Gon のあれこれ -3ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

「これは18世紀初頭、南米のスペイン植民地でのイタリア様式による幻想的な芝居。国王が任命した総督が統治していたが、カトリック教会が権力を握っていた。今イタリアの役者一座が苦難を乗り越え夢を抱いて新世界へ流れ着いた」

 

と字幕が入って始まる。

 

まずはストーリーをMovie Walker から適宜抜粋して紹介。

総督フェルディナンの支配する南米のスペイン植民地、そこへ総督の取り寄せた黄金の馬車と一緒に船にのってやってきたのはドン・アントニオ率いるイタリアのコメディア・デラルテ(即興仮面劇団)一座に、そのヒロイン カミーラ(アンナ・マニャーニ)に恋して同行している騎士を加えた一行。一座は早速興行を始めるが、全く受けず、観客の注意は客席の中の人気闘牛士ラモンにばかり向けられる始末。怒ったカミーラがラモンを挑発し、やっと大喝采をとるが、あがりはほとんどなかった。しかしそこへ宮廷で舞台を演じないかという総督からの使い。カミーラをすっかり気に入った総督は彼女を大舞踏会に招待するが、カミーラの心を失って絶望したフェリペは軍隊に志願すると彼女に別れを告げる。今度は闘牛士ラモンが新たにカミーラに言い寄り始める。そんな中、カミーラに黄金の馬車をやる約束をしてしまった総督に、公爵らはそんなことをするなら国王に罷免を訴えると息まく。しかしカミーラは黄金の馬車に乗って帰るが、ラモンが彼女を熱心に口説いている時、軍隊からフェリペが帰って来る。更には詫びを入れるため総督まで現われ、3人がはち合わせ、ラモンとフェリペは決闘を始めてしまう。座長ドン・アントニオはカミーラに逃げようと言うが、彼女は「私は残る」と動じない。ラモンとフェリペは逮捕され、総督も罷免だろうと噂される中、大司教がカミーラと共に宮殿に黄金の馬車で乗りつけ、彼女が馬車を教会に寄付し、来たるミサで歌うので皆を招待したいと告げる。歌い踊るドン・アントニオ一座の中にカミーラが駆けつけ大団円となるが、そこに彼女を取り囲んでいた3人の男たちの姿はなく、舞台の上にしか自分の人生はないことを知ったカミーラは一抹の寂しさを覚えるのだった。

一座のヒロインカミーラに恋し言い寄る3人の男。

騎士フェリペ、闘牛士ラモン、そして総督。

フェリペは派遣された先で未開人に捕らえられて、その言葉を覚える

「言葉を覚えたら彼らの考え方がわかる。野蛮どころか優しくしてくれ真実の姿を知った。われわれよりずっと立派だ。われわれを粗野で不誠実にする文明と手を切って自然に戻りありのままの人生を送りたい」とカミーラに来てくれるよう懇願する。

闘牛士ラモンは芝居がかった男で、すぐ決闘を申し込むが、カミーラと組めば人気のショーが出来ると誘う。

総督は宮廷の生活に退屈し飽き飽きしているが、カミーラを別室に誘いカツラを脱ぐとカミーラは「それを脱ぎたかったのでここに来たのね」と2人で大笑いし打ち解け、「金鉱のためだけにここにいる。金鉱にふりまわされている。笑えることは少ない、金鉱が笑いを奪うんだ」と寂しく述懐する。

 

総督が持ち込んだ黄金の馬車は宮廷貴族の垂涎の的だが、総督はそれをカミーラに贈呈する。

貴族達は黄金の馬車を奪われたことに怒り、貴族の特権で総督の解任を決議し枢機卿の承認を得るつもりだ、と決定を覆せと迫る。

 

騎士フェリペと闘牛士ラモンは禁じられている決闘を始めたゆえに処刑されることになる。総督にもまたその座を奪われる事になる。

カミーラが狂わした3人の男達の運命。

 

カミーラの機転で枢機卿がカミーラと共に黄金の馬車で乗り付け、

フェリペとラモンは和解し処刑は取り消し。

総督は地位に止まる。

貴族達は枢機卿の敵では無いのだ。

 

一方カミーラ自身は、自分を愛する男達を救ったものの、

自身の人生をかくも切り開けないことに落胆する。

 

冒頭の「これは芝居だ」と宣言して始まるこの映画、

観客無くしては映画は成立しないが、その観客が映画の筋立てや登場人物を理解し、その運命に共感や同情や、あるいは反発を感じるかどうかが映画の成功不成功の分かれ目である。

そしてその最も大きな要素は、この映画の場合カミーラを演ずるアンナ・マニャーニが担っている。

 

「付け加えなければならないのはわたしは自らにはっきりと使命を課したと言うことです。それはアンナ・マニャーニと映画を作ることです。

マニャーニはイタリアの精髄です。

私は、我々が出会う以前にマニャーニがロッセリーニやヴィスコンティとの共同作業で彼女に成功をもたらした諸要素に頼らずに彼女の魅力を引き出したいと考えました。(ジャンルノワールエッセイ集成・青土社1999刊)

 

黄金の馬車は1952年の作。

それ以前となれば1945年ロッセリーニの「ローマー無防備都市」

前年のヴィスコンティの「ベリッシマ」と言うことだろう。

「彼女に成功をもたらした諸要素」の意味するところは言及されて居らず全く明らかではないが、「諸要素に頼らず」と言ってみても観客は黄金の馬車のマニャーニを無防備都市のピーナのマニャーニ、ベリッシマのマッダレーナのマニャーニを記憶の中に留めそれと重ね合わせるだろう。

 

勿論それらの映画での役割は違うから、「黄金の馬車」での一座の花形女優でのマニャーニには新しいマニャーニも付け加わることだろう。

私はベリッシマを見ていない。無防備都市のマニャーニには、イタリア女の一途さ、それから来る芯の強さなどを感じたのだが、カミーラにもその要素を見て取り、さらに男に愛されながらもその愛を成就しないことによって男を救う女の寂しさ、がそれに付け加わった、と思う。

フェリーニの「ローマ」も含めてだが、マニャーニは撮る角度で相貌が変化する女優だと思う。もちろん非常に美しい角度とふてぶてしさが出るカメラの角度がある。それらもまた女優の持って生まれた財産なのだろう。

 

監督のジャン・ルノワール(1894-1979)は画家ルノワール(1841-1919)がある程度認められ、生活も安定してからの子供である。

父ルノワールは性格も穏やかで伸び伸びした人。ジャンも穏やかで屈託のない性格だと思う。ニースの大学で数学と哲学を学び、第一次世界大戦で偵察飛行隊の任務中片足を銃撃され終生その傷の痛みに悩まされた。

「大いなる幻影」「どん底」「ゲームの規則」など名作は多い。

 

ゴタールやトリュフォーらのヌーベル・ヴァーグ、ロッセリーニやヴィスコンティらのネオリアリスモなど多くの著名な映画監督に影響を与えた。

かつてこのブログで取り上げた写真家ブレッソンもルノワールのもとで助監督を務めていたことがあるが、知る限りジャンの悪口を言う者はいない。

ジャンは、映画が観客あってのものだ、ということ、

映画は観客にとって難解なものでは無く理解しやすいもので無ければならないことをよく知っていた監督であったと思う。

この映画でもカミーラを取り巻く男達はそれぞれに造形が明らかで、しかしそれは定型化された退屈なものではなくそれぞれが弱点を持った男達だ。

それに取り巻かれるカミーラは成功を求めながらも、結局は成功よりも男を救済する方に生きる。男達よりは複雑な性格を持っている。

 

余談だがジャンはドイツがフランスを占領で1940年渡米。

ハリウッドで何本かの映画を撮ったが晩年は不遇であったらしい。

ジャン・ルノワールを敬愛する、情に飢え情に厚いトリュフォーが援助していたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レイ・ブラッドベリの原作が下敷きとあるが、本来SFは読まないので原作には当っていない。また小説と映画では表現形式が違うのでその必要も無いだろう。

この映画は1932年生まれで1984年52才の若さで亡くなったトリュフォー34才の作品。

彼の生い立ちなどについてはいずれ「大人は判ってくれない」(1959)や「ピアニストを撃て」(1960)で触れることにしたい。

 

華氏451度は摂氏233度くらいで本が燃焼する温度。

題名自体にサイエンスフィクションの要素は何もない。

 

架空の国、そこでは本を読むことも所持することも禁止され、人々は専らテレビと暮らしている。テレビの司会者は視聴者をいとこ、と呼び双方向で番組を進行させる。

焼却隊は本を所持している者の家に行き、本を隠していそうな所を探索して一カ所に集め火炎放射器で焼く。

本を見つけ出して焼却する隊の事務所の名前は451.

その消防隊の先任隊員モンターグは通勤のモノレールの中で会ったクラリスに話しかけられる。彼女は本好きの女性であった。

一方家庭に帰ると子供のいない妻リンダ(クラリスと二役)は暇を持て余し近所の女性達とテレビを一緒に見ているが、女性同士の会話もありきたりで無味乾燥だ。

妻との退屈な生活に飽き飽きしていたモンターグは次第にクラリスに惹かれてい行く。

そして多分押収した書物から蒐集したのだろう本を夜中にひとり読み始める。一方焼却隊の隊長はモンターグに昇進を約束し、いわば「焼却」の哲学を伝授する。

 

「実在しない人間の物語は読んだ者を不幸にする。別世界の人生を空しく想像させる。哲学者も有害だ、小説家より始末に悪い。

その主張は”自分は正しく他の者はバカだ”と。

人間の運命は決められているとかつて説いて、時代が変わると選択の自由があるという。

哲学は流行に過ぎん。

アリストテレスの倫理学を読むと自分は誰よりも偉くなったと信じ込む。

これはマズい。幸福の道は万人が同じであることだ。

だから本は焼かねばならん」

 

つまりかくのたまう隊長は読書家である。

あれこれ本を読んだあげくにかくのごとく結論づける。

自分は読書を楽しみ他人からはその楽しみを奪う。

焚書の本質が露呈されている。

 

物語は夜中に本を読み始めたモンターグと妻のリンダとの間に隙間風が吹き、ついで喧嘩になる

離婚を決意したリンダは451署の前にある「密告ポスト」にモンターグが本を所有している旨を投函する。

 

隊長は何食わぬ顔で隊の車にモンターグを乗せ、彼の自宅に連れて行く。

そして彼の本をあちこちから探し出し、火炎放射器を渡して自分で焼けと命ずる。

モンターグはかつてクラリスの友人である私設図書館のような蔵書をもつ老婆の家で、彼女が本と共に焼かれる事を望み自死した光景などが重なり、突然火炎放射器を隊長に向け焼き殺してしまう。

 

ポリスに追われたモンターグはかつてクラリスに聞いた、鉄道線路の果てにある「本の人々」が住む村に向かう。

村の指導者は彼に会うなり握手をして歓迎する。

テレビで彼の追跡の様子が実況中継されているのだ。

 

村では、全ての本が焼かれても、その内容を後世に伝えるために人々は本の内容を一字一句記憶し、その本の題名がそれぞれの人の名前となっている。そう村の指導者はモンターグに伝え、かつテレビをつけて、追跡の様子を映し、「見ててごらん、当局は人々を安心させるためにモンターグに似たものを捕らえ殺すから」と言う。彼は公式には死んだことになる。

 

そこで彼はクラリスに再会し、たまたまモンターグが自分の蔵書から持ち出した本が、ポーの「怪奇と幻想の物語」で、彼はそれを暗唱することになる。

 

映画では本を全て焚書するが、部分的に発禁本にすることは現代でも行われている。

たとえば中国ではミルやロックの本は「西洋型民主主義」の悪書としてつい最近習近平は発禁にした。

日本では戦時中、風俗を軟弱にする、と言う理由で退廃的と当局が見做した本なども発禁処分になった。

戦後民主主義だって「猥褻」を理由に発禁した。例えば永井荷風の作といわれる「四畳半襖の下張」。1972年(昭和47年)ある雑誌に掲載され摘発を受け、その後裁判となった。当該雑誌の編集長野坂昭如や丸谷才一、開高健、井上ひさし、有吉佐和子らが「表現の自由」の立場から弁護側に立った。

 

結局最高裁は「その時代の社会通念に照らし、それが性的興奮をかきたて、さらには読んだ者の性的羞恥心を呼び起こす」ものを猥褻、と決めつけた。

つまり時代が変わればその摘発も変わる、というものだ。

しかし、猥褻云々よりもこの方が問題だ。

つまり「その時代の社会通念は誰が決めるのか」。

 

それは摘発をする側の警察が事実上決めることになる。

「表現の自由」の内容は警察の裁量次第と言うことになり

自由と民主主義の根幹を警察権力が把握することになる。

考えてもみてごらん。

性的興奮を覚えるかどうかなんて、男女の差、既婚と未婚の差、社会経験の差、知識の差、性的嗜好の違いなど様々な要因で違ってくる。

それ以上に問題なのは、それを決定するのが警察だということ。

つまりこの戦後の事件の中に、映画華氏451で描かれた問題点が凝縮されている。

 

もう一つ、思想の自由や表現の自由を気にくわない者は、

性や家族を統制しようとする。

自民党の統一教会汚染を考えてごらん。

夫婦別姓やLGBTの否定、女性を子供を産み夫にかしずく存在に押し込めようとする。映画の中でテレビで司会者は視聴者を「いとこ」と呼んで、家族的価値を押しつけ異論を封じようとする。

統制とは異論を封じること。個々の人間の生き方や考え方を画一化しようとすること。

統一教会がその名前では浸透が難しくなって「世界平和統一家庭連合」と名称変更を目論み、下村博文文科相の時それを認可した。

 

しかもなんたる皮肉か、あるいは自民党の退廃か。

統一教会の聖典には以下の事が書かれている、という。

アベ元首相暗殺事件以前に跋扈していたネトウヨが最近は温和しい、という。嫌韓に盛り上がっていた諸君のボスのボスが、事もあろうに日本は戦前の朝鮮併合の罪滅ぼしに、とことん統一教会に貢げ、と言っている。

もう一つ、文鮮明が日本や米国に浸透するために掲げた「勝共連合」は

反共を旗印に掲げている。

これが旗印に過ぎないことは、冷戦終結〈1989年)後、1991年文鮮明教祖は、北朝鮮の金日成と電撃会談を行い、勝共、とは「共産主義を生かすこと」だ、

と路線変更した。

その後は日本で集めたカネを北朝鮮に貢ぐ。

(新版社会科学事典 新日本出版社1978)以下より引用。

 

 

国際勝共連合  

日本は生活水準を3分の1に減らし、税金を4倍、5倍にしてでも、軍事力を増強してゆかねばならない、日本の国民に犠牲になることを要求している。 つまり日本の窮乏化だ。

窮乏化と言えば清和会の小泉・アベと竹中による自称小泉竹中改革、アベ竹中改革。中心は社員を非正規雇用化して窮乏化すること。

一方こうした日本からカネを搾り取る路線は変えずに、さきに紹介した北朝鮮との関係は日本の自民党の議員支持者諸君には何も知らせない。

つまりバカ扱い子供扱いをされているわけだ。

 

反共と言えば連合の芳野会長が参議院選挙前に、共産党との選挙協力を認めない趣旨の発言をした。

彼女の反共のルーツをたどれば統一教会に繋がる。

都知事選にも出た松下正寿は1973年文鮮明と面談して心酔し、

「文鮮明ー人と思想」を著し、世界日報編集委員や日韓トンネル研究会の名誉会長などを務めた。その彼は同時に旧民社党、旧同盟の思想的バックボーンとして、富士政治大学の理事長を務めている。

芳野氏はその政治大学校に入学経験があり、その体験を貴重としているらしい。そしてその反共教育は「洗脳教育」に似たものを感じる。

 


かくも、統一教会は日本の政治、労働運動に浸透していることをわれわれはキモに銘じなければならない。

憲法改悪もその流れの中にあるのだ。

自民党はもとより維新も国民民主〈旧民社系)も改憲派だ。

改憲の内容よりその担い手の思想が問題なのである。

 

最後に蛇足だが、中国、ロシア、北朝鮮、あるいはミャンマーを始めとする軍事政権などなど全体主義国家に対しては私は断固反対する。

そこは日本共産党と同じだが、共産主義思想は同時に否定する。

共産主義思想を掲げて全体主義国家では無い国家を知らない。

共産主義思想は必然的に官僚国家であり、市民の自由を抑圧する。

 

言うなら私はリベラリストであり、自由と平等を民主主義の最善の価値とするデモクラットだ。

一方自公政権打倒のために立憲民主党を中心とする日本共産党を含む野党共闘は支持する。

そうした思想に立脚して政治や社会にについて述べている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アントニオーニ監督の、「欲望」に続いて制作された映画。今回の舞台はロサンゼルスとその北東にある砂漠の中の川底。原題は「Zabriskie Point」

その川底を含む一帯の展望スポットの名前である。

あらすじをWikiより一部拝借して加除訂正。

舞台は学生運動の盛んなロサンゼルスヒッピー風の若者たちはキャンパスを占拠し、銃撃戦になる。そのうちの一人青年マークは警官を背後から撃ち、逃亡。キャンパスを抜け出して、セスナ機を盗み、砂丘の上空を飛ぶ。そこで、ドライブ中の若い女性ダリアに出会う。砂丘で話を続けているうち、二人は愛し合う。同時に、砂丘では何組ものカップルが砂にまみれながら乱交する。

 

二人はセスナを原色で塗りつぶした後別れ、青年はそれに乗って空港に戻る。空港で青年は警官に発砲され、死ぬ。ダリアは秘書として土地開発業者の社長や投資家達がいる砂漠の邸宅に行くが、そこに向かう途中ラジオで青年が空港で警官に射殺されたことを知る。愛人でもある社長に会った際、急に何かに取り憑かれたように、理由を言わずに邸宅を離れる。彼女が車を走らせてまもなく、後方で激しい爆発音がして邸宅は家財道具もろとも爆破されていく。

その映像が様々な角度から何度も映し出される。女性はそれを見守ると、夕日の中、車を走らせる。エンデングでクレジットの画面とともに、Roy Orbisonの  So Youngが流れて映画は幕を閉じる。

砂丘で愛し合う前、ダリアは車に戻って幻覚剤を持ってくる。

ダリア)吸う?

マーク)自分たちのグループの喫煙ルールで”トリップは現実的に”

ダ)現実的トリップって夢想はダメってこと?

  そのグループを抜けたの?

マ)仲間じゃないが、でも立場を明確にしろ、という。

ダ)立場は無数にあるのに?

マ)そうだ。悪とみなせば排除できる。

ダ)排除しないと進めないと?

マ)いや僕らには別の道が、、

ダ)僕らって?

マ)君と僕、、、

ダ)ほっとしたい、、平和で、、、

マ)死だ

ダ)死んでもいいわ。死のゲームをしましょ。

というのが前奏。

だから乱行の場面はこれが「幻覚」でもある、という明確なキューがある。

 

そしてこの短い会話の中に、学生運動の敵と味方を峻別し異分子を排除して行こうとする衝動、そうした過激に走る契機が含意されている。

時はベトナム反戦で学園が揺れていた時代。

すぐ後にはカルチェラタンで学生とともにサルトルやバタイユ、マルグリット・デュラスたち知識人も参加した1968年5月革命があった。

さらには同じ年にウッドストックも。

 

しかし冒頭の学生たちの討論会ではベトナムが主題ではない、むしろ白人優位に対する黒人学生の「あなた方はわかっていない」的な言辞が飛び交う。がともかく警官隊の学園突入を前にある者は武器を取り対抗しようとするのだ。暴力がすぐ銃に向かうアメリカの特殊性がある。

 

特殊性、といえば砂漠に人工的なリゾートを作ろうとするアメリカ人。

例えばアリゾナのフェニックスのリゾートホテル群は、大量の水を消費して芝生を作り、プールを作り、果ては運河まで作ってしまう。

昔フェニックスのマリオットホテルでスパを含む滞在経験があるが、その脅迫的なまでに「人工的」なものを、しかも大規模なものを作ろうとするアメリカ人には感嘆と同時に辟易させられる。

その強迫観念は先ずハリウッド映画に、次にテーマパークに、そしてリゾートホテルに及んでいる。

 

この水の浪費は近年頻発し大規模化する山火事に復讐されている。

かつて原住民のインデアンたちはカリフォルニアには山火事が発生するのでそこに定住しようとしなかった。

芝生に対する偏愛もある。住宅の前の、あるいはバックヤードの芝生は中流の生活スタイルの願望を占めているのだ。それも水の大量浪費。

 

アントニオーニの映画には「不条理」との評がつきまとうが、不条理は英語で言えば absurd つまり馬鹿げたことである。

マークとダリアの出会いは、セスナを奪って逃亡するマークと砂漠を1人ドライブする若き女性ダリア。このような出会いはどのくらいリアリティがあるだろう? ほとんど馬鹿げた不条理といえる出会いだ。

マークの死はどうだろう。

警官隊の突入に対抗するためにあるいは身を守るために武器を購入し、

向けられている訳でもない銃を構えた警官を背後から撃つ。

マークはいわば証拠隠滅のために砂漠に銃を埋める。

逃亡者は銃を持っている、という前提で空港の警官はマークに銃を向け射殺する。このマークの死に不条理はない。

 

そもそも人間の死は不条理ではない。

死すべき存在が人間であり、その死は生に、あたかも目に見えぬ神のように臨在している。

それが人間の実存、この世に投げ出された人間の不可避の実存だ。

その実存を世間だとか、あるいはみんながこう言っているから、とかテレビを日暮し観て過ごすのは頽落だ。

自分の内側の声は、生の声は抹殺されている。

 

この映画はアントニオーニの初の米国作品。

上映時間約二時間の長さは観客の生理から限界に近い。

その長さはマークがセスナを運転している場面。

ダリアが砂漠の中の道路を運転している場面。

砂丘の展望台から見下ろす川底でのマークとダリアの2人のセックスシーンから多数のセックスシーンの場面を長々ととり続ける事による。

ストーリーは割合シンプルなのにこの長さになったのは、

アントニオーニが、アメリカというものに出会って、

その強烈な印象を映像化したゆえのものだろう。

 

最後にエンデングで流れた曲をYouTubeから借用する。

曲はクレジットから始まりそれが終わっても暗い画面に流れる。

普通は音楽は画面に映された世界とともにある。

そうでは無いところに注目した。

 

イタリアの監督にとってアメリカは確かにSo Young.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミケランジェロ・アントニオーニ監督が1966年、舞台をロンドンに設定して制作した映画。原題のBlow up は写真の引き伸ばしのこと。

エンデングで主人公のフォトグラファーがパントマイムのテニスにボール拾いとして参加したことの意味を巡ってあれこれと議論を呼んだらしい。

物語はロンドンのさるところにスタジオを持つフォトグラファーのトーマスが主人公。

ファッション雑誌ばかりでなく、上揭の男性誌向けのエロティックでSeductiveな女性の写真、あるいは面を汚しボロを着て工場に潜り込みリアリズム的写真を盗撮する。一方背景に使う材料を求めて骨董屋に行きそこの女主人が店を手放そうとすることを知り、その土地が値上がりする目論見で他人を使って安く買収しようとする。

プロに徹しモデルに安易に手を出したりしない一方、抜け目なく将来の利益を計る、そんなドライな青年である。

 

ある日骨董屋の帰りにその近くの公園で写真を撮ろうと入り込むが、そこで年齢が不釣り合いな男女の抱擁に遭遇して木の陰に隠れて近寄り盗撮しようとする。それに気づいた若い女がフィルムをよこせと迫り、拒否するとその女がスタジオまで追ってくる。

スタジオで女は自分のヌードを交換条件にフィルムを手に入れようとする。

そこに何かの匂いを嗅いだトーマスは偽のフィルムを渡して女を帰す。

 

トーマスはモデルになりたがっている2人の少々頭の弱そうな女の子と戯れながら、ネガを現像し拡大(blow up)して、

現場には第三の男がいたことを突き止め現場に行ってみる。

そこには男の死体があった。

スタジオに帰ってみると暗室などが荒らされており、フィルムも拡大した写真もない。再度現場に行ってみると最早死体もなかった。

その帰りイカレタ男女のグループがテニスコートでパントマイムのテニスのゲームをしている所に出る。

ボールがコートをはみ出しトーマスの所に転がる振りをして彼らはトーマスにボールをコートに戻すよう迫る。

トーマスはその圧力を感じたのか彼らのゲームに参加してパントマイムでボールを返す。

 

ともに1906年生まれのロッセリーニやヴィスコンティに遅れて1912年に生まれたアントニオーニは、実存的危機を描いた、疎外三部作ともいわれる「情事」(1960)、「夜」(1961)、「太陽はひとりぼっち」(1962)の監督として1世を風靡した。当時の知識人たちは映画を見終った感想をパリのカフェで述べ合ったりするのが知的スタイルであったらしい。

 

街頭で写真を撮ることも映画を撮ることも他人の人生を窃視する欲望を充足する面はあるだろう。

実際、映画監督はカメラを手に持って映画の材料を探し回るらしい。

そしてあるフレームの中に切り取って我々に見せるのだ。

そうした観点からアントニオーニ自身がトーマスに投影されている部分は多少あるだろう。そしてその場所の選択が自国のヴァチカンのあるローマではなくロンドンであることは、そこで自分の個性がより自由に発揮できる、伸び伸びと仕事が出来ると感じたせいではないかと思う。

それらがハービー・ハンコックのサントラやロックのライブでエレキをたたき壊すシーン、あるいは少女たちと卑猥に戯れるシーンに現れている、と思うのだ。

だから一見してこれらのシーンの意味を深読みしようとする者たちにはいろいろと議論はあろうが、都市とそれが産み出す人間の風景を醸すには一つの戦略として理解出来る。

 

またラストでトーマスがパントマイムのゲームに参加したことについて、そのパントマイムには真実(ボール)がないから、彼が公園で見た殺人事件は幻覚ではないか、との議論もあるらしいが、それは彼がスタジオに帰って荒らされた現場を再認すれば直ぐ分ることで読み過ぎの議論だろう。

 

パリはもとより、東京でも実存主義が疎外がはやり言葉になり、黒い長袖のシャツに黒いパンツをはいて銀座の裏通りでシャンソンを聴くことがかっこよかった時代である。そうした時代の影響もあるだろう。

 

むしろ私はトーマスが自分の見たものの証拠を失ったことでその追求を諦めた結末であるととる。彼ひとりで出来ることには限界があるのだ。

 

それは敗北、というより無駄な闘いはしない、自分のしたいことにエネルギーを注ぎ一定の経済的成功も収めたい、、というような人間像だ。

もう既に利己的人間が兆している。

一面ではそれは実存主義の人間像でもある。

よって疎外三部作からのつながりも垣間見える。

 

アントニオーニ監督は1985年脳卒中に見舞われたが、長年温めていた映画を制作側の要望を受け入れてヴィム・ヴェンダースとともに撮ることを承諾し「愛のめぐりあい」(1995)を完成する。

2007年94才でなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先の「密偵」のキム ジョン撮影監督のつながりで鑑賞。

 

その「解説」を映画ドットコムから借りる。

朝鮮王室の衣装を専門とする部署「尚衣院(サンイウォン)」で新旧デザイナーが美をかけて繰り広げる対決を描いた歴史ドラマ。尚衣院を取り仕切るドルソクは、これまでの功績が認められて半年後に両班の地位を授けられることが約束されていた。そんなある日、王の衣服を誤って燃やしてしまった王妃は、街で天才仕立師として評判を呼んでいたゴンジンに王宮入りを命じる。

ゴンジンは王妃の美貌に心を奪われながらも、持ち前の才能で革命的なデザインの衣服を次々と生み出し、瞬く間に頭角を現わしていく。規則と伝統を重んじるドルソクはそんなゴンジンの存在に危機感を抱き、ゴンジンを陥れようと画策するが、、、、

監督はイ・ウォンソク。

李氏朝鮮は最後の統一王朝で1392年から1897年まで約500年にわたり朝鮮を支配した。

ここでその後の日本による朝鮮併合までをWikiから付記しておこう。

1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約によって李氏朝鮮は清王朝を中心とした冊封体制から離脱し、形式的な独立や独立国家の実質的な地位を得た。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後中国大陸の影響下から離れたが、ロシアの影響下に入ることで露と対立していた英米の日本支持が強まる

日露戦争が始まった1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年の日露戦争終結後の第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合された。

李氏朝鮮は儒教、わけても朱子学を国学とした王朝で、正統性や位階秩序に厳しく文官(東班)と武官(西班)の高級官僚を両班(ヤンバン)と呼び彼らは特権を享受しつつ、一般の庶民や賎民を差別した。

 

この映画との関連で言えば、衣服の生地(絹、金糸銀糸、麻など)や色(恐らくは赤紫が最高位)、あるいは模様(龍は王にのみ)などの厳然とした区別があったであろう。尚衣院の責任者御針匠(オチムジャン)ドルソクは代々の王に仕えて平民から貴族階級(両班)に列せられる。

しかし歴史的考証も必要な職務であってみれば文盲との設定はやや疑問が残る。一方では市井のゴン・ジンが「孫子」の書を読むことを、どうして?と王妃に問うのだ。

 

また長子相続の儒教は愚帝を生む危険と王位を巡っての争いを減らす利点があるが幕藩体制の徳川時代と同様争いは時に苛烈になる。

映画は先の帝の3年の喪が明けて継いだ弟王が新しい衣服を新調する所から始まるが、皇位継承一番目と二番目ではその扱いに天地の差があってこれも後々の争いの種になる。

 

一方、冊封は中国皇帝と臣下の関係を結び爵位などをもらう。

日清戦争で日本が勝利したことで形式上中国から独立を果たす。

そうした経緯から日本では中国に代わって宗主国的な意識があった事も併合の背景にあったであろう。

 

この映画の見せ所は華麗な衣装。

その美しさが女性の観客へのアピールであり、

孤閨のどこか寂しげな王妃の美しさが男の心を揺さぶる。

 

物語は冒頭、この映画のプレゼンの場面で天才御針匠ドルソクの物語だ、と衣装を披瀝して始まるが、実はそれはゴンジンの手になる衣装であったという落ちがついている。

 

それを除けば映画は大変シリアスに王のコンプレックスや王妃に対する複雑な思い、あるいはドルソクのゴンジンの才能に対する妬みなどを構成要件として展開する。

一方そうしたある意味たわいのない物語をもっとダイナミックにファンタジーやエロスや妖しさを増して作った方が面白い、というかそっちのバージョンを見てみたい、と言う満たされぬ願望が残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

義烈団とは、日本の韓国併合下、日本からの独立を目指すために結成されたテロ組織。黄尚奎らの指導の元、金元鳳、郭在驥らを中心に結成された。本拠地の上海フランス租界や北京で手榴弾を密造し、官庁や要人を対象とする多くの爆弾テロを起こした。

 

ストーリーは、

日本が統治する1920年代の朝鮮半島。武装独立運動団体「義烈団」監視の特命を受けた元朝鮮人の日本警察イ・ジョンチュルは、義烈団のリーダーであるキム・ウジンに接近する。誰が密偵かもわからないほど、さまざまな情報が錯綜する中、義烈団は日本統治下の主要施設を破壊する目的で京城に爆弾を持ち込む計画を秘密裏に進めていた。義烈団と日本警察のかく乱作戦が展開し、義烈団を追う日本警察は上海へと向かう。そして、計画通りに爆弾を積んだ列車が京城を目指して走り出していた。日本警察イ・ジョンチュル役をソン・ガンホが、義烈団のリーダー役をコン・ユが演じるほか、日本から鶴見辰吾が参加し、イ・ビョンホンも出演している。

(映画ドットコムより)

 

映画は、誰が誰の「密偵」なのか、というスリリングな問いをめぐってテンポ良く展開する。

そして美しいシーンもこの映画の魅力、撮るものの美意識が伝わってくる。

 

「お前はどちらの歴史に名を刻む?」

との問いかけは独立運動のリクルートの殺し文句だが、

韓国は1949年建国功労勲章令を制定し、1963年には義烈団関係者が対象になり、多くの関係者が受勲している。

 

本作はレンタルで鑑賞。

韓国は日本統治下を含めて現代史に多くの国民の血を沸かす事件が豊富にあり、テーマに事欠かない。

日本はその点、戦争中の映画は「一億総懺悔」の思い出したくない過去であり、一足飛びに明治維新が題材になってしまうところがある。

ちと乱暴なまとめだが。

 

撮影監督はキム・ジョン。他に「尚衣院」や「天命の城」などの撮影を担当しているので、機会があれば鑑賞してみたい。

念のため京城府とは現在のソウルである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Art Film Theaterとして愛好家のよりどころであった岩波ホールも

この7月29日で閉館する。

その最後の映画が、旅するノマド チャトウインのドキュメンタリー。

 

実を言うと彼の代表作「パタゴニア」も「ソングライン」も読んだことはなかったのだが、せっかくの機会なので、彼の遺作「どうして僕はこんなところに」を手に取る。

 

冒頭の物語は彼がエイズで死んだ前年の1988年で始まり、彼の最初の仕事であるサザビーにまつわる物語などを1988年に書き締めくくっている。

その間に彼が出会った様々な人々や遊牧民についてのエッセイなどのアンソロジー。

おそらくは自分の死を痛切に意識しながらまとめたにちがいない。

ページを閉じるのがとても惜しくなる本。

 

映画、先ずは予告編から紹介する。

 

1940年イングランド中部の工業都市シェフィールドに生まれたが、父は軍に召集され、ドイツ軍の空襲などの危険を避けるため母親はブルースを連れてあちこちと転居する。18才でカレッジを卒業しオークション会社サザビーに就職。アンティークと印象派のセクションで昇進し、さいごはその部門の責任者となるが8年後に薄給に嫌気して退職、スコットランドのエジンバラ大学で考古学を学ぶが授業がつまらなくて途中退学、週刊誌のライターを経て紀行文学の道に専念する。

 

ブルースはサザビーの二歳年上の同僚エリザベスに求婚し結婚する。エリザベスはブルースがバイセクシャルであることを承知したうえで結婚し、ハンサムで男性にも女性にもよくもてモノマネがうまくて話のテンポが良くパーティでは彼の回りにすぐ人垣が出来たと回想する。

 

だが如才なく誰とも打ち解ける外見に包み隠された孤愁を感じた人も少なくない(伝記ニコラス・シェイクスピア著p11)。むしろその如才なさは自分の孤独や不安を隠蔽するためであったかもしれない。

 

ブルースの「パタゴニア」や「ソングライン」は紀行文学の範疇に入れられがちだが、「ソングライン」がトーマスクック社の紀行文学賞に推されたとき、それを辞退した。遺作でも冒頭、「本書に収められた断章、物語、人物描写、紀行談は全てが〈私の着想〉によるものである。中身がいかに事実に即していよう架空の設定で書かれたものだ」と断っている。

事実をよりリアルに表現するために虚構をくわえるのだ。

実は遺作を読み始めて、わずか数秒の出来事をその場の情景を彷彿とさせるように書いていることに驚嘆して、その冒頭に戻って納得した。

 

遺作の中に「遊牧民の侵入」という1節がある。

その中でブルースは遊牧民と定住者の不和について、遊牧の羊飼いのアベルと耕作の定住者のカインを引き出し、流浪の民ユダヤ人はアベルに味方し、エホバもまたカインの「地の実り」よりもアベルの「羊の群れの初子」を喜んだ。エホバは兄殺しのカインにその罰として土地を不毛にしカインをさすらい人にした、とノマドの原初に言及している。

また、移動する牧畜民ノマドと動物を殺す狩猟民との根本的な技術の差を論じているエッセイはよく引用されている。

ノマド、といえばユダヤの民もそうであり、またインドに発するロマ人(ジプシー)もノマドだ。

 

ブルースにもそのジプシーの血が流れている。彼自身、祖母が金のイヤリングを付け、真鍮の装身具を集め、煽られれば自慢の脚線美を披露した姿にそれを見る。(伝記「ブルース・チャトウイン」KADOKAWA37p)

 

そして1983年、現代のノマド、オーストラリアのアボリジニに向かう。

ヴェルナー・ヘルツオーク(1942~)とメルボルンで2人は意気投合してブルースの著作の映画化に発展し、ブルースの没後この映画を作る。

「ソングライン」とは文字のないアボリジニが、中央オーストラリアのルートの情景などを口承で語り歌い継がれてきた伝承。似たような景色でも道に迷わないように歌の中にその秘訣がかくされているらしい。

「山や川や樹木や草木が風景を作るのではない。風景がそれらを作るのだ」とアボリジニがいう。

風景とは大地、空、風と雨がそれをなし、その中に我々が住まう。

大地が固有の風土を持っているがゆえに山や川が出来、植生が始まる。

「風景」は一個の場所です。そのようなものとして、風景は天地と大地,神的な者たちと死すべき者たちが放ち入れられる空間を許容するのです。

これは実はハイデッガーの「技術とはなんだろうか」(森一郎講談社学術文庫の1節(p80)を改ざんしたものである。

ハイデッガーは建てることの文脈で「橋」について言及、その語を「風景」に私が勝手に換えた。独断だが、これを読んでむしろ「風景」とした方が趣旨にかなうのではないかと思う。

 

風景は具体的にその構成要素を逐一挙げていっても尚語り得ない部分が残る。その語り得ぬものを「精霊」 と名付けてもいいだろう。

死すべき者たちが風景を往来するとき、神的なものないし精霊たちを呼び出し精霊に賛辞を呈し、その中に存在し、横切り、あるいは狩猟をし性的営みをすることを許してもらうのだ。

 

これは我々にもなじみ深いことだ。

我々は神の降臨する場所(社)で鈴を鳴らして神々を呼び、拍手で空間を切り裂いてその神の居場所を作り、拝礼して敬意を示し願い事を述べる。

 

ハイデッガーを引き出したのはあながち的外れ、とも言えない。

というのは、伝記の中でブルースは「中央オーストラリアの歌」を読み、「ソングライン」に大きな示唆を与えてくれたこの書の著者の妻に「この本を読むと、時にハイデッガーやウイトゲンシュタインを読んでいるような気がします」と書き送っている。(伝記p647)

つまりアボリジニの歌の中に、あるいはその解釈の中にハイデッガー(存在と時間)やウイトゲンシュタイン(言語ゲーム)の哲学に通じるものを見つけ出すのだろう。

 

映画の「ソングライン」に続く第4章のなかで、ヘルツオーク監督がブルースの「放浪者という選択」の原稿を図書館で見つける。それはブルースが若い頃に書いた原稿で歩くことや放浪に関する彼の持論を書いたもので、

「放浪の生活が消えると、ひとは定住し、都市生活が主流になる。つまり人類の大部分が技術に支配される。そのせいで人類は今、崩壊しつつあると思う。ブルースは人間の脆さを知っていた」と述べる。

 

この要約がどの程度ブルースの考えを正確に反映していたものかを確認する術がないのであるが、狩猟採集時代にせよ、遊牧民にせよ我々の祖先が放浪していたと一概に片付けることは出来ない。

北東アジアからトルコのアナトリア地方を通りバルカン半島に至るY字体は農耕に適さない草原地帯で、そこに遊牧民が起こり消えていった。

遊牧と定住を繰り替した民族も居り、また遊牧民も農耕民族(定住者)と交易・物々交換は生きる上で必須であった。それを放浪とは言えない。

 

そして遊牧と農耕ー集落ー都市の移動と住まう技術はそれぞれに固有に発展する。遊牧民と都市国家との戦争、都市国家同士の戦争を考えれば騎馬と刀剣の時代は騎馬民族の方が優位であり、対する都市国家は射程の長い銃や大砲を開発して遊牧民に優位に立った。

以後兵器の開発、射程と破壊の大きさを競う開発競争は現代にも及んでいることはウクライナ戦争を見れば分る。

 

第二次世界大戦で日本に原爆が投下されたことにショックを受けたハイデッガーは「技術」というものについて思考する。

シュヴァルトヴァルト(黒い森)のなかに自らも労苦して、小屋を建てそこで生活し思索し著作したハイデッガーは「定住の人」である。

橋であれ家であれ、何かを打ち立てることはその場所としての物を現前させることであり、その「産み出すこと」を例によって始原の思考に遡って考究する。「産み出すこと」はギリシャ語でテクト、つまり根(テク)から来る名詞がテクネー、つまり技術であるとする。

産み出すことつまり顕現させることが技術の本質であり、現代の技術もこの顕現に挑発されて、それ自体として部分で全体をコントロール出来ないものになっている。われわれは技術に挑発され駆り立てられていてその体制に我々自身が組み込まれてしまっている。これらをハイデッガーは「総掛かり体制」と呼ぶのだが、この人類の危機を詩人ヘルダーリンの

「だが危機のあるところ、

救いとなるものもまた育つ」 

(ハイデッガー「技術とはなんだろう」講談社学術文庫p136他)

に依拠して先を楽観することはできないだろう。

 

我々の技術の開発は、戦争の破壊の技術、生命維持の技術、あるいはそれらに横たわる半導体やAIの技術などの開発技術に資本と人材が投入されている。それを駆り立てる物は「競争優位」という座である。

たしかにブルース・チャトウインの言うようにわれわれはかつて無く脆い状態にあるのだ。現在激しい競争が起こっている分野、人工知能、ロボット、ドローン、3Dプリンターの技術は同時に武器の開発に組み込まれる。

かつての米ソ東西冷戦、来たるべき欧米対中国の新冷戦、これらはパクスアメリカーナの座を揺るがす争いでもある。

 

対中国の戦争があるとすれば、その戦場は東アジアか東南アジアである。

日本にとって東アジアはもとより東南アジアも石油や食料の確保に死活的重要な場所である。

日本のエネルギー・食料の自給率は先進諸国と比較して非常に低い。

先進諸国と比較したエネルギー自給率

 

 

 

エネルギー自給率は10%にも満たない。

かといって原発をいくら増やしても防衛的脆弱性は言を待たない。

 

ロシア中国北朝鮮に列島の横腹を無防備にさらしている。

そして我が国の最も大きな危機は少子高齢化。

テスラのエロンマスクに「日本はいずれ衰退する」と喝破された。

 

このような事態に防衛費を突出させることで我が国の国民と領土を守るののは不可能だ。戦争に備える為の軍事費や戦費を長期に持ちこたえることは出来ない。

食料エネルギー自給率が低い弱点は、東名大の主要港を海上封鎖すればすぐに干上がる。そうした緊急事態のシミュレーションすらお目に掛ったことがない。防衛費倍増を言う者の方が平和ボケをしている。

 

アベ元首相は自分のスキャンダルが国会で追及されるのを嫌がって「外遊」を頻繁に行った。外遊の手土産は一説に60兆円以上。

行き先と援助対象を見れば、食料安保、エネルギー安保の戦略的発想が皆無であることが分るだろう。

北方領土ではプーチンに300億以上を献上して、27回の会食を自慢し結果4島返還は却って可能性がなくなった。

 

われわれはこの惨状を直視し、真の安全保障はなんであるかを冷静に考えなければならないときだ。

憲法をもてあそんでいる時ではない。

 

さて、岩波ホールは出版社と古書街街が、そして近くには中央大学や専修日大が散在、その中心の一つ神保町交差点にあって、映画鑑賞の前後に飲み食いする場所も豊富でとてもなじみ深い街であった。

ただし、公共の空間やトイレが乏しくそれが街の発展を阻害しているようにも思える。こうしたインフラを整備することを怠れば古書街も衰退は免れない。丸川珠代を応援している場合ではないのだ。

 

何事にも「時」がある。何事にもそれが生起する「場所」がある。

その時と場所を誤ることなく、事を起こすのが我々の知恵であり使命だ。

 

最近の政治社会情勢に、情弱で操作されやすい、余りにも脆弱な国民性を考えるとき寒気がしてくる。

それでちと力が入ったかも知れぬ。

 

追記:参考資料

歩くことにこだわったノマド、ブルース・チャトウインが、熊野古道や西国八十八カ所を巡礼したら、どんな作品を残しただろうか、と想像する。

我々日本人の古層にノマドの心象があることを発見したかも知れない。

人類は都市生活よりも狩猟採集時代の方がはるかに長い時を過ごしている。その当時歩くことが健康を維持することであったはずだ。

ウオーキングに出ると身体の細胞が活性化してくるように感じるのは私だけだろうか。

尚アボリジニは呼称として人種差別的な残滓があるとして、アボリジナル、という語にする方向にあるようだ。

また原住民であるアボリジナルに土地を返還する運動が1980年代に起こり、エアーズロックは既に返還された。

 

 

 

先に国立西洋美術館展でミロの絵に遭遇したことを記したが、

ミロの作品に触れて感じる、ある種の親密感はなんだろう、

一方ピカソの特にキュビスム時代の絵に感じる疎遠な、疎外感とも言うべき感覚はなんだろう、という疑問の答えを求めて八重洲に出かけた。

 

展示されてある絵画の前に立つとき、部分から見る、時と全体を眺める時がある。それを各々の絵と関連付けるのは不可能だ。

具象的なものに目が引きつけられる時もあれば、一歩下がって全体を見ようとするときもある。しかし問題はそこでは無い。

目前の絵から立ち上ってくる感覚、もう少し強いセンセーションが湧くかどうかが問題だ。

ミロの絵の前に立つとき、そのセンセーションは親しみ、あるいは親密感。

様々な形と色がある。

右下には犬だろうか。

その反対の左上は人が上を見上げているように見える。

もしかしたらブルーは夜空で米の字のようなものは星だろうか。

赤や緑や黄色にまつわりついている黒いものはなんだろう。

これらは特定することも推測することも出来ないがそれはそれで没問題。

 

ミロの絵には、犬にせよ人にせよ余計なものをそぎ落として得られる抽象がある。

それは具体的な像から象形文字となるプロセスに似ている。

そういえば、画家がある対象をキャンバスに載せようとするとき、それは画家の対象に対するイメージを描くことであり、それは常に象徴化されたイメージだ。それをもう一歩進めれば記号になる。

 

絵の前に立ってそのセンセーションを言葉にするとき、

そのプロセスは詩人が詩を書くときに似ていないだろうか。

名状しがたいもの、胃の腑がざわつくものあるいは不気味なもの、

あるいは幸せな気分を感じるとき、それらをあるリズムをもった言葉にする。

考えてみれば詩人の美術批評家は多い。

それはランボーに始まってマラルメやアポリネール、ブルトン、ミロのデュパンなどが挙げられる。それは多分絵の前に立ってそのセンセーションを言語表現するプロセスが作詩のプロセスに似ているせいではないか。

 

次いで多いのは哲学者。

ゴッホやセザンヌのハイデッガー。デリダ、バタイユ、フーコーなど。

人間存在の本質を考えようとするとき、それらが既成の言語、記号では表現出来ないときには哲学者も詩人と同じ苦しみを味わう。

 

一方キュビスム時代のピカソの絵の前に立つとき、なかなかセンセーションが湧いてこない。なにがなんだか分らないので、これが頭部だろうか、とか手足だろうかとか苦悶する。

在る部分のピースが分ったからと言ってこの絵を理解したことになるのだろうか。いやそもそも「分析的キュビスム」を分析することはどう可能なのだろうか? 形象とその分断崩壊と再構成、色彩とそのグラデーションをどう統合して見れば良いのだろう。結局コンポジションとして強さだの質感だの対立と緊張だのと評価して一件落着なのだろうか。

そのあたりの迷いが、冒頭に述べた疎外感を感じる理由だろう。

 

ピカソの絵は911前のグッゲンハイムでピカソ展を見、バルセロナのピカソ美術館で青の時代までの絵を見、ソフィア王妃文化センターでゲルニカを見ているので、見慣れていないと言うことはないだろう。

ピカソは二十代の前半からその才を認められ、バルセロナの売春街アヴィニヨンの娘たちを描いてセンセーションを巻き起こし天才の名を欲しいままにした。以後もさまざまに画風が、自らの道を切り開きながら変化した。

その変化が女性の遍歴とも重なっていてピカソは自ら「女、女、いつでも女の画家」であることを自認している。(瀬木慎一「ピカソ」p71)

 

1881年生まれのピカソは今ではスペインの一大リゾート「コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の出入り口、魚料理の旨いマラガの生まれで、そこからバルセロナを経由してパリへ。一方ミロは1893年バルセロナの生まれでそこからパリに向かい、到着後はピカソに挨拶に出向き、キュビスム風の自画像をピカソに買ってもらっている。2人とも160センチに満たない地中海の男であるがミロは幼なじみと生涯連れ添って幸せな家庭生活を送っている。

 

そして2人はそれぞれスペイン内戦とその後のフランコ独裁体制に立ち向かってピカソはパリで、ミロはバルセロナやアトリエのあるモンロヴィッチの沖合のマジョルカ島に国内亡命した。

スペイン内戦ではピカソはゲルニカを描いて抗議し、人民戦線を支援したソヴィエトに嘉して共産党に入党。しかしパリのカルチェラタン近くにアトリエを構えたピカソの周辺にはパリの知識人が多く、サルトルだってメルロ=ポンティだってカミュだって一時は共産党に入党した。

レジスタンスの流れがあるのである。しかし大概のパリのインテリはスターリン批判後脱党したが、ピカソはそれを表明していない。

フランコ体制下で国内亡命してスペインでは公に展覧会を開くことが出来なかったミロは友人たちの助けもあって、パリや北米日本で展覧会を開くことが出来た。ミロは海外での方が評価も高く知名度も高いのである。

 

今回の展示は版画であったが、ミロもピカソも版画を沢山制作している。

それらが庶民の居間を飾っていたことも多く、彼らもそれを喜んだ。

今後も2人については「○○美術館展」などが在ると作品を鑑賞する機会も多いはずだ。よって今回はこのくらいで記述を止める。

 

さてアルチゾン美術館では所蔵のコレクション選と「越境から生まれるアート」が併設されておりそれらも鑑賞した。

 

目についた絵を是非紹介したい。

先ずはルオー、ルオーは汐留ミュージアムのインパクトが強いが、アーチゾンでみた「ピエロ」はその哀しみが胸をうつ作品であった。

 

もう1人は初見だが、中国生まれでパリで修行したザオ・ウーキーの絵。

どこがどうとはうまく言えないが心に迫る叙情性を感じる絵だ。

この二作が今回の余録で、幸せな気分が増した。

 

 

 

 

先ずは国立西洋美術館のリニューアルこけら落としの展覧会。

インパクトのあった絵を3点挙げよ、と自らに課して以下に順不同で記述。

 

1,ゲルハルト・リヒター 「雲」

一見すると写真に見えなくも無いこの絵画。

油彩でリヒターらしく大きなキャンバス。

リヒターらしくないと言えばとても具象的。

具象的、とはいっても、雲は捕らえどころが難しいモチーフだ。

たちまちに生起し、たちまちに消滅する。

そのプロセスの中に、集合と離散がある。

よって捕まえたのは一瞬に過ぎず、キャンバスの中に閉じ込めてしまえば過去と未来はどこまでも未知である。

もちろん、宗教画などは一瞬を閉じ込めて永遠にする。

神の御技は封印されて変わらないのだ。

ちなみにホドラーの「モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン」と題する絵は遠くに雲がたなびいている。

これらの雲は形が安定してゆっくりと流れている「時間」がある。

そのいみでとても対照的だ。

1970作、と言われるこの作品。写真をもとに描画したのだろうか。

いま、竹橋の国立近代美術館でリヒター展が開催中だ。

これも是非見てみたい。

 

2,ジョアン・ミロ 「絵画」

この絵はⅢ光の建築、と題する絵群の終わりの方にあって、

正直ミロがあるとは思っていなかったので、ハッとした。

ミロはスペインのカタルーニャ1893年の生まれで、ブルトンに出会い、以後シュルレアリスムの画家、と見なされるが、どうもしっくりしない。

この絵のそれぞれが何を意味するかは確定しがたいが、

そこには具象がある。

左下は人と読める、子供のようにみえる。赤い卵形のものはなんだろう。

食べるものでもいい、花でもいい、あるいは幼児なら「ママ」かも知れない。

しかしミロの絵はあまり詮索して見ると、最初に感じた感覚が変形し失われかねないから、「いいな」で終わらせるのが私の方法だ。

ミロはアムスからスペインを一人で10日間前後旅行したさい、バルセロナのスペイン広場の正面の丘に上がってミロ美術館で堪能した。

 

 

ガウディの建築を見て回る現地ツアーに参加。サグラダファミリアの原型となった小さな教会を見た後、スペイン広場で途中降車し向かいの山にエスカレーターなどで上ったところにミロ美術館はあった。

今年の二~三月ごろミロ展があったのだが、コロナ禍でパスした。

それが心残りだ。

 

3、ゴッホ 「刈る人のいるサン=ホール病院裏の麦畑」 1889年

ゴッホはこの絵を何枚か描いているようだ。

彼方の山の色彩や太陽の高さが違うし所蔵美術館も違う。

バイオリンの弦のように素早く絵筆を動かすゴッホのことだから、描画した時間の違いがそこにあるのかも知れない。

ゴッホはアルルで前年の1888年10月にゴーギャンを迎えて共同生活をするのだが、「絵を自分の内的イメージで描け」と押しつけるゴーギャンとのあいだで関係が緊張し、自分の耳を切り落として馴染みの娼婦に届け、アルルの病院に入院する。その後発作、自殺願望や幻聴に悩まされ、サン=ポール修道院に精神病患者として自ら入院する。

今回見た絵は黄金色の麦畑、と言うよりは粘土色の麦畑、という印象で、刈り入れする人も麦畑の大きさを表わすために描き入れたようにも思う。

ゴッホがこの絵を、秋の実り、太陽とともに豊穣を描きたかったのだろうか、あるいは風になびく麦穂の頼りなさを描きたかったのだろうか?

ゴッホは弟のテオに以下のように手紙をしたためている。

「僕はこの刈る人の中に、炎熱のもと仕事をやり遂げようと悪鬼のように戦っている朦朧とした人物の中に、人間は彼が刈る麦みたいなものだと言う意味で、また死のイメージを見たのだ。しかしこの死の中にはなんら悲惨なものはなく、純金の光あふれた太陽とともに明るい光の中でおこなわれるのだ。これは自然という偉大な書物が語ってくれる死のイメージだが、僕が努めて出そうとしたのは”ほとんど微笑みを浮かべながら」という姿だ」(西洋絵画の巨匠シリーズゴッホ小学館より)

 

ゴッホはこの年「アンデパンダン展」に2点、翌1890年1月ブリュッセル「20人展」、10月の「アンデパンダン展」に10点出品した後、パリの北、オヴェール・シュル・オワーズで精神科医のガシュ医師の診察を受けた後7月27日拳銃で自らの腹を撃ち2日後テオに看取られながら死去する。

37才の余りにも早い死であった。

 

ゴッホはオランダのプロテスタント改革派の牧師の家に生まれ、当初は牧師を目指すが挫折し、こんどは伝道師になろうと努力するが、自分の持っている物を貧しい人に分け与えて奇矯な行動と見做され首になる。

そうしてキリスト者になる道が絶たれた後、27才で絵画に自分の天分と天職を発見する。ブリュッセルやアントワープのアカデミーに入学するが、彼の才能を認めてくれる師に出会うことなく、独自の画風を追求する。彼の才能の理解者は5才下の弟テオだけであった。

絵の道に分け入って10年、世に知られるには短すぎ、テオも兄を売り込むには画商としてまだ無力で、ましてや個展を開いたりパトロンを見つけたりするには若すぎた。

 

牧師になる望みは挫折し、天職と定めた絵も理解し認めてくれるものが現れるまでには至らない。いくつかの片思いも拒絶され愛を育むことも出来ない。そうした生の罪悪感と孤独の内に自殺願望が生まれ、それに苦しめられ追い詰められて行く。

画家が認められるのはごく少数の例外を除いて時間がかかるものだ。

セザンヌは父親の遺産が入ってようやく生活が安定し、ルノワールが画家として生活が出来るようになったのは40代である。

ましてスタートの遅かったゴッホには多くのハンディキャップがあった。

ゴッホの絵は狂人の絵では無い。

一時的に精神を病むほど追い詰められたことがあったにせよ。

 

さて、ゴッホを最初に取り上げた哲学者は知る限りハイデッガーである。

彼は1927年「存在と時間」を著わして注目され、1935年夏には「形而上学入門」を講じ、同じ年の秋から冬にかけて「芸術作品の根源」を講じる。

その中で、ゴッホの「靴」(p37)を採り上げる。

(1986)

ハイデッガーは

「一足の農夫靴、それ以外には何もない。とはいえそれにもかかわらず。

靴という道具の履き広げられた内側の開口部からは、労働の歩みの辛苦が屹立している。靴という道具のがっしりとした堅牢な重さの内には、荒々しい風が吹き抜ける畑地の遙か遠くまで伸びる常にまっすぐな畝畝を横切って行く、ゆっくりとした歩みの粘り強さが積み重ねられている。靴という道具の内にたゆたっているのは、大地の寡黙なよびかけであり、休閑地における大地の解き明かされざる自己拒絶である。この道具を貫いているのは、泣き言を言わずにパンの確保を案ずることであり、困難を切り抜けた喜びであり、出産が近づくときのおののきであり、死があたりに差し迫るときの戦慄である。この道具は大地に帰属し、農婦の世界の内で守られる」

 

とこの靴について想像を巡らし、眼前のこの作品が、靴の有用性、そして有用であることへの信頼性、いわば靴の本質を開示したのだ。そしてこの開示はわれわれがゴッホのこの絵の前に赴いたことによる。

 

「かくして道具の存在は作品によってはじめて、そして作品に於いてだけ、殊更に輝き現れてくるのであり、芸術の本質は存在するものの真理がそれ自体を作品のー内へと据えることである」(同書p38-41適宜中略抜粋)

 

一時ナチスに加担したハイデッガーは敵も多く、この靴が果たしてそのように想像されるものなのかを確かめた美術史家がいる。ゴッホ本人はある画家に「蚤の市で一足の履き古された靴を買い、雨の日にその靴で歩き回り、泥まみれになってより面白さを増した靴を忠実に描いた」と言ったが、この絵はそのときの絵ではないかと推測されている。(ゴッホ先述の小学館同書51) 

 

言うならハイデッガーは揚げ足を取られたようなものであるが、しかしハイデッガーのこの絵に対する想像は必ずしもゴッホのこの絵で描こうとしたことに反するものではない。ゴッホは「靴」の前年1985年の「ジャガイモを食べる人々」について、「僕は、ランプの光の下でジャガイモを食べるこれらの人々がいま皿にのばしているその手で土を掘ったのだと言うことが、見るものに伝わるように努めた。だからこの絵は「手の労働」を語っているのであり、いかに彼らが正直に自分たちの糧を「稼いだか」を語っている」と述べている。(小学館同書48p)

ゴッホの「靴」での「面白さを増した」とはハイデッガーが想像を巡ぐらせた「農婦の靴の真理」に違背するものではない。それは「ジャガイモを食べる人々」での「手の労働」や正直に「稼いだか」を描こうとしたことに通じるものだ。

 

バタイユの優秀な研究者である酒井健は「絵画と現代思想」(新書館2003年)のなかで、ハイデッガーに対する先の美術史家の「空想的な描写」という批判、「哲学者の思いの身勝手な投影」という批判とそれに対するデリダの反論を経由した上で、むしろハイデッガーの高揚は、まずゴッホの絵に魅了された点にある。魅了は絵画の内在したものからのみ生まれ、その視点が(ハイデッガーの絵画の真理や道具としての有用性などの経路より)根源的なものを明るみに出す可能性を持っている、と考える。

 

この後酒井は若い頃精神医学を修めたヤスパースのゴッホの狂気に対する理解、アルトーのむしろゴッホは精神的に最も健全であり、彼を狂人とする社会こそ底なしに汚染されている、との見解からフーコーの「狂気の歴史」へと進み、西洋人のそしてバタイユの自己解体へと至るのだが、思弁的にはうなずける部分があっても、実感をもって迫り来るものがない。

つまり魅了されないのだ。

我々日本人は中国人を人体実験した731部隊も南京大虐殺も、重慶絨毯爆撃も、「一億総懺悔」で都合良く回避して忘れてしまった。

西欧の知識人が、ホロコーストをナチスに一切の罪を押しつけずに自らのヒューマニズムの問題とした。その彼我の厳しさの差、自己解体の深刻さは戦中ー戦後世代の差を超えて、大きなギャップがある。

もう一つは信仰、キリスト教の問題。

彼らにとってはキリスト教に対する態度ーカトリックかプロテスタントかも含めてーを人生のある時期、否応なく決定するように迫られている。

 

しかし彼我の差をそれらで理解したとしても、大きな問題に対処するにそのままで良いはずがない。そこに日本が抱える大きな不安がある。

 

(尚ゴッホについては、BBC制作の「ゴッホ、真実の手紙」 amazon prime

も参考にした。)

 

さて同日、上記展覧会に先立ち、都美でセレクショングループ展を見た。

これは毎年、若い才能が自分の表現を求めて制作したものを見るのが楽しみで継続している。(入場無料、7月1日まで開催)

 

先ず面白かったのは「たえて日本画のなかりせば」(パラレルモダンワークショップ)。「もし、明治時代に東京美術学校が設立されなかったら、日本画はどうなっていたか?」がテーマ。そのされなかったかを、もう一つのワールドワールドで描こうとするもの。その意図がどのように、あるいはまた充分に表現されているか否か、より専ら表現の面白さを楽しんだ。

最初に迎えてくれたのは、立ち飲みが出来そうな屋台。

あるいは幻想的な回り灯籠。天井まで届きそうな霧の中に見える風景。

遠くからは戊辰戦争の幟が立っているかに見えたものは都心の高層ビル。

グループ名「Summer Catch Saimon」の「もののこしかた」では西会津の伝承などをもとにしたビデオ(菅野歩美)がユニークでスリリングで感心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英題は”Monday Morning"  

イオセリアーニ監督(1934生まれ~今88才)の2002年のこの作品は、ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞。

同監督は旧ソ連邦グルジア出身。映画を作っても上映禁止になったり、ズタズタに切り刻まれたりして苦難の時を過ごすが、「落ち葉」(1966)でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞して国際的知名度が高まり、「歌うつぐみがおりました」(1970)、「田園詩」(1976)を発表後パリに本拠を移した。グルジアとはロシア名であり、ロシアの軛を脱して独立したかの国は「ジョージア」と呼ぶように日本外務省に要請し以後ジョージア、と呼ぶ。

簡単にストーリーを紹介すると、

フランスの田舎のある化学工場で溶接工として働くヴァンサンは、毎朝サンダルで玄関を出、車の横でそれを脱いで出発し、帰ってきて同じ所に止まってそのサンダルを再び履いて家に入る。

帰宅しても妻は「お帰り」もハグもない。一方高校生の長男と下の男の子は自分たちの工作に夢中で,ヴァンサンを邪魔者扱いだ。

イライラからか、ヘビースモーカーですぐたばこをくわえるが、家庭でも職場でもその都度注意される。

そんなある日、ヴァンサンは別居中の病床の父親を見舞い、どうやら遺産目当ての叔母たちを退散させた後、父親から旅に出ることを勧められ、イタリアリラなどの大金をもらって黙って出発する。

 

父親からは昔の友人がヴェネツイアにいるから会いに行け、と言われたこともあって、汽車で到着する。

ヴェネツイアで、父親の友人である伯爵(監督イオセリアーニ出演)はいいところを見せようと必死に芝居し、ヴァンサンが帰るやいなや同居の婦人と喧嘩を始め、ヴァンサンは窓外の小舟の上で聞いてしまう。

ここでも、絵はがきを自宅に出すが、どうやら旅先の行く先々で音信を一方的に知らせているらしい。

肖像画を描いて商売をしている画家たちに刺激され、唯一の趣味である絵心を刺激されたり、、とすごし あるとき、これもイオセリアーニ映画の特徴なのだが、事件や特別なきっかけなしに家に帰ろうとする。

夜自宅に着いて、上の窓から子供たちが見え、下の窓には母親が見える。階段を上がって行くと妻と目が合い、

妻は「あら、お帰り。上がって」と。

二人で食卓に向かい合い、妻に「一杯くれ」と言って、どうやらたばこに手を付けたらしい妻に火を付けてやり一緒に飲む。

ついで読書中の母親のところに行く。

母親「お前かい、お帰り。 遅かったね」

ヴァンサン「あっという間だった」

母親「父さんに会ったかい」

ヴァンサン「二度」

母親「なにか言ったかい」

ヴァンサン「母さんの様子を」

母親「しょうもない」

ややあって、旅先から送った絵はがきをみて、それが破かれているのを見たヴァンサンに

母親「届くと喜ばない人もいたのよ。 遠くまで?」

ヴァンサン「いや」

母親「楽しんだかい」

ヴァンサン「旅行だからね」

と静かに日常に戻って行く。

これがイオセリアーニ映画のエッセンス。

 

この愁嘆場も修羅場も無いのが、小津を想起させるのだが、

小津の映画は進学も就職も東京一極集中が進むなかで、地方の中産階級の家庭が音も無く崩壊して行くさまと、そのなかで人々が静かにそれを受け入れてい行く、、、、

しかしその中にはある種の諦念があり、哀しみがあり、それが見終った後それらが余韻として残る。

一方ヴァンサンの場合はどうだろう。

観光旅行と違って、見るべき場所も日程もない。いつ帰るべき日もない。

そのなかで過ごすうち、旅先での日常と、家での日常とが重なり合い、その重なり合いの中で家での日常が別のフィルターに通したように別様に見えてくる。その別様に見えてくる日常を新しく生きようと踏ん切りがついたところで帰郷したのではないか、と推測する。

つまりヴァンサンの心の中で何かが変わったのだ。

そのように推測する所以は、帰郷を受け入れる家族も、ヴァンサンの変化を察知しているだけでなく、家族もヴァンサンの不在を通して自分たちもまた変化をしたところに、静かな上記の会話がある。

 

イオセリアーニの映像は、人も建物も厚み、がある。

例えて言うとポラロイドの映像のようだ。

同様に人物造形も厚みがあって、ヴァンサンにせよ両親にせよ子供たちにせよ妻にせよ、みな一言ではくくれない。

当然尺は長くなるが、そのなかに味わいが刻み込まれている。

 

長男は司祭に頼まれて教会の壁画を描く。

そのモチーフは聖ゲオルギス、聖ジョージだ。

聖ゲオルギスはジョージアの守護聖人。

このあたりにイオセリアーニの故郷を懐かしむ気持ちが表れている。

ヴァンサンが旅先から絵はがきを送ったように。

そしてそれは「汽車はふたたび故郷へ」から「みなさんごきげんよう」へとつながってゆく。

 

蛇足だが、父親がウクライナの詩人であるタルコフスキーは「時の刻印」の中でイオセリアーニ監督に深い尊敬の念を表明している。

かれもロシアから遂には亡命するのだが。

それについては改めて言及するときがあるだろう。

 

参考