「日本」という「国家」は、私たちにとってどういう意味を持っているのでしょうか。
結論から先に言えば、なくてはならない存在です。
「国家」の最大の機能は、私は自分の「安全」を守ってくれることなのではないかと思うのです。
災害が起こったとき、ミサイルが飛んできたとき、ひったくりにあったとき、誰が守ってくれるかといえば、やはり「国家」が組織する警察でありレスキューであり自衛隊なんだと思います。
単純な身の安全という意味以外でも、年金というシステムがあったり、保険というシステムがあったり、法というものによってフェアな人間関係を築くことができるわけです。
「国家」が保障する「法」というものがなければ、私たちは混沌とした社会に身を置かざるをえなくなり、現在のようにある程度秩序と平和が保たれたなかで生活することはできないでしょう。
しかし一方で、「国家」が果たすことのできる役割ないし影響力は、確実に低下してきているといえるでしょう。
いわゆる、「グローバリゼーション」という言葉で言い表される諸事象は、「国家」が行使しうる権力(パワー)を削いできています。
(このことについては、後日また書きたいと思います。)
つまり「国家」というものの位置づけが揺らいできている今、あらためて、私たちにとって「国家」というものがどのような意味を持つのかということを再検討しなければならないのではないかと思うのです。
このように考えてみたとき、「国家」というものがこれまで私たちにどのような影響を与えてきたのか、ということを再検討する必要があります。
特に日本の場合、先日も書きましたが、「歴史」というものの存在が、「日本」という「国家」のアイデンティティにとって、決定的に重要な役割を果たしてきたと考えます。
「歴史」が持ちうる意味を、「国家」の文脈から再検討してみること、このことを当面の勉強の課題に据えてみたいと思っています。