先日、福井県勝山市にある『かつやまこどもの村小中学校』の視察を行った。
数年前に、村岡に移り住んだフジタさんにぜひこの映画の上映会に行ってほしいと進められて養父の自主上映会に行った。
それを進められるにいたった経緯については、今一つ思い出せないのだが、今の硬直的な教育システムには以前から疑問を感じていて、そんなことをフジタさんに話をしたことがあったのだと思う。
たまたま上映会のある日は時間が空いていたので、進められるままに上映会に行ってみることにした。
かなり衝撃的な内容だった。
その夢見る小学校に登場する『きのくに子どもの村学園』を一定期間撮影し続けて編集したドキュメンタリー映像だったのだが、その内容にもう頭をぶん殴られた気分だった。
この学校の授業の進め方がいわゆる既存の小学校とまったく異なる進め方なのだ。
子どもたちは、プロジェクトと呼ばれる体験学習を中心に編成される。そこには、いわゆる○年生という概念がなく、プロジェクトには、1年生から6年生までがごちゃまぜの年齢構成である。
例えば『工務店』のプロジェクトでは、こどもたちが大工道具を用いておおがかりな建物を実際に建築する。
それはジャングルジムのような実際に使えるものだ。
どんなものをつくるのか、そしてそれに必要な材料や道具として何を用意すべきなのか…
そんなことはすべて子供たちが決定していくという。
先生はそれに対して、ほとんど手出しをすることはないという。
そして、そのプロジェクトを通じて、国語や理科算数などのいわゆる教科で必要なことを学んでいくというそんなやり方だ。
そもそも、この学校では、先生を『先生』とは呼ばず、大人と呼ぶ。
また、週に1度、全校ミーティングがあり、学校でのルールづくりや、問題があった場合の話し合いはそこで行われ決めていく。
大人たちもそのミーティングには加わるのだが、その大人たちは、こどもたちと同様の一票として扱われ、大人たちがおしつけて何かを決しさせることもない。
この学校では、こどもたち一人ひとりが人格をもった人として平等に扱われている。
今、私は個人で別の法人を立ち上げ、村岡高校生の寮を運営している。
今、5人の生徒が学んでいるのだが、その中の一人と話をしていたときに、彼がこの『夢見る学校』の卒業生だったということに偶然気づいた。
衝撃的な映画だったわけだが、そのときは単なるエンタメとしての映画でしかなかったが、まさにそこで学んだ生徒がいまここにいるので、いてもたってもいられれず、その親御さんにお願いし、学校訪問をさせてもらうことにしたのだ。
そして、ついに、学校訪問が実現し、ほぼ一日を費やし、福井県勝山市にある『夢見る学校』かつやま子どもの村小中学校を見学させていただいた。
ついた日は、ちょうどこの学校の創設者である堀真一郎さんが来訪されている日で、約1時間ほど学校の開設の話や、今の状況などさまざまなお話をさせていただいた。
そして、そのあと授業を見学、その日はプロジェクトの日ではなかったが、スポーツをする時間だったり、お茶のお稽古をしていたり、絵画を描いたり、まさに映像のとおり、学年の枠が取っ払われて授業を行っていた。
授業最後の時間は、全校ミーティングの時間だったので、それもお願いして見せていただいた。
その日は特別な議題がなかったので、
『今日はさらっと終わるかもしれませんね』との話だったが、その日は、中学生である議長が『みんなで決めたおやつを食べることについての再確認します』とはじめたのだが、決めたルールの定義について、その解釈について、疑問にかんじたことをある生徒が話し始めたとたんに、議論が白熱。こどもたちが学年を問わずさまざまに意見を述べていき、そして最終的には議長がそれを取りまとめて終わった。
みんなの意見を取りまとめるのは大人でも至難の業だが、彼らは議論慣れをしている感じもあり、自分たちの意見をしっかりと述べ、そしてまた決まったことにはしっかりとコミットメントするという当たり前だけど、なかなか当たり前にできないことがこの学校ではしっかりとできているのだな…と感心を通り越して、感動してしまった。
今、学校を取り巻く環境はさまざま言われていて、先生も大変な思いをしているし、何より生徒が本当に幸せなのかと思うこともある。
しかし、そういったことを乗り越え、こどもたちの自主性を最大限引き出す教育が実現しているのを目の当たりにして、世の中にはこんなすごい学校がやはり存在するのだということを改めて知った。
うちの町も、小学校の合併がなされ、あと数年で私の母校も合併が近づく。
地域から学校がなくなれば、さらに過疎に加速が進み、町全体の活気が失われていくというのが私の持論だ。
だからこそ、学校がなんとか存続できる方法がないのかということにいろいろな行動もおこしてきた。
改めて、この学校をみさせていただいたときに、こんな学校を私たちの地元につくることができれば、また町は活気をとりもどすのではないか…
そう信じている。
もちろん学校をつくるということなど、私たちには到底無理な話かもしれない。
しかし、この学校を創設した堀代表も、数十年前に既存の教育に絶望や希望を見失ったところから、理想を求め、全国に5カ所『夢見る学校』をつくりあげてきた。
同じことは到底無理かもしれないが、教育の理想にむけて一歩を踏み出すことは可能なはずだ。