先日、中学校の卒業式を終えたばかりの仲間が
稽古にやってきました。
とても晴れやかな表情とともに
しっかりと自分を持ち始めている様子もうかがえ、
年齢だけではない成長を感じます。
彼には受験を終えたあとの稽古でも
みんなの前で話をしてもらいましたが、
特に印象に残っているのが、
一貫して、自分一人の力ではない、
という気持ちを持つようになったということ。
家族をはじめ、たくさんの人たちの存在が
頑張り抜く支えとなったという
大きな実感がそこにつながっている様子です。
年上も年下もいる道場のなかで
その話ぶりは穏やかですが力強さもあり、
彼のなかで確かなものが
培われてきていることが感じられます。
その話を受けた、
二十代の若い指導員からの言葉も良かった。
小学生のときにここで稽古を始めて、
この3月でちょうど20年になるという。
稽古を始めたときと、
その初心を覚えているということ、
そこから不断の努力を続けてきて
自分の節目を大切にしているということ、
どれも素晴らしいと思いました。
そして、コツコツと取り組む、
続けることの大切さをみなに話してくれました。
中学校を卒業した彼にもこの若い指導員にも、
どのような話をしてほしいと頼んだわけではなく
その内容について
私から一切の促しも誘導もしていません。
いずれも、
自分で考えて話をしてくれたことに
二人の着実な成長を感じることができました。
いま高校一年生で、
昨年、中学校を卒業した若者も、
みなの前で堂々と話をしてくれましたし、
私はもはや不要だと思えるほどに
みなが自分で考え歩き始めていることがうれしい。
来年、受験の者にも励みになったことでしょう。
ふと思い返すと、
これらのことも私たちの伝統です。
稽古とは指導者からの一方通行の教えではなく、
キャリアや年齢、段級にかかわらず、
指揮を執ったり、号令を入れる時間をつくったり、
みなの前で話をする機会をつくっていること、
これらが長年、人から人へつながっていることを
道場の草創期からいる者として実感しており、
恩師への感謝の想いも新たになります。
そして、
あらゆる面で一朝一夕には成らないこと。
段級や経験年数にかかわらず、
道場に集う者は指導者も含めてみな途上であり、
個々に学びがあるからこそ、そのときどきで
しっかりとした節をつくって成長し、
自身のゆるぎないものとしていくことが
できるのです。
改めて、恩師の言葉が思い起こされます。
道場生がいつか壁にぶつかったときに、
ここでの稽古が
人生を切り拓く何かにつながればと思って
段級を渡してきた、ともに過ごしてきた ―――
恩師 与那覇師範 リヒャルト師範
齢80半ばで視力が弱まり、
その目を閉じて両手を少し前に上げて、
しわの深い、人生を重ねてきたその表情で
もがくような仕草をしながら話してくれたことが
とても印象深く、いまもよく覚えています。
これ以上、言葉では表せません。
あたたかな春を迎える素晴らしさを思うとともに、
多くの出会いや学びに支えられてきたことが
自然と思い返されてくる、
いい時季です。
追記
ときどき、ジムのトレッドミルで、
または外でランニングをしているときに
きれいなフォームですね、
と声を掛けられることがあります。
短距離より長距離走の方が得意であったため、
長年のものもあるのでしょうが、
やはり、道場で学んだことが大本に
あるように思います。
基本の姿勢はもちろん、
軸と重心をバランスさせる肘や膝の使いかた、
それらの引きが大切であることと、
全体の上下動のブレも少ないことなど。
そして肝心の呼吸法も、
この道場で培われてきたものに他なりません。
マラソンの専門家ではありませんので、
コツを尋ねられたら、少しお伝えする程度ですが、
走ることだけでなく、
すべての面でここでの学びが大本にあり、
あらゆるものへ応用が自在で、適応もできる、
その感覚や手応えもある。
ここに、精神的な学びも加わって、
いまのものがあるのです。
ウォーキングやランニングをはじめとする
有酸素運動は体力的な厳しさ、
時間も長くかかることで簡単ではありませんが、
この清々しさは、なかなかありません。
外であれば、四季の移ろいも感じられて、
ふだんは目に留まらない草花、
風の匂い一つとっても日ごとにそれぞれ。
ウォーキングやランニングの方々を見かけると、
こちらまで励まされるよう。
憧れや尊敬だけでない、不思議な魅力もある、
そのような刺激をいただきながら、
私もまた少し走ってみようと思います。
5つ、再掲します。
