今日は何を書こうかな~と悩んでいるときに、大学院の友人と、「態度目標」のあり方について話になりました。

「態度」を変えるための授業って、ありなのかなぁ?ということです。

しかし、この記事を書いているのは明日の授業の準備が終わってない夜12時。

またこんどくわしく書きますね~。


(要はサボり。ごめんなさい。)

久しぶりに、歯医者へ行ってきました。

久しぶりといっても、もはや10年近く行ってないような気がしますが。

右上の犬歯にちょっと違和感を感じ、検診がてら行ってみることにしました。


最近の歯医者さんは、私が子どものころとはイメージがぜんぜん違いました。

「インフォームドコンセント」が常識になっているんだなぁ、と。


まず、歯医者さんに見てもらう前に、歯科衛生士さんにひととおり見てもらいました。

そのうえで、口のなかのようすを「撮影」してもらいます。

座っている治療台には小型のモニタがついていて、そこにその写真を写しながら、自分の口のなかのようすを説明してくれました。

自分の歯って、自分思ってたよりずっと汚いもんなんですね。


そして実際に歯医者さんに見てもらって、念のためレントゲンを撮ることになりました。

怪しい機械が顔の周りを一周して、撮影完了。

治療台にもどると、なんとノートパソコンを歯医者さんがもってきて、そこにレントゲン写真を写していろいろ説明してくれました。


結局、かるい虫歯が何ヶ所かと、昔直したところの詰め物が欠けたりしている、とのことでした。

せっかくなので、全部治してもらうことにしました。

今日のところは、(かわいい)歯科衛生士さんに歯のクリーニングをしてもらって(これをすると虫歯が治しやすいらしい)、次回から治療とのこと。


そこの歯医者は、すごく雰囲気がよく、安心して治療を受けることができました。

なんせ、男は院長のみで、あとはちょっと若めのお姉さんばかり…。

しばらく行ってないと、歯医者も変わるもんなんですね~。

ブログペットの「アイ」についてちょこっと。


先日覚えたアクション。


「放屁」


なんじゃそりゃー!!

ぜひクリックしてやってください。

ほんとに放屁します(汗)


そして第三形態になった今日、なんと文章をしゃべってくれました。


「学生を研究しよう!」


う~ん、確かに。

がんばって勉強しろとペットに励まされた今日でした。

なぜか山ごもりの話が好評なので、昨日何をやったか書いてみたいと思います。


配属はドーナツ課でした。

いやーな予感がします。

昔、「ドーナツ課はありえない」と聞いたことがあったような気がしたので。


昨日のメニュー。

製品(4つ入りのドーナツ)のケース詰め…1時間

ケースの回収作業…1時間

流れてくるカレーパンを1列に並べる…2時間

休憩…1時間

流れてくるカレーパンを1列に並べる…2時間

ゴミ捨て…1時間

掃除…3時間


ひとつの作業をひたすらやる時間が比較的短かったので、多少楽でした。

特にゴミ捨ては表に出られるのでいい気分転換になりました。

とはいえ、もう一生分カレーパン見た気がする(汗)

せまりくる、カレーパン、カレーパン、カレーパン…。

あの油臭は、なかなかこたえます。

逆に、油だらけなので、非常に掃除が大変でした。

あの工場、毎日の掃除にかなりの時間と労力を費やしてる気がする…。


しかし、私これで山ごもりは3回目なのですが、やっぱりこの思考停止系のお仕事、案外向いてるかも。

おもったより疲れてないし、確かに工場の中では悠久の時間が流れてますが、終わってみればなんてこともないかな、と。

週1回くらいこもってみようかなぁ。


経験者の皆さま、何課ではたらくのがよいか、アドバイスいただけるとうれしいです。

とりあえず、ドーナツ課はもういいや…。

今日、これから「山篭り」をしてきます。

今年で25になるとはいえ、未だ学生の身分、アルバイトをしないと生活費と学費が稼げないのです…。

かといって学校で非常勤講師をしている以上、あまり世間に顔をさらすバイトもできません。

(コンビニやファミレスでバイトをして生徒にでも見つかったら大変なことに…)


ということで、禁断のアルバイトに手を染めてきます。

数年前にやったときは案外耐えられたから、だいじょうぶかなぁ…と。

自分に対して、健闘と健康を祈ることにします…(汗)

中央区ツアーをしてきました。

「中央区」と聞くと、「何があるの?」って感じであまりイメージが湧かないかもしれませんが、銀座、築地、月島、佃、日本橋、などなど、もう少し小さな地域区分ではイメージが湧くのではないでしょうか。

(今回写真を撮ってき忘れたのでわかりにくいですね…ごめんなさい)


まず行ったのは月島。

月島といったらもんじゃ焼きですよね。

最近は便利なもので、インターネットでクーポン券をプリントアウトしていったら、えらく安く食べられちゃいました。

月島や佃といった地域は、確か江戸時代に埋め立てられた地域だと記憶しております。(間違えてたらごめんなさい)

建物の雰囲気も、なんというか、昭和チックとでもいえばいいんでしょうか、いわゆる下町風の建物が多かったように思います。

1階が商店、2階が住居になっているものや、トタンで葺いているような建物もまだありました。

ああいった建物も、いまや貴重な存在ですよね。

ぜひ江戸東京たてもの園にでも移築してほしいものです。


そのあと隅田川を渡って、築地の方へ。

築地市場は銀座のおとなりなので、道路沿いは立派なビルが多かったです。

川一本わたっただけでこんなにも風景が変わるものかと思いました。

一本、道をはいって築地市場のほうへ向かうと、また風景が変わります。

いわゆる「場外市場」というやつですね。

かつお節屋やすし屋、道具屋が軒を連ねる、これまた不思議な雰囲気の街です。


さらに築地市場に足を踏み入れてみると、扇形の建物のなかに、せり場、仲卸業者の店舗、トラックを横付けして配送する場所が配置され、そのなかには発泡スチロールを破砕する場所、氷を売る場所、塩を売る場所、そして市場に集まった人のための食事場やはかりなどの機械を売る場所があります。

あそこでしか見られない、独特の乗り物もあります。(なんと表現したらよいのか…写真がないのが痛い!)

今でも牛丼が食べられる吉野屋一号店もこのなかです。

昼間に行ったので閑散としていましたが、朝行けばまさに熱気にあふれています。

数年前に大学の臨地研究で築地市場の移転問題を扱ったときに、朝早く行ってせりを見学させていただいたのをよく覚えています。


こうしてみると、歩いて15分くらいでいける範囲に、教材になりそうなものがごろごろ転がっているんですね。

この辺を素材にして社会の授業をやったら、地域密着の素材から歴史にも地理にも公民にも発展できそうです。

地域教材を組み込んだカリキュラム作り、私の現任校でも取り組まなければ、と思います。

ご無沙汰になってしまいましたが、「歴史と国家」シリーズです。

今日は、ある特定の文化を「よいもの」として教授することの問題点についてです。


…といっても、このことについては以前の記事でもけっこう触れているので、簡単に。

要は、国家のなかの多様性を前提とするならば、なにか特定の立場に肩入れすることによって、その立場にいない人を抑圧してしまう、ということです。

日本において、「日本的な文化」がどんなものであるのか、それを紹介することは必要だと思います。

日本列島で生活している以上、どんな立場に立っているのであれ、知っておいたことがいいことがあからです。

しかし、それを「よいもの」かどうかを判断するのは子どもにゆだねればよいと思います。

「教師」が「よいもの」だと思って紹介すればそれが自然に伝わってしまうということはあるとは思いますが、そういった価値判断からは「教師」はできるだけ自由でなければならない、そう思うのです。


もちろん、教師が価値判断を示さなければならない場面はあります。

道徳や倫理として間違っていることは間違っていると言わなければなりません。

あるいは討論の授業があったとして、もし「教師」としてではなく「個人」としての見解を求められたならば、価値判断を示すことも大切でしょう。

しかし、「教師」が価値判断を示すことが、子どもの生き方を否定することになってはいけないと思うのです。

それは、以前に「文化」を国家のみに帰属させることの危険をお話したとおりです。

「教師」が「これはあくまで自分の意見だけど、日本の文化は素晴らしいんだ!」と語るならばまだいいと思いますが、たいてい授業で「日本の文化の素晴らしさ」を語るときは授業全体のストーリーとしてその主張を体現してしまうのが現実だと思います。

子どもが「そんなに素晴らしくもなくない?」と思える余地を授業のなかで保障しておくことが大切なのではないでしょうか。


もちろん、「教師」が「日本語の表現ってのはすばらしいんだよ!」と語ったとして、子どもがそれをそのまま受容するわけではありません。

子どもは子どもなりの世界を持っていて、学校以外からも様々な情報を得、価値観を形成しています。

ですから、「教師」が「教師」として価値観を提示することを危惧しすぎなのかもしれません。

高度情報化社会といわれる状況のなか、子どもに学校で何を学ばせればよいのか。

そう考えたとき、学ばせるべきは、ある一定の価値観に基づいた「道徳」ではなく、複数の立場に身を置いて「他者」の立場に立って考えることのできるような、そういう見方を獲得することだと思います。

仮に「日本の文化は素晴らしいんだ!」と教授したとして、それをそのまま受け止めるという思考方法は、容易にある一定の価値観に偏っていってしまうということになります。

何事に対しても、「ちょっと待てよ?」とダウトをかけ、違う立場の存在を確認する、そのような姿勢が、現在の社会においては求められているように思います。


monoyaomouさんがおっしゃるとおり、「教師」は「権威」であり「権力」です。

今回の記事で意識的にカッコ付きの「教師」を使ってきたのは、実はそういう含意があります。

monoyaomouさんが例に出されているように、例えば日本のよさもいいつつ他の文化のよさもいう、そのようにある価値観を相対化することが保障されているならば、「日本的な文化」のよさを主張するのもいいのかもしれません。

しかしそれは単純にやり方の問題だと片付けられる問題ではなく、常に相対化の可能性、ある一定の見方にならない可能性を保障するという、複数化の思考こそを大事にしなければならないと思います。

あるいは、第三者に「日本的な文化」のよさを語らせるならよいのかな、とも思います。

権力者としての「教師」が「よさ」を語ってしまったら逃げ道がありませんが、第三者が「よさ」を語る分には、彼には「権威」や「権力」はありませんから、批判的に見ることも可能なのではないかと思うのです。

そういった存在としてゲストティーチャーを活用していくこともありなのかな、と思います。

今日は古墳時代についての授業でした。

今までグループでの活動をやったことがなかったので、今日はグループで作業をさせました。

ちょっとおとなしめの感じなので、活性化する意味合いも込めて。


今日の課題。

1.「古墳時代は○○な時代」にあてはまる言葉を考えなさい。

2.1の理由・根拠となる具体的な事実、資料を挙げなさい。


これをグループで検討し、もっとも古墳時代を端的にあらわすものをひとつ挙げ、クラスでその是非を検討するという授業になりました。

といってもなかなか知識のない状態で子ども同士の討論は成立しないので、私がツッコミを入れる、というかたちでしたが。


結果、


「『日本国』が生まれた時代」

「大和朝廷の時代」

「墓ブームの時代」

「渡来人が来た時代」

「身分の差が大きくなった時代」

「国内統一時代」

「古代エジプトのような時代」

「朝鮮&中国との交流の時代」

「副葬品の時代」


などなど、意外に多様な意見が出てきました。

クラスによって偏りがずいぶんあるので、明日の授業の展開が大変そうです(汗)

中国や朝鮮とのかかわりを指摘したものが案外多かったので、この辺を取り上げてみるとおもしろいかなぁ、なんて思っています。


ということで、授業の準備があるので、このへんで~。

来週のあたまに、定期試験があります。

勤務校は2期制をとっているので、ちょっとおそめの初試験です。

1年生にとってははじめての定期試験、どんなようすか楽しみでもあります。


私の個人的な意見として、定期試験は子どもたちの学習の成果の確認の場であると同時に、ひとつの授業でもあると考えています。

ですから、単純な一問一答だけではなく、授業では扱っていない資料をもとに考えさせるようなこともしてみようかな、と思っています。


このことは、中学校の方で観点別評価をしなければならないことともかかわっています。

「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」というよっつの観点で評価をして総合しなければならないので、当然試験をはじめとした諸評価もそれに対応しなければいけません。

ですから、例えば資料をもとに分析する問題を「技能・表現」を評価するように配当したり、ある時代の時代背景を説明させる問題を「思考・判断」に配当したりしています。


まだ試験前なので具体的に問題をお知らせできませんが、試験が終わったら、結果と共にまたお話できれば、と思います。

今日は、体力の限界に挑戦しているところなので、ブログの更新はお休みさせてください。

また明日から、がんばっていきますので~。