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ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

鳥取県日南町に行ってきた。
 
目的は、Jクレジット購入の契約に行くためだ。
 
企業活動で、車両、重機などを使用すると、地球温暖化の要因になるCO2などを会社は排出することになる。
 
今は、再エネを使用して電力をCO2フリーの電力を購入したり、車をEVなどにすることで、CO2を排出しない取り組みもいくらかはできるものの、最終的にはCO2を大気に排出せざるを得ない。

このため、CO2削減のクレジットを購入することで、穴埋めをできる仕組みが世界では認められている。
 
今回、鳥取県日南町が提供しているJクレジットを購入させていただいたのだが、その契約のために日南町を訪れてきた。
 



ただ、正直、この手の認証式には半分うんざりしているところもあって、式典参加はご遠慮していたのだが、調印式には来てほしいとのことだったので、では日南町のSDGSの取り組みについて、説明を聞かせていただけるなら行きますといったところ快諾していただいたので、ノコノコと日南町にでかけけてきた。

 

あとで知ったことだったのだが、日南町のJクレジットの販売スキームはすでに10年ほどの実績があるらしく、私の会社が初めて購入させていただいた養父市のJクレジットは、日南町をモデルにして構築したものだと聞いて、ずいぶんと先進的な取り組みをしている町であった。

 

日南町に興味がわいたのは、『自治体SDGS未来都市』に選定されているからだった。

 

SDGS未来都市への選定は2019年のとのこと

今でこそ、SDGSに取り組んでいない企業や団体の方が、イケてない企業として烙印をおされるような時代になったけれど、そのころは、まだSDGSってなんだ?

 

って世間では言ってたような時期だった。

そこにいち早く名乗りをあげて取り組んだこの町の心意気はすごいと思う。

 

ちなみに、日南町は、現在は人口規模は4,000人をきったぐらいだという。

 

現在の村岡区とちょうど同じぐらいの規模感だし、日野川の源流に位置している地形も、よく似ている。

 

過疎が進行し、小さな自治体はどこも生き残っていくのは厳しいのだが、、たくましくしぶとくやっていこうという魂みたいなものを感じた。

 

役場の職員の方にある企業を紹介いただいた。

白谷工房さんだ。

 

もと保育園だったところをマチから借受け、そこで、解体材などを使った寄木のアクセサリーを作っている工房である。

 

 
 

 
 

 
オーナーの白谷さんに交じり、女性スタッフが一生けん命製作に励んでおられた。
 
昨年、佳子さまが、鳥取を訪問された際のアクセサリーも白谷さんところのを身につけられていたようで、それが、バズって生産が追いつかないらしい。
 
女性活躍、アップサイクル、地域の自立…
SDGSのキーワードがいくつも重なる。
 
日南町は林業の町。
地域にある資源を最大限活かす取り組み。
 

 

私たちも足元にある資源に着目し、どれだけそれを活かしきることができているのだろう。

 

日南町は高齢化率50%を超える超少子化の町だ。

『創造的過疎への挑戦』をキーワードに掲げ、他の地域より30年先取りしているが、SDGSの取り組みを通じて、そういった自治体のモデルになりたいと語っておられた。

 

大きいとか小さいとか関係ない

自分たちの町に誇りをもち、一生懸命に生きる姿こそが、美しい。

 

1ヶ月半ぶりぐらいにトレイルランの大会に出る。
 
6月末に、Kaga spa 100 by UTMB に満を持して臨んだものの、相当な暑さにやられてあえなく途中リタイヤをした。
45キロのエイドから、次のエイドに行くのに距離17キロ、標高差1000メートルをこえるだけの自信がなく、まだ体力は残っていたと思うが、気持ちが切れてしまった。
 
今回も、酷暑のレース。
完走する自信は半々ぐらいな気持ちだったが、今回は、とにかくゴールせねばと思った。
 
トレイルランニングは体力、経験など試される部分が多いが、最も大事なのはメンタルだと思う。
 
気持ちが切れなければ大概何とかなるものだ。
 
午前7時、但馬ドームをスタート。
スタートにトヨシマさんが僕を見つけてくれて声をかけてくれた。
 
トヨシマさん
『今回の60キロはコース変更になってかなり頑張らないとゴールできないらしいですよ』
と伝えてくれたが、割とのんきに構えていた。
 
実は、2年前にコースこそ違えど、同大会の同距離を完走していて、そのときは、まだ制限時間から余裕があったことを覚えていたから、よほどのトラブルがない限り大丈夫だろうという目論見もあった。
 
今回は神鍋周辺の5ピークを超えるレースである。
大杉山
蘇武岳
妙見山
三川山
神鍋山
だ。
今回のコースレイアウトは地元ということもあり、だいぶ熟知していた。
どんな感じの登りや下りがあるのか、そのあたりを知っていると体力の温存の仕方なども、作戦が立てやすい。
 
 
第1ピーク、大杉山
 
 
 
第2ピーク蘇武岳
 
 
 
第3ピーク妙見山
 
 
 
ここまではよかった。
 
でも約半分きた蘓武山頂付近の4回目のエイドで、ボランティアスタッフに
『ここからだいぶ追い上げないと完走は難しいかも…』
 
と言われる。
距離は、半分で、5時間が経過し、あと制限時間まで6時間ある。しかも下り基調。楽観はしてなかったけど、普通にゴールできるだろうという油断もまだここらへんではあった。
 
そんなに悪くないペースだとは思いながら走るが、
続く第3エイド(5回目)、第4エイド(6回目)と、制限時間までの時間が短くなっていることを告げられる。
 
第4エイドについたときには、もう余裕時間はほとんどなく、次の第5エイドまでの距離を考えると悠長に休憩をとっている暇もなかった。
 
そそくさと、第4エイドを出て、さらに下り基調をもくもくと走る。16時~17時頃だったけど、気温はずっと高いままで、まったく涼しくならなかった。
 
第5エイドを2㎞手前ぐらいにして、時計をやると、16時40分。
 
次の第5エイドの制限時間は17時だったので、残りはほとんどなかった。
 
とにかく第5エイドにたどり着かないと、その先に進むことはできない。
 
もう無我夢中で走り続け、なんとか第5エイドにたどりついたが、関門10分前ぐらいでギリギリセーフだった。
残り距離は約4km、そして残り1時間。
 
 
もう、その時点で走る気力は失ってしまいひたすら歩きに徹した。吐き気はするわ、膀胱炎のような感覚になるわで、もう体はボロボロだった。
 
最後はかっこよく走ってゴールといきたいかったけど、歩くだけで精一杯だった。何人にも抜かれるが、競り勝つ気力もない。
 
制限時間10分前にゴール。
 
これまでも100マイルや、100キロのレースを経験してきたけど、この60キロも過去一ぐらいつらかった。
 
でも、リザルトに残る完走ができたことが何よりよかった。
冒頭でも言ったように、トレイルはメンタルがかなり大きい。
 
ここで、粘ってゴールする経験ができたことが次のレースにもまたつながる。
 
勝ち続けられる人は、そのメンタリティがあるから、次の試合でも土壇場になって力を発揮できるものだ。
 
だから、自分が次なる挑戦を行うときも、この粘ってなんとかたどり着く経験は次への糧となる。
 
粘り癖は大事だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

政局が騒がしい。

 

自民党が大敗した責任をとれ…とネット上でも連日にぎやかだ。

 

もちろん、その矛先は、首相である石破総理に向けられている。

当然といえば当然でもある。

 

 

しかし、おそらく石破さんを辞めさせたとして、ずっと待望論の小泉さんになろうとも、高市さんになろうとも、僕はたいして変わらない気がする。

 

リーダーシップの問題ではなく、フォロアーシップの問題つまりは、私たち国民の考えや行動がかわらなけらば、どんなに優秀なリーダーを据えても一緒だということだ。

 

リーダーに対して文句を言うまえに、自分が社会に対して、どんなことができているのか、そのことを問わねばならない。

 

Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.

訳:あなたの国が自分に何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問いかけなさい。

 

かつて、ジョン・F・ケネディは、こういった。

 

まさに今、そのことが問われているのではないか。

 

自分たちにできることもたくさんあるだろう。

物価高をなげく前に、自分たちが買うものについてよく吟味し、購入したら大切、そして余すことなく使う。

 

日本の外交を問うまえに、身の回りにいる外国人に対峙し、積極的にいい関係をつくっていく。

そうやって、信頼を勝ち得ていく。

 

これだって、立派な外交だ。

 

自分の手に負えないものをあーだこーだといわず、じぶんができる精一杯のことをやろう。

 

そうすれば、よりよい社会は作られていくはずだ。

 

 

 
 

 


先日、娘が海外に留学することになり、見送りのため、成田空港に行った。

 

日帰りの強行軍である。

 

LCCを予約し、関空から成田まで行く。

成田空港は4年ぶりぐらいだろうか…

 

4年前は、まだ世間は、コロナ禍真っ只中で、ほとんどの便は欠航し、空港は閑散としていた。

 

今回は、日常を取り戻し、観光客などでごった返していた。

 

空港のレストランで、久しぶりの家族全員での外食をし、そしてその後、娘を搭乗ゲートから送りだした。

 

空港での滞在時間は短く、見送りだったから観光でもないのだが、ある意味、観光のような体験だった。

 

空港にいた人たちは、日本での滞在を楽しみいよいよ自分の国に戻るひとたちと、これからの出発を前にし、期待を胸に膨らませた人たちの高揚感が入り乱れているところ


自分も海外旅行に行ったような気分になった。

空港はいい場所だ。

 

 

先日、福井県勝山市にある『かつやまこどもの村小中学校』の視察を行った。

 

数年前に、村岡に移り住んだフジタさんにぜひこの映画の上映会に行ってほしいと進められて養父の自主上映会に行った。

 

夢見る小学校

 

それを進められるにいたった経緯については、今一つ思い出せないのだが、今の硬直的な教育システムには以前から疑問を感じていて、そんなことをフジタさんに話をしたことがあったのだと思う。

 

たまたま上映会のある日は時間が空いていたので、進められるままに上映会に行ってみることにした。

 

かなり衝撃的な内容だった。

その夢見る小学校に登場する『きのくに子どもの村学園』を一定期間撮影し続けて編集したドキュメンタリー映像だったのだが、その内容にもう頭をぶん殴られた気分だった。

 

この学校の授業の進め方がいわゆる既存の小学校とまったく異なる進め方なのだ。

 

子どもたちは、プロジェクトと呼ばれる体験学習を中心に編成される。そこには、いわゆる○年生という概念がなく、プロジェクトには、1年生から6年生までがごちゃまぜの年齢構成である。

 

例えば『工務店』のプロジェクトでは、こどもたちが大工道具を用いておおがかりな建物を実際に建築する。

 

それはジャングルジムのような実際に使えるものだ。

どんなものをつくるのか、そしてそれに必要な材料や道具として何を用意すべきなのか…

 

そんなことはすべて子供たちが決定していくという。

 

先生はそれに対して、ほとんど手出しをすることはないという。

そして、そのプロジェクトを通じて、国語や理科算数などのいわゆる教科で必要なことを学んでいくというそんなやり方だ。

 

そもそも、この学校では、先生を『先生』とは呼ばず、大人と呼ぶ。

 

また、週に1度、全校ミーティングがあり、学校でのルールづくりや、問題があった場合の話し合いはそこで行われ決めていく。

 

大人たちもそのミーティングには加わるのだが、その大人たちは、こどもたちと同様の一票として扱われ、大人たちがおしつけて何かを決しさせることもない。

 

この学校では、こどもたち一人ひとりが人格をもった人として平等に扱われている。

 

 

今、私は個人で別の法人を立ち上げ、村岡高校生の寮を運営している。

今、5人の生徒が学んでいるのだが、その中の一人と話をしていたときに、彼がこの『夢見る学校』の卒業生だったということに偶然気づいた。

 

衝撃的な映画だったわけだが、そのときは単なるエンタメとしての映画でしかなかったが、まさにそこで学んだ生徒がいまここにいるので、いてもたってもいられれず、その親御さんにお願いし、学校訪問をさせてもらうことにしたのだ。

 

そして、ついに、学校訪問が実現し、ほぼ一日を費やし、福井県勝山市にある『夢見る学校』かつやま子どもの村小中学校を見学させていただいた。

 

ついた日は、ちょうどこの学校の創設者である堀真一郎さんが来訪されている日で、約1時間ほど学校の開設の話や、今の状況などさまざまなお話をさせていただいた。

 

そして、そのあと授業を見学、その日はプロジェクトの日ではなかったが、スポーツをする時間だったり、お茶のお稽古をしていたり、絵画を描いたり、まさに映像のとおり、学年の枠が取っ払われて授業を行っていた。

 

授業最後の時間は、全校ミーティングの時間だったので、それもお願いして見せていただいた。

 

その日は特別な議題がなかったので、

『今日はさらっと終わるかもしれませんね』との話だったが、その日は、中学生である議長が『みんなで決めたおやつを食べることについての再確認します』とはじめたのだが、決めたルールの定義について、その解釈について、疑問にかんじたことをある生徒が話し始めたとたんに、議論が白熱。こどもたちが学年を問わずさまざまに意見を述べていき、そして最終的には議長がそれを取りまとめて終わった。

 

みんなの意見を取りまとめるのは大人でも至難の業だが、彼らは議論慣れをしている感じもあり、自分たちの意見をしっかりと述べ、そしてまた決まったことにはしっかりとコミットメントするという当たり前だけど、なかなか当たり前にできないことがこの学校ではしっかりとできているのだな…と感心を通り越して、感動してしまった。

 

 

今、学校を取り巻く環境はさまざま言われていて、先生も大変な思いをしているし、何より生徒が本当に幸せなのかと思うこともある。

 

 

 

しかし、そういったことを乗り越え、こどもたちの自主性を最大限引き出す教育が実現しているのを目の当たりにして、世の中にはこんなすごい学校がやはり存在するのだということを改めて知った。

 

うちの町も、小学校の合併がなされ、あと数年で私の母校も合併が近づく。

 

地域から学校がなくなれば、さらに過疎に加速が進み、町全体の活気が失われていくというのが私の持論だ。

 

だからこそ、学校がなんとか存続できる方法がないのかということにいろいろな行動もおこしてきた。

 

改めて、この学校をみさせていただいたときに、こんな学校を私たちの地元につくることができれば、また町は活気をとりもどすのではないか…

 

そう信じている。

もちろん学校をつくるということなど、私たちには到底無理な話かもしれない。

 

しかし、この学校を創設した堀代表も、数十年前に既存の教育に絶望や希望を見失ったところから、理想を求め、全国に5カ所『夢見る学校』をつくりあげてきた。

 

同じことは到底無理かもしれないが、教育の理想にむけて一歩を踏み出すことは可能なはずだ。