稽古に普遍的なものはたくさんあり、
精神的なもの、物理的なもの
双方ありますが、
その一つに「重心を内に据える」ことがあります。
形としては、
肘の位置取りや軌道に表れるもので、
両肩と両の腰骨を結ぶ四角形(スクエア)、
両肘がこのスクエアを外すことなく、
仮に外に出る瞬間があったとしても
つねに重心はこのスクエアの内にあり、
引くときには最短距離で戻す。
ここが絶対的な領域です。
肘を締めることは、長年、
恩師から指導を受けてきたものですが、
ふと気がつけば自分のものとなっています。
基本はもとより応用や連続技、
組手の攻防においても一貫するもので、
重心を内に据えることは、
呼吸法と並ぶ稽古の基本であり、
心身の学びの中心です。
確かな存在、
ゆるがないものがあり
とても魅力的で、
ときには敬意や畏れも入り交じるような何か。
これらは、
その結果であり、
本質はすべてその内にあります。
内にある
端的に言えば、
見えるものは、見えないものを表している。
いま知覚しているものは、
その内にあるもの、
容易には知覚し得ないものの表れです。
呼吸法や心身を内に締める修練が
表には表れない、
目には見えないものを育み培って、
結果として表に現れ、
視覚的に見えるもの、
感じられるものとなっている。
呼吸法とともに重心を内に据えて
己を自在とすることが
どれほどのものか ―――
こう在りたいという想いがあり、
目の前に広く想像できる世界があります。
すべての根源は心身とも弱い自分、
できない自分であり、
いまも根底にあるものは変わらないのですが、
不思議なものです。
これまで唯一無二の道を歩んでおり、
これからも自分の道をつくっていくことは
もはや、ゆるがない確信です。
追記
日頃、無意識で
行っている呼吸を
意識化してコントロールする。
自律神経に自ら働きかけ、
交感神経と副交感神経を並び立たせて
あらゆるものを引き上げ、
同時に、静め、鎮める。
ほかの動物ではない、
人間だけがもつ潜在的な特性です。
普段、無意識であったものを
意識して修練を重ねていくことで
新たな形として
無意識にできるようになる段階は
必ず訪れます。
つまり、
潜在化されていたものを
一度、大きく顕在化させて、
長年の稽古によって内在化させていく。
これこそが、
自分のものとするということ。
やはり、継続こそが力です。
先日、空手道とは異なるところで
長年お世話になってきた先輩が、
「これまで私は運が良かったんですよ」
「先生に恵まれてきました」
「たくさんの出会いにも恵まれてきました」
と、しみじみと振り返りながら
話してくれました。
これに加えて、一言、
「向こうは迷惑だっただろうけどな」と、
ニヤリとした笑顔で悪態をついていました。
現役時代には社会で
相当に実績を上げてきたことがうかがえる、
80歳を超えてもなお精悍な方。
対照的に、
いまの話しぶりは謙虚でいらっしゃる、
その深みのある表情がとても良かった。
私の恩師も、
恩師・山口剛玄先生につねづね、
感謝していました。
恩師と出会ったからいまの自分がある、と。
時代は変わっても、
いつの世も
人の人生というものは、
そういうものの連続であり
つながりなのかもしれません。
5つ、再掲します。
