人から「英語喋れますか?」と聞かれたことがあるかもしれません。つまり、英語ができるかどうか訊いているわけです。
では、今まで「英語聴けますか」「英語読めますか」「英語書けますか」と聞かれたことはあるでしょうか。よほど特別なシチュエーションでもない限りないと思います。人は普通、英語ができる人=英語が喋れる人とイメージすると思います。
私が英語を始めたときのイメージもまさしく「英語ができる人=英語が喋れる人」でした。英語を習得していった結果、ネイティブと自由にコミュニケーションを取れる自分を想像していました。それが強力な動機づけだったと思います(「「話す」こと重視の学習のメリット」)。
そのとき、決して英語をひたすら書いたり、ひたすら読んだり、ひたすら聴いたりできるようになる自分は想像しませんでした。
アウトプットを重点に置いた訓練を積んだ結果、30年ほど前、英検準一級やTOEIC885点をとったとき(「わたしの英語遍歴」)には、すでにネイティブと自由にコミュニケーションをとっていました。
こんなことがありました。私はある小さな塾に勤めていたことがあります。そこの塾長は英検一級を持っていた先生でした。あるとき知り合いのカナダ人ALTが塾を訪れました。
私はいつもどおり彼女と何気ないおしゃべりをしていたのですが、一級を持つ塾長はどのぐらい喋れるのかなとワクワクしながら聴いていました。ところが、とつとつ考えながら喋るのがやっとと言う感じで、一級を持つ人がこのぐらいしかしゃべれないのかと愕然とした記憶があります。
私は日頃あまり英語で話す機会はないにもかかわらず、一級面接試験ではINTERACTIONで9、PRONUANCIATIONで9(「英検一級試験の反省点 その一 二次試験面接編」)と、ネイティブとのやりとりには何ら不自由がないことを証明しました。留学経験のないアラカンの受験者の中ではまれではないかと思っています。
実際、多くのネイティブからよく、なぜJohn Leeはアメリカに住んだこともないのに標準のアメリカ英語を話すのかと言われます。
英語らしく発音するには、発音、リズム、間の三要素が不可欠ですが、英語修行時代にどのようにそれらを習得したかについてはまたお話しいたします。