去る19日金曜日に出かける。
開催は18日からであったけれども、雨天だったので19日が開催初日、という雰囲気であった。
例年春と秋に開催されるが、出店者も概ね決まっており、西口公園の公衆トイレの辺りから
噴水を挟んで42店舗前後。 新橋SL広場や池袋西武・三省堂の古書市よりは規模が大きい。
更に、一都三県から集まってくるので、神保町とは違った本に巡り合える楽しみがある。
毎度、小型のノートに漁る本をメモして出かけるが、今回の大雑把な目的は中央アジア関連。
ヴェトナム旅行で、ヴェトナムが中国の影響から大乗仏教主流であるが、昨年旅行した隣国の
カンボジアは上座部仏教(今は小乗、という蔑称は使わない)。
カンボジアへの伝播ルートは11世紀スリランカから海洋ルートらしい。
スリランカへは紀元前250年前後、インド亜大陸を統一したアショーカ王の王子が伝えた。
以後歴代スリランカ王が熱心に帰依し、11世紀ベンガル湾を介してビルマからカンボジアに
広まっていった。(「東南アジアの港市世界ー地域社会の形成と世界秩序」岩波42p)
スリランカにせよビルマやカンボジアにせよ上座部仏教は王の庇護のもとに発展する。
ヴェトナムの旧サイゴン(ホーチミン市)はかつてはカンボジア王の支配であった。
ヴェトナムは紀元前1世紀から9世紀ごろまで中国の支配下にあり、唐の玄宗皇帝の時代、
日本から遣唐使であった阿倍仲麻呂が760年、唐の都 西安からはるばる安南に総督として
派遣されている。
そして遣隋使や遣唐使が持ち帰ったものは大乗仏教であり、玄奘三蔵の法相宗や
空海の密教であった。
更にその源流を訪ねると、仏教思想の龍樹の空の思想や世親の唯識がインドから中国に伝わり、
それが日本やヴェトナムに伝わっていったが、インドから中国への伝播はいわゆるシルクロード。
(鳩摩羅什は4世紀の人。上座部仏教の僧であったが、途中で大乗仏教に宗旨替えした。
インドの仏典を中国西安にもたらした。)
考えてみると、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出でて、ナイルを渡り、メソポタミアを経由して、
ヒマラヤ山脈の北、ないしはタクラマカン砂漠を挟んで天山山脈沿いにモンゴルへ、中国へと移動して
遂には列島に至るのであるが、それもシルクロードがルートであった可能性が高い。
尤も紀元前数万年前は、タクラマカン砂漠が砂漠ではなかった可能性もあるから、もっと容易に
わたってきて我々モンゴル系人種が生まれたかもしれない。
前置きがう~んと長くなったが、ヴェトナム旅行で触発された関心が、仏教を含めて古代文明の
列島への伝播を考える中で、関心の焦点が中央アジア、あるいは中央ユーラシアに広がり、
それらに関係した古書を探すのを中心に出かけたのである。
シルクロードを踏破する旅行は途中にアフガニスタンを通り、個人では疎か、ツアーでも
なかなか困難だ。
伝播路や交易路とは川を渡る橋や道路だけの事ではない。
休憩や宿(キャラバンサライ)をとる場所(オアシス)が必要なだけでなく、何よりも行路の安全が
最も大切だ。従って漢の武帝(紀元前100前後)やインド北部で栄えたクシャーナ王朝(紀元1世紀、
中央アジアに源流を持つペルシャ系遊牧民月氏)が広大な領土を支配したことで交通路の安全が
確保された事に留意すべきだろう。
それがあっての仏教伝来でありシルクロードなのだ。
そのような次第でシルクロードに対する関心が高まり、5月下旬シルクロード、といっても中国側の
西安ー敦煌ーウルムチートルファン までなのだがツアーに参加することにした。
それに関係する書籍は中国の古代史、と言う事になるが既読の史記列伝(5)大苑(オアシス)伝は
匈奴や月氏なので、もう少し厚みを加えるべく、中公文庫の世界の歴史1,4や、講談社学術文庫の
「隋唐帝国」をうまく入手することが出来た。
あとはNHKブックスの「フェルメールの世界」(小林頼子)。
2020年の東京オリンピック期間中、バカ騒ぎを避けてヨーロッパの美術館を再訪したいと秘かに
考えているが、そのプランAはデンハーグやマドリッド、ミラノやフィレンツェ、ヴァチカン、ベルンに
チューリッヒ。
その資料として購入した。
あとはちくま学芸文庫「ニーチェ全集1」があったので購入。
探し物がある古書市は、時間がかかる。
あっという間の2時間が過ぎて、昼は近くの「ふくろ」で購入本の余韻を楽しみながら昼飲み。
追記:
先述のとおり、5月の旅行で新疆ウイグル地区に行くのだが、関心はシルクロードや仏教だけではない。
デニソワ人、という名を聞いたことがお有りだろうか?
ロシアアルタイ地方のデニソワ洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境近辺)で発見された指の骨の
DNA解析によって、約4万1千年前に住んでいたとされる人類である。
デニソワ人はネアンデルタール人に近いグループで、現生人類のホモサピエンスと共通の祖先をもつ。
ホモサピエンスはネアンデルタール人と交配したことは間違いなく、我々日本人のDNAにも
ネアンデルタール人の遺伝子が残されている。
デニソワ人は約40万年前にネアンデルタール人と分かれ、更にデニソワ人が二つの系統に分岐した。
その分岐1はアジアからオセアニア、もう一つの系統は中国と日本である。
参考NewYorkTimes:
https://www.nytimes.com/2018/03/20/science/david-reich-human-migrations.html
そうであれば我々モンゴロイドとデニソワ人の交配もまた考えられるだろう。
トルコ旅行でガイドの先生に、トルコ人もまた子供の時蒙古斑が出るという事を聞いた。
そして新疆ウイグル地区はトルコ系のウイグル族である。
我々モンゴロイド系遊牧民やトルコ系遊牧民やイラン系遊牧民はロシア平原と蒙古平原の間に誕生し
イラン系やトルコ系はモンゴル系の匈奴などとの角逐でイラン、インド、トルコに進出した。
旅行に参加してデニソワ洞窟に行ける筈もないが、近くに身を置いて
はるかな昔に思いを馳せたいのである。
我々日本人はユーラシア大陸の吹き溜まりにあって、大和民族は
北部モンゴロイド:北アジア(シベリア北東アジア)中央アジア(カザフスタン、モンゴル、朝鮮)
中部モンゴロイド:漢民族華北、チベット民族など
南部モンゴロイド:漢民族華南、台湾、ベトナム、ミャンマーなど
のこの3つのモンゴロイドの混血である、と言う。
われわれは彼らと遺伝子を共有する上に、そのハイブリッドなのだ。
つまらぬヘイトなど止めたまえ、ネトウヨ諸君。
無知な者たちに扇動されてはイカン!
時間がもったいない。もっと有効に使いたまえ。