佐藤氏が言う、人が過去を認識するためのツールとして、「箱詰された時間」が存在するということは非常に納得です。

引用させていただけば、


「しかし我々は、過去を振り返る際に単純な年の連続系列だけで歴史的思考を行っているのではない。むしろ我々が過去を振り返る際に重要な役割を演ずるのは、「箱詰めされた時間」であり、重要な事件を軸にその前後と捉えたり、室町時代・江戸時代といった枠組みを使って過去を想起する方がより一般的である。「箱詰めされた時間」は、歴史的思考においては連続時間より以上に自然で、歴史認識的行為にとって不可欠の知的道具といえる。別な視点からこの問題を考えれば、歴史家とは過去を振り返るために、さまざまな「箱詰めされた時間」を発明する仕事師ともいえる。」(P.68)


とのことでした。

この「箱詰め」の仕方が、強くイデオロギーに左右されるものだったり、一方で当時の人々の時間の捉えかたの感覚を表したものであったりしたわけです。

例えば王の即位紀年によって時間を区分した場合、やはりその政権の権威を示すことになります。

その一方で東アジア型の干支による時間区分は60年のサイクルでの循環的な時間のイメージを持ち、それに元号による時間表記があいまった時間意識が共有されていた、とも言えます。

そして一方で西暦が世界的な標準性を獲得しえたのは、西欧列強のパワーということもありますが、「紀元前」という過去へも無限にさかのぼることのできる時間感覚を獲得し、数直線上に時間表記が出来るようになったのが大きいようです。


このように、時間の認識のしかたひとつをとっても、それはそれでその土地土地の文化であり歴史性であり人間性が見えてくるというのは、すごくおもしろかったです。


ちなみに、先日の「こころの年表づくり」の実践は実はこの辺の記述を参考にさせていただいていました。