「ソ」は自分的に、遠くへ抜けていく音です。


それを基音とするG-durは澄み渡る「空」の調。

湿り気がとても少なく聞こえます。



テーマが「空」の曲をいつか書きたい。

動機は「ソ→ラ」とか笑。


ベートーヴェン弦楽四重奏15番の3楽章の最後に出てくる、


コード:C C  C  F

音  :ミーレーミー、ファー


では、空が見える気がします。

光が溢れている、夏の青空。

C→Fの移行には、ソ→ラの移行が含まれる。



先日行った演奏会でのブラームス交響曲1番の4楽章。

フルートのソロに、

真っ青な空を一羽の白い鳥が飛んでいくような場面が浮かびました。

物凄い透明感。


今まで一つの演奏しか聞きこんでこなかったせいか、

山頂で夜空の星を見上げるような場面という印象が出来上がっていて、

フルートは夜の山頂に吹きぬける風と瞬く星、という役分けだったので、

晴天の中を風が吹き抜けてきたようで、感動しました(今回の方が本当は主流なのかも)。



これらを総合して、

G-durで、テーマ「空」で、フルートメロディの曲を作ってみよう。かな。


中音の響きを拡充させるためにホルンセクション。

距離感・響きの奥行きを出すために弦楽器セクション。あと場面のボンド役。

メロディの受け渡しor対旋律にオーボエとクラリネット。

クライマックスに金管セクション+ティンパニとかシンバル。



材料が集まってきたので、

ストーリーを考えておこう。


蝉の鳴き声が聞こえなくなるだけで、
ずいぶん空気の密度が低くなった気がする。

夏は、光と熱と音が大気を塗りつぶすように満ちていて、
形を為して緩やかに圧迫してきそうなくらい、空気の密度が高い。
それが少しずつ密度を低くしていって、
次にくる季節に変わっていくのですね。

久々に蝉の鳴き声がほとんど無い朝を迎えると、
そんな風に感じた。

あと一ヶ月くらい夏でもいいのに。


下記動画は、神ですね。
アレンジャーの卓抜した手腕(しかもオケアレンジ)もさることながら、
東方音楽のポテンシャルの高さを思い知りました。
どーやってそんなにええ曲作れんの?



「人は、終わりを迎えて幸福が訪れる。
  それは、いかなる者でも。

 なぜなら、死は確実、時は不確実。
  ならば己を知り、今を生きなさい。
   自然に導かれれば、決して誤ることはないのだから。

 神は全てを見通してはいない。
  自らを識れるのはあなただけ。

 これからも、真実を求めなさい。
  目的が無いものには、いかなる風も吹かないもの。

 ゆっくりと、静かな足取りで
  「その日」は、あなたにも訪れる。

 だから、悔いの無い道を歩み続けなさい。」(投稿者コメント抜粋)

歌詞も神。音楽と合わせるとなお神。


今調べたら、チューバは中国語で「大号」であってるらしい。



じゃあ台湾では、

「おい、そこのチューバリアン」

と呼びかけることは、

「おい、そこの運子野郎」

と呼びかけるのと同じになっちゃうのだろうか。



研究しよ。


夏が終わってしまったなあ。

昨日、高校の時よくつるんでた友人と久々に再会した。



楽しい思い出をたくさん思い出した。

というか、忘れすぎだった。


高校の時は、もっとバカなことに全力を尽くしてたんだなー

それがすごく楽しかった。

思い出してももちろん楽しい。



忘れたくない。

自分は、忘れるのがうまい。

いい意味でも悪い意味でも。


今に自信がなくても、

過去から連続的に続いてるじぶんを忘れたくない。



友人の彼女さんは昔トランペットをやっていたそうで、

トランペットは中国語(台湾語?)で

「小号」というそうな。

ちなみにトロンボーンは「長号」。

なるほど。


じゃぁ、「大号」はチューバですか?

って聞いたら、

「大号」は向こうの言葉でうんこのことらしいですね笑。


トランペットとトロンボーンって、かなりきわどい楽器なんですね。

博士(はくし)が100人いる村


http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/introduction1.html


を見て、考えさせられた。



「博士ばかり100人集めた村があった場合、卒業後にどのような進路をたどるか。

7人は他の分野に行く。

そして69人はなんらかの職について科学者としての経験を生かす

仕事に従事するが、

16人は無職で、

8人は死亡するか行方不明になる。」


これだけならただのパーセンテージだけど、

文章中にちりばめられた痛烈な皮肉に考えさせられる。


片足突っ込んでいる身としては、

知らん振りではいられない。



自分が何を目指しているか。

今の自分がしていることはそれに対してどのような意味があるか。

(現状を変えられない今では、意味のない悩みかもしれない。)



何をしているかは、それほど重要じゃないのかもしれない。

自己の感性を磨くために、

人間的に豊かな人になるために、

毎日毎日何かに挑戦し続ける。


舞台はただのツールであって、

挑戦する自分はどこであっても変わらない。


何になりたいか(職業的な意味で)じゃない。

どんな自分になりたいか、何を為したいかが重要なのだろう。



だけど、毎日少しずつ磨り減っていくような気がするのはなんでなんだろう。

成功も張り合いもないからだろうか。


研究が、「終わらすべき目前の課題」でしかない。

これでは、充実は無い。


成功を収めた時のイメージを持つ。

起こりえそうな嬉しいシーンをたくさん想像する。

自分に自信を持っていい部分が増えることを想像する。



心を鈍感にさせて苦しいことに耐えられるようにしても、

ずっと苦しいまま。

もっと喜んでいい。

もっと怒り狂っていい。

もっとがっかりしたっていい。


作業機械ではないから。

学会前の最後の追い込みが来ました。


非常事態スイッチがONに入った。

ごんだくたはすばやさが2倍になった。


こういう時の方が人間倒れないですね。

不思議だ。



そういえばドラクエの3はすばやさの二分の一の値が

防御力に加算されるらしいですね。


加えて、

くにおくんシリーズの時代劇では、

防御のパラメータには、

ぼうぎょ、ばね、うたれづよさと、あとなんかもう一つ

があるんですが、

「じぶんぎょらい」の技の威力は、

うたれづよさに比例するみたいですね。

もちろん一番最初にMAXにしました。

(これをMAXにすると、どんだけ殴られても倒れられません。)


「じぶんぎょらい」中に溝にはまると、

かなり楽しい感じにバグります。

あれが友達ととっても病み付きになった技でした。

キャラクターをてきとーに扱う感じがシュールで大好きでした。


今僕そんな感じですけどね。

忘れないうちに書いておく。



なか卯は、牛丼が最もおいしい。


他のメニューは、目くらましの冷凍食品に過ぎない。


もともと牛丼で売り出しているのだから、牛丼が一番美味いというのは

当然の結論ということですね。




最近、限界までお腹が減ると、

空腹を感じなくなってきた。


まだ余裕のあるときは帰り際に食べる(なか卯)けど、

最近はそのまま帰って寝ることが多い気がする。


でも全然やせない。

間食が多いからだな。

ピアノで現在挑戦中。
アレンジかっこよすぎです!

このアレンジのセンス欲しい。

そして弾けるようになるのはいつなんだろう・・・。


自分は研究の要領が悪い。



要領がよい後輩などを見ていると、

実験ノートにのせられたデータが理路整然と整理されていて、

眺めているだけで色々な思考を膨らませられるような楽しい仕上がりにしている。


本人からも楽しそうなオーラが出ているのを感じる。


その辺の意識が足りないのだろう。



ひとつの完結した全体を愛するか。

ひとくくりのフレーズや、たった一つのアクセントに心震わせるか。

(そういえば指揮者の時も、

 この辺の意識の相違をコンマスに指摘された気がする。

 交響曲を、気に入った楽章ごとにしか聞かない自分には理解し難いのかもしれない)



実験を進めるときに、その完成予想図が見えているか。

早く終わらせることだけに目が行き、視野が狭くなっていないか。


研究は理路整然とした完遂を目指すことが理想であって、

ただ1つの結果だけで終わるということはない。



今回の学会発表では、

この習慣を身に着けることを目標にしよう。


狙った結果どんぴしゃが出なくても良い。

ただ、理路整然とした一連の結果を出すことを目指す。

そこから新たな発想が生まれ、研究成果を彩ってくれることを期待しよう。

知恵よ湧け!(未来の自分に丸投げ!)