昭和30年代の炭鉱配置図と昭和49年の航空写真であります。
もう、
もう、
やはり閉山して10年経ってますので…
今回、
この公民館は元共同浴場だったとの事です。
公園となりパッと見は わからないのですが公園内に入り石碑を見ると、ここがそうなのだとわかります。


昭和16年6月27日、
二坑で浸水事故があり、23名の方が亡くなられています。
犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りします。
坑口位置は お地蔵様 後ろのブロック塀の所だそうです。
そして、


昭和16年6月27日、
二坑で浸水事故があり、23名の方が亡くなられています。
犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りします。
坑口位置は お地蔵様 後ろのブロック塀の所だそうです。
そして、
新手二坑は、名前坑、赤石坑、大底坑とあったとのことですがはっきりとした事がわかりませんでした。
位置は だいたいわかるので見に行った、
坑口位置を見に行きましたが、片方は塞がれてましたがもう片方は、まだ開いているような雰囲気でした、


2枚目の坑口は 緊急時によく使われていて負傷者などを運び出されていたとの事です。
この坑口 手前の敷地には、劇場がありそこに負傷者を一時的に運び込んでいたとの事。
しかし、
坑口は木材と竹でカモフラージュしてたので詳しくは、見れませんでした。
3ヶ所目は、
3ヶ所目は、
ある施設となり跡形もありませんでした。
とりあえず、
とりあえず、
各坑の名前を知るために地元の方に聞きましたが、
「深坂やろ?」
との事です。
後年の呼び名であろうか…
さて、詳細です
新手二坑は、岩崎 寿善蔵氏が経営していた
深坂 炭鉱になります、
昭和2年1月、
深坂 炭鉱は岩崎 寿善蔵氏が再開発に着手、
昭和12年1月、
には、深坂 炭鉱は、大日本精糖系に売却され
同年2月、深坂 炭鉱株式会社が設立されました
昭和16年5月、
九州採炭株式会社が深坂 炭鉱を買収して
新手二坑と改称しました、
(中文省略)
そして、
昭和42年、
九州採炭株式会社は、閉山となりました
資料(北九州市史から)
「深坂やろ?」
との事です。
後年の呼び名であろうか…
さて、詳細です

新手二坑は、岩崎 寿善蔵氏が経営していた
深坂 炭鉱になります、
昭和2年1月、
深坂 炭鉱は岩崎 寿善蔵氏が再開発に着手、
昭和12年1月、
には、深坂 炭鉱は、大日本精糖系に売却され
同年2月、深坂 炭鉱株式会社が設立されました
昭和16年5月、
九州採炭株式会社が深坂 炭鉱を買収して
新手二坑と改称しました、
(中文省略)
そして、
昭和42年、
九州採炭株式会社は、閉山となりました

資料(北九州市史から)