ANZAC DAY
※記事作成日付は4月ですが、写真UPの都合で更新は5月になってます
今日はオーストラリアの大事な記念日のひとつである、ANZAC DAYでした。
写真は毎年セレモニーが行われるShrine of remembrance。
なんと今住んでいる家から徒歩1分という場所にあります。
祝日にあたるこの日は、セレモニーやパレードが行われました。
よく調べてみる前は、日本の建国記念日のようなものかな?と思っていたのだけど、少し意味合いが違うようです。
オーストラリアは1901年にイギリスから独立しましたが、他の植民地に比べると抑圧された植民地化ではなく、イギリスから多くの人がオーストラリアへ移民 してきたことによる植民地化でした。そのためイギリスから独立した後でも、オーストラリアに住む人々の間ではオーストラリアはイギリスの一部の国である という意識が根付いていたと言われていたようです。
そして、独立してまだ13年しか経っていない1914年、第一次世界大戦が勃発。
ドイツ帝国が8月1日にロシアに対して宣戦布告、さらに続く8月3日にフランスに対して宣戦布告。それに対抗してイギリスは8月4日にドイツ帝国に宣戦布告を。
この宣戦布告に対して、当時のオーストラリアの首相ジョセフ・クックは「祖国が戦うなら我々も(”If the Old Country is at war, so are we”)」と宣言し、第一次世界大戦に参戦することを誓った。その他にも、ジョセフ・クック首相が「我々の義務は明らか。腰を固め、我々が英国人であるこ とを思い出そう」という発言をしたそうです。
オーストラリアはイギリス連邦軍と共に戦える志願兵を国中から募り、国内での訓練を終えるとニュージーランド兵とともに中東へ派遣される。このオーストラリア、ニュージーランド軍団を通称アンザック(ANZAC)と言い、彼らは第一次世界大戦の真っ只中で戦っていました。
翌年1915年4月25日、アンザック兵はイギリス兵、フランス兵と共にダーダネルス海峡北岸のガリポリ半島に展開するトルコ軍戦線を突破するため上陸攻撃を果たしましたが上陸地点が誤算であったため、丘の上で待ち構えていたトルコ軍の攻撃に合ってしまいました。
そのため3万3千人以上の戦死者(うち、約4分の1がオーストラリア兵)を出し作戦は失敗に終わりました。しかし、この悲劇の戦いを通してオーストラリアは完全にイギリスから独立し、一つの国『オーストラリア』として成熟した国家になったといわれています。
このような考え方のことを「アンザック神話」といい、オーストラリアのANZAC DAYである4月25日はアメリカ合衆国の7月4日、フランスの7月 14日と同じものだと信じられています。そのため、アンザック兵がガリポリ半島で流した血はオーストラリア国家誕生のための犠牲、そして生みの苦しみだ とする考えもあるようです。
そのためオーストラリア人にとってこの日は建国記念日のような祝日とも言えるそう。
ただの悲しみが蔓延する日ではなく、誇りも同時に持った日なのです。
この日、セレモニーに参加したいと意気込んでいたのですが(家から近いし!w)、なんと朝5~6時頃に行われていたようで行けず・・・泣
パレードが午前中だと聞いたのでその位に適当に行ってみれば何かしら見れると思ったのが大誤算でした・・・
後で家主のマイケルに聞いてみたら、早朝に兵士が出撃したため毎年その時間に追悼セレモニーが行われているとのこと。あああああああああ・・・・;;;;
その日は一日中TVでセレモニーの様子が流れていたので(もちろん真っ暗闇の中での式典だったわ!)それを見て我慢しました。
ちなみに知人の日本人に「アンザックデーは日本人にとって危険だから(戦時中は日本は敵国であったため)出歩かないほうがいいよ」といわれてビビっていたのですが、とりあえずメルボルンは問題ないようです。もちろん地域や、たまたまその場にいた人が激しい反日家だったら危険かもしれないけど。
建物の中には献花もされています
場内に咲いていたバラ。もう季節は秋。
日本ではそろそろ春のバラが咲いているのかなぁ

