ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -3ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

スキー・スノーボード連盟の役員をしている関係で、ある一人のアスリートに出会った。

 

高校2年生のGさんだ。

 

 

競技はあの高梨沙羅さんと同じスキージャンプである。

 

 

 

彼女は兵庫県神戸生まれだったが中学時代を北海道下川町で過ごした。

 

下川町といえば、葛西紀明さんとか、伊藤有希さんとか、ジャンプの名だたるアスリートを輩出する町である。

 

 

高校の途中まで過ごしたが、事情により兵庫県に戻ってきた。

 

今年から兵庫県スキー・スノーボード連盟所属として活動することになる。

 

兵庫県にはジャンプ台がない。というか、全国でもジャンプ台は数えるほどしかない。

 

しかし彼女は兵庫県でスキージャンプを続けることを選んだ。

 

競技者にとって、実践を積み重ねるということはとても重要だ。

だが、北海道や長野のジャンプ台に行ってしか実践を積むことができないのだ。

 

だから、最初から不利な条件で戦わなくてはいけないのだ。

 

スキーに限らず、何かのスポーツを行うのに環境は重要だ。

 

兵庫県出身の有名アスリートは数多いが、最近最も注目を浴びているアスリートの一人にフィギュアスケートの坂本花織選手がいる。

 

神戸には、もともとポートアイランドのワールド記念ホールがあったが、近頃、もう一つスケートリンクが誕生した。

 

このスケートリンクは、年中営業を行っているので、365日スケートが滑れる環境にある。

 

スケートはウインタースポーツの中でも一際注目を集める競技だけど、実のところ、スケートリンクは都市部にあり、出身者はほぼ、都市在住者に限られている。

 

彼女は次のオリンピックまでは選手として続けると先日メディアで発表があった。そして、新しいスケートリンクができて、世界で戦える環境が整ったとも語った。

 

坂本選手が努力を積み重ねて今の地位を手に入れたことは間違いなく、その努力には敬意を表するが、彼女の周りに利用できるスケートリンクがなければ、到底オリンピックのメダルなどをとることなどできない。

 

それだけスポーツ選手にとっては外部環境はとても重要である。

それらの『環境』を手に入れるために努力を惜しまないことも大事だが、もし仮に環境が手に入らなかったからといって、彼らのアスリートととしての価値が本来はそれで減るわけではない。

 

むしろ、そんな不利な状況の中でも自分ができる精一杯の努力をしていることにこそ賛辞を贈らなければならない。

 

そしてそこには、メジャーなスポーツもマイナーなスポーツもないはずだ。

 

もっと私たちがそのことをしっかりと見るべきである。

Gさんがどれくらい花開くか分からないが、彼女の新たな挑戦を応援していきたいと思う。



2週間ほどまえに父が亡くなった。

82歳だった。

 

10年前に、高所から落ちて車椅子の身となり、それから母がずっと寄り添ってきた。

 

リハビリを続け、再び自分の足で歩くよう願っていたが、脳梗塞を発症。

 

入退院の繰り返しだった。

年々老いていき、ここ1年ぐらいは手を動かすこともままならない状況だった。

 

だから、なんとなく死ぬという現実を受け入れる準備はできていたのかもしれない。

 

悲しかったが、意外と冷静に受け止めている自分がいた。

 

我が家の菩提寺は真言宗なので、そこにお願いをして式を挙げていただいた。

 

敬虔な仏教徒でもないのだが、真言宗では、49日間亡き人のために毎夜、お経を唱えなければならないらしい…そして、祝い事や神社参拝などは避けるべきとの教えを『一応』守って過ごすことにしている。

 

そんなことは昔の習わしで、関係ない…という人も多いようだし、実際それによって何が変わるのかもよくわからない。


でも仏教何百年の歴史でそういう教えが今にも継続されているということなのだから、それなりに意味のあることなのだろうと従ってみる。

 

故人は、49日の間長い旅に出て、7日ごとに関門があり、仏様の審判を受けなくてはならないとされている。


審判を受ける時には本人の行いだけでなく、遺族の法要の様子なども考慮されるそうだ。

 

故人が旅に出ても、遺族の行いまで審査されるのか…なんとも理不尽だなと思わないわけでもないが…。

 


そんな中一つ自分自身で気づいたことがあった。

 

普段別世帯で暮らしている母や弟家族に毎日会い、お勤めをする。


そのあと家族どおしでたわいない世間話をしてまたそれぞれ離散していくのだが、心は悲しみから解放され日常に戻っていくということ、そして、コミュニケーションを通じて、家族の絆が深まっていくことを感じるのだ。

 

まだまだ、2週間ほどで道半ばではある。


しかし、このお勤めを通じて、さらに家族が仲良くなっていくのなら、それこそ父が最も望んでいたことの一つだ。

 

なんといっても、父があの世で極楽浄土に行くのは、現世に生きる我々のお勤めの出来次第だなんて言われると…おまえたちのせいで極楽に行けなかったじゃないかなんて言われるのはたまらないからなぁ。

 

49日の旅は、家族にとっても意味のあることなのかなと思う今日この頃だ。

 

先日、近く行われる町長選挙の公開討論会がJCの主催であったので行ってきた。

 

美方JC、香住JCの共催で実施された。

 

首長選挙の公開討論会は、都知事選、兵庫県知事選など、もはや選挙の必須行事になりつつあり、いずれの首長選挙も、ある意味JCしか公正中立にできる組織はないのではないかと思われる。

 

OBの一員としてもとても誇らしく思えた。

 

今回の公開討論会では、あらかじめ設問が候補者に周知されており、答えるための前準備ができるようになっていたようである。

 

ある候補者は原稿をしっかりと書き込んで、その原稿に目を通していたので、しゃべる方としては手落ちがないのでいいと思う反面、即興的に答える回答の方が、リーダーとしての力量が試されるのではないかと思うので、そういう場面も少しあった方がよかったのかなとも思った。

 

さて、その中身で一番私が気になったのが、学校統合後の空き校舎の活用の問題である。

 

香美町は、香住区で7つの小学校が一つに統合された。そして、2028年村岡では3つの小学校が一つに統合される予定である。

 

空き校舎というどう有効に活用するのかという質問だった。

 

現職の回答は

 

統合によって空いた校舎は、住民との協議でどのように活用するかを考える…

 

そして、それでも決せられない場合は、今は建物解体に対する国の補助があるので、それを活用して取り壊す…

 

という発言だった。

 

香美町は10年前、すべての小学校の大規模改修工事を実施した。だが、当時から、生徒の減少は明らかだった。

 

しかし、当時の教育方針で、小規模校でも、連携した授業を構築することで、小規模校のデメリットをなくし、それぞれの地域の小学校が学校として活用できる道を選んだのだった。

 

おそらくすべての学校に投じられた耐震化への費用は、20億ぐらいはあったのではないかと思う。

 

もちろん残る予定になっている学校もあるので、そのすべてが無駄になったとは思わないし、まだ取り壊されるというものでもないが、なぜ当時の段階でも少子化が分かっていたにもかかわらず大規模投資に踏み切ったか…ということだ。

 

私は建設会社を行っているので、大規模改修工事にも携われせていただいたので、当社の収益にもずいぶんと貢献してくれたことは間違いない。

 

しかし、一住民の立場でいえば、そのような投資をされたのであれば、それを最大限利活用することが最も重要なことだと思うのである。

 

当時、学校耐震化が遅れ、国からもかなりの割合で財政的な支援があったと聞いている。

 

自腹を切る金額は少ないから…という理由でそれを活用したのだとしても、多くの身銭をきったことには間違いない。

 

昨今、地方の都市機能を集約する動きがある。

分散した機能では、道路インフラをはじめとして効率の悪い財政運営になることはかねてから指摘されていたことだ。

 

しかし、もっとも重要なことは地域が自治を行うということである。自分たちの地域を自分たちで守り育む。

 

首長にすべてを投げるのではなく、自分たちがどうすべきなのか…

 

そのことをしっかりと考える必要がある。

 

 

とある団体の旅行で、徳島県上勝町に行く。

 

わずか1500人足らずの山奥の地域に、年間5000人があるものを見に来る。

 

一つは、

ゼロウェイスト活動の拠点、ゼロウェイトセンター

 

家庭から出される廃棄物を43品目に分別し、可能な限り資源化を行い、また分別することで、極力コストを抑え込もうとする取り組みだ。

 

もう一つは、モミジなど、料亭の懐石料理などに飾りとして使われる妻モノを生産し、お金に換えることで収益を生んできた『いろどり』事業だ。

 

 

 

 

インターネットをたたけばこの情報はたくさん出てくる。

 

今回の視察では、集合研修でもあり、会議室の一室で、パワポを使って説明も受けた。

 

ああ聞いたことがあると知っている人も多いはずだ。

 

しかし、その場に行くといわゆるその事業の情報以外にたくさんのことがとびこんでくる。

 

何に違いがあるのか…

と思ったときに、僕はそれは奥行きだと思った。

 

車で現地に向かう道すがらは、山の中腹に開かれた道路であり、またそんな場所にある道であるがゆえ、右に左に大きく曲がりくねっていた。

 

その途中には、民家があり、そこに人が暮らす場が見える。

畑、森、学校や工場そういうものも目に飛び込んでいる。

 

今回話をしていただいた二つの事業とは、まったく関係のないもののようにも思われる風景だ。

 

でも、この奥行きの実感こそが、ゼロウェイスト運動にしても、いろどり事業にしても、一つ一つのストーリーが重く響いた。

 

そこに行かなくてもわかる情報は数知れずだ。しかし、事業とは直接関係のない情報こそが重要なのだ。

 

 

 
50人の視線が一人に注がれ、次の言葉が紬ぎだされるのを待っていた。
 
『誰かの役にたちなさい』
口から出そうにも、涙で言葉にならないが、それでもじっと目を凝視し言葉が発せられるのを待っていた。
 
多くの目には涙があふれていた。
 
娘が中学校を卒業した。
卒業式が終わり、教室に移動し最後の授業行われた。
 
最後の授業は、廊下と教室を隔てている窓は取り外され、教室からあふれた親御さんたちは、廊下からも見守っていた。
 
最後の授業は、各班が考えたクイズを順番に答えるアイスブレイクのようなものだったが、その後授業の締めで、担任の先生から子供たちに向けて最後のメッセージが伝えられた。
 
2年間担任を勤めていただき、いろいろな思い出がこみあげてきたのだろう。
 
しばらく涙で声にならなかったが、それでも先生から発せられる言葉を聞き逃すまいと、生徒のみならず、親たちも全身全霊でむきあっていた。
 
先生の言葉は最後の生徒へのはなむけの言葉として、人に役にたつ人間になろう…そういって締めくくった。
 
卒業式…みんなが感動に包まれて、生徒だけでなく、親たちも泣いていた。
 
いろいろな反省や後悔もきっとあるのだろうけど、感謝の思いがそれをかき消していく。
 
娘は将来先生になりたい…そういった。
 
世の中の誰もが人が幸せになるために日々努力している。
だけど、仕事を通じて、感動に包まれる仕事ができている人は、そう多くはないようにも思う。
 
今、目の前で繰り広げられている光景は、ドラマの中での出来事ではなく、リアルそのものだ。
人と人とが交わり、本音でぶつかりあうことができたから、これほどまでに感動につつまれるのだと思う。
 
卒業式に出席させていただき、ほんとに素晴らしいものを見させていただきました。
 
お世話になった先生方、本当にありがとうございました。