伝説のピアニスト、アレクセイ・スルタノフ
旧ソ連時代に脚光を浴びたひとりの青年ピアニストがいました。彼の名は、アレクセイ・スルタノフ。今は亡き身となり惜しまれる逸材として、日本やポーランドではファンが、彼の演奏を愛し、懐かしんでいると言います。彼の名は、ある方から聞いたのですが、私も昨日まで彼の名すら知りませんでした。好奇心が沸いてきたので、少し調べたところ、何か輝くものを持っていた天才肌のピアニストだと、直感できたのです。1989年、弱冠19歳で、アメリカ・ヴァンクライバーン国際コンクールで見事に優勝。その才能とスキル、表現力は、群を抜いていたと言われていたようです。(あの辻井伸行氏が優勝した同じコンクールでの優勝)ここから世界が注目した逸材として快進撃が続くかに思われました。しかし、運命は彼が望むようにはさせませんでした。1995年、ポーランドで行われたショパンコンクールにて、決勝でショパンの『ピアノ協奏曲2番』を演奏し、万雷の拍手を浴びた彼。誰もが彼の優勝を疑わなかったそうです。しかし、審査結果は意外な結末に・・・。優勝無しの2位タイ(ふたり)となり、彼は、怒り心頭に発し、表彰式をボイコットしてしまったそうです。審査員が彼の演奏について賛否両論に分かれたとか。ショパン自身のスコアに忠実でなかったという減点をかけた審査員がいて、彼には優勝は値しないと辛い評を出した人もいたとか・・・・真実はどうかわかりませんが、2位タイに甘んじなければならなかったのは、事実のようです。ここが、伝統を重んじるクラシック音楽の矛盾と難しいところかもしれません。後年、先輩格にあたるホロヴィッツに傾倒し、同じショパンの曲を弾くのにも、ホロヴィッツ版で演奏したことが少なからずあったとも聞きます!?もし、彼が95年のショパンコンクールで優勝していたら、(たらればですが)あのブーニンやキーシンを上回る人気と実力を誇る大ピアニストになっていたかもしれません。それくらい実力と感性を感じます。ショパン ピアノ協奏曲2番は、大曲であり難曲。あの曲で終始音に輝きを持たせ、情感豊かに弾き切った技術と情熱と持久力。そこにいくまでの努力。演奏で伝わってきました。今でも惜しむファンが多いのがうなずけました。指先の1本1本が、全て鍵盤に吸い付いているかのように柔らかなタッチが生み出されているのです。どんなに速くても遅くても、このソフトタッチの流れはキープされています。女性でいえば、アルゲリッチ。男性でいえば、彼と数人。歴代の偉大なピアニスト共通の凄さです。聞き惚れてしまいます。2005年に彼は、アメリカの自宅で脳卒中系の病に倒れ、他界してしまいます。この時も、音楽界は、偉大な天才を失っていたのですね。95年の審査結果への怒りとストレスがずっと尾を引いていたのかもしれません。35歳で天寿を全うといえるかどうか分かりませんが、30代半ばで亡くなった天才といえば、モーツァルトとシューベルト。彼らも若くして苦悩を抱えていました。天才ゆえの悩みがあるのでしょう。スルタノフの輝く音・・・・心に刻んでおこうと思います。