といっても、私の知り合いに国会議員がいるわけではないですので実態はわかりませんが、少なくとも、今日の国会での首相所信表明演説の動画を見て、国会議員たるものの品位がこれほどのことかと、悲しい思いになりました。

約35分ほどの演説でしたが、冒頭および結びの部分を中心に投げかけられていた国会議員によるヤジはひどいものでした。中には、言葉は悪いですが、単なる酔っ払いの雄叫び、おばさんの金切り声のようなものもあり、聞くに堪えないものです。

当然議員によっては主義主張が異なるわけで異議を唱えたい人はいるのかもしれませんが、どうもそういう全うなヤジ(?)というよりは、単に囃し立てているというか、極論すれば意味のない雑音でしかないようなものもあります。

昔から国会での演説にはヤジは付き物とされていて、特に議会前方に座っている当選1回の新人議員は先頭にたってヤジを飛ばすように奨励されている、などとの噂話も聞いたことがありますが、その真偽はさておき、いくら昔から続いている「風物詩」とはいえ、恥ずべき悪しき風習は改めてほしいものです。

野田首相が、ヤジの飛び交う所信表明演説の最後に、一呼吸おいてから「ご清聴ありがとうございました」というのが、なんともシニカルでした。



以前の記事で書いたように、私はたまたま世間のお盆休みに近いところで夏休みが取れたのですが、会社の制度上は決まった時期の夏休みというものはなく、夏季期間(7月~9月)のどこかで自由に夏休みが取れるということになっています。

もちろん全て自己都合で取れるわけではなく、クライアントの夏休み期間、プロジェクトの進捗状況、他のチームメンバーの夏休み取得状況などを考えながら調整するわけですが、それでも「私はここで休む」と予め宣言してしまえば、だいたいそこで調整ができるようです。

独身のコンサルタントや、結婚していても子供にないコンサルタントにとってはこの制度は大変都合が良いようで、お盆や(世間一般の)夏休み期間を外して9月に入ってから休みを取り、安い値段で海外に行く人も多くいます。ただし家族がいるコンサルタントになると、子供の学校を休ませるわけにはいかないのか、だいたい8月の中旬~下旬にかけて取る人が多いようです。(その場合は子供がちゃんと夏休みの宿題を終わらせていないと、どこへも遊びに行けないですね・・)

そういうわけで、先月の中旬から皆が代わるがわる夏休みを取っている状況で、オフィスの中も少し人が少なく、さみしい感じがします。

・・・と思っていたら、9月になって中途入社のメンバーが入ってきて、また少しオフィスの中が(いい意味で)ざわざわとし始めました。気がつけば私もそろそろ1年目が終わろうとしているわけで、新入社員にいい手本を見せられるように頑張らなければ!

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以前の記事で、節電の取り組み方について、目的に適っていないことが黙々と行われていると書きました。いろいろな本を読んでいると、どうもこれは日本人の行動特性そのもののようです。つまり、内面では「おかしい」と思っていることがあっても、取り立てて声をあげずにまわりの空気に従うという行動特性です。

社会心理学者の山岸俊雄さんは「心でっかちの日本人」という著書において、「相互依存関係」という言葉でこの日本人の行動特性を説明しています。

例として「いじめ」が取り上げてられているのですが、例えばある学年の1組でいじめが起こり2組でいじめが起こらないとしましょう。このような差が起きるのは、両方のクラスの生徒の「心のあり方」が違うからではなくて、1組では「いじめに対して声を発しないほうが得な状況」が作り出されているからだ、ということを指摘しています。

つまり、いじめに対して声をあげるという行為の利得とロスを比較した場合に、1組では「いじめのないクラスを実現できる」という利得よりも「自分が逆にいじめられるかもしれない」というロスが大きい状態になっているため、いじめがなくならないということです。

コンサルタントの冨山和彦さんも「挫折力」という著書のなかで 、「日本の組織の行動様式はシーソーに似ている。集団の調和を重視し、空気の支配の影響下にある日本人を中心とする組織は、一定以上の人数が宗旨変えを明らかにすると、あとは付和雷同的に同調する場合が少なくない」と述べています。

日本人は周りの状況を見ながら行動する性向が強いので、ある臨界点を越えるか越えないかで、結果として状況が正反対の方向になるということです。別の言い方をすれば、ある臨界点を超えれば一気に流れが変わるということを指しています。

その点では、冨山さんが「シーソー」と書いたのは確かにわかりやすいアナロジーです。あるいは天秤といってもいいかもしれません、天秤が一方に傾いている場合、片方に例えば100gのおもりが載っている場合、もう一方の端に10gのおもりを乗せても天秤はピクリとも動きません。さらに10gのおもりを載せても同じです。しかし、既に95gのおもりが載っている状態であと10g足せば、天秤は一気に動いて反対側に倒れます。

コンサルティングを行う際には、クライアントの行動様式を変えてもらわなければならないことも良くあります。その際に、ここで書いたような日本人の行動様式を意識し、「心の中の想い」と「行動」のギャップを生み出しているしくみを意識しないと、なかなか「行動を変える」という結果が表れてきません。

ギャップを埋める方策として「利得」を高める方法、つまり個々人の心に働きかけてモチベーションを高めるということは重要ですが、時として「ロス」を下げる方法、つまり「こうしたとしても別にあなたに損なことはないですよ」という状況を作り出すこともまた、人の行動を後押しするうえで非常に重要だと思っています。

特に、いくら正論を振りかざしても事が前に進まないときは、その裏では、色々なわだかまりやしがらみが存在する場合がほとんどです。そういったものを丁寧に解きほぐさないと、いくら前に事を押しすすめようとしても動きません。

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昨日、産業革新機構が主導する、東芝、日立、ソニー3社の中小型液晶事業の統合のニュースが発表されました。携帯電話やスマートフォン、あるいは車のナビやインパネ等に使われる中小型液晶ディスプレイは、私が前職で深くかかわった業界ということもあり、非常に思い入れがある事業です。

今回発表されたのは東芝、日立、ソニーの三者ですが、中小型液晶事業はこれまでにも何度か大規模な業界再編を行ってきました。そのため今回発表になった東芝には松下の血が、ソニーには三洋電機とエプソン(あとマイナーですがIBM)の血がそれぞれ入っています。そういう意味では、今回の統合は、日本の各総合電機メーカーが抱えていた液晶部門の歴史を背負ったものといえます。

エレクトロニクス業界では、同じような統合が半導体業界で一足先におきました。その結果、メモリー専業のエルピーダメモリと、ロジック専業のルネサスエレクトロニクスという2つの会社に最終的に集約されて、2社ともぎりぎり世界的に競争できるポジションを維持しています。液晶業界も、今回の統合により発足する「ジャパンディスプレイ」とシャープの2社に集約され、それぞれが世界シェアNo.1とNo.2のポジションを占め、日本の液晶事業もようやく世界的に競争力のある体制になったと言えます。

今回の統合構想は、中小型液晶業界では数年前から描かれていたもので、私も前職で4年ほど前に、今回の構想と内容はほぼ同じ内容の構想を描いていました。
・過当競争を緩和するために、世界第1位であるシャープ以外の、主要日系液晶メーカーを1つに集約する
・約1,000~1,500億円をかけて、生産性の高い第5世代で、高精細ディスプレイが作れる中小型液晶専用ラインを作る
・あわせて、全国各地に点在する生産性の低い旧世代(第3世代以下)の生産ラインを廃止し、第4世代以上のラインに集約する

ただし、当時は今回の産業革新機構のように大規模かつ比較的長期スパンで出資してくれそうなファンドはなく、また高精細液晶が使われるスマートフォンのような先端デバイスの存在もまだ見えていなかったために、構想だけに終わってしまったという経緯があります。今回、スマートフォンの市場の急成長という後押しと、産業革新機構のようなファンドの存在の2つが相まって、ようやく長年の構想が実現したというのが、この業界で関わってきた人の本音ではないでしょうか。

ただし、今回の統合でそれで安泰かというとそうではありません。規模を活かしたコスト優位性を実際にどうやって実現するのか、特に旧世代のラインの統廃合や、余剰となっている人員の削減がどこまで進むのかがまず喫緊の課題となります。そして、コモディティ化して価格下落の波にのまれてしまうのが常のデバイス業界にあって、商品開発サイクルをいかに早く回し、次々を新商品を出すことで平均売価の下落の抑えていくのかも重要なポイントです。そして何より、「モノ売り」というこれまでの枠を超えて新たな地平に踏み出していけるのかというのが、長期的な視点でのチャレンジだと思っています。

産業革新機構が今回出資する約2,000億円という資金を回収するためには、新会社をそれ以上の企業価値をもつ会社にする必要があります。簡単のために仮にPERを10倍とすると、年間200億円の純利益を出し続ける必要があります。新会社は売上高が約7,000億円になる企業ですので、利益率では3%程度です。

デバイス事業では、真のコアデバイスを有する場合は10%強の利益率を確保することは可能であり、そういう意味では、それほど高いハードルではありません。しかし、コモディティ化と価格下落により利益を出すことさえ難しかったという、これまで液晶事業がたどってきた道を考えると、相当なチャレンジとなります。

新会社の経営者(CEO)は外部から招聘されるということですが、この難しい事業のかじ取りを是非期待したいところです。



前回の記事で節電への取り組み方についての記事を書きましたが、節電に関して、避けて通れない話題が1つあります。それは、原発の再稼働是非に関する問題です。

以前の記事でも書きましたが、この問題に関する私のスタンスは、長期的には原子力を代替する新エネルギーへとシフトしていく必要性はあるものの、短期的には原発の再稼働が必要という立場です。また長期的にも、全ての原発を停止するのではなく、エネルギー供給のポートフォリオのなかで原発の比率を今よりも落としていくという「減原発」の立場です。

私のスタンスはさておき、この問題を考えるにあたり、一般的に言われている原子力発電の安全性や事故による放射能汚染のインパクトという点の他に、以下の2つのことを考慮する必要があると思っています。

一つ目は、二酸化炭素の排出量削減という課題との折り合いです。今夏の電力不足を乗り切れたことで、原発が無くてもなんとかなるという見方があるかもしれませんが、実際のところは、老朽化した火力発電を再稼働したり、ガスタービン発電を新設したりしてなんとか乗り切ったというのが実情です。これらの発電方法は基本的に石油やガスを燃料としています。実際、一連の原発停止にともない、各電力会社が購入する燃料(=主に重油)が急増しました。購入した燃料が増えたということは、その分が燃えて、二酸化炭素の排出量が増えているということです。

原発をはじめとするエネルギー政策というのは各国の内政問題であり、かつそのスタンスが国より大きく異なります。一方で、地球温暖化対策というのは、文字通りグローバルな課題です。この内政課題とグローバルの課題の間で、これまでも各国の思惑がぶつかり合いながら、二酸化炭素削減の取り組みが模索されてきました。

二酸化炭素の排出量増加が地球温暖化と科学的な因果関係があるのかというのは、未だ論争の種になっています。しかし、二酸化炭素の排出量削減が国際社会での争点になっていること自体は事実です。その事実を目の前にしたときに、脱原発と二酸化炭素の排出量削減をどのように折り合いをつけていくのかは各国の新たな課題となってきます。

二つ目は、電力コストの上昇という点です。ただし、ここで注意したいのは、よく火力発電と原発のトータルのコストを比較してどちらが安いかという議論がされていますが、それは新たに発電所を作る場合に有効なのであって、現状のようにすでに原発も火力発電所もあるような状況では、「総コスト」で比較するのは、あまり意味がないという点です。

この場合に考えるべきは「限界利益」であって、限界利益の高い、つまり変動費の低い発電方式の割合を多くしたほうが、トータルのコストは安くなります(限界利益については、こちらの記事をご覧ください)。現状では、一般的に原発のほうが固定費が高く、火力発電のほうが変動費が高いと言われています。この場合は、原発の稼働を止めて火力で補うということは、結果としてコスト高になってしまいます(少しややこしいと思いますので、この記事の最後に簡単なシミュレーションを載せました)

発電コストが高くなると、同じ収入だとして、電力会社の収益性は当然悪くなります。さらに、節電によって電力収入自体が減少していますので、さらに輪をかけて電力会社の収益性は低下し、現状は多くの会社が赤字に陥っています。電力会社が単なる一企業であれば、赤字になって倒産したとしてもあまり影響は大きくないのですが、現状では地域独占企業であり、かつ電力が社会インフラであることを考えると事はそう単純な話ではなくなります。倒産して電気が供給されないと困るからです。

もちろん、地域独占という事業環境の中で電力会社が相当の高コスト体質になっていることは容易に予想され、そういった部分でのコスト削減の自助努力は必要です。ただし、かりに無駄なコストを削減できたとしても、比較としてコストの高い発電に依存することは、電力料金と言う形で結局は利用者側に負担が跳ね返ってきます。つまり、発電コストの問題を考える際には、電力会社内のコスト削減の自助努力は期待しながらも、仕組みとして、トータルの発電コストが安くなるような発電ポートフォリオを考えないといけないということです。

少し長くなりましたが、前回の記事で書いた節電への取り組み方といい、今回の記事で書いた脱原発の話といい、今回の震災に端を発したエネルギー問題に関しては、少し一面的な議論や判断が多いような気がしている今日この頃です。

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※原発を止めて火力にシフトすることがトータルとしてコスト高になることを、簡単な前提をおいてシミュレーションしてみたいと思います。

ここでは、原発と火力の発電コストがそれぞれ10で同じであるとしましょう。そして、固定費と変動費の内訳は以下のようであったとします(実際はこの通りであるかどうかわかりませんが、原子力のほうが変動費が少ないかという傾向は変わらないと思います)
原発: 固定費8、変動費2
火力: 固定費4、変動費6

そして、100の電力を供給するのに原発と火力で50づつ稼働させている状況を考えます。このときのコストは以下のようになり、合計で1000のコストがかかっています。
原発: 固定費400、変動費100 合計500
火力: 固定費200、変動費300 合計500

さて、この状態で原発を止めて、全て火力で100の電力を供給するとします。このときに重要なのは、固定費は発電量の多寡にかかわらず発生する固定的なコストだということです。そうすると、このときのコストは以下のように計算され、合計で1400になってしまいます。
原発: 固定費400、変動費0 合計400
火力: 固定費400、変動費600 合計1000

一方、逆に火力を止めてすべて原発で供給したとすると、合計で800となります。
原発: 固定費400、変動費200 合計600
火力: 固定費200、変動費0 合計200

※※ここでの試算は、原発と火力のそれぞれの発電能力が100あることを前提にしています。