Gon のあれこれ -23ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

今日は陽関や玉門関、鳴沙山と月牙泉などをみてここ敦煌に連泊。

 

この旅行中最もゆっくりした気分が味わえる日だ。

 

陽関はかつて更に西域に向かう最後の関所跡であった。

 

王維の有名な七言絶句がある。題は「元二の安西に使いするを送る

 

渭城の朝雨 軽塵をうるおし

客舎青々 柳色新たなり

君に勧む 更に一杯の酒を尽くせ

西のかた陽関を出づれば故人なからん

 

渭城(いじょう)→秦の始皇帝の旧都咸陽の別名  客舎→旅館  故人→知己友人

王維は唐代の人。遣唐使阿倍仲麻呂の友人でもあった。仲麻呂が一旦帰朝を決意した時、

彼を送った王維の素晴らしい詩があるが割愛。(王維詩集 岩波文庫251p 230p)

 

陽関から匈奴や突厥が攻めてくる方を眺めると、手前には湿地の池があり、遠くの稜線は小高い。

 

炎天下の陽炎の所為もあって、稜線から湧き出る敵軍の姿は大きく見え、遠くからの視認も

 

良かったに違いない。

 

敦煌と言えば、小説家では井上靖、画家では平山郁夫が有名。

 

平山郁夫はともかく実は井上靖の「敦煌」(新潮文庫)は読んだことがなかった。

 

そこでこれと司馬遼太郎との共著「西域をゆく」(文春文庫)を上海でのやたらと長い乗り継ぎ

 

暇つぶしの為に持参したのだが、読了は実は昨日の高速鉄道車内。

 

鳴沙山と月牙泉。砂漠の中のオアシス。風が吹くと砂山が音を立てるのでこの名があるという。

 

昼夜の温度差が激しく、日中は砂が熱くて登れないので日没に合わせて行く。

 

湖は観光写真で見るほど青々としてはなく、それに及ばないのであるが、この砂漠の中にこのような

 

場所が存在する事自体が価値があるのだろう。

 

鳴沙山は中国観光客が嬉々として登っていく。 ラクダで揺られていく人たちも多い。

 

空には観光ヘリ。望むべくもないが静かに佇む砂山と湖には、静かに見つめたい。

 

夕食は夕方馬上杯を買った工場の傍で四川料理。

 

初めはおとなしく旦那の陰で控えめにしていた女性が地を出して来る。

 

反比例して旦那が黙々と飯を食う。そんな変化を見て内心で微苦笑する。

 

団塊の世代の夫婦が多いが、未だに仲睦まじく気を使いあっている夫婦もいる。

 

ホテルに帰ったのは8時半過ぎ。明日は7時50分ホテル発。

 

明後日成田に向かう日はさらに早く5時30分。

 

ということで今日は早く床に就く。

 

 

 

 

 

今日は高速鉄道で3時間半の敦煌へ。

 

敦煌でホテル着後、星空観光が楽しみだ。

 

砂漠に仰向けに寝て空を見上げる時、私は地球の縁に在って銀河系に対峙しているのだ。

 

引力がなければ、私は振り落とされてしまうだろう。そう考えるとスリリングだ。

 

うまくイメージを言い表せないのだが、映画タイタニックでディカプリオとケイト・ウインスレットが船の

 

帆先で真っ向から海に対峙したように。

 

 

天気が良かれと祈る。

 

朝カレーズを見た後、厳しい検問を経て高速鉄道経由で敦煌に向かう。

 

高速鉄道の駅は敦煌市内より2時間余のバスの旅。

 

嬉しいことにホテルに先にチェックインし、夕食後すぐ近くの沙州市場に徒歩で向かう。

 

市場内の屋台はガラスケースの中にあって、とても清潔そうで北京大学の近くの食堂を思い出した。

 

ホテルに帰って借りたワインオープナーでウルムチの駅で買ったワインを開ける。

 

期待していた星空観光、どうやら期待過剰であった。

 

地球の丸さを実感する広い視野の中で、地平線には街の明かりが見える。

 

空を見上げると煌々とした月と星がまばらに見えるのみ。

 

冬の朝、5時半過ぎにスロージョッギングやウオームアップ、中国武術の功夫に出かけるときの空、

 

と変わりない星空。 

 

敦煌の地を踏んで見上げた夜空、がこの時間のかけがいのない価値、と思うことにしよう。

 

 

今日の予定は、ウルムチの市内観光と博物館で女性のミイラを見て、

 

バスで約3時間かけてトルファンへ。

 

トルファンではカレーズを見ることが出来る。

 

地下水脈を探り当て、そこから立坑を次々掘って、地下水道を作り、都市に供給する。

 

何とも手間のかかる大変な作業だが、鉄器はもとより馬や牛などの使役の方法にも興味がある。

 

他にはトルファン古城やベゼクリク千仏洞などが予定に入っている。

 

千仏洞は唐の時代、玄奘三蔵が立ち寄ったところでもある。

 

まずはウルムチについて。

 

ウルムチとはジュンガル語で「美しい牧場」を意味する、とある。

 

ジュンガルとはモンゴル高原西部からウイグルの北部にかけて住んでいるオイラト民族の住んだ盆地。

 

17世紀から18世紀にかけてこのあたりに一大遊牧帝国を築いた

そのジュンガル帝国も1755年清の乾隆帝によって滅ぼされた。

 

トルファンは天山山脈東部山間の盆地。ウイグル語で「人と物が豊かな地域」の意味らしい。

 

5~7世紀、唐の直接支配を経て、866年ウイグル人(トルコ系)が西ウイグル王国を建設。

 

遊牧生活からこの地に定住し中央アジアのトルコ化が進むとともに、ベゼグリフ千仏洞を代表とする

 

高度な文化が出現し13世紀まで続いた。

 

この定住前はモンゴルでウイグル国家として栄えていたが840年キルギスに滅ぼされて

 

その一部がこの地に移住した。モンゴル高原ではマニ教を奉じていたが定住と共に仏教の影響を受け、

 

仏典も作られてた。

 

余談だが、現在のトルコはイスラム教国家である。

 

この同じころ中央アジアに居た他のトルコ族が、更に西方に移動することで、結果イスラームと接触を

 

深めトルコのイスラーム化が始まった。

 

2015年のトルコ旅行で、アナトリア地方に紀元前1650年ころから文字と鉄器を使うヒッタイトが隆盛して

 

ギリシャ東部、オリエントに進出した。 彼らは二頭立て馬車を駆使したという。

 

このヒッタイト人もとても興味が引かれるが、中央アジアに起こったトルコが西アジアに侵入、

 

更に、1242年モンゴルの侵入を受けて更に西へ移動して概ね現在地に至り、13世紀から20世紀まで

 

巨大なオスマン帝国を築き上げた。そしてウイーンのハプスブルグ帝国の心胆を寒からしむのだ。

 

随分端折ってこのように書いたのであるが、このモンゴル高原からロシア平原、その南のカスピ海

 

から黒海の辺りの歴史はとても入り組んでいて頭の中の整理が大変だ。

 

今なお勉強中なので多少の間違いはあるやもしれない事を恐れる。

 

早朝から雨が降って、博物館でミイラを拝見したのち、高速道路でトルファンに向かう途中、

 

道路が通行止めになった、とのこと。

 

急遽高速鉄道の駅に向かい切符手配(パスポートがなければ予約すら出来ない)して、

 

その間急遽手配したレストランで昼食をとる。

 

添乗員とJTB、現地旅行会社の組織力のなせる業だ。

 

厳しいチェックを受けて高速道に乗り込みトルファン到着。

 

これも現地旅行者のガイドさんの機転で、高昌古城に向かう。

 

何とか閉館に間に合って、人気のない古城を巡る。

 

廃墟の跡、は人を無口にさせる。 余人は知らず私には。

 

英国で見た僧院の廃墟もインパクトがあった。それを急に思い出す。

 

夕食後のホテルチェックインは11時半前後。

 

西安では、Twitterやグーグルメール、ニューヨークタイムズなどはアクセス不能であったが、

 

ウルムチと同様、トルファンでもWiFIは使えない。

 

 

今日の予定は市内の大雁塔や青龍寺を見学の後、中国東方航空MU2398便でウルムチへ。

 

到着予定時刻は夜の11時。ホテルチェックインは夜半だろう。出発前からうんざりした気分だ。

 

昼食はともかく、夜は落ち着いて食事を取るのが私の流儀だ。

 

言っても仕方がないことだが、もう少し益しな行程のシルクロードの旅があったが

 

名古屋発であきらめた。

 

青龍寺は沙門空海が密教の灌頂をを受けた寺だ。

 

804年に入唐した空海(774-835)が青龍寺の恵果より密教の奥義を伝授され、灌頂を受けることで

 

正当な後継者になった。しかし驚くのは長安に滞在して一年くらいで灌頂を受けたこと。

 

恵果は空海が厳しい修行を重ねてきたことを見抜いて奥義を伝授したというが、俄には信じがたい。

 

空海は結局天才なのであろう。青龍寺に空海の記念碑がある。

 

あと長安には玄宗と楊貴妃が遊んだ華清池などもあるが切りがないのでこの辺でやめる。

 

ウイグル自治区に入った途端、WiFIは使用できなくなった。

 

したがってこれは敦煌に昨日夕方高速鉄道で入ってから26日の早朝書いている。

 

ウルムチでもトルファンでも、ホテル、高速鉄道の身分チェックは厳しく緻密だ。

 

主たる移動は完全に把握されている、と見たほうがいいだろう。

 

徒手空拳では「ペンの力」は唯一の拠り所だ、と痛感する。

 

感想や意見は、旅行後記で記すより他ない。

 

 

今日の予定は秦の始皇帝の遺跡めぐりが中心。

 

バスでまずは兵馬俑へ。

 

実は中国で最も見たかった史跡がこれだ。

 

太極拳や五行拳の個人レッスンなどで北京は何度か行き、天安門広場や天壇公園に

 

中国武術の練習風景を見に行ったが、故宮博物館や万里の長城には行っていない。

 

故宮は正直 壺にはあまり関心がないのと、水墨画はまだ鑑賞能力がない点が主な理由。

 

実は実見する機会がないだろうと思って邦訳物の兵馬俑展のガイド(1983年)の中古を買って持っている。

 

ホテル着後にオプショナルツアーで「唐歌舞ショー」があるが、楊貴妃の映画で何となく見た記憶があるし

 

ホテルのバーでゆっくりする方を選択するつもりだ。

 

秦の始皇帝は紀元前250年前後の生まれ。

 

実の父親は後の秦国宰相呂不韋とも言われる。

 

秦国自体も西方の異民族より出自したといわれるから神秘に包まれた皇帝。

 

「鼻が高く目が長く、胸は鷹のように張り出て、声は犲(やまいぬ)のごとし」と言われた。

 

地方の領主を排して中央の役人を派遣して郡県制を敷き、農民の戸籍を整備してこれを戦士とする

 

軍事態勢を築いたことで中国最初の専制君主となった。

 

文字や貨幣、度量衡の統一を図っているから、当時の中国がいかに先進的であったか驚嘆する。

 

文字については表意としての漢字、絵文字から形象を簡略化して文字にしたために、異なる言語

 

を話す多民族にも意思が伝わりやすい。

 

日本の古代、聖徳太子のころから漢字を読み下したが言葉が違う韓国やベトナムでも同じように

 

異なる発音で読み下してその意を解釈したと思われる。

 

このあたりも広大な国土を支配する秘訣があるのだろう。

 

兵馬俑は何のためか?

 

恐らく死後の世界でも、始皇帝が支配するための兵士、兵力であったのだろう。

 

始皇帝は不死の仙薬を求めて富を消尽したり、儒学を嫌って焚書したり、誹謗の疑いのある村人全員を

 

穴埋めにしたり、と とても過酷で残虐な王であった。

 

「始皇は自己を完全なものとして人の言を聴かず、過ちでも思いのままに遂行して変えなかったが

 

二世もこれに倣って非を改めず、暴虐で禍を重ねたので、嬰(三世)が立った時には、孤立危弱に

 

おちいって親身に助ける者がなかった。このように三主とも惑うて終身悟らなかったので、

 

滅んだのもまた当然といえよう。」(史記始皇本紀 ちくま文庫180p)

 

と司馬遷は手厳しい裁断を下している。

 

そう言えば項羽と劉邦。何度も項羽に敗れながら、最後に勝って漢の高祖になって都を長安

 

(西安)に定めた劉邦も「生まれつき鼻が高く、顔は竜のようで髯が美しく、左股に72のほくろがあった」

 

と、高祖本紀にあるが、ほくろは色白な者の特徴ともいえるし、漢の高祖もどこか異国の風がある。

 

と一人想像を膨らまして楽しんでいるのだが、果たして当を得ているだろうか。

 

朝は6時に起床してPCを開けるが、アクセスできない所がいくつもある。

 

まずメールではグーグルがダメ。hotmail とYahoo は通じる。実はこれ監視を受けている、と言う事だ。

 

ニュースでは購読しているニューヨークタイムズがダメ、朝日はOK.

 

twitterも×。

 

前回は2012年、楊式太極拳の個人レッスンを受けるために北京に来た時には無かったこと。

 

感想は今は控える。

 

朝食堂は家族連れが多い。中国人の生活レベルが向上した証。

 

日本の外人観光客が1千万人を超えたのも主として中国の、そして東南アジアの生活水準向上。

 

兵馬俑は実験するとさらにインパクトもある。修復中の俑を見るのも面白い。

 

あとインパクトがあったのは空海が恵果より灌頂を受けた青龍寺。

 

境内の復興はそのほとんどが日本の密教徒(密宗)の寄付によってなされた。

 

よって日中友好の証、として境内、あちこちで称揚されている。

 

空海はその著作をいくつか紐解いたこともあって、父の母方が真言宗、という以外に縁がある。

 

四国八十八か所の起点で日本人参拝客も多いらしい。

 

ということでこの寺の高位の僧が自筆で書いた般若心経もある朱印状スタンプを押す台帳を

 

9000円なり、で買う。なにしろパラパラとめくるだけでお経を読んだことになるので便利なものだ。

 

皇帝陵はバスの中から。

 

オプショナルツアーで唐の舞踊ショーと夜景や夜市散策がセットになっていたので参加。

 

ホテル帰着は夜11時半。しかも明日は8時半出発。

 

 

 

 

今日から7泊8日のシルクロードの旅が始まる。

 

成田発中国東方航空MU524便で上海へ。上海からMU522便で西安へ。

 

実は上海での乗り継ぎが大変だ。 なんと5時間もの間隔が空く。

 

よって西安到着予定時刻は夜の12時。ホテルは連泊、というもののうんざりする行程だ。

 

朝、いつも通りスロージョッギング、ウオームアップそして崔氏56式。

 

快拳慢錬、慢拳細緻 でゆっくり気を配りながら功夫しているが、13分の壁を越えられない。

 

成田には少し早く出発、到着して宅急便の受け取りや、書留を出したりしてツアーのチェックイン。

 

中国東方航空のカウンターは長蛇の列で時間がかかり、カード会社のラウンジで一休みする暇なし。

 

出発は13時50分で機内食は出るだろうと思ったが空腹でメロンパンをビールで流し込む。

 

上海空港では、芸術ギャラリーが出発ラウンジにあってそれを鑑賞。

 

中国画の鑑賞眼は覚束ないが「中国絵画入門」読みかけなので、絵に現れた「気」を感じようとするが、

 

現段階では「雰囲気」くらいしか理解できぬ。 

 

賀 友直作の「白光」という4コマの絵は枯れた味わいがあった。

(この絵は同氏の別な絵)

日本時間6時半ごろ、麺やでルースー麺に似た物とビールを飲む。

 

西安空港は現地11時半過ぎに到着。メンバーの荷物の中にリチウムバッテリー(パソコン?

 

が入っていたらしく足止めされて空港から迎えのバスに乗ったのは午前1時半すぎ。

 

チェックインして就寝は2時半。よってこれを22日現地時間6時半に書いている。

 

 

昨14日、新橋で所用を済ませた後、古書市をめぐる。

 

初日で開会直後、と言う事もあって店の人は陳列に忙しそうであった。

 

今回は特に探している本も無かったのであるが、一つは、カンボジアーヴェトナム旅行で仏教の

 

伝播ルートを調べるうち、それがシルクロード、中国から言えば西域に関心が高まり、

 

もう一つはその中国のウイグル自治区とモンゴル、カザフスタンの交わる辺りのロシア領に「デニソワ

 

洞窟」があり、

そこから見つかった骨からデニソワ人(ネアンデルタールから分かれ、ホモサピエンス

 

以前の原始人類)のDNAが我々日本人と中国人に受け継がれている、と知り、これが従前からあった

 

中央アジアの遊牧民に対する関心と合体して興味は膨らむばかりであるので、なんとなく

 

それに関連した本を探したのだが、残念ながら空振りに終わった。

 

最近では、その関心は黒海とカスピ海の辺りまで広がっていて、広げすぎの感もある。

 

その後折角新橋まで来たので、パナソニックの汐留ミュージアムへ。

 

これは、昨年1月ごろ Lumix Lx100 を購入して商品登録をしたパナソニックのメルマガに案内があった。

 

ジョルジュ・ブラックピカソと共にキュビスムを始めた人。

 

彼のキュビスム時代の絵画は一点。

 

生来が触覚に優れた人であったらしく、平面の中に様々な材料を駆使して凹凸、と言うよりは

 

触ってみたくなるような作品」を作り、やがては照明や壺、カフスやブローチやネックレスなどを、

 

古代神話に題材をとって製作した。

 

女性の装飾品を多数展示していたが、あまり興味は持てないので、短時間で鑑賞は終わった。

 

「神話を題材」と書いたが、帰宅後、オイデウスの「変身物語」からの題材なのだろうか、と

 

調べてみたのだがうまく関連を見つけることは出来なかった。

 

松下幸之助と芸術、の組み合わせはあまりピンとこなかったが、幸之助は茶の湯から伝統工芸品に

 

進んで蒐集したらしい。

 

尚同ミュージアムはルオーの作品を多数所有しているようであるが、小出しにせずたっぷりと見せて

 

欲しいものだ。

どうしてルオーの作品を200点余保有しているのか、も まだ私には分かっていない。

原題は Le Jeune Marx  (若きマルクス)

 

まずはオフィシャルサイトのイントロダクションから

マルクスとエンゲルスは何を考え、何と戦い、何を成し遂げたのか。
世界中に貧困と格差が拡がる今日、彼らのエネルギーが私たちに突きつけるものとは――。

レーニン、ゲバラ、カストロ、マンデラ…20世紀を代表する変革の指導者の前には、いつもマルクスとエンゲルスがいた。本作はドイツ、フランス、イギリス、ベルギーを舞台に、二人が「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という有名な言葉で始まる『共産党宣言』を執筆するまでの日々をドラマティックに描く。監督は『ルムンバの叫び』(2000)、『私はあなたのニグロではない』(16)で知られる社会派の名匠ラウル・ペック監督。彼はマルクスとエンゲルスの思想は過去のものではなく、社会をよりよくするという思いが不滅である限り永遠であると映画を通して語っている。とりわけエンド・クレジットで流れるボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」がそのことを強烈に伝えてくる。

左からマルクスの妻イエニー(ビッキー・グリーブス)マルクス(アウグスト・ディール)

エンゲルス

 

同じラウル・ベック監督作品であるドキュメンタリー「私はあなたの二グロではない」が今週末

 

封切りになるが、この映画も史実に忠実なドキュメンタリー的作品であると思われる。

 

そのベック監督のインタビュー映画「マルクス・エンゲルス」ラウル・ペック監督に聞く はこの映画を

 

鑑賞する前に必読。要点をいくつか紹介する。

 

1、内容の80%は、イェニー、マルクス、エンゲルス、そして彼らの友人たちによる手紙から膨らませて、構成していった。「それらの手紙には、彼らの日々の仕事、出会い、それから恋愛生活も記されていて、それはとてもリアルで、生き生きしていた。僕はそんな日常のことを描きたかったのです

 

  マルクスとイエニーのベッドのシーン、何の必然性があるのだろうか、と思って見ていたが、

 

  子だくさんの二人、それがなければ子供は生まれない((^^♪)と理解したのだが、、、

 

2、マルクスは、ユダヤ教の指導者の歴史を持つ家庭に育ち、イェニーも高貴な家庭に育ち、彼女の異母兄弟はプロセインの内務大臣になっている。そしてエンゲルスの父親は、ドイツや英国に多くの工場を所有していた。彼らの家族はエリートや上流階級ばかりなので、本作で、あえて描くことはしたくなかった

 

 一方マルクスもエンゲルスも労働運動の指導者には余り信を置いていなかった、と言われます。

 

 大概の国の共産党指導者は知的エリートで、出自も教育も違う故のギャップは当然あるでしょう。

 

 新聞や著作で理を以て説得するより、アジテーションの方が興奮を呼び、従ってまた運動のエネルギ

 

 ーが高まる。これに嫌悪感を感じるエリートは少なくない筈でそれを乗り越えないと運動家にはなれな

 

 い。

 

3、一方でエンゲルスは労働者階級の女性と事実婚をしますが、、

 

特にエンゲルスはメアリーと交際することに、先入観みたいなものさえも持っていなかった。彼らの関係は真の友情や愛情です。裕福な家庭を捨て、究極の犠牲も払って、労働者のために活動し続けたのです。だから、犠牲を払わないアメリカのリベラルとは異なります

 

最後の「犠牲を払わないアメリカのリベラル」 にはグサッと突き刺さるものがありますね。

 

ヒラリーが野卑で下品なトランプに負けた理由がここにあるのかもしれません。

 

最後になぜ今マルクスか、と言う問題について。

 

18世紀イギリスで始まった産業革命はヨーロッパ各国に次々と伝播し、新興のブルジョワジーと

 

労働者大衆を生み出す。もちろん貧富の格差も拡大する。一方では1789年、自由、平等、友愛を掲げた

 

フランス革命(市民革命)があった。このうねりからフランス王朝もハプスブルグ家も衰退に向かい、

 

共和制や民主制が次々と生まれる。その最高潮がロマノフ王朝を倒した1917年のロシア革命。

 

米国とソ連を盟主とする東西対立は激しさを増し、欧州各国は「福祉国家」を以て「共産主義」に対する

 

アンチテーゼにするが、スターリンや毛沢東の暴政ーそれは共産主義イデオロギーに名を借りた

 

全体主義に外ならず、計画経済の破綻ーそれはつまるところ「官僚主義」でしかなく、汚職と腐敗が

 

蔓延り、ソ連とその衛星国の人民の支持を失っていき、最後はベルリンの壁の崩壊に結実する。

 

共産主義が欧州で人々を引き付ける魅力を失っていくとともに、新しく蔓延りだした「新自由主義」

 

それは、「自己増殖する資本」のタガを外し、政府の干渉を出来るだけ少なくして資本家、企業の

 

自由にさせようとするもの

 

レーガン、サッチャーに始まり、小泉ー竹中改革における「雇用の自由化」はその露骨な形態。

 

消費増税をして一般大衆の窮乏化し、その原資で法人減税をし、資本蓄積を助ける

 

これが今日本と米国で起こっていること。(米国の場合は窮乏化はこれから始まる)

 

こうした背景が日本共産党の躍進の背景になっていることは否めないでしょう。

 

現在の日本共産党が共産主義革命を目指す「革命政党」であるか否かは議論があるところですが、

 

少なくとも暴力革命などという夢想はとっくに捨てていると思われます。

 

この共産党に対する見方が、立憲民主党と国民民主党の違いの一つです。(他には原発)

 

学生時代には共産党の下部組織「民青」の諸君が周囲に居て時々議論を挑まれました。

 

対抗上マルクスの「ドイチェ・イデオロギー」「哲学の貧困」「経済学・哲学草稿」などを読みましたが

 

「資本論」は退屈で拾い読み程度。しかし民青の諸君は共産党の文書は読むのでしょうが、原典を

 

読む暇がなさそうで、脅威に感じることも共産主義に魅力を感じることもありませんでした。

 

しかし思想家としてのマルクスの影響力は甚大であり、政治学経済学社会学などから芸術分野に

 

至るまで19世紀最大の思想家であることは間違いありません。

 

資本家と労働者の階級対立からの視点の分析は、今なおその有効性を失ってはいない。

 

そして現代にそれを見るにはそれなりの洞察力が必要であり、その理解を助けてくれる著書

 

として、少し古いのですが以下をあげておきます。

 

 

 

 

しかし階級対立の「止揚」としての「コミュニズム」はどうでしょう。

 

マルクス自身も認めているように、彼もまた彼の時代の限界を超えることは出来なかった。

 

大胆に言えば「パリコミューン」にその幻を見たのかもしれません。

 

そしてそこに至る途中過程としての「プロレタリア独裁」は民主集中制で一握りのエリートが

 

あらゆる権力を握り、プロレタリアの思想・信条の自由。表現の自由、集会結社の自由などを

 

認めず、封建領主以上の抑圧体制を築き、共産主義体制に歯向かうものは問答無用で拘禁し、

 

流刑にし、挙句の果ては殺害してしまいます。

 

(先の戦時中の日本も国家社会主義体制で抑圧的でした。教育勅語や軍人勅諭、特高などを想起)

 

ブルジョワを打倒してプロレタリア政権になれば、それで階級対立が解消し、プロレタリアは解放され

 

る、というのは悪夢に近い幻想であることが歴史的に証明された、と言ってよいでしょう。

 

かといって米国や日本の、ネオリベ的資本主義がこのまま春を謳歌するとは思えません。

 

今の中国が「共産主義」にも、あるいはその途中過程にも程遠いことは言うまでもありません。

 

追記:マルクスを演じるアウグスト・ディール

記憶をたどると「リスボンに誘われて」の「言葉の金細工師ライムントの友人ジョルジュ役。

尚マルクスの妻イエニー役のビッキー・クリープスは今月下旬公開の「ファントム・スレッド」出演。

門外漢と思っていても知らずに知識は蓄積するものだ、との感。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1969年軍事クーデターで政権を握った朴大統領(昨年逮捕された第18代大統領の朴槿恵は次女)

 

因果は巡り、その朴もまた1979年暗殺されて、一時は民主化の期待は膨らむが、12月保安司令官の

 

全斗煥が軍の実権を掌握して翌80年5月に全土に戒厳令を布告して有力政治家等を逮捕軟禁した。

 

そのうちの一人金大中は全羅南道の出身で光州では特に人気があった。

 

更に5月18日大学を封鎖、そこから軍と学生が衝突、軍の暴力は次第に激しさを増し、これを見た

 

一般市民は激怒してこれに加わり郷土予備軍の武器庫から武器を奪って対抗した。

 

しかし兵器の質量の違いから結局27日、9日間の暴動は鎮圧された。

 

軍は光州市への道路を封鎖、ソウルや250K東の釜山などから記者が入り込むのを阻止したが、

 

ドイツ公共放送の東京駐在特派員であったユルゲン・ヒンツベーターは宣教師と偽ってソウルに入り、

 

そこからタクシーを雇って光州に入る。

 

運転手のキム・マンソプ(ソン・ガンホ)は大学生や広州市のタクシー運転手ファン・テスル(ユ・ヘジン)

 

らの、この暴虐を世界に伝えてもらいたいと記者のヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)の撮影と

 

光州脱出を助ける。

 

 

 

この実話に基づくジャーナリズム映画は、米国映画の大統領ニクソンと対峙したニューヨークタイムズや

 

ワシンポスト、教会権力と対峙したボストン・グローブとは全く趣の違う、全体主義国家のむき出しの

 

暴力に抗して報道した物語である。

 

しかし映画は同時に笑いとペーソスに満ち、思わず笑い、思わず涙する、そんな市井の人の魅力に

 

あふれた映画となっている。 とりわけ光州の運転手を演じたユ・ヘジンはオーセンティック、というか

 

実在感を文句なく感じさせる。

 

この映画は昨年韓国で1200万動員した、とあるが事件当時20代であった人たちが今は60歳前後に

 

なり、2016年から17年の朴槿恵大統領を退陣に追い込んだ「ローソク革命」の今の若者世代も

 

この映画から感じるものはとても多いのであろう。

 

見ていて思い出したのは光州事件に先立つ1973年、有力な朴大統領の対抗馬とも見られていた

 

金大中が、東京のグランドパレスホテルから韓国KCIAに拉致された事件である。

 

当時、我が国の主権を犯されたにもかかわらず、さしたる抗議もしなかった田中角栄政権

 

に私は批判的であった。

 

しかし、金大中はその後市民権を回復して大統領になったけれども、もし仮に日本政府が声高に

 

韓国政府に抗議していれば、金大中は日本海に投棄された可能性が高かった。

 

当時の外務大臣は思慮深い大平正芳であった。

 

金大中を拉致した船が日本海上にある時、日本のヘリが上空から威嚇して金大中の投棄を阻止した、

 

とされる。

 

この日本政府の大人の対応によって金大中の命が救われた、と言う事実も韓国の皆さんには

 

知っておいて欲しい、と今は思う。

 

この映画はシネマート新宿で9時半開始で観たのだが、当日は盛況であった。

 

観客も40代から20代、と比較的若い世代が多かった。

 

最後に付け足しになるが、この光州事件は当時の軍事政権のプロパガンダによって、北朝鮮が

 

背後にある、と宣伝され、事件に参加した学生、一般市民を「アカの手先」「反社会的勢力」と

 

レッテルが張られた。

 

その後金泳三、金大中、廬武鉉と文民政権が続く中で事件は見直しされ、事件の死者たちへの補償

 

や全斗煥への実刑判決などがあり、北朝鮮関与説は払しょくされた

 

一方「光州事件は金大中と北朝鮮特殊部隊が起こした」とする元韓国陸軍大佐の著書が、市民団体から

 

名誉棄損で訴えられたが、2012年韓国最高裁は「光州事件が民主化運動として既に法的・歴史的評価

 

が確立されており、これによって訴えた人の名誉が改めて毀損されたとは言い難い」として著者を

 

無罪とした。しかしよせばいいのに日本の櫻井よしこはこの無罪を以て「北朝鮮の工作だったという

 

主張は認められた」と歴史を歪曲する者らしい言論を吹いているらしい(ウイキペディア光州事件より)

 

これを見て思い出すのは、福島第一原発事故のさ中に安倍晋三が読売と組んで飛ばした「菅直人が

 

海水注入を止めた」とするデマ

 

菅直人はこのデマに対し名誉棄損として訴えたが、一審で敗訴、上訴審で棄却された事件である。

 

デマであることを裁判所は認めたものの、「海水注入による再臨界の可能性を強い口調で質問した

 

ことをもって、菅の側にも「止めた」と受け取られない言動があった、とされた。

 

再臨界は大変な事態であるから最高責任者の菅が強い口調で質問することが何の問題がるのか、

 

と言う疑問に加え、裁判所や検察も天下りなどを通じて「原子力ムラ」の一角を占めており

 

法曹に対する信頼を大いに傷つける判決であった。

 

そして裁判所は安倍のデマを認めているにもかかわらず、安倍は「完全勝訴」といって宣伝している。

 

このあたりが櫻井といい安倍といい、歴史を歪める者たちの常套手段なのであろう。

参考:

https://buzzap.jp/news/20170223-abe-alternative-fact/

 

去る19日金曜日に出かける。

 

開催は18日からであったけれども、雨天だったので19日が開催初日、という雰囲気であった。

 

例年春と秋に開催されるが、出店者も概ね決まっており、西口公園の公衆トイレの辺りから

 

噴水を挟んで42店舗前後。 新橋SL広場や池袋西武・三省堂の古書市よりは規模が大きい

 

更に、一都三県から集まってくるので、神保町とは違った本に巡り合える楽しみがある。

 

毎度、小型のノートに漁る本をメモして出かけるが、今回の大雑把な目的は中央アジア関連

 

ヴェトナム旅行で、ヴェトナムが中国の影響から大乗仏教主流であるが、昨年旅行した隣国の

 

カンボジアは上座部仏教(今は小乗、という蔑称は使わない)。

 

カンボジアへの伝播ルートは11世紀スリランカから海洋ルートらしい。

 

スリランカへは紀元前250年前後、インド亜大陸を統一したアショーカ王の王子が伝えた。

 

以後歴代スリランカ王が熱心に帰依し、11世紀ベンガル湾を介してビルマからカンボジアに

 

広まっていった。(「東南アジアの港市世界ー地域社会の形成と世界秩序」岩波42p)

 

スリランカにせよビルマやカンボジアにせよ上座部仏教は王の庇護のもとに発展する。

 

ヴェトナムの旧サイゴン(ホーチミン市)はかつてはカンボジア王の支配であった。

 

ヴェトナムは紀元前1世紀から9世紀ごろまで中国の支配下にあり、唐の玄宗皇帝の時代

 

日本から遣唐使であった阿倍仲麻呂が760年、唐の都 西安からはるばる安南に総督として

 

派遣されている。

 

そして遣隋使や遣唐使が持ち帰ったものは大乗仏教であり、玄奘三蔵の法相宗や

 

空海の密教であった。

 

更にその源流を訪ねると、仏教思想の龍樹の空の思想や世親の唯識がインドから中国に伝わり、

 

それが日本やヴェトナムに伝わっていったが、インドから中国への伝播はいわゆるシルクロード

(鳩摩羅什は4世紀の人。上座部仏教の僧であったが、途中で大乗仏教に宗旨替えした。

インドの仏典を中国西安にもたらした。)


考えてみると、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出でて、ナイルを渡り、メソポタミアを経由して、

 

ヒマラヤ山脈の北、ないしはタクラマカン砂漠を挟んで天山山脈沿いにモンゴルへ、中国へと移動して

 

遂には列島に至るのであるが、それもシルクロードがルートであった可能性が高い。

 

尤も紀元前数万年前は、タクラマカン砂漠が砂漠ではなかった可能性もあるから、もっと容易に

 

わたってきて我々モンゴル系人種が生まれたかもしれない。

 

前置きがう~んと長くなったが、ヴェトナム旅行で触発された関心が、仏教を含めて古代文明の

 

列島への伝播を考える中で、関心の焦点が中央アジア、あるいは中央ユーラシアに広がり、

 

それらに関係した古書を探すのを中心に出かけたのである。

 

シルクロードを踏破する旅行は途中にアフガニスタンを通り、個人では疎か、ツアーでも

 

なかなか困難だ。

 

伝播路や交易路とは川を渡る橋や道路だけの事ではない。

 

休憩や宿(キャラバンサライ)をとる場所(オアシス)が必要なだけでなく、何よりも行路の安全が

 

最も大切だ。従って漢の武帝(紀元前100前後)やインド北部で栄えたクシャーナ王朝(紀元1世紀、

 

中央アジアに源流を持つペルシャ系遊牧民月氏)が広大な領土を支配したことで交通路の安全が

 

確保された事に留意すべきだろう。

 

それがあっての仏教伝来でありシルクロードなのだ。

 

そのような次第でシルクロードに対する関心が高まり、5月下旬シルクロード、といっても中国側の

 

西安ー敦煌ーウルムチートルファン までなのだがツアーに参加することにした。

 

それに関係する書籍は中国の古代史、と言う事になるが既読の史記列伝(5)大苑(オアシス)伝

 

匈奴や月氏なので、もう少し厚みを加えるべく、中公文庫の世界の歴史1,4や、講談社学術文庫の

 

「隋唐帝国」をうまく入手することが出来た。

 

あとはNHKブックスの「フェルメールの世界」(小林頼子)。

 

2020年の東京オリンピック期間中、バカ騒ぎを避けてヨーロッパの美術館を再訪したいと秘かに

 

考えているが、そのプランAデンハーグマドリッドミラノフィレンツェヴァチカンベルン

 

チューリッヒ

 

その資料として購入した。

 

あとはちくま学芸文庫「ニーチェ全集1」があったので購入。

 

探し物がある古書市は、時間がかかる。

 

あっという間の2時間が過ぎて、昼は近くの「ふくろ」で購入本の余韻を楽しみながら昼飲み。

 

追記:

 

先述のとおり、5月の旅行で新疆ウイグル地区に行くのだが、関心はシルクロードや仏教だけではない。

 

デニソワ人、という名を聞いたことがお有りだろうか?

 

ロシアアルタイ地方のデニソワ洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境近辺)で発見された指の骨の

 

DNA解析によって、約4万1千年前に住んでいたとされる人類である。

 

デニソワ人はネアンデルタール人に近いグループで、現生人類のホモサピエンスと共通の祖先をもつ。

 

ホモサピエンスはネアンデルタール人と交配したことは間違いなく、我々日本人のDNAにも

 

ネアンデルタール人の遺伝子が残されている

 

デニソワ人は約40万年前にネアンデルタール人と分かれ、更にデニソワ人が二つの系統に分岐した。

 

その分岐1はアジアからオセアニア、もう一つの系統は中国と日本である。

 

参考NewYorkTimes:

https://www.nytimes.com/2018/03/20/science/david-reich-human-migrations.html

 

そうであれば我々モンゴロイドとデニソワ人の交配もまた考えられるだろう。

 

トルコ旅行でガイドの先生に、トルコ人もまた子供の時蒙古斑が出るという事を聞いた。

 

そして新疆ウイグル地区はトルコ系のウイグル族である。

 

我々モンゴロイド系遊牧民やトルコ系遊牧民やイラン系遊牧民はロシア平原と蒙古平原の間に誕生し

 

イラン系やトルコ系はモンゴル系の匈奴などとの角逐でイラン、インド、トルコに進出した。

 

旅行に参加してデニソワ洞窟に行ける筈もないが、近くに身を置いて

 

はるかな昔に思いを馳せたいのである。

 

我々日本人はユーラシア大陸の吹き溜まりにあって、大和民族

 

北部モンゴロイド:北アジア(シベリア北東アジア)中央アジア(カザフスタン、モンゴル、朝鮮)

 

中部モンゴロイド:漢民族華北、チベット民族など

 

南部モンゴロイド:漢民族華南、台湾、ベトナム、ミャンマーなど

 

のこの3つのモンゴロイドの混血である、と言う。

 

われわれは彼らと遺伝子を共有する上に、そのハイブリッドなのだ。

 

つまらぬヘイトなど止めたまえ、ネトウヨ諸君。 

 

無知な者たちに扇動されてはイカン! 

 

時間がもったいない。もっと有効に使いたまえ。