この映画の「福」は、10年にわたる活動の”ザ・バンド”が、
そのラストライブをゲストたちとステージで楽しくハモっていること。
その伝わってくる楽しさは、バンドの面々と、ゲストの間にお互いの「レスペクト」があることが第一、そして第二にはそれを撮り、インタビューしたスコセッシ監督自身がロックの大フアンであったことによるだろう。
ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、エリック・クラプトンらの多彩なゲストの中でもひと際存在の大きいのがボブ・ディラン。
それもその筈、彼らの活動はディランと切っても切れないものだ。
簡単にWikiから抜粋する。
1959年、アメリカのロックンローラー、ロニー・ホーキンスは彼のバック・バンド、ザ・ホークスを連れロックンロールが落ち目になりつつあったアメリカを離れカナダへと活動の中心を移した。しかし、次第にドラムスのリヴォン・ヘルム以外のメンバーがホームシックにかかり脱退したため、現地カナダの若者をメンバーに加入させる。その際集まったメンバーが、ギターのロビー・ロバートソン、ベースのリック・ダンコ、ピアノのリチャード・マニュエル、ガース・ハドソン、後のザ・バンドのメンバーである。1963年までロニー・ホーキンス (Ronnie Hawkins) のバックバンドとして活動していた。
1964年、ロニーと意見の相違から別れたザ・ホークスは、やがて、ボブ・ディランのマネージャーのアルバート・グロスマンの目に留まり、彼らはボブ・ディランのバックバンドとして抜擢されることとなった。折しも、ディランがアコースティックギターの弾き語りによるフォーク路線から、エレキギターを使用したフォークロック路線へと転換する時期であり、電気楽器を嫌う従来のフォークファンからは壮絶なブーイングを受けた。しかしこれが逆にバンドの知名度を高めることになる。
1968年、ホークスはバンド名をザ・バンドとし、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビューする。シングルカットされた「ザ・ウェイト」は翌年の映画『イージー・ライダー』に使われ多くの人々に知られるところとなった。ロックにカントリー、フォーク、R&Bといったルーツ・ミュージックの要素を色濃く反映させた音楽性は非常に高い評価を獲得し、当時の多くのミュージシャンたちに大きな影響を与えた。
1969年8月17日にはウッドストックコンサートに出演。同じ8月末にはディランとともにワイト島フェスティバルに参加。このワイト島出演の際ザ・ビートルズのジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと親交を深めた。
同年9月、第2作のアルバム『ザ・バンド』を発表。1970年に3作目の『ステージ・フライト』を発表。1971年には野心作『カフーツ』でアラン・トゥーサンを招き、ホーンセクションを取り入れる。
1973年にはカバーアルバム『ムーンドッグ・マチネー』を発表。
1974年にはディランと共にツアーを行い、興行的にはその年で一番といわれるほどの大成功を収めた。
1972年に発表されたライブアルバム『ロック・オブ・エイジズ』は、スタジオ録音と変わらない演奏スタイルで話題を呼んだ。このあたりから、ロバートソンがバンドのイニシアチブを取るようになり、ヘルムとの関係が微妙になる。
以後も、リンゴ・スターやエリック・クラプトン、マディ・ウォーターズのアルバム制作に参加
1975年アルバム『南十字星』発表する
だが、バンド内ではツアー活動よりアルバム制作を重視すべきとの意見をもつロバートソンと、ツアー活動にこだわるメンバーとの対立が激しくなったり
マニュエルが疲労とストレスから酒とドラッグに溺れ体調を崩すなどの問題を抱える
こうして音楽活動が行き詰まる中、ロバートソンは1976年にライヴ活動の停止を発表する
ロバートソンは解散して新たなステップを目指していたが、ヘルムは解散・ライブ活動停止には反対であった。またロバートソン以外のメンバーも解散を望んでいなかった。そのような中、11月24日にサンフランシスコのウインターランドでラスト・コンサートを行なう。(実質的に解散コンサートとなる。)
コンサートには多数の大物ミュージシャンが参加した。ホーキンス、ディラン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ロン・ウッド、ポール・バターフィールド、ニール・ダイヤモンドら、そうそうたる顔ぶれである。この模様はマーティン・スコセッシの手により撮影され、映画『ラスト・ワルツ (The Last Waltz)』として公開、3枚組サントラ盤もリリースされた。
1976年、キャピトルとの契約が残っていた関係上(「ラスト・ワルツ (The Last Waltz)」のサントラをワーナーブラザーズから発表するため)アルバム『アイランド』をリリースするが、最早往年の出来映えは見られず不評に終わる。結局これを最後にザ・バンドとしての活動に終止符が打たれる。
ステージでは楽しそうにハモっているが、内部の緊張、意見の対立はあったのである。以下のようなエピソードがある。
このイベントは、ザ・バンドのリーダーロビー・ロバートソンと、ザ・バンドのマネージャー・チームが独断で物事を進めていた。事の発端は、ロバートソンがツアー生活に疲れたため、豪華なゲストを招いたライブを行い、そのライブでライブ活動を終了し、以後はレコーディング活動のみ行って行きたいと決断したのが始まりであった。しかし、ロバートソン以外のメンバーはその考えに賛同できなかった。特に、ドラム、ボーカルのリヴォン・ヘルムは、「そんなもの全くやりたくなかったし、まだツアーを続けたかった」と後で話している。
しかしそうした緊張や対立が即演奏に反映する、というものではないだろう。
気持ちを合わせて心を一つにして演奏することはそれでも尚可能なのだ。それが出来ることが、どの世界でもプロというものだろう。
音楽は祈りに似た要素を持っている。
一種の帰依のようなものだと思う。
歌詞はそれが苦しみであれ、楽しさであれ、希望であれ何であれ
祈りの言葉と通底している。
神への賛美だけが祈りなのではない。
このDVDは深刻なイングマール・ベルイマンの映画の
息抜きとして鑑賞した。

