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ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。


先日、娘が海外に留学することになり、見送りのため、成田空港に行った。

 

日帰りの強行軍である。

 

LCCを予約し、関空から成田まで行く。

成田空港は4年ぶりぐらいだろうか…

 

4年前は、まだ世間は、コロナ禍真っ只中で、ほとんどの便は欠航し、空港は閑散としていた。

 

今回は、日常を取り戻し、観光客などでごった返していた。

 

空港のレストランで、久しぶりの家族全員での外食をし、そしてその後、娘を搭乗ゲートから送りだした。

 

空港での滞在時間は短く、見送りだったから観光でもないのだが、ある意味、観光のような体験だった。

 

空港にいた人たちは、日本での滞在を楽しみいよいよ自分の国に戻るひとたちと、これからの出発を前にし、期待を胸に膨らませた人たちの高揚感が入り乱れているところ


自分も海外旅行に行ったような気分になった。

空港はいい場所だ。

 

 

先日、福井県勝山市にある『かつやまこどもの村小中学校』の視察を行った。

 

数年前に、村岡に移り住んだフジタさんにぜひこの映画の上映会に行ってほしいと進められて養父の自主上映会に行った。

 

夢見る小学校

 

それを進められるにいたった経緯については、今一つ思い出せないのだが、今の硬直的な教育システムには以前から疑問を感じていて、そんなことをフジタさんに話をしたことがあったのだと思う。

 

たまたま上映会のある日は時間が空いていたので、進められるままに上映会に行ってみることにした。

 

かなり衝撃的な内容だった。

その夢見る小学校に登場する『きのくに子どもの村学園』を一定期間撮影し続けて編集したドキュメンタリー映像だったのだが、その内容にもう頭をぶん殴られた気分だった。

 

この学校の授業の進め方がいわゆる既存の小学校とまったく異なる進め方なのだ。

 

子どもたちは、プロジェクトと呼ばれる体験学習を中心に編成される。そこには、いわゆる○年生という概念がなく、プロジェクトには、1年生から6年生までがごちゃまぜの年齢構成である。

 

例えば『工務店』のプロジェクトでは、こどもたちが大工道具を用いておおがかりな建物を実際に建築する。

 

それはジャングルジムのような実際に使えるものだ。

どんなものをつくるのか、そしてそれに必要な材料や道具として何を用意すべきなのか…

 

そんなことはすべて子供たちが決定していくという。

 

先生はそれに対して、ほとんど手出しをすることはないという。

そして、そのプロジェクトを通じて、国語や理科算数などのいわゆる教科で必要なことを学んでいくというそんなやり方だ。

 

そもそも、この学校では、先生を『先生』とは呼ばず、大人と呼ぶ。

 

また、週に1度、全校ミーティングがあり、学校でのルールづくりや、問題があった場合の話し合いはそこで行われ決めていく。

 

大人たちもそのミーティングには加わるのだが、その大人たちは、こどもたちと同様の一票として扱われ、大人たちがおしつけて何かを決しさせることもない。

 

この学校では、こどもたち一人ひとりが人格をもった人として平等に扱われている。

 

 

今、私は個人で別の法人を立ち上げ、村岡高校生の寮を運営している。

今、5人の生徒が学んでいるのだが、その中の一人と話をしていたときに、彼がこの『夢見る学校』の卒業生だったということに偶然気づいた。

 

衝撃的な映画だったわけだが、そのときは単なるエンタメとしての映画でしかなかったが、まさにそこで学んだ生徒がいまここにいるので、いてもたってもいられれず、その親御さんにお願いし、学校訪問をさせてもらうことにしたのだ。

 

そして、ついに、学校訪問が実現し、ほぼ一日を費やし、福井県勝山市にある『夢見る学校』かつやま子どもの村小中学校を見学させていただいた。

 

ついた日は、ちょうどこの学校の創設者である堀真一郎さんが来訪されている日で、約1時間ほど学校の開設の話や、今の状況などさまざまなお話をさせていただいた。

 

そして、そのあと授業を見学、その日はプロジェクトの日ではなかったが、スポーツをする時間だったり、お茶のお稽古をしていたり、絵画を描いたり、まさに映像のとおり、学年の枠が取っ払われて授業を行っていた。

 

授業最後の時間は、全校ミーティングの時間だったので、それもお願いして見せていただいた。

 

その日は特別な議題がなかったので、

『今日はさらっと終わるかもしれませんね』との話だったが、その日は、中学生である議長が『みんなで決めたおやつを食べることについての再確認します』とはじめたのだが、決めたルールの定義について、その解釈について、疑問にかんじたことをある生徒が話し始めたとたんに、議論が白熱。こどもたちが学年を問わずさまざまに意見を述べていき、そして最終的には議長がそれを取りまとめて終わった。

 

みんなの意見を取りまとめるのは大人でも至難の業だが、彼らは議論慣れをしている感じもあり、自分たちの意見をしっかりと述べ、そしてまた決まったことにはしっかりとコミットメントするという当たり前だけど、なかなか当たり前にできないことがこの学校ではしっかりとできているのだな…と感心を通り越して、感動してしまった。

 

 

今、学校を取り巻く環境はさまざま言われていて、先生も大変な思いをしているし、何より生徒が本当に幸せなのかと思うこともある。

 

 

 

しかし、そういったことを乗り越え、こどもたちの自主性を最大限引き出す教育が実現しているのを目の当たりにして、世の中にはこんなすごい学校がやはり存在するのだということを改めて知った。

 

うちの町も、小学校の合併がなされ、あと数年で私の母校も合併が近づく。

 

地域から学校がなくなれば、さらに過疎に加速が進み、町全体の活気が失われていくというのが私の持論だ。

 

だからこそ、学校がなんとか存続できる方法がないのかということにいろいろな行動もおこしてきた。

 

改めて、この学校をみさせていただいたときに、こんな学校を私たちの地元につくることができれば、また町は活気をとりもどすのではないか…

 

そう信じている。

もちろん学校をつくるということなど、私たちには到底無理な話かもしれない。

 

しかし、この学校を創設した堀代表も、数十年前に既存の教育に絶望や希望を見失ったところから、理想を求め、全国に5カ所『夢見る学校』をつくりあげてきた。

 

同じことは到底無理かもしれないが、教育の理想にむけて一歩を踏み出すことは可能なはずだ。

 

 

スキー・スノーボード連盟の役員をしている関係で、ある一人のアスリートに出会った。

 

高校2年生のGさんだ。

 

 

競技はあの高梨沙羅さんと同じスキージャンプである。

 

 

 

彼女は兵庫県神戸生まれだったが中学時代を北海道下川町で過ごした。

 

下川町といえば、葛西紀明さんとか、伊藤有希さんとか、ジャンプの名だたるアスリートを輩出する町である。

 

 

高校の途中まで過ごしたが、事情により兵庫県に戻ってきた。

 

今年から兵庫県スキー・スノーボード連盟所属として活動することになる。

 

兵庫県にはジャンプ台がない。というか、全国でもジャンプ台は数えるほどしかない。

 

しかし彼女は兵庫県でスキージャンプを続けることを選んだ。

 

競技者にとって、実践を積み重ねるということはとても重要だ。

だが、北海道や長野のジャンプ台に行ってしか実践を積むことができないのだ。

 

だから、最初から不利な条件で戦わなくてはいけないのだ。

 

スキーに限らず、何かのスポーツを行うのに環境は重要だ。

 

兵庫県出身の有名アスリートは数多いが、最近最も注目を浴びているアスリートの一人にフィギュアスケートの坂本花織選手がいる。

 

神戸には、もともとポートアイランドのワールド記念ホールがあったが、近頃、もう一つスケートリンクが誕生した。

 

このスケートリンクは、年中営業を行っているので、365日スケートが滑れる環境にある。

 

スケートはウインタースポーツの中でも一際注目を集める競技だけど、実のところ、スケートリンクは都市部にあり、出身者はほぼ、都市在住者に限られている。

 

彼女は次のオリンピックまでは選手として続けると先日メディアで発表があった。そして、新しいスケートリンクができて、世界で戦える環境が整ったとも語った。

 

坂本選手が努力を積み重ねて今の地位を手に入れたことは間違いなく、その努力には敬意を表するが、彼女の周りに利用できるスケートリンクがなければ、到底オリンピックのメダルなどをとることなどできない。

 

それだけスポーツ選手にとっては外部環境はとても重要である。

それらの『環境』を手に入れるために努力を惜しまないことも大事だが、もし仮に環境が手に入らなかったからといって、彼らのアスリートととしての価値が本来はそれで減るわけではない。

 

むしろ、そんな不利な状況の中でも自分ができる精一杯の努力をしていることにこそ賛辞を贈らなければならない。

 

そしてそこには、メジャーなスポーツもマイナーなスポーツもないはずだ。

 

もっと私たちがそのことをしっかりと見るべきである。

Gさんがどれくらい花開くか分からないが、彼女の新たな挑戦を応援していきたいと思う。



2週間ほどまえに父が亡くなった。

82歳だった。

 

10年前に、高所から落ちて車椅子の身となり、それから母がずっと寄り添ってきた。

 

リハビリを続け、再び自分の足で歩くよう願っていたが、脳梗塞を発症。

 

入退院の繰り返しだった。

年々老いていき、ここ1年ぐらいは手を動かすこともままならない状況だった。

 

だから、なんとなく死ぬという現実を受け入れる準備はできていたのかもしれない。

 

悲しかったが、意外と冷静に受け止めている自分がいた。

 

我が家の菩提寺は真言宗なので、そこにお願いをして式を挙げていただいた。

 

敬虔な仏教徒でもないのだが、真言宗では、49日間亡き人のために毎夜、お経を唱えなければならないらしい…そして、祝い事や神社参拝などは避けるべきとの教えを『一応』守って過ごすことにしている。

 

そんなことは昔の習わしで、関係ない…という人も多いようだし、実際それによって何が変わるのかもよくわからない。


でも仏教何百年の歴史でそういう教えが今にも継続されているということなのだから、それなりに意味のあることなのだろうと従ってみる。

 

故人は、49日の間長い旅に出て、7日ごとに関門があり、仏様の審判を受けなくてはならないとされている。


審判を受ける時には本人の行いだけでなく、遺族の法要の様子なども考慮されるそうだ。

 

故人が旅に出ても、遺族の行いまで審査されるのか…なんとも理不尽だなと思わないわけでもないが…。

 


そんな中一つ自分自身で気づいたことがあった。

 

普段別世帯で暮らしている母や弟家族に毎日会い、お勤めをする。


そのあと家族どおしでたわいない世間話をしてまたそれぞれ離散していくのだが、心は悲しみから解放され日常に戻っていくということ、そして、コミュニケーションを通じて、家族の絆が深まっていくことを感じるのだ。

 

まだまだ、2週間ほどで道半ばではある。


しかし、このお勤めを通じて、さらに家族が仲良くなっていくのなら、それこそ父が最も望んでいたことの一つだ。

 

なんといっても、父があの世で極楽浄土に行くのは、現世に生きる我々のお勤めの出来次第だなんて言われると…おまえたちのせいで極楽に行けなかったじゃないかなんて言われるのはたまらないからなぁ。

 

49日の旅は、家族にとっても意味のあることなのかなと思う今日この頃だ。

 

先日、近く行われる町長選挙の公開討論会がJCの主催であったので行ってきた。

 

美方JC、香住JCの共催で実施された。

 

首長選挙の公開討論会は、都知事選、兵庫県知事選など、もはや選挙の必須行事になりつつあり、いずれの首長選挙も、ある意味JCしか公正中立にできる組織はないのではないかと思われる。

 

OBの一員としてもとても誇らしく思えた。

 

今回の公開討論会では、あらかじめ設問が候補者に周知されており、答えるための前準備ができるようになっていたようである。

 

ある候補者は原稿をしっかりと書き込んで、その原稿に目を通していたので、しゃべる方としては手落ちがないのでいいと思う反面、即興的に答える回答の方が、リーダーとしての力量が試されるのではないかと思うので、そういう場面も少しあった方がよかったのかなとも思った。

 

さて、その中身で一番私が気になったのが、学校統合後の空き校舎の活用の問題である。

 

香美町は、香住区で7つの小学校が一つに統合された。そして、2028年村岡では3つの小学校が一つに統合される予定である。

 

空き校舎というどう有効に活用するのかという質問だった。

 

現職の回答は

 

統合によって空いた校舎は、住民との協議でどのように活用するかを考える…

 

そして、それでも決せられない場合は、今は建物解体に対する国の補助があるので、それを活用して取り壊す…

 

という発言だった。

 

香美町は10年前、すべての小学校の大規模改修工事を実施した。だが、当時から、生徒の減少は明らかだった。

 

しかし、当時の教育方針で、小規模校でも、連携した授業を構築することで、小規模校のデメリットをなくし、それぞれの地域の小学校が学校として活用できる道を選んだのだった。

 

おそらくすべての学校に投じられた耐震化への費用は、20億ぐらいはあったのではないかと思う。

 

もちろん残る予定になっている学校もあるので、そのすべてが無駄になったとは思わないし、まだ取り壊されるというものでもないが、なぜ当時の段階でも少子化が分かっていたにもかかわらず大規模投資に踏み切ったか…ということだ。

 

私は建設会社を行っているので、大規模改修工事にも携われせていただいたので、当社の収益にもずいぶんと貢献してくれたことは間違いない。

 

しかし、一住民の立場でいえば、そのような投資をされたのであれば、それを最大限利活用することが最も重要なことだと思うのである。

 

当時、学校耐震化が遅れ、国からもかなりの割合で財政的な支援があったと聞いている。

 

自腹を切る金額は少ないから…という理由でそれを活用したのだとしても、多くの身銭をきったことには間違いない。

 

昨今、地方の都市機能を集約する動きがある。

分散した機能では、道路インフラをはじめとして効率の悪い財政運営になることはかねてから指摘されていたことだ。

 

しかし、もっとも重要なことは地域が自治を行うということである。自分たちの地域を自分たちで守り育む。

 

首長にすべてを投げるのではなく、自分たちがどうすべきなのか…

 

そのことをしっかりと考える必要がある。