博士(はくし)が100人いる村
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/introduction1.html
を見て、考えさせられた。
「博士ばかり100人集めた村があった場合、卒業後にどのような進路をたどるか。
7人は他の分野に行く。
そして69人はなんらかの職について科学者としての経験を生かす
仕事に従事するが、
16人は無職で、
8人は死亡するか行方不明になる。」
これだけならただのパーセンテージだけど、
文章中にちりばめられた痛烈な皮肉に考えさせられる。
片足突っ込んでいる身としては、
知らん振りではいられない。
自分が何を目指しているか。
今の自分がしていることはそれに対してどのような意味があるか。
(現状を変えられない今では、意味のない悩みかもしれない。)
何をしているかは、それほど重要じゃないのかもしれない。
自己の感性を磨くために、
人間的に豊かな人になるために、
毎日毎日何かに挑戦し続ける。
舞台はただのツールであって、
挑戦する自分はどこであっても変わらない。
何になりたいか(職業的な意味で)じゃない。
どんな自分になりたいか、何を為したいかが重要なのだろう。
だけど、毎日少しずつ磨り減っていくような気がするのはなんでなんだろう。
成功も張り合いもないからだろうか。
研究が、「終わらすべき目前の課題」でしかない。
これでは、充実は無い。
成功を収めた時のイメージを持つ。
起こりえそうな嬉しいシーンをたくさん想像する。
自分に自信を持っていい部分が増えることを想像する。
心を鈍感にさせて苦しいことに耐えられるようにしても、
ずっと苦しいまま。
もっと喜んでいい。
もっと怒り狂っていい。
もっとがっかりしたっていい。
作業機械ではないから。