原題は Le Jeune Marx (若きマルクス)
まずはオフィシャルサイトのイントロダクションから
マルクスとエンゲルスは何を考え、何と戦い、何を成し遂げたのか。
世界中に貧困と格差が拡がる今日、彼らのエネルギーが私たちに突きつけるものとは――。
レーニン、ゲバラ、カストロ、マンデラ…20世紀を代表する変革の指導者の前には、いつもマルクスとエンゲルスがいた。本作はドイツ、フランス、イギリス、ベルギーを舞台に、二人が「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という有名な言葉で始まる『共産党宣言』を執筆するまでの日々をドラマティックに描く。監督は『ルムンバの叫び』(2000)、『私はあなたのニグロではない』(16)で知られる社会派の名匠ラウル・ペック監督。彼はマルクスとエンゲルスの思想は過去のものではなく、社会をよりよくするという思いが不滅である限り永遠であると映画を通して語っている。とりわけエンド・クレジットで流れるボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」がそのことを強烈に伝えてくる。左からマルクスの妻イエニー(ビッキー・グリーブス)マルクス(アウグスト・ディール)
エンゲルス
同じラウル・ベック監督作品であるドキュメンタリー「私はあなたの二グロではない」が今週末
封切りになるが、この映画も史実に忠実なドキュメンタリー的作品であると思われる。
そのベック監督のインタビュー映画「マルクス・エンゲルス」ラウル・ペック監督に聞く はこの映画を
鑑賞する前に必読。要点をいくつか紹介する。
1、内容の80%は、イェニー、マルクス、エンゲルス、そして彼らの友人たちによる手紙から膨らませて、構成していった。「それらの手紙には、彼らの日々の仕事、出会い、それから恋愛生活も記されていて、それはとてもリアルで、生き生きしていた。僕はそんな日常のことを描きたかったのです
マルクスとイエニーのベッドのシーン、何の必然性があるのだろうか、と思って見ていたが、
子だくさんの二人、それがなければ子供は生まれない((^^♪)と理解したのだが、、、
2、マルクスは、ユダヤ教の指導者の歴史を持つ家庭に育ち、イェニーも高貴な家庭に育ち、彼女の異母兄弟はプロセインの内務大臣になっている。そしてエンゲルスの父親は、ドイツや英国に多くの工場を所有していた。彼らの家族はエリートや上流階級ばかりなので、本作で、あえて描くことはしたくなかった
一方マルクスもエンゲルスも労働運動の指導者には余り信を置いていなかった、と言われます。
大概の国の共産党指導者は知的エリートで、出自も教育も違う故のギャップは当然あるでしょう。
新聞や著作で理を以て説得するより、アジテーションの方が興奮を呼び、従ってまた運動のエネルギ
ーが高まる。これに嫌悪感を感じるエリートは少なくない筈でそれを乗り越えないと運動家にはなれな
い。
3、一方でエンゲルスは労働者階級の女性と事実婚をしますが、、
特にエンゲルスはメアリーと交際することに、先入観みたいなものさえも持っていなかった。彼らの関係は真の友情や愛情です。裕福な家庭を捨て、究極の犠牲も払って、労働者のために活動し続けたのです。だから、犠牲を払わないアメリカのリベラルとは異なります。
最後の「犠牲を払わないアメリカのリベラル」 にはグサッと突き刺さるものがありますね。
ヒラリーが野卑で下品なトランプに負けた理由がここにあるのかもしれません。
最後になぜ今マルクスか、と言う問題について。
18世紀イギリスで始まった産業革命はヨーロッパ各国に次々と伝播し、新興のブルジョワジーと
労働者大衆を生み出す。もちろん貧富の格差も拡大する。一方では1789年、自由、平等、友愛を掲げた
フランス革命(市民革命)があった。このうねりからフランス王朝もハプスブルグ家も衰退に向かい、
共和制や民主制が次々と生まれる。その最高潮がロマノフ王朝を倒した1917年のロシア革命。
米国とソ連を盟主とする東西対立は激しさを増し、欧州各国は「福祉国家」を以て「共産主義」に対する
アンチテーゼにするが、スターリンや毛沢東の暴政ーそれは共産主義イデオロギーに名を借りた
全体主義に外ならず、計画経済の破綻ーそれはつまるところ「官僚主義」でしかなく、汚職と腐敗が
蔓延り、ソ連とその衛星国の人民の支持を失っていき、最後はベルリンの壁の崩壊に結実する。
共産主義が欧州で人々を引き付ける魅力を失っていくとともに、新しく蔓延りだした「新自由主義」。
それは、「自己増殖する資本」のタガを外し、政府の干渉を出来るだけ少なくして資本家、企業の
自由にさせようとするもの。
レーガン、サッチャーに始まり、小泉ー竹中改革における「雇用の自由化」はその露骨な形態。
消費増税をして一般大衆の窮乏化し、その原資で法人減税をし、資本蓄積を助ける。
これが今日本と米国で起こっていること。(米国の場合は窮乏化はこれから始まる)
こうした背景が日本共産党の躍進の背景になっていることは否めないでしょう。
現在の日本共産党が共産主義革命を目指す「革命政党」であるか否かは議論があるところですが、
少なくとも暴力革命などという夢想はとっくに捨てていると思われます。
この共産党に対する見方が、立憲民主党と国民民主党の違いの一つです。(他には原発)
学生時代には共産党の下部組織「民青」の諸君が周囲に居て時々議論を挑まれました。
対抗上マルクスの「ドイチェ・イデオロギー」「哲学の貧困」「経済学・哲学草稿」などを読みましたが
「資本論」は退屈で拾い読み程度。しかし民青の諸君は共産党の文書は読むのでしょうが、原典を
読む暇がなさそうで、脅威に感じることも共産主義に魅力を感じることもありませんでした。
しかし思想家としてのマルクスの影響力は甚大であり、政治学経済学社会学などから芸術分野に
至るまで19世紀最大の思想家であることは間違いありません。
資本家と労働者の階級対立からの視点の分析は、今なおその有効性を失ってはいない。
そして現代にそれを見るにはそれなりの洞察力が必要であり、その理解を助けてくれる著書
として、少し古いのですが以下をあげておきます。
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しかし階級対立の「止揚」としての「コミュニズム」はどうでしょう。
マルクス自身も認めているように、彼もまた彼の時代の限界を超えることは出来なかった。
大胆に言えば「パリコミューン」にその幻を見たのかもしれません。
そしてそこに至る途中過程としての「プロレタリア独裁」は民主集中制で一握りのエリートが
あらゆる権力を握り、プロレタリアの思想・信条の自由。表現の自由、集会結社の自由などを
認めず、封建領主以上の抑圧体制を築き、共産主義体制に歯向かうものは問答無用で拘禁し、
流刑にし、挙句の果ては殺害してしまいます。
(先の戦時中の日本も国家社会主義体制で抑圧的でした。教育勅語や軍人勅諭、特高などを想起)
ブルジョワを打倒してプロレタリア政権になれば、それで階級対立が解消し、プロレタリアは解放され
る、というのは悪夢に近い幻想であることが歴史的に証明された、と言ってよいでしょう。
かといって米国や日本の、ネオリベ的資本主義がこのまま春を謳歌するとは思えません。
今の中国が「共産主義」にも、あるいはその途中過程にも程遠いことは言うまでもありません。
追記:マルクスを演じるアウグスト・ディール。
記憶をたどると「リスボンに誘われて」の「言葉の金細工師ライムントの友人ジョルジュ役。
尚マルクスの妻イエニー役のビッキー・クリープスは今月下旬公開の「ファントム・スレッド」出演。
門外漢と思っていても知らずに知識は蓄積するものだ、との感。