#ビュールレ・コレクション展  #国立新美術館 #セザンヌ #ルノワール #ゴーギャン #マネ  | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

印象派の著名な作品が見られる、とあって足を運ぶ。

 

これらの絵画はチューリッヒ美術館に寄贈され、これらを展示するために建設中の新館に収められて

 

再来年の2020年に公開の予定である。

 

かつてチューリッヒに一泊して湖上遊覧船に乗ったものの美術館は行かず仕舞い。

 

ベルン美術館と共にぜひとも行きたい美術館である。

このルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」はビュールレが本人から購入したらしい。

ルノワールは背景の使い方がとてもうまい。

ゴーギャンについては 映画 ゴーギャン タヒチ、楽園への旅 が今年初め公開されたばかりだが、

 

この「贈り物」と題された絵は1902年、とあるから二度目のタヒチ行でヒバ・オア島に「快楽の館」

 

を建て3人目の現地妻14歳の少女ヴァエホと彼女との間にできた乳児を描いたものに違いない。

 

ゴーギャン、とくればゴッホ

 

一時はゴーギャンと共同生活をしたゴッホ。

 

挙句の果てに自分の耳を切り落とす羽目になったゴーギャンとの関係は私には不可解だが、

 

1888年作のこの絵は、ちょうどゴーギャンとの共同生活を始めたばかりの時だろう。

 

ゴッホの好きなミレーの「種まく人」をヒントに浮世絵から一本の木によって画面を分割した

 

この「日没を背に種まく人」は、その当時ゴーギャンが主張していた、「想像に基づいて描く」という理論

 

を試してみた絵画のように思われる。 結局それはゴッホにとっては付け焼刃でしかなく、

 

すぐ自然をモデルに描く、という本来のスタイルに戻ったようである。

没後「近代絵画の父」と呼ばれるようになったセザンヌ

 

彼と幼馴染の自然主義小説家エミール・ゾラとの複雑な関係を描いた映画「セザンヌと過ごした時間

 

は昨年9月に鑑賞したが、この「赤いチョッキの少年」は2008年、ビュールレのコレクションを展示

 

してあった美術館から、今回展示のゴッホの「花咲くマロニエの枝」やモネの「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ

 

畑」などと共にヨーロッパ最大の盗難事件と言われる被害にあった作品である。

 

2012年セザンヌのこの絵が最後に発見されて事件は収束するのだが、興味のある方は

 

以下のリンクをご覧いただきたい。http://www.afpbb.com/articles/-/2871011

 

同展には、上記の他アングル、カナレット、ドラクロワ、マネ、ピカソからジュルジュ・ブラックまで、

 

実に多彩な作家の素晴らしい絵が集まっている。  絵画好きにはたまらない。

 

一方このコレクター エミール・ビュールレは1890年ドイツに生まれ(1956年没)、大学で言語学などを

 

学んだ後、第一次大戦に従軍。 戦後たまたま寄宿した先の銀行家の娘と恋愛して結婚。

 

その後義父の経営するスイスの会社の子会社に出向して武器商人となる。

 

第二次世界大戦中、ナチスドイツとも取引して莫大な財をなし、それがコレクションの原資となった

 

素晴らしい絵画の世界の裏側は実社会の一断面でもある。

 

原材料はキャンパスと絵具だが、それが「将来絵の価値が上がる」という思惑だけで莫大な価格が付く。

 

当然、マネーロンダリングにも、資産隠しにも、税気逃れにも利用される。

 

戦争は孤児を、寡婦を、身寄りのない老人を生み、その惨禍は筆舌に尽くし難い。

 

この写真は国連難民高等弁務官事務所から張り付けたものだが、罪のない子供、最も弱い

 

子供たちがその惨禍を、一生涯、いやその子供や孫たちの世代まで引きずってゆく

 

彼女にもルノワールの「イレーヌ」と同じ、人生を望むように生きる権利がある筈だ。

 

毎年些少ながら寄付をしているが、紛争の火はあちこちで燃え盛り止むことがない

 

虚しさを覚えながら、それでも少しの足しになれば、との思いからである。

 

親や祖父母たちの多大な犠牲の上に、今日の我々の

 

主権者たる選挙権、民主主義と平和憲法がある

 

ゆめゆめ、この選挙権、基本的人権、民主主義と平和憲法を疎かにしてはならない