5月はじめての更新おひさしぶり
最近、溺愛していた購入暦まだ9ヶ月のRICOHカメラがぶっ壊れたり、Win7にアプデしたPCの調子がすこぶる悪かったり、ついでにマウスの調子も悪かったり、今月からの重労働に絶えかねてすっかりブログの更新が滞ってました・・・。
お久しぶりでございまっくす。
日本であったらしいゴールデンなウィーク中とやらに「せっかくブログゆっくり見ようとしたのに更新ねーじゃん!」とか結構言われ、
ついにコメントで子猫ちゃん(え、K-きさんだけですか?)に「生きがいを失う」とまで言っていただけたのでテキストだけの更新で失礼します。
(あ、前に途中まで書いてたANZACDAY記事が4月の日付でUPされてますので良ければそちらも是非)
メルボルンはすっかり秋、昼間はたまにスカッとした晴れ間があるものの朝晩は冷え込みます。
シャワーが辛い。長い時間浴びれないから余計に辛い。
ちなみに「水道使用量が前の3ヶ月(こっちは3ヵ月毎請求)より20ℓ/per day 多くなった!」といわれて落ち込んでます。いや、そりゃあ私の前の住人よりも、料理も掃除も洗い物(食器ね!お洗濯はできるだけ回数減らしてます)もマメにするとのことだったので予想はしてたんですが一日20ℓ・・・日本で言ったらほんのシャワー2~3分の誤差。日本製トイレ約3~5回分の誤差。それが痛い!といれっとぺーぱーも日本で一回3巻するところを1巻にしてますが、ああ、もっと節約しないと・・・・!資源は大事。地球は大事。
近況をもっと書き連ねると、、、、
家主のマイケルとは、まあまあ上手くやってます。
たまに日本のカレーやシチューを作ると喜んで食べてくれます^^;
ちなみに私のカレー、そしてシチューにまでにんにくしょうがが入ってますがそれもマイケル含め皆に大好評です!
(食べさせる前に「にんにく、しょうがいれるね」っていうと大抵ブーイングしてくるのに、食べると「おいしい!」って言ってくれるパターン多し)
最近仕事が忙しいので、日本語を教える時間が少なくなっているのが申し訳ない・・・
週末はたくさん話そう。
相変わらず、以前記事 にしたミゴレンはヘビーユース。
野菜や卵入れても一食分が約60㌣。おそろしい子。
今更ながらに岩井俊二の映画に興味が沸いてきて父親に依頼。
スワロウテイル、やばい良くてようつべから落としてへびーりすん。
こっちでも嵐旋風は巻き起こっていて(もちろんアジア人の間で)、これまたようつべで嵐のPVとか見てはニヤニヤしてストレス発散を図る。
この前の週末はKotaが送ってくれた嵐のDVD(ありがとう!)を日本人の友達Yukoと見てエキサイト。これが日本の25歳&26歳のピチピチギャルです!うへうへ
やばい、明日も朝から晩まで仕事だけどついついビール&ワインハーフボトル一人で空けてしまった・・・!
前に「物価が高い」とこのブログでも嘆いたけど、ビールは一缶2.5~3$(約200~250円)、ワインはピンキリだけど大体は10~30$(800~2400円)。そして最近とある酒屋でおいしいワインが1瓶3$(240円)なのを発見。こりゃ飲むしかねぇなぁとまとめ買い。
みんなで飲むのも好きだけど、一人でも飲めるもん!!!ひとりでできるもん!!!
ちなみにちなむとAUS人はやっぱり寝るのが早いのか、隣にある高層マンション(約40F)も23~24時にはほとんど真っ暗。このブログ書いてる3時には電気がついてるのが4部屋だけだった。
YABAI、一人で飲んでる場合じゃない。
とりあえず寝る!
Sweet Dream☆!
ANZAC DAY
※記事作成日付は4月ですが、写真UPの都合で更新は5月になってます
今日はオーストラリアの大事な記念日のひとつである、ANZAC DAYでした。
写真は毎年セレモニーが行われるShrine of remembrance。
なんと今住んでいる家から徒歩1分という場所にあります。
祝日にあたるこの日は、セレモニーやパレードが行われました。
よく調べてみる前は、日本の建国記念日のようなものかな?と思っていたのだけど、少し意味合いが違うようです。
オーストラリアは1901年にイギリスから独立しましたが、他の植民地に比べると抑圧された植民地化ではなく、イギリスから多くの人がオーストラリアへ移民 してきたことによる植民地化でした。そのためイギリスから独立した後でも、オーストラリアに住む人々の間ではオーストラリアはイギリスの一部の国である という意識が根付いていたと言われていたようです。
そして、独立してまだ13年しか経っていない1914年、第一次世界大戦が勃発。
ドイツ帝国が8月1日にロシアに対して宣戦布告、さらに続く8月3日にフランスに対して宣戦布告。それに対抗してイギリスは8月4日にドイツ帝国に宣戦布告を。
この宣戦布告に対して、当時のオーストラリアの首相ジョセフ・クックは「祖国が戦うなら我々も(”If the Old Country is at war, so are we”)」と宣言し、第一次世界大戦に参戦することを誓った。その他にも、ジョセフ・クック首相が「我々の義務は明らか。腰を固め、我々が英国人であるこ とを思い出そう」という発言をしたそうです。
オーストラリアはイギリス連邦軍と共に戦える志願兵を国中から募り、国内での訓練を終えるとニュージーランド兵とともに中東へ派遣される。このオーストラリア、ニュージーランド軍団を通称アンザック(ANZAC)と言い、彼らは第一次世界大戦の真っ只中で戦っていました。
翌年1915年4月25日、アンザック兵はイギリス兵、フランス兵と共にダーダネルス海峡北岸のガリポリ半島に展開するトルコ軍戦線を突破するため上陸攻撃を果たしましたが上陸地点が誤算であったため、丘の上で待ち構えていたトルコ軍の攻撃に合ってしまいました。
そのため3万3千人以上の戦死者(うち、約4分の1がオーストラリア兵)を出し作戦は失敗に終わりました。しかし、この悲劇の戦いを通してオーストラリアは完全にイギリスから独立し、一つの国『オーストラリア』として成熟した国家になったといわれています。
このような考え方のことを「アンザック神話」といい、オーストラリアのANZAC DAYである4月25日はアメリカ合衆国の7月4日、フランスの7月 14日と同じものだと信じられています。そのため、アンザック兵がガリポリ半島で流した血はオーストラリア国家誕生のための犠牲、そして生みの苦しみだ とする考えもあるようです。
そのためオーストラリア人にとってこの日は建国記念日のような祝日とも言えるそう。
ただの悲しみが蔓延する日ではなく、誇りも同時に持った日なのです。
この日、セレモニーに参加したいと意気込んでいたのですが(家から近いし!w)、なんと朝5~6時頃に行われていたようで行けず・・・泣
パレードが午前中だと聞いたのでその位に適当に行ってみれば何かしら見れると思ったのが大誤算でした・・・
後で家主のマイケルに聞いてみたら、早朝に兵士が出撃したため毎年その時間に追悼セレモニーが行われているとのこと。あああああああああ・・・・;;;;
その日は一日中TVでセレモニーの様子が流れていたので(もちろん真っ暗闇の中での式典だったわ!)それを見て我慢しました。
ちなみに知人の日本人に「アンザックデーは日本人にとって危険だから(戦時中は日本は敵国であったため)出歩かないほうがいいよ」といわれてビビっていたのですが、とりあえずメルボルンは問題ないようです。もちろん地域や、たまたまその場にいた人が激しい反日家だったら危険かもしれないけど。
建物の中には献花もされています
場内に咲いていたバラ。もう季節は秋。
日本ではそろそろ春のバラが咲いているのかなぁ
RON MUECK展@NGV
RON MUECK(ロン・ミュエク)氏の企画展示、見てきました。
(オーストラリア出身、イギリスで主に活躍されている方のようです。)
家から徒歩15分のNGVにて行われていた期間限定展示、先週16日(金)が最終日だったので行ってみることに。
マークとステファニーから「最終日はタダだよ!」って聞いてたから行ったら、めちゃめちゃすごい行列。「さすがタダだと違うわ」と思って並ぶこと30分。普通にお金払うことが発覚(´・ω・`) 別にいいんだけど(笑)
↑読むのが面倒な人はウィキでどうぞ(笑)
以下、写真続きます↓(画質よくなくてスマソ)
爪も毛もリアルすぎるほどリアル。
しつこいけど、ほんとにリアル。
皺とか毛穴の向きが生身の人間そのもの。
人間の体をどのくらい研究したのかなあとか思っていると・・・・
もちろんこちらもリアルでした。
むしろリアルすぎて凝視しにくかったです。
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いやあ、なかなか良かったです。
普段彫刻はあまり興味がないのでわざわざ見に行くことは少ないのですが(美術はもっぱら絵画派(しかもlandscape、なぜか胸がざわっとする))、まだ鑑賞しやすい現代アートということもあってか楽しめました。
調べてみると、彼が有名になったのは1996年、ロンドンのHayward Gall(ヘイワードギャラリー)で小さなフィギュアを作ったことからによるとか。
ちなみに去年ヘイワードギャラリーに行ったけど、そのときは草間弥生の展示をやってたと記憶。懐かしいなあ。
(ロンドン、紹介したいこといっぱいあったからそのうちネタに困ったら番外編「英ブロ」でもやるか!?)
↑パンフの一部。
パンフじゃなくてリアルにこういうおばちゃん達がこの日いたので、笑えた。
















