何気なく

 

大事にしている手紙を読み返すことがあります。

 

およそ一年前に、

 

長年の先生からいただいた手紙のなかの一言 ―――

 

人の大切なことは変わらぬ心を続ける事と

 

現在のめまぐるしく変化する時代を考えると

 

貴君のような人の大切を思うばかりです。

 

 

この言葉はもちろん、

 

いつ読み返しても

 

内に響いて目頭が熱くなるような手紙を

 

ときどき思い出したように、

 

文箱から取り出して手にとることがあります。

 

 

そしていつも思います。

 

人は人によって生かされている、

 

ということを。

 

 

道場は、まさにそのような場です。

 

独りで稽古をしているようで、

 

その空間をともにしている仲間たちと

 

不可分の関係にあり、

 

お互いに気持ちや刺激を交換し合っています。

 

私たちが継承する伝統の稽古は、

 

決して画一化されたものではなく、

 

それぞれの呼吸に心身の揺れや動きを合致させて

 

みなで全体の空気をつくり上げ、

 

相互に、自分を高め合う場なのです。

 

 

先日、基本から始まる形(かた)を

 

師範、指導員でそろって通して行いました。

 

およそ20に及ぶ形(かた)をすべて。

 

これらは個人ごとの稽古であるようで、

 

文字通り、ともに稽古をするもの。

 

長年に渡る愚直な取り組みの一つで

 

息が上がるときがあり、

 

心が乱れるときもありますが、

 

そのようなとき、

 

恩師にはよく言われたものです。

 

下を向くのではない、前を見ろ、と。

 

 

 

 

           「 声 」を待つ

 

 

人の視界は優に180度を超えます。

 

そして、

 

個々の視界の及ぶ範囲にとどまらず、

 

そのそとにおいても、

 

周囲の雰囲気や場の全体の空気を

 

感じることができる。

 

その感覚が、

 

自分が一人ではないことを気づかせてくれます。

 

そして、

 

このことが一人では到達し得ない水準、

 

既知でない、未知の領域へと引き上げてくれるのです。

 

まさに、

 

これまでの自分の枠を超えてくる瞬間を

 

味わうことができる。

 

何とはなしに掌を柔らかく包むような

 

ふわりとした右の拳の握り。

 

この厳しさと愉しさ、

 

豊かさを表す言葉は容易に見つかりませんが、

 

決して、

 

人との比較や優劣ではありません。

 

自分の時間軸での成長であり、

 

この絶対的な価値、唯一無二の縦軸が、

 

前言を超える表し方となりますが、

 

あらゆる面で相対的にも他の追随を許さない、

 

決して揺るがない

 

己を成すことができるものとなるのです。

 

 

いま、生かされていることを感じます。

 

ここから何ができるか、

 

すでに自己顕示のときは過ぎ、その先の支える側へ。

 

いまこのときにこそ、改めて、

 

自分なりに試行錯誤をしていきたいと思います。

 

 

追記

 

道場は、手技や足技、

 

組手、形(かた)の技術を学ぶこと以上に、

 

その本質は心身の学びを

 

積み重ねていくことにあります。

 

 

先日の稽古では、基本の立ち姿勢から

 

受け技、移動、組手の動きなど

 

足腰から立ち上がる軸のつくり方を稽古しました。

 

すべてにおいて

 

足の指までしっかりと意識をして

 

稽古に取り組むことの大切さを

 

梅田師範からみなに教えていただきました。

 

 

恩師もよく見てくれたものです。

 

稽古の途中に、

 

身体の遣い方や足の遣い方を目を見開きながら

 

そばにグッと近寄ってこられる。

 

そして、

 

道場に漫然と立っているのではない、

 

足裏と足の指10本で床をつかみ、

 

足腰から両腕、体幹までその全体が

 

ガチッと内に締められていることを見定めると、

 

うなずきながらスッと離れていくのです。

 

 

この瞬間は、少年時代はもちろん、

 

いい大人になってからも

 

自分に気の緩みはないかと緊張感が増したもの。

 

いま思い返しても、

 

ふっと笑みがこぼれてくるような

 

刻み込まれている記憶です。

 

 

足の裏やふくらはぎは「第二の心臓」と

 

よく言われます。

 

それほどに大小の血管や毛細血管がすみずみまで

 

網の目のように張り巡らされており、

 

心臓から送り出された大量の血液が

 

その一番遠いところから

 

臓器に戻っていくところでもあります。

 

 

私たち現代人には、

 

素足を意識して何かをする機会は

 

皆無に近い日常ですが、

 

本質の学びはすべてに通ずるものです。

 

このことに疑いはありません。

 

 

伝統の武道に

 

いまもうなるような驚きと喜びを感じるとともに、

 

その学びを深めるほどに、

 

先人たちへの畏敬の念は増すばかり。

 

いまは見つかりませんが、

 

これを超える感慨に

 

いつか辿り着くような日がくるのか...

 

 

5つ、再掲します。

 

意志と伝統

 

立禅

 

強さ

 

生涯にわたり、生涯ののちも

 

自己顕示から支える側へ