ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -4ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

幼少のころから、スキーは身近にあり、生活の一部だった。
 
中学のときにはじめて全国大会に出場してから、インターハイ、国体(現国民スポーツ大会)、全日本選手権といった全国大会を目指してずっとやってきて45歳までほぼ毎年大会に出ることができた。
 
全国大会に出場するためには、各地の予選会などを勝ち抜いていかなくてはならない。
 
もちろん、そのための努力は必要なのだが、それだけで実現できないことを知った。
 
それは連盟の人たちの存在だ。
選手の強化をはかり、競技会を開催・運営していく…そういった存在が不可欠だ。
 
だから、常々先輩から
『全国大会に出場した年数分だけ、連盟に奉仕しろ』
と言われ、年齢を重ねるにしたがって、その言葉が身に染みて感じるようになった。
 
今でも私自身は、選手活動を引退したとは思ってはいないが、しかし、連盟を運営していく人材が必要であることも重々承知しているので、県連の役職を受けることは必然だとも思っていた。
 
数年前からの競技部の理事、競技部長を経て、2024年6月に理事長を拝命した。
 
実のところ、理事長の重みや、職務のボリュームなどもよく理解はしていなかったが、自分が必要とされているのであれば…とお受けすることにした。
 
これまで、それぞれの役職に応じた役割を演じてきたつもりだったが、理事長となれば、その役職のとおり、連盟全般のことを理解する必要があった。
 
兵庫県スキースノーボード連盟は4部構成となっている。
・自分がずっとかかわってきたアルペン競技を含む競技活動の強化運営を行う『競技部』
・広く一般の人々にスキーを伝播していく役割を担う『教育部』
・同じスノースポーツでもあり、今やスキーヤーよりも人口が多いと思われる『スノーボード部』
・そして組織全体を円滑に運営していく『総務部』
 
これまで、競技部に関わっているだけで、他の部門のことなど理解していなかったが、理事長となればそういうわけにはいかない。
 
だから少しづつでも理解を深めねばと思った。
 
昨年はじめて、県の技術選手権を観戦し、今年の県技選では、主催者の挨拶もすることになり、少しづつ内容が理解できるようになった。
 
アルペン競技しか、かかわったことがなかった自分にとっては何より目新しく、参加者も20歳そこそこの若者から上は70代ぐらいのシニアの方まで…
 
年齢を問わず、みんなスキーに一途で熱かった。
 
2月ごろからふつふつと教育部最高のイベントである全日本技術選手権(技選)はこの目でみておかねばならないと思った。
 
技選の日程は、3月6日~9日の4日間、場所は北海道ルスツリゾート。
 
しかし奇しくも、競技部の主催イベントハチ北モーグルが3月7日~9日の日程と重なっていた。
 
ルスツをググってみると、千歳からは約2時間、日帰りで行けなくもない…
 
ひそかに心の内でプランを温めていたが、地元ハチ北で開催された『テクニカル・クラウン検定会』で集まっていた教育部の役員を前にポロッと口が滑ってしゃべってしまった…。
 
その場では、軽く流されたと思っていたが、教育部のスタッフ内では、もうその話は既定事実になってしまっていて、後に引けなくなった。
 
実は3月1日~2日の日程で、ハチ高原ではスキー連盟最大のイベントとでもいうべき、スノーフェスタが開催されていて、そのときには会長の耳にも入ってしまっていた。
 
実は、その時点でもまだエアのチケットとっていなかったのだが、もうほんとにひけなくなり、急いでチケットを手配。
 
当日は朝3時に家を出て、札幌行6時50分のLCCに乗り込み、新千歳には9時30分ごろに到着(荷物トラブルとやらで、出発が少し遅れた)
 

 
到着後すぐに、空港近くのレンタカーで車を借り、現地についたのは11時00頃だった。
 
今回は全くスキーを滑る準備はしておらず、とにかく身一つで現地に行くことだけを考えた。
 
スキー場に到着するが、大会会場は山の中腹にあり、歩いてゴールまで行った。
 
予選初日とはいえ、ギャラリーの数やメーカーブースの規模、数など、国内最大の競技イベントである国スポよりもはるかに華やかさがあった。
 
スキー界にとっては、マーケティング的にはアルペンよりもはるかに大きな位置づけなのだなぁと改めて思い知る。
 
予選一日目は2種目開催され、2カ所で行われていて、すでに半分の選手が滑り終えているところだった。
 
残りの半分の選手しか観戦できなかったので、兵庫チームのすべての選手の滑りを見ることはできなかった。
 
すべての選手が滑り終えて1日目の競技が14時頃終了した。
 
 
 
監督コーチ選手がフィニッシュエリア付近に集まってきていたので、選手コーチを前に
 
『明日以降もがんばってください』
と激励して、現場をあとにする。
 
帰りの便まであまり余裕がなかったので、そそくさとルスツを後にする。
 
19時の飛行機に乗り、21時30分ごろ、関西空港に到着、家についたら真夜中だった。
 
かなり無謀な日帰り強行軍だったが、初めての全日本技選の観戦は自分にとっても貴重な経験だった。
 
ところで、金曜日から行われる予定だったモーグル大会は、大会バーンとして使う予定だったスーバーモーグルコースが急激な降雪と、その後に続く雨と高温で、雪面に亀裂が入ってしまった。
 
 
スーパーモーグルコース隣の北壁ゲレンデは大規模に雪崩が発生し雪の塊がコース下方まで崩壊した。幸い怪我人は出なかった。
 
隣の惨状を見れば、モーグルコースも同様の危険性があり、大会を中止にせざるを得なくなり、自分が勤める予定だった大会の役員もキャンセルとなってしまった。

雪があるのに大会を中止しなくてはいけない大会スタッフの無念を思うと少しつらい部分もあるがこればかりは仕方ない。



大会が流れてしまったことで、泊して北海道に入れたではないか…と思ったが、すでに後の祭り。
 
今回の技選への日帰り強行軍がどれだけ選手や連盟のためになったのかわからない。
しかし自分が理事長という立場になったことで、急遽思い立った出来事だったが、技選をちゃんとこの目で見れたことは自分にとっては意味があることだったと思う。
 

秋田に遠征したときのこと

 

目的地である鹿角市は、車で約15時間ほどのみちのりだったので、秋田市で一旦宿泊をしてから翌日鹿角に行くことにしていた。

 

秋田市に21時30分ごろには到着し、その後ホテルにチェックインし、次の朝はゆっくりスタートすることに決めていた。

 

到着した翌朝は早起きしマチ散策をしたり、朝ごはんをゆっくりとるなどしてゆったりと過ごそうと思っていた。

 

秋田駅のすぐ近くのホテルに泊まったので、駅周辺にはスターバックスもやっていたので、最初はそこでコーヒー飲みながら、読書でもしようと企んでいたのだが、なんとなくそれではつまらんなーと、いろいろググっていたら、おもしろうそうなカフェをみつけてそこに入ることにした。

 

 

内装は、木質の重厚な感じで、オーナーさんのこだわりが半端ない店で、居心地もよく、最高に充実した時間を過ごすことができた。

 

僕自身スタバは好きで、あちこちに店には結構立ち寄る。

豊岡にできた店も、できてすぐだと50越えのおっさんにはミーハーすぎるので少し間をおいて行ったが、そこは確実に押さえといた(笑)

 

ただ、スタバは絶対的な安心感はあるのだけれど、でもどことなく少し面白みに欠けるな…とここ数年そんな風に感じていた。

 

カフェに限らず、オーナーが個性を発揮しまくっている店というのは、やはり好奇心をくすぐる。

 

自分が好きなことを突き詰め、それを発揮していくというのは、これまでの日本人は苦手としてきたところかもしれない。

 

だが、人が何かを興味を惹かれるというのは、やはりその人が持っている個性をいかんなく発揮された時なのではないかと思う。

 

おそらく、人が存在する数だけ、その人の人生の歩み方というものがあるはずで、人災の歩みには絶対に同じものなど存在はしない。

 

しかし、アウトプットするという場面においては、社会がなんとなくとがったものや、これまでとは異なったものを受け入れにくいということもあった。

 

これから、世の中をおもしろくしていくのは、その人が歩んできた唯一無二の世界観を惜しげもなく発揮してくるところにあるような気がする。

 

スタバでは決して表現することができない、カフェの一席でそんなことをつらつら考えていた。

 

 

今年も、国民スポーツ大会のスキー競技会が終了した。

選手としては、16歳から、そしてスタッフとしても5年ほど続けているので、もう何年この行事に関わっているのかな…

 

私が所属するチーム兵庫は、今年は、入賞者を出すことができなかった。

 

年齢で区切られた各カテゴリーに100名を超える選手が出る。

優勝は、このコースを最も早く滑り降りた人であり、もちろんその人は文句なく勝者である。

 

であるなら、それ以外の人はすべてが敗者となるだろう。

うちのチームメンバーを自分の力を出し切れなかったと悔やむものも多かった。

 

かつての自分も、そのコースを滑り降りてもっともタイムが小さい人が勝者であり、それ以外は敗者だと考えていた時期があった。

 

上のカテゴリーを目指せば目指すほど、勝利からは遠のき、自分の力の至らなさに失望した。

 

しかし、今年齢を重ねて思うことは、誰もが勝者となれるということだ。

 

その人の生い立ちの中では様々な障害がつきまとったであろう。

 

例えば、沖縄から出場している選手もいるが、どう考えたって、沖縄で雪は降らないので、県内で雪上でのスキーをやることは不可能だ。

 

でも、その人たちも時間やお金をやりくりしながら県外でスキーができる環境を求めて練習を積んだであろうし、そういう不利な条件を克服したという意味では最も勝者であったのかもしれない。

 

 

タイムだけを見れば、ひとりの勝者しかいないが、子育てしながら戦った人、体にハンディを持ちながら戦った人、いろんな条件を当てはめていけば、100通りの勝者は生むことができる。

 

 

戦い終り、くやしさで顔を涙で濡らした人も多かった。

でももっと自分自身はよくやったのだと認めてあげよう…

 

人がそういった様々な困難を乗り越えながら頑張りぬいたことではみんなが勝者なのだ。

 

昔、スキーで国体を目指して毎年それを目標に活動をしていた。スキーはシーズンスポーツで、雪があるときしか、スキーはできない。残りの8か月のオフシーズンにやるトレーニングでランニングはオフトレの基本だった。

 

会社が終わってから、自宅から4キロほど離れたところにあるオンロードの周回コースをよく走っていた。

 

家の周りは坂道ばかりで平地がなく『ここは走るところではない』と、地元を走るということは選択の中にはなかった。

 

だから、わざわざ車で移動して平地を求めて走っていた。

 

2012年だったと思う。

そのスキーをするための体力維持の一つの目的として、毎年出場していたウルトラマラソンと同じ日に、用事が重なり出場がかなわなくなったので、その年に近くであったトレイルランニングの大会に初めて出場し、そのときからトイレルランニングのおもしろさに目覚めてしまい、今は『変態活動』と称して、むしろトレイルランニングの方が主たる活動のようになってしまった。

 

トレイルランニングは、平地はほとんどなく、しかもそのほとんどは登山道であったり、林道であったりする、オフロードだ。

 

トレイルランニングの大会を完走をするためには、やはりそれなりのトレーニングが必要だということで、自分の地元である鉢伏山に頻繁に登るようになり、今は主たるトレーニングはそこで行うようになっている。

 

坂道しかない家の周囲も、今はそれも重要なトレーニング場所の一つだ。

 

都会の平野部に住む人達からは、坂道錬ができてうらやましい…とも言われたりする。

 

人はないものをねだる存在なのだ。

 

私の地元であるハチ北スキー場は、関西でも随一の標高がある場所でもある。

ずっと昔からそこで滑り続けていたので、自分の母なる山ともいうべき山なのだが、そこに夏シーズンのトレイルランニングでの活動も加わり、まさに自分にとって唯一無二の存在になった。

 

 

兵庫県では、最高峰の氷ノ山1510mを筆頭に、鉢伏山より標高の高い山は4つあり、特別に高い山ではないし、全国を見れば、まさに高い山だらけで、上位500にも入らないであろうから、まさに全国的に見れば低山の部類で、アルピニストが高い山を目指す…という趣旨にすれば、さして魅力的に映る山ではないかもしれない。

 

ただ、鉢伏からも日本海が望め、大山なども望むことができる。そして『高原』ならではの草原が下方に広がり、この地でしか出会えない植生や生態系がある。

 

何より、トレイルランニングをやるには適度な標高差、起伏、サーフェス(地面の状態)など楽しさ満載の山だ。

 

昔に比べると、樹木の成長、逆に侵食などの多少の変化はあるだろうが、本質的には昔と何ら変わらなく存在している。

だが、自分の立ち位置が変わったことで、まったく違ったものに見えるようになった。

 

人は何かの変化を求めるときに、天動説のごとく、周りを替えることばかりに躍起になる。

しかし天動説というコペルニクス的変換こそが、世の中が変わるもっとも劇的な変化なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前のブログで、香美町総合計画審議会についてお伝えした。

 

香美町総合戦略事業評価シートについて

 

ようやく回答が返ってきた。

 

その結果を下記に張っておいた。

 

 

 

読むのは相当煩わしいが、まちづくりに興味のある人ならぜひ、読んでほしい。

 

ちなみに、次回の予定されていた審議会は、なんの都合か中止となった。

 

私が以前に投げかけた内容に対して、どうこたえられているかをよく見比べてみてほしい。

 

詳細はいちいち書かない。

 

ただ一つだけお伝えしたい。

マチを本気でよくしたいと思える内容なのかどうか…。

 

いろいろと言い分はあるだろう。

普段の仕事に加えての仕事だ。

 

しかし、我々審議会委員もそれぞれ仕事をもち、その合間を縫っての会議である。

 

少しでも、マチをよくしたい。

その一念だけだ。

 

本気でぶつけているのだ。だから本気で返してほしい。

それが私の願いである。

 

マチの衰退は一向に止まらない。

でもそれを止めるのは、住民一人ひとりだ。

 

そこで暮らす人たちが、マチの未来を思い、行動した結果でしか、次のマチの形は作られない。