれこれ -4ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

原題は Roma citta aperta (英題は Roma,Open City)

この映画が公開されたのは、1945年9月。

日本が連合軍に対しポツダム宣言による無条件降伏を受け入れたのは同じ年の8月である。

勿論日本での公開はしばらく後の1950年であった。

 

冒頭、「これは9ヶ月に及ぶナチ占領下で起きた悲劇にもとづくフィクションであり事件や登場人物は架空のものである」と字幕が入って始まるが、実際はこの間に起きたいくつかのエピソードをもとに、最初はオムニバス形式を考えていたが、制作の過程で一つの物語にまとめられた。

 

1937年、ムッソリーニのイタリア、ドイツのヒットラー、日本政府の三国が、日独伊三国防共協定を締結した。しかしヒットラーは背後の守りのため独ソ不可侵条約を締結、1940年には米国を仮想敵国とした三国同盟に衣替えする。

 

 

日本では、米国に立ち向かうことの危険から山本五十六らの反対は強かったものの、安倍晋三の遠縁に当る外相の松岡が強引にこれを推進した。

 

協定や同盟の前後に既に戦端は開かれており、ヒットラーはポーランド侵攻や英国爆撃、日本は1941年12月8日、真珠湾攻撃で対英米宣戦布告。米国の参戦で世界の戦局は劇的に変わり、逆回転し始める。

1943年9月にはイタリアが連合国に降伏、ドイツ軍は直ちにローマ占領、これは44年6月にアメリカ軍を中心とする連合国がドイツ軍を破りローマを解放するまで続く。

冒頭のナチ占領下の9ヶ月、というのはこの期間を言うのである。

ムッソリーニ・ヒトラーの専制下、イタリアでは1943年夏に反ファシストのパルチザンが決起し全土で激しい武装闘争を展開する。

 

一方ローマはナチに占領されるまで「無防備都市」(Open City)宣言をした都市であった。これは敵による爆撃などから都市を守るために、いわば無抵抗の降伏宣言をするものであり、1907年のハーグ陸戦条約に根拠を持つとされる。ローマに加えフィレンツェやパリも宣言をしたが、枢軸側のドイツも連合国側の米国もなんの顧慮もしていない。

つまりそれを守る意志のないものには馬の耳に念仏なのだ。

蛇足ながら、パリは撤退するヒットラーが焼き討ちを命じ、「パリは燃えているか?」と側近に訪ねるが文化を尊しとする人々にとってかろうじてパリは生き延びる。

 

 

 

こうした当時の状況を背景に、3人の死が映される。

順番からいえば、マニャーニ。子連れ結婚の式当日に相手のパルチザンの男がナチスに捕らえられ、彼を追って行くさなか銃撃される。

2番目の死は、そのパルチザンの指導者。占領者のナチスの男に、イタリア男の軟弱さを揶揄されながら、最後まで仲間の名前を吐露せず拷問死する。最後はローマカトリックの聖職者にありながら、否キリストに倣う聖職者であったればこそ、パルチザンに加担して銃殺される神父。

この神父の持つユーモアとそれに付帯する哀しみがこの映画にある奥行きを与えている。

哀しみの無いユーモアは軽薄だ。

それとは別の意味で一層残酷さを与えているのは子供たちの存在。

例えば神父の銃殺の場面を鉄条網の外で黙然と見ているのはかつて神父とサッカーに興じた子供たちなのだ。

 

ロッセリーニのこの映画は、「戦火の彼方」と「ドイツ零年」とともに、ネオリアリスモ三部作、と言われる。

当時、映画、とはハッピーエンドで終わるもの、という了解があったらしく、その意味で暗黙の約束事を破った映画、と言う意味なのだろう。

 

この映画を一層有名にしているのは、この映画を米国で見たイングリッド・バーグマンがロッセリーニ監督に惚れ込み、自らロッセリーニに売り込んで遂には互いにパートナーのいる身でありながら離婚ー結婚をしたスキャンダルである。それはバーグマンが当代随一のハリウッド人気女優であったことで「世紀の」と称されるようになる。

バーグマンの自伝によれば、彼女がロッセリーニに電話したとき、ロッセリーニは愛人アンナ・マニャーニと食事中で、怒ったマニャーニはロッセリーニにスパゲッティをぶっかけたらしい。

マニャーニもさるもの、その後ハリウッドに進出して、1955年映画「バラの刺青」でアカデミー主演女優賞を受賞する。

イタリア南部の出身で大柄なマニャーニはイタリア女の大地のような匂いーその気の強さを含めてーがする女優だ。

ヒットラーの占領下、自分の車を占領軍に押収されたマニャーニは、怒って大八車を引いてローマの繁華街を練り歩いたという。

そして晩年、ローマに帰ってやや落ちぶれたとき その最後の生活の面倒を見たのはロッセリーニであった。

マニャーニの葬儀委員長はロッセリーニが務める。

葬儀の日ローマっ子はマニャーニを悼み、多くの群衆が集まり出棺の時大きな拍手が起こった、という。(ロッセリーニ「自伝に近く」)

マニャーニは、たくましく生き、女らしく生き、男を一途に愛するイタリア女のある典型なのだろう。

そうしてイタリア人に愛され国民的女優となったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドキュメンタリー映画は、先ず何よりも制作者が明るみに出したい、と思っている事実に関するものだが、それをコンテンツと呼ぶと、そこで提示される事柄のオーセンティシティ(Authenticity)、真実性ともいうべきものはプロセスと見なすことが出来る。

たとえばインタビューで問いに答える者の非言語的メッセージつまり話しぶりや顔や身体の表情などはしばしばコンテンツを裏切り、話者の本音や矛盾、さらには人間性の軽重や誠実さなどをあからさまにする。

 

それ故、ドキュメンタリーにあってはストーリーを知ったからと行ってドキュメンタリー映画固有のものは把握したことにはならないから、先ずは「見るべし」なのである。

 

このドキュメンタリーでは、安倍・菅元前総理、新しい教科書を作る会の東大教授、長府元市長、篭池元園長、大阪の中学校歴史教師、倒産した教科書会社の編集者、維新の吉村や松井などの顔ぶれが会見やインタビューを通して、彼らの隠しようのない人間性やオーセンティシティを暴露する。そこがとても魅力的だ。

 

そういえば数年前、「主戦場」というドキュメンタリーがあったが、それに出演した歴史修正主義者が、上映の差し止めを求めて敗訴したことがあった。おそらく彼らは自分の本性が露呈したことに狼狽して差し止めを求めたのであろうと推測する。

これらのことを前提に、フィルマークスよりあらすじを引用する。

いま、政治と教育の距離がどんどん近くなっている。軍国主義へと流れた戦前の反省から、戦後の教育は政治と常に一線を画してきたが、昨今この流れは大きく変わりつつある。2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」が戦後初めて盛り込まれた。2014年。その基準が見直されて以降、「教育改革」「教育再生」の名の下、目に見えない力を増していく教科書検定制度。政治介入ともいえる状況の中で繰り広げられる出版社と執筆者の攻防はいま現在も続く。本作は、歴史の記述をきかっけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校や、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師・研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題など、⼤阪・毎⽇放送(MBS)で20年以上にわたって教育現場を取材してきた斉加尚代ディレクターが、「教育と政治」の関係を見つめながら最新の教育事情を記録した。教科書は、教育はいったい誰のものなのか……。

教科書検定を始め教育基本法や閣議決定などによって、教育現場に直接介入をしてきたのは、安倍晋三である。

映画を見ていて失笑を禁じ得なかったのは、国会で嘘をつきまくり、野党の国会開会要求の無視など議会制民主主義の根幹を腐食しながら、その安倍が国民の道徳の必要性を説く場面である。

「日本人というアイデンティティを備えた国民を作ることを教育の目的に掲げ、教育目標の一丁目一番地に道徳心を培う」

と宣(のたま)うのだ。

安倍自身はアイデンティティも道徳もその意味を知り

かつ身につけているだろうか? あなたはどう判断されるだろうか?

どんな日本人としてのアイデンティティを彼は持っているのか?

それは議会制民主主義を踏みにじったり嘘をつきまくったりするーこの嘘はすべて自分のためについた嘘だーこととどう整合しているのか?

そして講演で、街頭で、国会での彼の表情をや態度を見ていると、言っていることの真実性は感じられない。

 

出演者のそれぞれについて、是非真実性という物差しで見て欲しい。

日本人は「長いものに巻かれろ」「空気を読め」と権力にはとても弱い国民性だ。だから「肩書き」で言っていることの正しさを判断してしまい、そこで大概は判断停止してしまうので、言っていることの真実性を追求しようとはしない。そして追求する者に「理屈っぽい」とか「空気が読めない」などと言って抑制する。それだから、左翼とか非愛国的とか単なるレッテル貼りに盲目的に左右される。言っていることの「ファクトチェック」は、映画では表情や態度で出来るし、するべきだ。

 

この映画には直接触れられていないものの、教育現場で今起こっていることが心配だ。

教師は教室での「教え」以外に沢山の仕事を押しつけられ、部活の責任まで負わされて心身ともに疲弊していると聞く。

臨時雇いの教師の増加、教員資格の有期性、、、

何よりも心配なのは、教師が人間としての尊厳を奪われるような状況(過労も含まれる)にあるのではないか、ということだ。

教師の、自分の人間としての権利が尊重され守られてこそ、生徒に尊厳を守る事を伝えることが出来る。教育の画一化の反省からスタートした戦後の教育基本法は教師の授業を主宰する意義を認めたはずだが、自民党対日教組という闘いの中で画一化の方向に大きく偏ってしまう。

画一化で指導要領にあるとおりの授業を強いられる、いわば教える機械に貶められれば人間としての尊厳は毀損される。

 

 

自称愛国者の日本会議の面々は、日本の歴史を美しく飾ることで愛国心が生まれる、と理解しているようだが、愛国心は美しく飾られた歴史から生まれるものでは無い。今日この時、この場所に置いて自分が一個の人間として尊重され、生かされている、という覚知、愛国心は何よりも自分の魂の自由が尊ばれている、という確信から その価値を守らなければ、その自由が奪われてはならない、というところから生まれるのだ。

愛国心は愛国教育から生まれるのでは無い。

愛国心は人権の尊重から生まれるのだ。

ウクライナを見よ!

彼らはロシアの抑圧を二度と味わいたくない、魂の自由をもとめているのだ。

 

以下に予告編を貼る。

 

 

 

ロシアのウクライナ侵攻の戦争の生々しい実態が放送されている今、ウクライナ兵士、志願兵を含めてウクライナ人が武器を取ってロシア軍に対峙している。その彼らの原動力はなにか。

 

一方我が国では戦争で、短絡的に防衛費の増額を叫ぶ者たちがいる。

奇しくも愛国心を唱えた安倍晋三を始めとする政治家たちだ。

そして防衛費の倍増と増税、福祉の切り捨てを叫んでいる。

 

少子高齢化やエネルギーと食料自給率が低い構造的問題、原発の防衛の問題など真に国を守る課題に眼を背けたまま、あるいは意図的に眼をそらして防衛費の増額だけを叫ぶ彼らの意図は明白だろう。

非稼働中のものも含めて原発にミサイルを撃ち込まれたらどうする?

どの国でもミサイルは移動可能な車両に装備されているからそれらを破壊するのは不可能に近い。

 

日本を占領する他国のメリットはなんだろうか?

トヨタの工場を占領してなんになる?

このグローバル化した世界で。

日本は恐らく原発へのミサイル攻撃と、東京・名古屋・大阪近郊の港湾施設を破壊すれば即兵糧攻めに会うだろう。

 

武器が、最新鋭の高価な兵器が沢山在っても誰がそれを扱うのか?

この65才以上の高齢者が、人口の3割になんなんとする日本で。

そして高齢者の政治家や右翼が、若者を戦争に駆り立てるべく愛国心を声高に叫んでも、その若者達が日本に愛着を持てない状況にあるのだとしたら、誰が国をまもるのか。 

こんな皮肉な状況はあるまい。

 

そして愛国心とは何か、について今ほど考えるに相応しい時はないだろう。愛国教育で愛国心を涵養できる、と言うのが敗戦前の日本に郷愁を抱く者たちの先入観だ。だから戦前の道徳を復活し、教育勅語をかかげ、日本神話を引っ張り出す。多少の歴史的知識があればこんな時代錯誤は無いが、マスコミを支配することで憲法を改悪し、それが可能だと彼らは考えている。

 

多くの若者は、臨時雇用だ。経済的徴兵と言う言葉があるように、貧窮に追い込んで軍隊を唯一の衣食住提供の場所とする。

そうした兵隊は果たして国を守る強い動機は持てるのか?

よくよく考えてみるべきだ。

 

ウクライナの人々は長い歴史の中でロシアーソ連ーロシアの抑圧に苦しみ度々の独立も制圧されてきた苦い過去がある。かれらはようやく自分たちが選んだ政府のもとに、自分たちの運命を自分たちで切り開こうとしている。それが愛国心の源泉だ。

 

追記:最初に「誰が橋下徹をつくったか」の著者、在阪のジャーナリスト松本創氏の寄稿文。

 

次には映像記事として、津田大介氏のポリタスの無料公開映像を以下に貼付ける。ご存じのように津田氏は「表現の不自由展」で同根の極右に開催を妨害された経緯がある。

是非ご覧頂き、次には映画を実際に見ていただきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日から始まった新橋古書市。

所用と兼ねて行ったのだが、あいにく小雨が降り続いている。

テントを架けて、全面営業とはいかなかったが充分満足。

用を足す前と足してからと二度足を運び、以下の書を購入。

 

魔術的リアリズムーメランコリーの芸術 種村季弘著 パルコ出版

フェリーニ 「私は映画だ」 フィルムアート社 

キャサリン・ヘプバーン アン・エドワーズ著 文芸春秋

ピカソ 偽りの伝説上下 アリアーナ・ハフィントン著 草思社

ジェイムズ・ジョイス 若い芸術家の肖像 丸谷才一 集英社

 

DVD 戦争と平和 オードリー・ヘップバーン

    ドクトルジバゴ 特別版 オマー・シャリフ

    マディソン郡の橋 クリント・イーストウッド

 

しまった! フェリーニの「私は映画だ」は既に所有済みでかつ読了済みだが、勘違いで買ってしまった。

中身を読めば思い出せたはずだが、ちと急いでいたせい。

DVDはアマゾンプライムで多分有料なハズ、と見込み買い。

 

昼はとなりのセンタービル地下の中華、福盈門にて。

追記:先の二重購入の件、古書市好きの私にとってはたびたび在っては困ることなので、原因というか注意すべき点というか、いろいろ考えるわけであるが、一つは購入済みの本は新装版で

古本市で買ったのは旧版でしかもセロファン紙でカバーされていたこと。

紙の手触りも異なり、ここまでくると錯誤もやむなきか、の心境になった。

これで一件落着、としよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もう一度読み直したい記事。

リブログします。

あれから10年以上経ってずいぶんと風化してきた。

テレビでコメンテーターなど務める者が、

民主党政権下で起こった事故だから、民主党に責任がある、などと言っている。

そうなると危機にはおなかが痛いと病院に逃げ込む最長任期元総理は政権を投げ出せばいつでも責任を逃れることになる。

これがおかしいのは小学生でもわかるだろう。

そのコメンテーターは医者でもあるらしい。

かれの病気の診断はどうなっているのだろう。

公害で病になっても、今の身体の持ち主であるあなたが責任者なのだ。損害賠償など追求できない。

 

 

今回メットから借り出された絵は60点以上。

フラ・アンジェリコから始まって、クラナハ、グレコ、ルーベンスやフェルメール、ターナー、マネやルノワール、ゴッホ、セザンヌまで、我々愛好家に馴染み深い名前が並ぶ。今回今回展示されている絵が彼らの代表作ばかり、と言うわけには行かぬまでも、なかなかに得がたい作品群ではある。

 

今回見終って、特に印象深い絵を3点に絞る、と自らに課題を出して、

以下に感想を記す。

1 クラナハ「パリスの審判」

2 マリー・ドニーズ・ヴィレール 「逆光の自画像」

3 カラヴァッジョ 「音楽家たち」

次点 エル・グレコ 「羊飼いの礼拝」

 

クラナハを一番に選んだ理由は、単純に好きな画家だから。

 

この「パリスの審判」は現存しているだけでも十数点あるという。

つまり当時クラナハにこの絵を注文する王侯貴族、富裕商人がかなり居た、ということ。ヒット作と言ってもよい。

そのため細かな部分で違いがあるらしいから、貼付けた絵がメット所有の絵かどうかはわからない。

そしてこの絵の魅力は天界の三美神へーラー、アテナ、アフロディティの裸身。

細い腰と小さめの乳房、これは幼形ー未成熟ではなく、

労働から解放された肢体、つまりは高貴な婦人か売春婦のものである。

高貴な婦人も売春婦も権力や富を飾るもの。

そして審判に勝ったのは天上のグビドを指さす真ん中のアフロディティ。

そして彼女だけが薄いベールを秘所に垂らしている。

秘すれば花、隠すことにより欲望は一層昂進する。

そしてエロス、とは性的欲望の婉曲語法である。

 

ロンドンから日帰りのバッキンガム宮殿ツアーで確か螺旋階段の途中にクラナハのヌードが架けられていた。それ以来の執心でロンドンでもウイーンでもベルリンでもドレスデンでもクラナハを見て歩いた。

そして、さも架ける場所に不足している、と言わんばかりの英国王室の富、パクスブリタニカの威力を見せつけられもした。

 

次はマリー・ドニーズ・ヴィレールの「逆光の自画像」

この絵を見たとき、これが1801年の作とは思えなかった。

ゴヤ(1746-1828)やターナー(1775-1851)の時代。

現代作家の絵、と言われても信じただろう。

 

現代ではともかく、18世紀末前後に女性の画家は希少な存在であったろうし、結婚で名前が変わったりするから、名前が浸透するにも困難で、模写をしていれば好奇の目にさらされ、モデルも同性や子供に限られ結局自画像が無難な選択となり絵の主題が限られてくるだろう。

草間彌生やオノ・ヨーコの時代とはなんと隔たっているだろう。

 

肖像画、といえば光の中に在る者だ。

光の中にあることで仮象が剥ぎ取られ、

対象のある者の実在が露呈してくる。

一方、逆光の中に対象を置く、とはどういうことだろう。

まず対象が日の影となって詳細があいまいになる。

輪郭もあいまいになるが反面やわらかさが出る。

 

この絵の作者は逆光をなぜ選択したのだろうか。

女性画家のやわらかさと繊細さを、出すためか?

あるいは日陰の身を?

 

美しく光っているのはほつれた髪の毛でこの作者の技量を感じさせる。

ドレスもまた言わば影が豊かな陰影を作っている。

表情はどうだろうか。

子細に見ると髪の毛の柔らかさや衣装のやわらかさとは異なって、

対象を凝視する眼は真剣でなにか張り詰めたものを感じる。

 

窓の外にみえる男女らしい人影はなぜ入れたのだろう。

これも作者自身の分身を描いた、その意味で自画像の一部、

と見るがどうだろう。

こうしてみると逆光にあることで見る者にさまざまな解釈の余地を

与えている。そういう意味でもとても現代的だ。

 

最後の絵はカラヴァッジョ。

この絵は、カラヴァッジョがミラノからローマに出てきて、最初にして

最大のパトロン、フランチェスコ・デル・モンテ枢機卿に出会い、

その邸宅マダマ宮殿に住み、そこに居た少年をモデルに描いたなかの一つである。この中央の少年は「バッカス」と題した以下の絵や

エルミタージュで修復中で見ることが叶わなかった「リュート弾き」の少年と同一である。

そしてこの少年は一説では去勢された枢機卿の夜とぎの相手だろう。

肢体の柔らかさ、手の仕草、媚びた表情などがそれと感じ取れる。

邸宅に住んだとはいえ、恐らく誰彼をつかまえてモデルとする訳にもいかず、右上の影から見ている男は、カラヴァッジョの自画像とされる。

 

次点エルグレコ「羊飼いの礼拝」、とはちと未練がましいが、

この絵の他にも、ターナーがイタリアのヴェネチアで描いた風景画、ラ・トウールの「女占い師」など世に知られた名画はあるのだが、こうした名画を長期に貸し出しても、メットの魅力には些かのへこみも見られないことが凄い。

しかも建国から300年強でこの財力、富による名画の蒐集である。

まさにこれもパクスアメリカーナの威力、としか言いようが無いだろう。

 

さて今回の展示で感心したことが一つある。

展示した絵画のなかで20点以上について「作品紹介」、つまり説明文をホームページ上で閲覧できるようにしていることだ。

こうしてあることで、会場では即絵を見てなにかを感じ取れる。

必要なら説明は帰宅してから読めばすむのだ。

 

 

絵は説明書きを読んでから見るのは大概はつまらない。

説明で絵の鑑賞が深まる、というものでもない。

知識は見る観点を方向づけ感じ取る力を弱める。

まあそういう態度だから、音声ガイドは借りたことが無い。

 

蛇足だが、メットにはツインタワーが崩壊する前、1999年JTBLOOK・ボストン・ニューヨーク12日間で、ナイヤガラからボストン、ワシントンの市内観光と若干の自由時間でボストン美術館、ニューヨークは5泊で、市内観光やミュージカル以外は自由行動で、勿論メットもグッゲンハイムもフリッツコレクションも、ストランド書店にも行った。

美術館巡りはメットなら、入場無料なのだから昼食休憩を挟んで1日がかりで見るべきなのだろうが、なかなかそうはいかない。

次回はニューヨーク単独で、と思っているうち、2001年911のツインタワーの崩壊で当分行く気がしなくなり、今日またパンデミックである。

 

今 都美でスコットランド国立美術館展が開催されているが、こちらは翌2000年8月下旬、スコットランドの北海油田の基地があるアバディーンでレンタカーを借り、徐々に南下してエジンバラで国立美術館を見てから湖水地方、リヴァプールコッツウオルズ、ダービー、オクスフォードで返して10日間で1000マイルを走った。

平均すれば1日100マイルでたいしたことは無いが、湖水地方やコッツウオルズは2ないし3泊したから、1日200マイルぐらい走った日もある。

かすり傷一つ付けずに返却したことが自慢である。

エジンバラの国立美術館は入館した記録はあるが、記憶が無い。

印象に乏しかったのか、あるいは未知の国でのドライブに緊張していたせいなのか?

 

 

今回の展示ではシスラーの作品が掉尾を飾っている。

彼の愛好者には魅力ある展覧会だろう。

 

なおドライブ旅行はその後ロンドンで3泊しナショナルギャラリー、テートなど見て帰国した。連れ合いにとっては2回目である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月29日は、ウイトゲンシュタイン(1889-1951)の亡くなった日である。

ガンの病床にあり、友人たちが見舞いに訪れる予定の中、「素晴らしい人生だった、と伝えてくれ」が辞世であった。

かつて、彼が絶望のなかで自殺の誘惑に苛まれた時とはなんと違っていた最後だろう。それが救い、というよりは人生に希望をもたらす。

 

21世紀を代表する哲学者を3人挙げよ、と問われれば、ウイトゲンシュタインとハイデッガーの二人は誰もが同意するだろう。

3人目は誰だろうか。 

フッサール、ベルクソン? メルロ、レヴィナス?

デリダ、サルトル? ジル・ドウルーズは好きじゃない。

 

いろいろ好みがあるだろう。その3人目の席を誰にするか、がその人の哲学的嗜好(≠思考)を反映する。

 

ウイトゲンシュタインとハイデッガーは同じ1889年、同じドイツ語圏に生まれた。

ウイトゲンシュタインはオーストリアのウイーンで、ハイデッガーはドイツの小村で。

 

しかし、二人は生前交錯することなかったが、死後は様々な哲学的考究の中に生きる。

例えば、映画の哲学的考察の人スタンリー・カヴェル(1926-2018「眼に映る世界」)は 「道徳的完成主義」(春秋社)で二人の「倫理」の共通について語り、ポール・スタンディッシュは「自己を超えて」(法政大出版)のなかで、二人の「慎み深さ」について語る。

 

一方二人を直接的に結びつける詩人がいる。

オーストリアのザルツブルグに生まれたゲオルグ・トラークル(1887-1914)だ。

1914年に始まった第一次世界大戦のとき、ウイトゲンシュタインはハプスブルグ帝国がロシアに宣戦布告したとき、オーストリア軍に志願し、ポーランドのクラクフの砲兵連隊に入隊する。

彼はオーストリア随一の富豪、鉄鋼で財をなしたユダヤ系のウイトゲンシュタイン家の末子で、そのサロンには音楽家のブラームス、画家のクリムト(ウイトゲンシュタインの姉マルガレーテの有名な肖像画を描いている)

フロイトなどが参加し、父はウイーン分離派のパトロンでもあった。

兄妹たちはいずれも芸術的天分に恵まれ、絵画や音楽、例えば兄パウルは第一次大戦で右腕を失いながら片腕でピアノを弾く著名なピアニストとなっている。しかし不幸も伴い、自殺した二人の兄たちもいる。

 

ウイトゲンシュタインは戦時中莫大な父親の遺産を相続し、「資産の無いオーストリアの芸術家」を支援しようとたまたまある雑誌で見かけたルードヴィヒ・フォン・フィッカーに10万クローネ(現価で5億円前後と言われる)を負託する。フィッカーは仰天し手紙をウイトゲンシュタインに書いて確認し、ウイーンで彼に直截会って配分などについて話し合う。

 

その10万クローネの内6万クローネは詩人リルケとトラークルともう一人に配分される。リルケは晩年の詩はともかく、ウイトゲンシュタインの好きな詩人であり、トラークルはフィッカーが才能を大いに評価し、彼の主宰する雑誌の常連の詩人であった。

トラークルについてウイトゲンシュタインは

「私は彼の詩はわかりませんが、詩の調べが私を幸せにします。それは真の天才の調べです」とフィッカーに書き送る。

 

トラークルは、裕福な家庭の生まれだったが、並の勉学には馴染まず、薬剤師の国家資格を取りオーストリア軍に志願し衛生兵見習いとなる。

医師の居ない中、数百人の負傷兵の看護に当りその惨状で精神を病んで自殺未遂をおこしポーランドのクラクフの陸軍精神病院に入院する。

同じ時、ウイトゲンシュタインはオーストリア軍戦艦の中でトラークルから直接に会いたいとの手紙をもらい、クラクフに帰還のおり見舞いに訪れることを非常に楽しみにしていたが、到着の翌日軍院に訪れたとき、トラークルは大量のコカインを飲んで既に死後2日であった。

 

先に述べたようにウイトゲンシュタインも自殺願望に悩まされたが、軍務の中でトルストイの「要約福音書」に出会ってそれを克服しその書を他人に勧めるほどになった。後々フイッカーにも勧めているから、トラークルの悩みを聞けば同じように勧めていただろう。

(以上はレイ・モンク著「ウイトゲンシュタインー天才の責務」みすず」

「トラークル全詩集 青土社1983年他より)

 

一方ハイデッガーは「詩における言葉ーゲオルグ・トラークルの詩の論究ーなる著作(1952年全集第12巻「言葉の途上」収録)がある。

ウイトゲンシュタインとトラークルのすれ違いから40年弱経過しているが勿論ハイデッガーはそんなことは知らない。

 

ハイデッガーはトラークルの詩の論究に先立つ「言葉」(1950年)において、トラークルの詩「冬の夕べ」を取り上げ、

本来の詩作とは「死すべきものの語りにおいて、純粋に命令されたものが詩によって語られるものである」。

「詩の反対語は散文では無い。純粋の散文は「散文的」ではない。

純粋の散文とはまさに詩的なものだ」と述べている。

「冬の夕べ」の第一節

 

雪が窓辺に落ち

夕べの鐘長く鳴り渡り

 

の語りだしは、世界というものを言葉によって呼び出す、

呼ばれたものを身近なところに連れ出してくることだ、

現前を命じているのだ、と言葉の本質に言及する。

 

一方、「詩における言葉」では、トラークルの

 

「魂は地上にありては余所者なり」

 

の一節をとらえ、それを詩の論究の中心となす。

余所者、よそよそしいものは、とどまることの出来る場所を求めつつ

そこ、地上ではなく下降して地中に安らぎの場所を求めていく。

 

「詩人の詩はいつまでも語られぬままでいる。

個々の詩のどれ一つを取ってみてもそれだけですべてを言っていることにはならない。

それでいてどんな詩の一編を取ってみても、唯一の詩の全体を語っているのであり、詩の全体を表わしている。

(その)詩の場所から大波が浪々と湧き出で詩的なことばの働きとしての言い方をその都度揺り動かしてゆく。

言葉の動きすべてを常に蔽われている根源へと逆流させてゆくものである。(この)詩の場所は働き続ける大波の源泉として、詩の本質を匿し

保護しているのであるが、形而上学的ー美学的な表象のい仕方にとっては、まずリズムとして現れてくるといってよい。

 

リズム、は詩を 詩たらしめるものである

と言うことについては同感だが、詩想ではなく、そのリズムが「大浪が浪々と湧き出でる」場所から波及する、と言うことはどうだろう。

 

私は詩のリズムは、人間の生身の身体のリズムと共鳴し合うものだ、

という太極拳の練功から得られた覚知があり、それが詩的身体でもあるというのが今の詩論なのだ。

 

ウイトゲンシュタインは1922年、英独対訳で「論理哲学論考」をようやく出版する。ハイデッガーの初期の主書「存在と時間」の1927年に先立つこと五年である。

 

ハイデッガーがそれを読んだ、と言う記録は、見当たらない。

一方ウイトゲンシュタインは、1929年ごろハイデッガーの「存在と時間」を読んだらしく

「人が不安を抱いていると言う事実のうちに世界ー内ー存在そのものがある」ということについて、何を言おうとしているかを思い浮かべることが出来る(ウイトゲンシュタイン、みずずp301)とある。

 

いまのところここまでが私のウイトゲンシュタインーハイデッガー理解の限界だが、おそらくはウイトゲンシュタインの死後出版された「哲学探究」

(1953)とハイデッガーが「存在と時間」のあと、「形而上学入門」や先にあげた「言葉への途上」や「思惟とはなんの謂か」などを経て、後期の主要著作「哲学への寄与論考」に至る道の中で二人の哲学的思考が交錯してくるのだろうと思っている。

個々の著作以上の読解が求められているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「100年前エストニア人はコーカサスに移住。

1992年ジョージアとアブハジアの間で紛争が勃発し

エストニア系住民は北欧へ帰国。

数人を除き、村には誰もいなくなった」

と、冒頭の字幕。

 

 

紛争についてはある程度の知識が必要だろう。よってWikiから引用。

1992年2月21日、グルジアの軍事評議会は、ソビエト連邦期の憲法を廃止し、1921年に制定されたグルジア民主共和国の憲法を復活させることを宣言。これを、アブハズ人たちは、自治権の廃止ととらえ、1992年7月23日には自分たちでアブハジア自治政府が独立を宣言した。グルジア政府は3000人の部隊をアブハジアに送り、スフミにおいて、アブハジアの分離主義武装グループとの間で激しい戦闘が起こった。1週間の戦闘で双方に多くの犠牲者を出した末、グルジア政府はアブハジア自治政府を廃した。

アブハジア側の敗北の後、北コーカサス地方の諸共和国からやってきた義勇軍がアブハジアの分離主義グループに合流し、再びグルジア政府軍との交戦が始まった。1992年9月の反乱軍は攻勢によって、グルジア軍は劣勢に立った。シェワルナゼ政権は、アブハジアの分離主義者に対して密かに軍事的な支援を行っているとしてロシアを非難した。1992年から1993年にかけて、過激派指導者バサエフはアブハジア紛争に武装勢力「チェチェン大隊」を率いて介入し、義勇軍と称してアブハジア独立を阻止する立場のグルジア軍と戦った。裏には、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の工作があったとされ、バサエフ麾下の武装勢力は、GRUによって直接訓練を受け、アブハジアに介入するように指示されたという。1992年末には、反乱軍がスフミ以西のアブハジアの大部分を掌握した。「民族浄化」が双方に起こり、この段階で約3,000人が殺されたとされる。

2008年のジョージアの対ロシア戦争は、ジョージアが南オセチアの分離独立運動を阻止するためにジョージア軍が侵攻。ロシアはロシア人保護を名目に介入し戦端が開かれる。同年8月ロシアのメドヴェージェフ大統領は、南オセチアとともにアブハジアのジョージアからの独立を認める大統領令に署名した。

ロシアは今年ほぼ同じシナリオでウクライナ東部、ドンバス地方の独立を承認している。クリミアでは、怪しい住民投票を行い、ロシアへの併合要望決議、条約締結などの手順を踏んだ体裁を取ったが、ウクライナではアブハジアモデルで力ずくの分離支配を目指している。

今回のウクライナ侵攻について、NATOの東側拡大をもってプーチンの

自衛とみなす議論ーこれは日本の歴史修正主義者が太平洋戦争を生活圏自衛と主張するのと同一の線上にあるーに加担する者たちがいるが、プーチンの見かけ、偽装に乗ぜられた者たちの議論であることは、ジョージアを先例と見れば分る。

 

さて1992年に戻ってこの映画のあらまし。

アブハジア自治共和国のエストニア人集落。この集落ではみかん栽培が盛んだったが、ジョージアとアブハジア間の紛争により、多くの人が帰国してしまった。しかし、みかんの収穫が気になるマルゴスと、みかんの木箱作りのイヴォの2人は集落にとどまっていた。ある日、マルゴスとイヴォは戦闘で負傷した2人の兵士を自宅で介抱する。1人はアブハジアを支援するチェチェン兵アフメド、もう1人はジョージア兵ニカで、彼らはお互い敵同士だった。同じ家に敵兵がいることを知った兵士たちは殺意に燃えるが、イヴォは家の中では戦わせないことを告げ、兵士たちは戦わないことを約束する。数日後、事実上アブハジアを支援するロシアの小隊が集落にやってきた。(映画・com加除訂正)

二人の敵対する兵士は、イヴォの家の中でともに生活し食事するなかで、「敵意」というものがあいまいなものに変化してゆく。

そして、ロシア兵という、チェチェンにとってもジョージアにとっても抑圧的強圧的な存在が現れたとき、ふたりは共に闘う相手を共有する。

 

その結末では、予告編が多くのことを語っている。

が、あへて述べれば、アフメドが庭で薪割りをし、マルゴスが手伝っているそのときにロシア兵の一団が現れる。

彼らは本来味方であるはずのチェチェン兵アフメドすら信ぜす、アフメドも制御できない敵意を露出し、ロシア兵達はアフメド等を撃つ。

そのときジョージア兵ニカは家からアフメドやマルゴスを救うためにロシア兵を撃ち即座に双方の撃ち合いとなる。

 

闘いが終わってイヴォとアフメドが残り、マルゴスを埋葬する。

アフメドが、ニカは何処に?とイヴォに問うとイヴォはジョージアとの戦争で死んだ息子のとなりに埋葬する、という。

なぜ?と問うアフメドにイヴォは(二人は)「どう違うんだ?」と答え

アフメドは深く了解する。

「俺が死んでいたら?」 と問うと。

 「少し離して」とイヴォが答えるとアフメドはニヤッとする。

アフメドは弾痕の残るジープで故郷に帰る。

ニカの残したテープを車のカセットに入れて聞きながら。

 

”Qagaldis Navi" (この意味はわからない)

 

 

 

 

この映画はおなじ屋根のもとに暮らす内に相手の存在が「敵」という存在から「隣人即ちひとりの人間」と変化する過程の中で、敵意もまた融解していくことを言おうとしているように思える。

 

しかし残念ではあるが、この結果から紛争を回避する、ないしは予防する手立てを見いだすことは出来ない。

どのようなゲームでも、ゲームの規則に無知ないし無視する者にはそのルールが無意味であるように、戦争を予防するシステム、たとえば国連の安保理も常任理事国の拒否権を逆用して自国の戦争を推し進めようとする者にはなんらの戦争抑止力が働かないように、また核の相互確証論もそれを信じない者には無益であるように、ゲームの規則はそれを守るもの同士によってのみ成立する、という厳然たる事実が存する。

もちろんこのように言う念頭には、ロシアのウクライナ侵攻がある。

 

戦争という究極の暴力は否定することは簡単だが、無謀な暴力を防ぐには結局は暴力しかない。

暴力を行使せず争いを解決するのは、われわれの文明の一部だが、それを西欧文明として退ける者たちには説得力は無い。

「話せばわかる」は「「話せば分る者」のみに有効なのだ。

 

ウクライナーロシア戦争も多分ロシアが疲弊するまでは続くだろう。

 

この映画はヒューマニズムとして見ることに尽きるだろうか。

 

この映画のバックグラウンドを見ると、エストニア人はジョージア人やアブハジア人に対してはニュートラルな立ち位置にある。

がロシアに対しては違う。北欧でロシアに国境を接するエストニアもジョージアと同じくソ連邦の崩壊の時独立を宣言し、さっさとNATOとEUに加盟した。

紛争の当事者ジョージア人とアブハジア人に加勢するチェチェン人は闘いの当事者である。

ことは単純では無いが、ロシア人はジョージア人にとっては勿論、チェチェン人にとってもかつての抑圧者に変わりない。

わたしは人道的な和解の物語(ヒューマニズム)、としてよりもコーカサス山脈を挟むジョージア、アブハジア、南オセチア、チェチェンの複雑な構図の中における戦争の物語、と読む。

それらの構図を単なる背景ではなく今も続く物語の動因として。

つまり、この映画は紛争に対する”回答”ではなく”問題提起”なのだ。

 

追記:先のエンデングの映像で流される歌の字幕をさわりの部分のみ以下に記す。

  「再び君に会いたい 君の笑顔が恋しい

   君なしでは生きられない 

  おれは紙の船でもどるだろう おれは海を渡って帰る

  おれが帰らないと言う奴を信じるな

  おれは君のもとに帰る

  すべてが変わり 愛は哀しみのなかでまどろむ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシアのウクライナ侵攻、防衛のウクライナ軍に南コーカサス ジョージアの義勇兵が多数参戦しているという。

それはかつて、ジョージアが1991年ロシアからの独立後、ロシアがジョージア国内の民族問題を利用して2008年に戦争を仕掛けた過去があり、このたびもしウクライナの敗退すればロシアは再度ジョージアに向かってくるという危機感と、かつての対ロシア戦争にウクライナ人志願兵が参加した恩義とからだと言われる。

 

一方岩波ホールの閉鎖によって「ジョージア映画祭」はこれからどうなるのだろう。そして映画祭開催に尽力されたはらたけひで氏はどうされているのだろう。

ジョージア映画に惹かれ、2018年ジョージアを含む南コーカサス三国を旅行した私もとても気がかりだ。

 

観光とは「国の光を観る」という言い古された定義があるが、

国の光は、自然はもとより都市にあっても建物の背景や照り返しによって違ってくる。ジョージアは、白く霞が掛かったような、あるいは薄いブルーやみどりの膜が掛かったような幻想的な景色が魅力だ。そしてその独特の美しい自然を映像詩として映すことはジョージア映画の魅力の一部と言っても良いのではないだろうか。

 

この映画でも、それが充分に堪能できる。

 

多民族国家ジョージアは最大勢力のジョージア人のほか、アブハズ人(アブハジア)、イラン系のオセット人(南オセチア)が国の中の国を作り、アルメニア人やアゼルバイジャン人など多数の民族が国内に同居している。

この映画の舞台はジョージアの北西部、黒海に面したアブハジアとジョージアの国ざかいに流れる川の中州。

肥沃な地味を活用してとうもろこしを植えるアブハジア人の年老いた農夫とその孫娘の物語である。

ジョージア最西端に位置するアブハジアが独立を主張してジョージアと戦争を開始した1990年代初頭。両者の間を流れるエングリ川の中州にできた島に老人が上陸し、コーン畑を耕しはじめる。やがて老人の孫娘も手伝いにやって来て、2人は黙々と作業を続けていく。両陣営の兵士たちは、そんな島の様子を横目にボートで通り過ぎて行くだけだったが……。チェコのカルロビ・バリ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞し、米アカデミー賞の外国語映画賞ジョージア代表作品にも選ばれた。2014年・第27回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門では「コーン・アイランド」のタイトルで上映された。

2014年製作/100分/G/ジョージア・チェコ・フランス・ドイツ・カザフスタン・ハンガリー合作
原題:Simindis kundzuli (映画。Comより抜粋)

冒頭から数十分、老人が中州に上陸し、誰の者でも無い土地として占有する。そして

更に8畳くらいの小屋を建てるべく四方に柱を立て、孫娘も加わって壁と屋根を、寝台をしつらえる。ある日ボートに乗った数人の兵士が近寄ってくる。かれらが立ち去った後、始めて沈黙が破られ会話が始まる。

「あの人たち、ジョージア人?」 老人は娘の目をみてうなずく。

「おじいちゃん、ここは彼らの土地?」

「彼らの土地はあっちだ」と老人は対岸を指す。

「じゃここは誰の土地?」

「耕す者の土地だ」と老人は答える。

 

この対立するアブハジアとジョージアに挟まれた、いわば中立地帯のような中州で、とうもろこしを植え、とうもろこしも娘も成長して行く。

そんなある日、ジョージアの脱走兵が闇に紛れて中州に来る。

その兵士の傷を手当てし食べ物も与える。

彼を探してアブハジアの兵士を乗せたボートが来るが、老人は見かけなかった、と言う。

ついでジョージアの兵士を乗せたボートが来るが、彼らにも老人は見かけなかった、と言う。

 

民族紛争とはある土地の中の支配権を巡る争いであり、民族はその土地の中に混住して隣人同士でもあったりするから、それが一旦銃を取り合い殺し合いを始めると憎悪が増す分凄惨な闘いになることは、コソボを見ても明らかだ。

それを防ぐ手立ては、一旦闘いが始まるとなかなかに難しい。

しかし中立地帯を緩衝として設け、そこを和解の場とすることは出来よう。

もちろんこの映画がそれを示唆しているわけでは無い。

むしろ紛争の中にあって、逃れてきた敵の命を助ける行為の中に、国境や国土を超えたものの大切さを感じる。

もうひとつは紛争の中にあって無力な人間が出来ることは何か、

と言うことも。

 

秋、収穫が始まるときに、嵐がやってくる。

老人と孫娘は急いでとうもろこしを刈り、船に積んで脱出しようとするが、船は老人を取り残して流れていってしまう。

我々はみな死すべき定めのものであり、死は常に臨在している。

その臨在は年齢や性別や貧富や貴賎に関わりない。

しかし若い命は繋がれた、とある種の救いを見ることも出来よう。

 

もう一つ印象深いのは、会話もBGMも極端に少ないこと。

誰の所有の土地でも無いことは、誰の土地でも有り得て、争奪の争いが起こりやすい。

時折銃声がして、老人と娘は顔を見合わせる。

あるいは鳥の群れが急に大空に飛び立って、ふたりは空を見上げる。

恐怖、不安の感情を共有しているがゆえに、それを押し殺して無言で通じ合うのだ。

新藤兼人の「裸の島」と通底する、沈黙の中に生命の危機がある。

 

神は我々人間に、弱き我々が力を合わせて生きるように言葉を与えた。

沈黙とは異例であり、神秘的であり、むしろ神の業だ。

神の沈黙、あるいは黙過は神の本質と言ってもよい。

 

ジョージア映画はその美しい自然の描写とともに、何かしらの哲学的テーマを提示することが多い印象がある。

 

この映画の監督ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督は1963年生まれ。

ジョージア独立の1991年には28才前後。しかし初代大統領の民族主義的、強権的な政治手法が民族問題に火をつけ、各民族の独立運動が燃えさかり、経済も疲弊し政治と社会の分断が激しくなって、いわば映画どころでは無くなってしまう。その過酷な時期を生き延びた同監督は「失われた世代」の一人である。

ジョージアが21世紀に入って徐々に安定し、彼ら失われた世代に政府が資金の一部を援助して映画制作を始め同監督の「向こう岸」(2009年)が最初の作品になった。(この項ははらだたけひで著「グルジア映画への旅」(未知谷)より引用)

繰り返しになるが、ジョージアがロシアと闘ったのは2008年の「南オセチア紛争」で、ロシア側には南オセチアの分離派とアブハジアも参戦した。

同分離派はウクライナ紛争でロシア側に参戦している。

ジョージア映画「デデの愛」(2017)はロシアとの闘いから帰ってきた若者たちと国の娘達の愛の物語である

 

 

ソ連時代の抑圧、独立後の絶え間ない紛争は、人の生死や愛について厳しく問うばかりでは無く、民族とは国とは国境とは戦争とは、、、

そして自由とは という問いを突きつけ、根底的な問いを問われる。

それらに簡単な答えは無い。

問いに対して考え続けることが唯一われわれに出来ることである。

そのことが誠実さ、生命に対する畏怖でもあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回のブログ、フランス映画「エール」に続き「コーダ」を鑑賞。

原題は CODA Children of Deaf Adult の意味

早速エール同様映画・Comのコピペ。

家族の中でただひとり耳の聞こえる少女の勇気が、家族やさまざまな問題を力に変えていく姿を描いたヒューマンドラマ。2014年製作のフランス映画「エール!」のリメイク。海の町でやさしい両親と兄と暮らす高校生のルビー。彼女は家族の中で1人だけ耳が聞こえる。幼い頃から家族の耳となったルビーは家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいた顧問の先生は、都会の名門音楽大学の受験を強く勧めるが、 ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずにいた。家業の方が大事だと大反対する両親に、ルビーは自分の夢よりも家族の助けを続けることを決意するが……。テレビシリーズ「ロック&キー」などで注目の集まるエミリア・ジョーンズがルビー役を演じ、「愛は静けさの中に」のオスカー女優マーリー・マトリンら、実際に聴覚障害のある俳優たちがルビーの家族を演じた。監督は「タルーラ 彼女たちの事情」のシアン・ヘダー。タイトルの「CODA(コーダ)」は、「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」のこと。2022年・第94回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞(トロイ・コッツァー)、脚色賞の3部門にノミネートされ、同3部門を受賞。ルビーの父親フランク役を務めたトロイ・コッツァーは、男性のろう者の俳優で初のオスカー受賞者になった。

2021年製作/112分/PG12/アメリカ・フランス・カナダ合作
原題:CODA

リメイク版 映画の舞台をパリ近郊の農場から、ボストン近郊の漁村グロスターに変更。マンチェスターバイザシーはグロスターの手前にある。

両親と子供二人、リメイク版では姉弟から、兄妹になっている。

舞台と登場人物が違えば、自ずと映る世界は、そしてエピソードも違ってくる。

 

エールは80分だが本作は30分強長い。

その長さは、ろう者の心理や、ろう者の中で一人健聴者として生まれた者の心理を、苦悩を丹念に綴った所に概ね費やされている、と思う。

それがアカデミー賞の"多様性の包摂”を代表し作品賞と脚色賞受賞に結びついたのだろう。

母親が健聴者の娘と気持ちのズレを感じたあと、娘の部屋で語る。

「あなたが生まれたとき、身体のあちこちにパイプをつけて耳が聞こえるかどうかを調べたの。この手に抱いて。私はあなたが同じろう者であることを祈ったわ。そうすれば気持ちが通じるし育てるのに自信が持てる。

私の母親は健聴者で、私たちの母子関係はよそよそしかった」

と、「ろう者の母は子供が健聴者であることを喜ぶのでは」との健聴者の思い込みを知らされる。

ルビーは高校の音楽の選択科目でコーラスを選ぶ。教師ベルナルドが生徒の声域を知るためHappy Birthday to You を歌わせるが、ルビーの番になって彼女は声が出ない。

そして無言で教室を飛び出して行く。

後日教師しかいない教室に戻って来て、

「ろう者の中で育ったせいで入学の時アクセントがおかしい、とからかわれたりして人前で話すときとても緊張する。」と告げる。

教師は「(デビッド)ボウイはボブ・ディランの声を砂と糊と言ったんだよ。」

と言う。教師は個性の大切さ、上手(じょうず)以上のものの価値を知っているのだ。普通であること、並であることの退屈さも。

そして自分もその卒業生であるボストンのバークリー音楽大学への進学を勧め特別にレッスンをする。

 

CODAの心理についてはより詳しくWikiより引用する。

コーダの中でも、とくにろうの親を持つコーダにおいては、生まれた時から親を通してろう文化との関わりを持つ。また、音声言語よりも先に視覚言語である手話を身に付けることが多いとされる。このため、コーダが手話と音声言語のバイリンガルとなることもある。コーダのアイデンティティは複雑であり、社会学者による研究の対象となっている。ろう文化や手話に誇りを持ち、手話通訳者となるコーダも少なくないが、逆にろう者の親から生まれたことにコンプレックスを抱く者もかつては多かった。こうしたコーダの中には家庭外では一切手話を使わず、手話を捨てる者もいるとされる。(中略)

自身もコーダである中津真美東京大学バリアフリー支援室特任助教)が、13歳以上のコーダ約100人を対象として実施した調査では、幼い頃から親の通訳をしてきたことで、72%が「小さい頃から親を守る気持ちがあった」、61%が「周囲に親をばかにするようなことはさせないと思ってきた」と回答するなど、コーダとろう者の親との間に独特の親子関係があることがわかった。また関連する研究では、コーダが成長とともに親に対して複雑な感情を持ちやすいこともわかった。中津は自身の体験も含めて「コーダは親の病院の診察や重要な契約で、高度な通訳を担って疲弊することもある。周囲の大人は、子供の年齢にそぐわぬ過度の負担がないか気を配ってほしい」と訴えた。

 

次にCODAの方の心理についてリンクを貼るので是非読んでほしい。

 

 

 

もう一つ大事な要素は、ルビーの家族で唯一の健聴者である自分の役割つまり家業の中で自分しか出来ない役割と、自分の才能を生かしたい、という自己実現の葛藤が、一層劇的に迫ってくるところ。

資源保護のために漁獲制限を強制されるがそのため家業の経営は一層苦しくなっている。

加えて漁協は漁船側の負担で監視員を乗船させるという。

その監視員は父親と長男が二人とも耳が聞こえないために通信機の声がなっても聞こえて居ないことを知り、危険と判断して沿岸警備艇を呼ぶ。

そして罰金を課され、健聴者を同船させることを命じられる。

一家は切羽詰まって、結局長男が発案した「漁獲を消費者に直売する」ため組織を作ることにする。幾人かの賛同を得て組合がスタートし、地元のテレビが取材に来るその絶好の宣伝の機会にルビーはレッスンが重なり何度も家の都合で遅れることは出来ないと苦悶する。しかしこのルビーの葛藤に兄は、自己実現の道を進むように突き放す、突き放すことで妹の背中を押すのだ。

 

リメイクした映画も、「ストーリー」を言えば似たようなものになる。

しかし、生まれ落ちた世界が違えば、違う文化違う世界ちがう人生があるように、その世界をかたるエピソードがいわば映画のミソである。

 

物語上の仕掛けや結末、つまりネタバレをしてもこの映画の価値を損なうことにはならないだろう。

映画はあるシーンの中に言葉で語ること以上の目に映る世界(カヴェル)があり、その中の台詞と行為の時間の諸相が我々の知覚に働きかける。ストーリーよりも描写の中に価値がある小説があるように、ネタよりもミザンセヌ(カメラに映るすべてのもの)が重要な映画がある。

 

ちょっと言い過ぎだが、ネタバレして見る気が失せるような映画は概ねたいした映画では無いのだ。(と更に言い過ぎる^^♪ 勿論例外があるだろう。今は思いつかないが😔)

 

余談だがCODAには音楽の「終結部」の意味がある。

終結部とは見終った、あるいは聞き終わった後味のこととすれば、そこに聞く者見るものの参加がある。

 

この「エール」と「CODA」の手話の世界は新鮮だ。

その世界のアウトラインを知りたくて以下の本を速読した。

筆者の亀井氏は健聴者で奥さんがろう者。文化人類学者でろう者の世界に「参与観察」の方法でアプローチした。

一方言語学者で自分は健聴者、奥さんがろう者の米川明彦氏の本「手話ということばーもう一つの日本の言語PHP出版)が在り、言語学者の著作と言うことで興味深かったのだがあいにく絶版。

 

手話はジェスチャーから発達してきたわけではない。

メルロ・ポンティは身振りに言語の原初を見いだすのだが、しかしジェスチャーのままでは複雑な意思伝達は不可能だ。

広辞苑によれば手話とは「ろう者によって用いられる、手の形・動き・位置によって意味を伝える言語。非手指動作と呼ばれる顔の表情やあごの動きなどが文法的機能を持つ。」とある。筆者の亀井氏はこの上で手話を「視覚言語」と言う。

日本の手話語と他国の手話語は違っているので翻訳が必要なのは音声言語と変わりない。つまり日本手話語なのだ。

一方語順は音声日本語と違いがあるようだ。

例えば、「私が食べたいのは魚です」と言いたいときは、

「私」+「食べる」+「欲しい}+「何」+「魚」の順になる。

これが「欲しい」+「食べる」の順で続けば英語語順だが、欲しいもの「何」を入れるところが動作が増える。

傍から見ていて手話者同士の会話はそのせいか手の動きが素早い。

しかし音声言語でも我々は助詞など逐一精密に聞いているわけでは無い。いわば勘所を重点に聞いて理解する。

手話者も手の形・動き・位置・顔の表情など全体をゲシュタルトとして見て、その中の勘所を瞬時に判断し主旨を理解しているに違いない。

 

手話の語彙を見ると、いかにその語彙が音声言語同様、それが指し示すものの「シンボル」であることがわかる。

カッシーラの言う言葉はシンボルなのだ。(シンボル形式の哲学岩波文庫)

 

我々が母の胎内から世界に投げ出されたとき、その投げ出された世界で話されている言語を取得する。

○○語は世界中で相当数あるからそれを以て「脳の可塑性」を言うのだが、ここで語彙に注目すれば「手」を意味する語は○○語の数ほどある。しかし語順・統語に注目するとそれほど多くの種類があるわけではない。

そこに注目すれば普遍文法にたどり着くが手話の各国語も同様だろうと推測する。しかし母語が染みついた年から学ぶのは大変だが。

だから、事故や加齢などで難聴者になった場合に手話を取得するのは簡単な事では無いと想像する。

 

一方でろう者と健聴者のコミュニケーションは手話に頼らなくても、たとえばスマホでLineを使って会話することが出来るようになった。

最近では音声言語を画面上に文字で変換するソフト開発が進んでいるからろう者の方が映画を見ながらスマホで変換された文字を読むことは可能だろう。

また、ろう者が火災通報や救急車を呼ぶの場合「Net119]で通報できる。

予め登録が必要なようだが。

一方ろう者を支援するための施策を考える場合には、対象となる人口センサスが必要だが、たとえばろう者はいったいどれだけの人口があり、難聴者はそのレベルごとにどのくらいの人口があるのかは重要な問題の筈だが、どうもそれが明確な数字が無い。そこは改善点だろう。

 

余談だが、コーラスの教室が素晴らしい。

広い部屋にグランドピアノ。音楽の書棚や楽器庫。教師の尊厳は守られている。勿論教師は生徒の尊厳も守るだろう。

いかに日本の教育環境全体が貧しいかを思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年のアカデミー作品賞を受賞したCODAはフランス映画エール

(原題は La famille Belier ベリエの家族 と訳すといいのだろうか)

のリメイクだと知り俄然興味が湧いてレンタルで視聴。

 

制作は2014年、映画・Comより簡単な紹介を貼る。

聴覚障害を持つ家族の中でただひとり耳の聞こえる少女が、歌手になる夢を家族に理解してもらおうと奮闘する姿を描いたフランス製ヒューマンドラマ。フランスの田舎町に暮らすベリエ家は、高校生の長女ポーラ以外の全員が聴覚障害者だったが、「家族はひとつ」 を合い言葉に明るく幸せな毎日を送っていた。ある日、ポーラは音楽教師からパリの音楽学校への進学を勧められる。しかしポーラの歌声を聴くことのできない家族は、彼女の才能を信じることができない。家族から猛反対を受けたポーラは、進学を諦めようとするが……。人気オーディション番組で注目された新人女優ルアンヌ・エメラが主人公ポーラ役で歌声を披露。共演は「しあわせの雨傘」のカリン・ビアール、「タンゴ・リブレ 君を想う」のフランソワ・ダミアン、「ゲンスブールと女たち」のエリック・エルモスニーノ。「ビッグ・ピクチャー 顔のない逃亡者」のエリック・ラルティゴが監督・脚本を手がけた。フランス映画祭2015で観客賞を受賞。

ロケ地はイル・ド・フランス地域圏(圏都はパリだからパリは日帰り圏だろう)の北東部にあって豊かな農村部が広がる地域だ。ずいぶん昔、フランスの世界的ホテルチェーン、アコーの本部に話を聞きに行ったことがあるが、同じイル・ド・フランスでもパリの西側、地下鉄も走っており、新都心的な街であった。つまり同じ地域圏でも多様性が高いのである。

 

この映画の制作2014年だから社会党のオランド大統領の時期。

父親がベッドで読む本はオランド著の「フランスの夢」ほか。

これで恐らく監督が社会党支持者では、と思う。

そして真っ黒な仔牛が生まれ、父親は「オバマ」と名付ける。

 

主人公のポーラを演じるアンヌ・エメラはふくよかな体型の女の子。

 

歌唱は、いわば身体全体が楽器、つまりバイオリンのボディのようなものだから体型の良さは強みになるのだろう。

 

高校生のポーラは好きな男の子に憧れてコーラス部に入るが、音楽教師は屈折した心の持ち主だが、自分の過去の心の傷に立ち向かいながら、

時にポーラに辛辣に当りながら彼女の才能を生かすべく音楽学校入りを粘り強く勧める。

自分以外の両親と弟が聴覚障害者で、自分が唯一健常者との会話のリンチピン(要め)ゆえに自らも煩悶し、また家族も彼女の才能がどれほどのものかを理解出来ないがゆえに反対するが、彼女が聴衆を感動させる場に立ち会って考えを変える。そしてギリギリのタイミングでパリの階段状ホールでの音楽学校の歌唱テストに間に合い、そこで音楽教師の伴奏でミシェル・サルドウの「青春の翼」を家族とボーイフレンドが上の方で聞いている前で歌う。そして自然に手話が出てくるのだ。

 

作詞:ミッシェル・サルドゥー、ピエール・ビヨン 作曲:ミッシェル・サルドゥー
(翻訳:古田由紀子※日本語字幕より)

ねえ パパとママ 僕は行くよ 旅立つんだ  今夜
逃げるんじゃない 飛び立つんだ
酒もタバコも 捨てて 飛ぼう

無言のまま 不安げなママ 感じてたんだね
聞こえてたんだね きっと

僕は大丈夫 そう答えると ママは うなずき パパは無理に笑う
振り返らない 遠ざかる 駅から駅へ やがて 海へ

僕は行くよ 今旅立つ 飛び立つんだ 今夜
逃げるんじゃない 飛び立つんだ
酒もタバコも 捨てて 飛ぼう

見たかもしれない パパとママは 僕の涙を
でも戻らない 進もう

人生を信じて 自分を見つめる
どう生きよう 思いにふける 独り

息が詰まる この鳥カゴ
胸がつかえ 歌えない 思いきり

ねえ パパとママ 僕は行くよ 旅立つんだ 今夜
逃げるんじゃない 飛び立つんだ
酒もタバコも 捨てて 飛ぼう
飛ぼう 飛ぼう

 

英語字幕入りのポーラ(アンヌ・エメラ)青春の翼

 

 

蛇足だが映画の邦題は「青春の翼」でよかったのではないか、とも思う。

 

フランスは同性愛にしても抑圧が少なく、性教育もオープンに行われている。つい最近買春が罰金となったが、売春はお咎め無し。事実婚も多く結婚と同じ権利義務下にある。

その所為か婚姻率も離婚率も低い。

一方CODAはアメリカ・フランス・カナダ合作映画。

リベラル対保守・宗教右派の対立が激しく、性教育も同性愛も、避妊も堕胎も政争の具になるアメリカでこの映画はどのような変質ないし再編が行われるのだろうか?という興味がある。

あるいはそれらを回避するための合作、という方法なのか?

と言う興味が湧いてくるのである。

 

ちと脱線するが、いまフランスでは大統領予備選が終わり、マクロン現大統領と極右のマリーヌ・ル・ペンの一騎打ちとなった。

マリーヌはトランプやハンガリーのオルバンと同じくプーチンのお友達である。いまのところルペンはそのことを巧妙に表面化させないでいるが、結果はどう出るか。選挙権の無い私はマクロン支持だが、今のフランスの選挙民のセンチメントの中には「アンチエリート」が根深くある。

先に挙げたオランドも、継いだマクロンも、さらにはジスカールデスタンやシラクも、超エリート校「国立行政学院」の出身である。

そのルサンチマンが決選投票にどのような影を落とすのか、

そしてその結果はEUやNATO、現在のロシアのウクライナ侵攻の行く末に大きく影響があるのだ。

その意味で我々にもおおいに関係がある。